東の町で (ゲスト様企画短編)
このところ町は浮かれた空気に包まれている。
それというのも、この辺りの領主であるタスカ家当主の誕生日が近いせいだ。
タスカ領は果物の産地としても知られており、果物で造る酒もまた有名だった。
「実はご当主の誕生日になると、この町の屋敷前で果実酒が振る舞われるんだよ」
東方へ来たばかりのアサレアに教えてくれたのは、先に配属されていた神殿騎士の同僚だ。
「滅多に飲めない上物の酒だからな、みんな楽しみにしてるんだぜ!」
「へぇ。ご領主、太っ腹ね」
「だろ?」
同僚はアサレアに向け、町の人々と同じような明るい笑顔を見せた。
そんな明るい町のもうじき昼になるという時間、アサレアは町一番の大通りを歩いていた。
今日は魔物に遭うことが無かったので哨戒の時間は短かった。思ったより早くこの町へ到着できたため、目的の串焼き屋にもまだ並んでいる人は少ない。
口元を緩ませたアサレアは、よし、と拳を握り締める。
あの程度の人しかいないのであれば、いつもは買い損ねてしまう本数限定の品も入手できるに違いない。噂の品がようやく食べられる、と足取りも軽く列の後方につこうとしたとき、小さな声がした。
「これ、そこなおなご」
誰かを呼んでいるらしい男性の声だ。
周囲にいる女性は自分だけだが、もしこの声に応えてしまえば串焼き屋には並べなくなる。
気のせいに違いないと言い聞かせてそのまま通り過ぎようとしたのだが、マントが思い切り引っ張られた。
「無視するでない。そなただ。そこの20代前半と思しき神殿騎士のおなご! これ、無視するでない! 無視するでないと言うておろうが!」
「……っ、これは気のせい、これは気のせい、これは気の……」
「こっ、ここまで、引っ張られて、おいて、気のせいとぉ~、思い込むのは! 無理があるぞ! いい加減にせい!」
アサレアは前のめりになりながら歯を食いしばって歩こうとするが、どうやら背後にいるらしい男性は全体重をかけてマントを引っ張っているようだ。
周囲から突き刺さる「何事だ?」という視線に加え、このままではマントが破れそうだということも相まって、仕方なくアサレアは立ち止まった。
振り返ると、マントを引っ張っていたのは20代後半と思しき男性だった。
着ているものは町中の人と同じようなものだが、生地はとても上等な品のように思える。
「いったいなんですか、もう」
「うむ。ちと尋ねたいのじゃが、そなたはこの店を知っておるか?」
話しぶりもまた独特だ。
何となく出自を察したアサレアが男性の差し出す紙を受け取ると、描いてあるのはこの町の地図だった。よく見ると地図の一か所には矢印があり、その上には店の名が書いてある。どうやら彼はここへ行きたいようだ。
「行ったことはありませんが、場所は分かりますよ」
「そうか!」
男性は顔を輝かせる。
「そなた、よければ案内してくれぬか?」
「案内……」
言われたアサレアはほんの少し先にある串焼き屋の露店を見る。
ここで違う場所へ行ってしまえば、今なら買えるはずの限定を逃すことになるだろう。
しかし、と思いながらアサレアは目の前の男性へ視線を移す。
――自分の勘はこの男性と一緒に行った方が良いと告げている。
アサレアは賭けごとに強い。それはこの勘に従っているおかげだ。
少し考え、アサレアはうなずいた。
「分かりました、ご案内しましょう」
「おお、助かるぞ!」
答えを聞いて破顔する男性とともに、アサレアは賑やかな通りを歩き出し、
「にしても」
と言いながら、手の中にある地図を返した。
「ここは刺繍糸を取り扱っている店だったと思うのですが。あなたは刺繍をなさるんですね」
「わしがか?」
男性は胸を張る。
「わしは出来ん!」
(いや、できないってことを自慢げに言わなくても)
男性を見ながらアサレアは内心でこっそり呟く。そんなアサレアを気にせずに男性は続けた。
「わしは出来んがな、妻は刺繍が上手い。これはわしの妻が使うものじゃ」
男性は手にした地図と道とを交互に見ながら嬉しげな様子を見せる。
「実はもうすぐわしの誕生日でな。妻が贈り物としてこっそりマントを仕立ててくれておるのじゃよ。したが、一番重要な場所の刺繍を何色にしようかと迷っておるようでのう」
もうすぐ誕生日、とアサレアは心の中だけで繰り返す。
「なのでわしが刺繍の糸を買ってやるのじゃ」
「これにしてくれ、って渡すんですか?」
「そんなはずなかろうが」
男性はニヤリと笑う。
「そっと置いておくだけで良い。さすればわしの好みを知っておる妻は『良い色の糸があるから、これを使おう』と思うに違いないのじゃ」
「なるほど。きっとそうなるでしょうね」
彼の笑顔を見ながらアサレアは思う。
(この男性の妻は、夫が用意したことを察するんだろうなあ。その上で、何も言わず刺繍してくれるんだ)
その様子はなんとなく心温まる気がした。
「うむ、そなたは話の分かるやつじゃな。やはり声をかけて正解であったぞ」
喜んだ男性はさらに気分が高揚したらしい。まるで鼻歌でも歌いだしそうな様子でアサレアを見る。
「おお、そうじゃ、まだ名乗っておらなかったな。わしはシジスモンドと申す。シジスモンド・タ――」
その瞬間、綿のかたまりのようななにか柔らかいものが飛んできて、シジスモンドと名乗った男性の頭にポフンとぶつかる。
「む。――おっと、いかん」
小さく呟いた男性は、ひとつ咳払いをする。
「うほん。あー、わしはシジスモンドじゃ」
「ありがとうございます。えーと、私はアサレアです」
名乗りながらもアサレアは視線を走らせるが、飛んできたなにかは周囲に見当たらなかった。
「……ところで、このお店はいつも利用なさる店なんですか?」
「ここか? いいや、そんなことはない。いつもは商人を呼んでおるからな」
シジスモンドはニコニコしながら続ける。
「今回は妻に秘密で用意するからのう。商人を呼んだらバレてしまうであろう? なのでどうしようか悩んでおったのだ」
ところが昨日、書類の中にこの店の地図が混じっていたのだという。
「おそらくうっかり者の誰かが紛れ込ませたのであろうな。しかしわしにはありがたいうっかりであったぞ! おかげで今日、暇を見つけてこっそり買いに出てこられたというわけじゃ!」
(いやいや、そんなうっかり絶対ないから!)
