8.選択肢
部屋の中にあった剣呑な雰囲気が薄れ、胸をなでおろしたローゼはふと気が付く。
この部屋にある机はひとつ、椅子は4脚だ。そして椅子にはローゼとアーヴィン、フロランとベルネスが座っている。
果たして来たばかりのリュシーはどこに座るのだろうかと思っていると、当のリュシーが机を回り込み、ローゼの手を取った。
「では、行きましょうか」
「行く? ……って、どこへですか?」
「隣の部屋よ。長旅で疲れているかもしれないけれど、今日中にドレスを選ばせてほしいの」
「ドレス!?」
頓狂な声を上げるローゼに、リュシーはおっとりと微笑む。
「もしかすると明日にもあちらの方々がいらっしゃるかもしれないの。その時に着るものを選ぶ必要があるでしょう?」
あちらの方々、というのはフィデルから来るフロランの婚約者一行のことだろう。
「そんな。あたしは単なる出席者のひとりで……」
「あら。ローゼは公爵家の一員よ。指輪も渡したでしょう?」
「で、でも、あたしなんてただの一般人ですし……あ、そうだ、あたし今回あの指輪をお返ししようと思ってて」
「駄目よ」
服の下から指輪を取り出そうとするローゼの手を、リュシーはそっと押さえる。
「指輪はちゃんと持っててちょうだい。だってローゼは私の義妹だもの。……ね?」
思わぬことになってローゼは狼狽えるが、リュシーの笑みは変わらない。誰か助けてくれないだろうかと思いながらフロランを見ると、彼は澄ました顔をしている。
思い返せばフロランはローゼのことをずっと「義妹」や「義姉」と呼んでいた。きっとローゼがシャルトスの一員というのは当主フロランも認めていることだ。
さらに彼は、リュシーがローゼを伴ってすぐに退出することを知っていた。だからリュシーのための席はなかったのだ。
どうやら指輪を返すこともできなければ、部屋に残ることもできないようだ。リュシーにもう一度促され、ローゼは渋々うなずく。
ため息を吐きながら椅子の横に立てかけてあった聖剣を持ったその時、右手から何気ない調子の声が聞こえた。
【ローゼ。俺をこの部屋に置いていってくれ】
「え? なんで?」
意外なことを聞いたせいで、問い返すローゼの声はわずかにかすれた。レオンはそんなローゼを気にかけることなく、揶揄するように続ける。
【お前はこれから着替えをするんだろ? そのあいだ俺は箪笥に入れられるわけだ。だったら、ここにいる方がずっといいと思ってな】
確かに着替えるあいだローゼは聖剣を箪笥に入れるつもりだった。しかし聖剣を箪笥に入れるのは今に始まった話ではない。
(……なんか、変)
違和感を抱きながらローゼは口を開く。
「アーヴィンだってこの後、着替えをするでしょ」
【男の着替えなんかすぐ終わるだろうが】
「……あたしの方だってすぐに終わるかもしれないわ」
【アーヴィンよりもか?】
問われてローゼは言いよどむ。どう考えてもアーヴィンより早いとは思えない。
【何も遠くへ行こうってんじゃないんだし、アーヴィンのところにいると分かってるならお前だって心配ないだろ?】
ローゼがすぐにうなずくとは思っていなかったのだろう。レオンは言葉を用意していたかのように反論するが、それは逆効果だ。今回の道中、レオンとアーヴィンは精霊の言葉を使って何かを話していることが多かった。妙に仲が良いふたりに対し、ローゼはずっと不信感を抱いていたのだ。
「……どうして今回はそんなにアーヴィンと一緒に居たいの? 今まで箪笥に入れられて文句を言ったことはあったけど、あたしと離れたがったことなんて一度もないのに」
低い声でローゼが問い返すと、レオンは小さくうめく。尚も言い募ろうとローゼが口を開いたとき、先に穏やかな声が降ってきた。
「レオン、どうかローゼと行ってあげてください」
声と同じく穏やかな笑みを見せたまま、アーヴィンが続ける。
「良く知らない場所でひとりになるのです、心細いローゼは、レオンと離れたくないのですよ」
【……そうか、だったら仕方ないな。俺は今回も箪笥に入っててやろう】
レオンの声はローゼとアーヴィン、フロランにしか分からないが、アーヴィンの声はリュシーや護衛たちも含めたこの場の全員に聞こえる。自分が怖気づいていると思われたくなくて、ローゼは反射的に聖剣を突き出した。
