彼女たち (ゲスト様企画短編)
アストラン王国南方は鮮やかだ。
空はくっきりと青く、陽光ですら黄金のように濃く思える。建物も赤や黄色、緑色と様々で、白い建物の場合も神殿に憚って屋根にだけは色を塗っているのが常だった。
ハスミンが産まれ育ったのはそんな南方にある小さな漁村だ。10歳の年に王都の大神殿へ行き、少し前に8年の修行を終えて南へ戻ってきた。
赴任先として選んだのが故郷の漁村ではなく3日ほど離れた町だったのは、せっかくなので他の地を見てみたいという気持ちからだった。
(おかげで大正解)
手に持つコップの中身をこぼさないよう注意しながら、ハスミンは鼻歌まじりに緩やかな坂を上る。灰色の石畳の途中に見えてきたのは、雲一つない青空に映える一際白い建物だ。門をくぐると前庭にはひとりの女性がいる。
門に背を向けて屈んでいるいる彼女が着ているのは神官服、そして頭には白い布を巻いて帽子を被っている。彼女はこの格好で前庭の手入れをするのが常だった。
「アマラさん、ただいまー」
ハスミンが背中に声をかけると、木の下で作業をしていたアマラはぱっと振り返る。
濃い陽光の南は影もまたくっきりと濃い。しかしそんな中でも、アマラの笑顔ははっきりとハスミンの目に映った。
「ハスミンちゃん、おっかえりー」
基本的に神官同士は互いを姓で呼びならす。これは大神殿はもちろん、どこの町や村の神殿でも同じだ。
しかし妙に気が合ったハスミンとアマラは、周囲に一般の人がいない時だけ互いを名で呼び合っていた。
「もしかしてアマラさん、ずっと前庭にいたんですか? お昼になっちゃってますよ?」
「あー、道理で日差しがきついわけだー!」
アマラは植物に関しての知識が豊富だ。彼女がこの町の神殿に来たのは数年前、以降は前庭の管理を一手に引き受けている。
しかし彼女は熱中すると他が見えなくなる癖があった。ハスミンが神殿の用事で出かけたのは朝の早いうちだったが、その頃にはもうアマラは前庭の手入れを始めていた。ハスミンは彼女の声に送られて出かけたのだ。
「もう、気を付けて下さいよね」
ハスミンが言うと、アマラは照れたように笑う。
一緒に小さく笑って、ハスミンは手の中のものを差し出した。
「はい、これ、どうぞ」
「ん? ……あ! もしかして果実水? うわあ、ありがとう!」
アマラはコップを見て目を輝かせた。
果実水は水に果実と砂糖、そして薬草を加えて作る、アストランの南方で特に好まれている飲み物だ。家庭でも作ることはあるが、店で買う方が一般的だった。
購入の意思を伝えると、店員は専用の計量器を使って客が持参した容器に入れてくれるので、客は入れてもらった分だけ支払いをする。材料の配合は店ごとに違うので、好みの味を探すのもまた楽しい。
今日のハスミンは町にある1軒の食堂にも用があった。
この食堂の前では美味しい果実水を売っているので、アマラへのお土産にするために、あらかじめコップを持って出かけたのだ。
「神殿の方は特に何もありませんでした?」
「なかったよー。だからずっと、前庭の手入れができたのさ!」
立ち上がったアマラは使っていた道具を抱え、木陰の長椅子にハスミンを誘う。日なたは暑いが、影の場所は良い具合に涼しい。
座って帽子を取り、布で汗をぬぐう彼女の前にハスミンが果実水を差し出すと、アマラは目を細めて受け取り、喉を鳴らしてコップの半分まであおった。
「っはー! 美味しーい! 体に沁みわたるー!」
実に良い笑みでそう声を上げたアマラは、続いてハスミンにコップを差し出した。
「はい、残りはハスミンちゃんの分!」
「えええ? 駄目ですよ。これはアマラさんに買ってきたんです」
「いいっていいって。ね!」
ほらほらと手渡され、仕方なくハスミンは少しだけのつもりで口をつける。
果実水は少しぬるくなっているものの、まだ十分に冷たい。
複数の果実による爽やかな風味に加えて砂糖の程よい甘さ、そして最後に来る薬草のごくわずかな苦みと鼻腔を抜ける香気がうまく調和している。その後口の良さからついつい飲んでしまい、気が付くとコップは空になってしまっていた。