晴れやかに笑うシジスモンドを見ながら、アサレアは苦笑する。
きっとこの地図を紛れ込ませた誰かは、シジスモンドが刺繍糸を買いたがっていることを知っていたのだ。彼が今着ている服も、その誰かが手配しておいたものだろう。
(それに――)
先ほど飛んできた軽いものを思い出す。
もしかするとその人物は、今もシジスモンドを見守っているのかもしれなかった。
だとしたら随分とやり手な人物だ、と思いながらアサレアはすぐ先の角を指す。
「あそこを曲がると、目的の店がありますよ」
「おお、そうか! 世話になったな、アサレア!」
明るく礼を言うシジスモンドがさらに何かを言いかけた時、すぐ横を立派な馬車が通る。
馬車の色は白と青。この色を使うのなら神殿に関係する人物の馬車だ。しかも豪華な見た目から推察するに、中に乗っているのは高位の人物だろう。
馬車はアサレアたちの横を通ってしばらく過ぎたあたりで止まった。道の途中で止まる馬車に周囲の人は迷惑そうな顔を見せるが、乗っている人物はどうやらお構いなしのようでそのまま扉が開く。途端に、シジスモンドが慌てた様子を見せた。
「で、では、世話になったな、アサレア! また機会があれば会おうぞ!」
彼が目的の角に消えるとほぼ同時に、馬車から恰幅の良い男性が出てくる。神官服を着たその男をみた瞬間、アサレアは自分の顔が歪んだのが分かった。
黄金の飾りを多くつけた神官服姿の男性は、辺りを見回した後にアサレアへ目を留めるとずかずか近寄ってくる。
「おい、そこの神殿騎士!」
数人の神官を従えてやってきた男は、居丈高な様子でアサレアに言った。
「お前の近くに男性がおられたはずだな? どちらへ行かれた?」
「男性?」
アサレアは首をかしげて見せる。
「えー、周囲にはたくさん男性がいますが、どんな人でしたか?」
「とぼけるな! つい今しがたまでお前の近くに――」
「これはこれは、アレン大神官様」
その時、腹を刺激する香りと共に新たな男性の声が割って入る。
名を呼ばれたアレン大神官がそちらへ視線を向けた。
「おお、トッツィ殿、久しい……」
言いかけ、アレン大神官は口を半分開いたまま固まる。
アサレアが大神官の様子を見て怪訝に思うと同時に、貴人の家に仕える姿をした男性が現れてアレン大神官に向けてきっちりと頭を下げた。
――ただし、意外なものを持って。
彼が手にする物にアサレアは視線が釘付けになる。激しく瞬くアレン大神官もそれが気になって仕方ないようだ。
「今年も主の誕生日に合わせてお越しくださったのですね。主も喜びます」
しかしトッツィと呼ばれた男性は二人からの困惑を意に介す様子もなく、柔和な笑みを浮かべて応対を続ける。
「当日はぜひ、屋敷にもお越しください」
「ああ……」
「今年の果実酒は出来がとても良うございます。きっとアレン大神官様にもご満足いただけるでしょう」
「そ、そうか……」
「やや、これは私としたことが。お忙しい大神官様をお引き留めしまして申し訳ございません。先をお急ぎでしたよね、失礼いたしました」
少々強引に話を打ち切り、トッツィは再度頭を下げる。
「いや、その……まあ、ご当主によろしくお伝え下され……当日お伺いしますと。……あー、では私は、これで……」
アレン大神官は毒気を抜かれた様子で別れの挨拶を述べ、
「シジスモンド様を見たと思ったが、気のせいだったか……?」
と口の中でもごもごと言いながら馬車の方へと戻っていった。
アレン大神官が乗りこむ馬車が小さくなると、トッツィはふと笑ってアサレアに手の中の物を差し出す。
「ありがとうございました。よろしければお召し上がりください。――どうかこのことはご内密に」
アサレアが受け取るとトッツィは片目をつぶり、角を曲がって刺繍の店の方へと消えて行く。彼を見送ったアサレアが串焼きの袋を見てみると、中には滅多に買えない限定の品が何本も含まれていた。
「……ふふ」
アサレアは小さく笑みをもらす。
やはり勘に従って正解だった。
今年の領主の誕生日も、たくさんの人が町で祝うのだろう。
自分もぜひ祝わせてもらおうと思いながら、アサレアは湯気の立つ串焼きを1本取り出して頬張った。