「確かにこの後は必要ないものよね。置いてくわ」
考えるより先に言葉が出てくる。しまった、と思ったがもう遅い。
小さく笑ったアーヴィンはうなずいてしっかりと聖剣を受け取り、青年の手に移ったレオンは「ローゼが自分と別れても平気なほど成長した」と喜んでいる。いまさら「聖剣を返してほしい」などと言える雰囲気ではなかった。
自身の短慮にローゼは歯噛みする。
考えてみれば、エリオットの身代わりをしているとはいえ他人のベルネスが公爵家の姉弟と共に出迎えをするなど変な話だ。
もしかすると彼らはこの後、何か重要な話をするのかもしれない。それを道中で聞かされていたレオンは、アーヴィンと一緒にいるため部屋に残ると言い出したのだろうか。
(……何よ。あたしに知られたくない話でもするの?)
聖剣とアーヴィンを見ながら、ローゼは眉をひそめた。
* * *
部屋を出たローゼは「まずは浴室へ」と言われ、廊下でリュシーと別れる。
湯浴みを手伝おうとする侍女との間でひと悶着あったものの、なんとかひとりで湯浴みを終え、浴室の前で待っていた侍女と共にあてがわれた部屋へ行くと中にリュシーの姿はない。
首をかしげるローゼだったが、案内の侍女は部屋を横切って室内右奥の扉へと近寄る。慌ててローゼも後を追うと、扉の向こうからは女性の声が聞こえてきた。
「いいえ、リュシー様。ローゼ様にはこちらの方が映えますわ」
「あら、そうかしら。でもこの刺繍はあの子にとても合うと思うの」
「リュシー様、私はこちらが良いと思います。ほら、合わせると華やかになります」
侍女が扉を開くと、あったのは今いる場所と同じくらい大きな部屋だ。どうやらここは二部屋が続きとなっているようだった。
次の部屋には右手側に立派な寝台が設えてあり、奥の壁際にはいくつもの箪笥がある。そのひとつ、一番大きな両開きの箪笥の前で侍女と話していたリュシーは扉が開く音に気付いたのだろう。笑顔でローゼを振り返った。
「でもまず、本人の意見を聞かなくてはね。さあ、こちらへいらっしゃい、ローゼ」
手招きに従って歩き出したローゼの目はすぐ、リュシーの後ろにある箪笥の中へ釘付けとなる。
大きく開かれた戸の中には、色とりどりのドレスがずらりと掛かっていた。
「ね、ローゼはどのドレスが好きかしら?」
リュシーは無邪気に問いかけてくるが、ドレスと無縁の生活を送って来たローゼは戸惑うばかりでどう答えたら良いのか分からない。花畑のような箪笥の前で呆然としているばかりなのだが、背後に立つリュシーはローゼの両肩に手を置いてうきうきとした声を上げる。
「まずはあちらとの顔合わせのときに着るものと、その日の晩餐の時に着るものと……そうね、念のためのもう1着で、3着選びましょう。本当はもっと選びたいのだけれど、今日は時間がないものね」
「……あの、もっと選びたい、と仰いました?」
「言ったわ。本当は他にもね、分家たちとの会食の時のものに、披露宴の時のものでしょう……」
指折り数え始めるリュシーの声を聞きながらローゼはくらりとする。果たしてこの先、何着のドレスを選ばなくてはならないのだろうか。
しかしリュシーの声はそれだけで終わったりしない。
「ドレスが選び終わったら、次は装飾品よ」
「装飾品……?」
ローゼの横へ進み出たリュシーが合図をすると、侍女がきびきびした動きで手押し台を運んでくる。おそるおそる台の上を見て、ローゼは思わず息が止まりそうになった。
小さくないはずの台の上には所狭しとばかりに高級そうな箱が並び、どの箱の中にも煌びやかな飾りが収められている。
土台が黄金のもの、銀でできたもの。
細かな石が細工に合わせてちりばめられたもの、大きな石が見事な輝きを放つもの。
色も青や赤、緑や色のないのもの、透き通っているもの、不透明なものなど様々だ。
「ここに用意してあるのは髪飾りの一部よ。他にも首飾りと、腕飾りと、指輪と、ブローチと、ベルトも選ばなくてはね」
言いながらもう一方の壁を示すリュシーの手の先を見て、ローゼは愕然とした。
壁際に並んだいくつもの手押し台には、装飾品が入っていると思しき箱が堆く積まれている。きっとどの中にも、今見ているような眩い品々が入っていることだろう。
(ドレスだけじゃなくて、こんな豪華な装飾品まで選ぶの? あ、あたし、どうしてこんなことにっ!)
