余話:裏と表
北の町にある神殿へ訪れたのは約1年ぶりだったが、神官たちはアーヴィンとローゼのことを覚えていた。
前回も今回もアーヴィンは『聖剣の主の随伴者』だとしか言っていない。
しかし北の城から帰る途中だった前回はともかく、今回はだいぶ髪が伸びている。どうやら神官たちは、アーヴィンが神殿関連の人物だと見当をつけているようだ。腰には剣を佩いているので、もしかしたら神殿騎士か神殿騎士見習いだと思っているかもしれない。
もちろんこの剣は飾りではなかった。
アーヴィンは子どもの頃に北の城で剣を学んでいた。大神殿に行ってからもたまに神殿騎士見習いだったジェラルドと打ち合いをしていたし、グラス村でも鍛錬は怠っていない。今の段階ではローゼよりも強く、彼女と打ち合うときは8割方アーヴィンが勝利していた。
しかし、と思いながらアーヴィンは横の椅子に座るローゼを見る。
今後はきっと、ローゼの方が強くなる。
そうでなくてはならないのだ。
「お久しぶりです。この辺りの様子はどうですか?」
赤い髪を結い上げた『大陸で11人目の聖剣の主』がその呼び名に相応しい堂々とした態度で微笑むと、彼女の正面に座った壮年の神官は背筋を伸ばして答えた。
「おかげさまで変わりございません。幸いにもこの辺りは魔物の被害がほとんどありませんから。……ああ、ですが」
何かを思い出したかのような表情で、男性正神官は続ける。
「変わったことがひとつございました」
「どんなことですか?」
「北方の人々がですね。少しばかり、我々に対する態度を軟化させてくれたように思うのですよ」
「本当ですか!」
ローゼの顔がぱっと明るくなる。
神官は相好を崩した。
「はい。もちろんアストランの他の地域のようにはいきませんが、しかし、かなり感じが良くなりましたよ」
彼の言葉を聞いたローゼは嬉しげな笑みをアーヴィンに向ける。その様子を見ながら神官は、そうだ、と言葉を続けた。
「せっかくですから、この町の北方神殿へ行ってみてはいかがでしょう。奥の扉から先はまだ見せてもらえませんが、建物の中へは入れてもらえますよ」
* * *
アーヴィンとローゼは北方神殿へ行くため、連れ立って神殿を出る。
感じが良くなった、という町の人々の様子を見るためにも歩いて行こうという話になったので、馬は神殿に預けてあった。
【そういえばこの町で小うるさいガキどもと会ったんだったな】
「ラザレスね。あと、コーデリア」
ふたりの名を口に出すローゼはどこか懐かしげだ。
「あの時は頑張って中を見ようとしてたんだっけ。今なら祈りの言葉を言わなくても中へ入れてもらえるのにね」
【もうとっくに見に来たんじゃないか? で、今度は木を見ようとしてつまみ出された】
「やだ、レオンったら。想像できちゃう」
ローゼは朗らかな笑い声をあげる。
その様子からは、道中の張り詰めた姿が見受けられなかった。
大神殿にいるときはいつも通りだったローゼは王都を出た日の昼過ぎ、魔物が出た辺りで様子がおかしくなった。
村にいる時ほぼ剣を使えなかったローゼは、剣術のほとんどを大神殿や旅の途中にフェリシアから学んだと言っていた。事実、せがまれて村で打ち合ったローゼの動きはジェラルドとよく似ていた。
しかしその日、魔物と対峙したローゼは、戦いの中で剣技を使っていないように見えた。
もちろん聖剣を使って魔物を倒すことに変わりはない。ただ、戦っているローゼは聖剣という物理的な『物』で戦うというより、聖剣の中に秘められた『神の力』を行使している印象を受けた。彼女は『聖剣の中にある力』というものを理解しているように思えたのだ。
アーヴィンは初め、それもまたローゼの持つ聖剣の主としての能力かと思った。南で魔物と戦闘を重ねるうちに戦い方を変えたのだと。
しかし、すぐに違うと気が付いた。