「ああっ、飲んじゃった!」
「ハスミンちゃんも喉乾いてたんだね。美味しかった?」
隣のアマラはニコニコとしながらハスミンを見ている。
「……美味しかった、です。けど……」
うう、と小さくうめいてハスミンは恨めしげにコップを睨んだ。
「だってアマラさんに飲んでもらおうと思って、買ってきたのに……」
「うん。美味しくいただいたよー」
アマラは明るく言う。
「でもさ、美味しいものは、分かち合った方がずっと美味しくなるじゃん? だから飲んだ時にも果実水は美味しかったけど、ハスミンちゃんが飲んでる姿を見てたらもっと『美味しかったなー』って思えたよ」
ハスミンが顔を向けると、先輩神官の笑顔は今日の日差しのように眩しい。しばらくの間アマラを見て、ハスミンはようやく頬を緩めた。
「……そっか。アマラさんに喜んでもらえたなら、良かったです」
「もちろん喜んだに決まってるー! わざわざ買って来てくれて本当にありがとうね、ハスミンちゃん!」
ふたりで笑い合い、ハスミンは正面に顔を向けた。
前庭の花々は南の色彩を象徴するかのように明るく華やかだ。
しかしあまりくどく感じないのは、所々に配置されている柔らかな色合いをした花が中和してくれているおかげだった。
こういった色彩感覚もアマラの素晴らしいところだな、と感じ入りながら、ハスミンは自室にある描きかけの絵を思い浮かべる。
(私の絵にも、この前庭の綺麗なところがうまく写し取れているといいんだけど……)
そう考えながら風に揺れる花々を眺めていると、白い門をくぐるふたりの人物が目に入った。
ひとりは髭を生やした上背のある男性、もうひとりは小柄な10代半ばほどの少女だ。もしかすると父娘なのかもしれない。彼らが着ているのは旅に適した服なので、町の人ではないのだろう。
出迎えの神官補佐がふたりのもとへ小走りに近寄る。二言三言交わした後、神官補佐は驚いた様子を見せて深く頭を下げた。男性がさらに何かを言い、横の少女が神官補佐に声をかける。顔を上げた神官補佐は短い話の後、ふたりの客人に向かってハスミンたちを示した。
「何かあったのかな?」
「かもしれませんね」
続いて少女は男性に何かを言うと、ふわふわした鳶色の髪をなびかせてハスミンたちの方へ走り寄る。ハスミンとアマラが立ち上がると、上気した頬の少女は一礼の後に口を開いた。
「あ、あの。私、コーデリアと申します。えっと、さっき、食堂で、綺麗な花の絵を見ました」
食堂の花の絵、と胸の内でハスミンは繰り返す。
絵を描くのが趣味のハスミンは、正神官の許可を得て、描いたものをたまに神殿に飾っている。
先ほどまで出かけていたのは、その中の1枚を食堂の主人が大層気に入り、買い取らせてほしいと言ってくれたためだ。ハスミンは買ってくれた絵を食堂まで届けに行ったのだった。
「それで……食堂の人に、絵を描いたのは神官様だって、聞いて……」
コーデリアの話を聞いたアマラは微笑みを浮かべてハスミンを示す。
「花の絵を描いた神官は彼女です」
アマラの言葉を聞き、コーデリアは顔をほころばせた。
「飾ってあった絵、とっても、とっても、素敵でした」
「あ……ありがとうございます」
「それで、神殿には他にも、神官様の描かれた絵があると聞きました。あの……よろしければ、見せていただけませんか?」
「は、はい、もちろんです!」
ハスミンの返事を聞いたコーデリアは、もう一度頭を下げた後に門を振り返り、父親と思しき男性へ手を振る。遠くで男性がうなずくと、胸の前で手を握り合わせたコーデリアは嬉しげな顔をハスミンに向けて「お願いします」と言った。
彼女の草色の瞳からは、純粋な賞賛の輝きが見て取れる。
(絵、描いてて良かったな)
笑みを含んだ目配せをしたアマラが、庭を手入れする道具に加えてコップを持ってくれる。
微笑んで彼女へ会釈したハスミンは、絵に関して問いかけてくるコーデリアに答えながら、明るい日差しの中を神殿へと向かった。