あまりにも場違いな世界へ迷い込んだ気がして、ローゼは眩暈を起こしそうになる。そんなローゼの左手をリュシーが取った。
「大丈夫よ、ローゼ」
しゃら、という涼やかな音と共に左袖から零れ落ちる銀の腕飾りが、窓から入る光を受けて複雑な色に輝いた。
「どんな装飾品を選んでも、この腕飾りだけは外さないと約束するわ。それにね」
厳かな様子でリュシーは続ける。
「ここに持ってきたのは一部だけなの。全部気に入らなかったとしても、まだ他に装飾品はあるわ」
「ここにあるものが、一部だけ……」
ではこの城には全部でどれほどの装飾品があるのだろうか、と空恐ろしくなりながらローゼはぼんやりとリュシーへ顔を向ける。
「だから安心していいのよ。ローゼが好きなものを、ゆっくり探しましょうね」
どうやらリュシーは何か勘違いしているらしい。
(あたし別に「ここにあるものが気に入らなかったらどうしよう」なんて考えてないんだけど……)
だがそれも、リュシーがローゼに好意を持ち、気を使ってくれているいる証拠だろう。彼女の気持ちをありがたく思うローゼがあえて否定せず、ただ「はい」とだけ答えると、リュシーは嬉しそうに微笑んだ。
アーヴィンとフロランの姉だけあって、リュシーは華やかで美しい。その彼女が瞳をキラキラとさせている姿は、実は宝石の化身なのだと言われても納得してしまいそうだ。
「全部選び終わったら、今日のためのドレスに着替えましょう。お化粧をして、髪も結うの。ローゼはいつも綺麗だけれど、いつもよりずっと綺麗にしてあげるわ。アーヴィンが驚くくらいにね」
リュシーはそう言って軽やかな笑い声をあげる。
「ああ、なんて楽しいのかしら。ローゼが城に来てくれて本当に良かった」
一方のローゼは楽しいわけではなく、どちらかと言えば気が重い。
果たして今日この後だけでもどれほどの時間がかかるのだろう、と暗澹たる気分になると同時に、ローゼは思わず目を剥いた。
(時間がかかる……それだけあたしは、アーヴィンたちと離れることになる……)
やはり彼らはローゼを排除した状態で話したい何か、あるいは行いたい何かがあった。だからこそこの着替えの時間を利用したのだ。きっとアーヴィンは到着後すぐにリュシーがローゼの衣装を選ぶことを予測していたに違いない。
(アーヴィン……! ううん、レオンもよ! 一体何を企んでるの? あああ、聖剣を預けたのは失敗だったぁ!)
ギリギリと歯噛みするが、今となってはもうどうすることもできない。
(せっかく色々と準備してくれたリュシー様には申し訳ないけど、あたしがやらなきゃいけないのは少しでも早くこの時間を終わらせることだわ。とにかく急いで選んで、アーヴィンやレオンと合流してやる!)
「ではまず、ドレスを選びましょうね、ローゼ」
リュシーに呼ばれたローゼは、決意も新たに顔を上げた。