戦闘後のローゼは顔色が悪く怠そうに見える。だが、さりげなく体調を尋ねても、張り付いたような笑顔で「あたしは元気よ!」と答えるのだ。
しかもそういったローゼと話をしているときは、突然レオンが会話に参加してくることが多い。するとローゼはすぐにアーヴィンから顔を背け、不自然なほど肩を上下させるのだ。その様子は、話している間に苦しくなった息を整えているように見えた。
魔物を見つけた時に口調や態度を変化させることも含め、ローゼの行動は全ておかしい。間違いなく彼女の身には何か起きているのだが、アーヴィンが異変に気づいたことをにおわせてもローゼは必死に隠そうとするばかりで、どうやら教えてくれるつもりがないようだった。
もちろんレオンは、ローゼに何が起きているのかを知っているだろう。なのに自分は心配すらさせてもらえないのかと思うと、アーヴィンは悔しく、そして寂しい。
何度か問い詰めようと思ったこともあるが、結局聞くことができなかったのは、アーヴィンもまたローゼに言えていないことがあるせいだ。
ローゼがレオンと話す声を聞きながら、アーヴィンは舗装された広い道の先を見る。
この道をずっと北へ進んだところにあるのは、北方の領主が住まう都市イリオスだ。今の領主は緑の瞳をしたフロラン、薄い青の瞳に酷薄な光を宿していた男性はもういない。
だが、アーヴィンにとってシャルトス家の当主といえば思い出すのは祖父ラディエイルだ。頭ではフロランだと分かっているのだが、どうしても祖父の影がちらついて仕方がない。
そして、フロランが結婚式に自身を呼んだ一番の理由に、アーヴィンは気付いている。
そのことを考えると、胸の奥がひどく痛んだ。
『それ』は領主の象徴、強烈に祖父を思い起こさせるものだ。
身に纏えばきっと、アーヴィン自身が祖父になってしまったかのような思いを抱かせるに違いない。父と母と妹を殺した、祖父に――。
「アーヴィン!」
名を呼ばれて思わず肩を震わせると、ローゼが心配そうにアーヴィンを見上げていた。
「どうしたの? 具合でも悪い?」
ああ、と呟いたアーヴィンは、知らないうちに胸を押さえていた手を下ろす。
「いや、少し考え事をしていただけだ。話の途中にごめん」
それでもローゼの表情は変わらない。
きっと彼女はアーヴィンの様子に気づいている。気づいて、何かあるのなら言って欲しいと思っているのかもしれない。
だがアーヴィンにしてみれば、これは自分で解決すべき問題だという気がしている。
未だに昔のことが拭い去れないのは自分が不甲斐ないせい。ただでさえローゼは大変なのだから、アーヴィンの問題まで背負わせるわけにはいかないのだ。
問いかけるような赤い瞳を見つめてアーヴィンは微笑み、歩いていた道の先を示す。
「この町の北方神殿には行ったことがないんだ。行く道の間に何があるのかも合わせて案内してくれると嬉しい」
話す気のないことが伝わったのだろう。
ローゼは寂しそうな表情でうなずいた。
「……うん」
ぎこちない笑みを浮かべ、ローゼは歩き出す。
ローゼと、そしてローゼの佩いた黒い鞘の剣を見ながら、アーヴィンの心には苦いものが湧き上がった。
ローゼが倒れた後、彼女に関する一連のことが分からないアーヴィンは、苛立ってレオンを責める口調になってしまった。
後に謝った時には気にするなと言ってくれた彼だが、改めてきちんと謝るべきだろう、と考えたとき、右を歩くローゼがふと左手を出してきた。銀の鎖がしゃらりと涼やかな音を立てる中、ローゼはアーヴィンの右手をそっと握る。
「……いつもは馬だけど、たまには歩くのもいいね」
正直に言えば今もアーヴィンは、北方の領地、特に城へ足を踏み入れるのが不安だ。
しかし伝わるこのぬくもりさえあれば、北の城の中でも強くいられるかもしれない。
「そうだね」
アーヴィンが答えると、ローゼは今しがたとは違う自然な笑みを浮かべる。
その笑みを見ながら自身も微笑み、アーヴィンは繋いだ手に力を籠めた。