16.声
その朝、ローゼは早めに目が覚めてしまった。
気持ちが重苦しくて、再度眠るのは無理そうだった。ならばいっそ起きてしまおうと思い、寝床を出る。
マントを片手に天幕を出ると、外はまだ暗い。
暖かくなる季節へ向かっているはずだが、外は寒くて思わず身震いをする。慌ててマントに身をくるむと、そのまま草の上に座った。
(レオンの夢は重苦しい……)
夜露にぬれた草はじっとりと冷たくて心地良さなどは皆無だったが、なんとなく今の気分には合っているように思えて、そのまま夜明けまで空を眺めていた。
やがて天幕の中からごそごそと音がしだす。
(フェリシアも起きたのね)
「ん~……。あら? ローゼ様?」
そのままごそごそと音は続いていたが、少し静かになったかと思うと、フェリシアが寝間着のまま何もも羽織らず飛び出してくる。
寒くはないのかとぼんやり考えながら、ローゼは声をかけた。
「あ、フェリシア、おは――」
「ローゼ様!」
「ぶっ!!」
声をかけたローゼの方へものすごい勢いのまましがみつくと、そのままフェリシアは力任せにぐいぐいと締め付けてくる。
いや、本人は抱き着いているだけで締め付けている自覚はないのだろうが、少女の細腕とはいえどもさすがは鍛えている神殿騎士見習いだ。
かなり力が強い。そして苦しい。
「こちらにいらして良かったですわ! いらっしゃらないのに寝具が冷たいんですもの、長い時間どちらへ行かれたのかとわたくし心配いたしましたわよ!」
「フェ、フェリシア、ちょっ」
さらに締め付けてくるフェリシアの腕を渾身の力でなんとか外し、ローゼはフェリシアに向き直る。
「ごめんごめん、ちょっと早くに起きちゃったからさ、空を眺めてた」
「そうでしたの。何かあったのかと心配いたしましたわ。外はまだ寒いですもの、中へ入りましょう?」
うながされて天幕に戻ったローゼは、せっかくなので前から思っていたことをフェリシアに言おうと決めた。
「あのね、フェリシア」
「はい、なんですの?」
「お願いがあるんだけど」
「お願い……」
ローゼの言葉を聞いたフェリシアは、真剣な表情でちょこんと座る。
「……わかりました。わたくしに出来ることでしたらなんでもいたしますわ。ローゼ様のお願い、おうかがいいたします」
「あ、いや……」
そんな真剣に聞いてもらうような話じゃなかったんだけどと思いつつ、ローゼもフェリシアの正面に座って口を開いた。
「えーと、別にかしこまった話じゃなくて、あたしを呼ぶときに『様』をつけるのを止めて欲しいなって、それだけなんだけど……」
こんなに真剣に聞いてくれてる人に対して言う話としては、大変に水準が低い。
気まずい思いをしながらちらりとフェリシアを見ると、言われた方は首をかしげて目を瞬いている。
(伝わってない?)
言い方が悪かったかな? でも他にどう言えばいいんだろう? と、ローゼが困惑していると、フェリシアの顔がみるみる赤くなっていく。
(あれ、怒った……?)
「あの、ローゼ様……それはわたくしが、その、呼び捨てにしても良いとおっしゃってますの?」
「え? う、うん。ほら、あたし、ぜんぜ――びゅぐっ……」
「ローーーーゼさ……いえ、ローーーーーゼ!!」
先ほどとは比べ物にならないほどの力で抱き着かれて、ローゼは後ろに倒れこむ。
「わたくし、わたくし、嬉しいですわ!! 今までわたくしに、そのようにおっしゃってくださった方はいらっしゃいませんでしたの!!」
抱き着かれ、後ろに倒れ、上に乗られ、口と鼻はフェリシアの胸元でふさがれている。
(くっ、くる、苦しい、息がっ……)
「ですからわたくし、今までどなたのことも呼び捨てでお呼びしたことなんてなくて、でも本当は、そんな関係にとっても憧れていたんですの!!」
(あっ、あたしはっ、とっても苦しいんですの……あと、押しつぶされて鼻が痛……)
「わたくし、本当に今、感激していますのー!!」
(もうだめ……意識……が……)
「ローゼ、どうかお友達になってくださいませね!! ずっと仲良くしてくださいませね!!」
(…………)
「ローゼ? 何かおっしゃって? ……キャーーーー!! ローゼ、どうしましたの!? ローゼ!!」
まさか「呼び捨てにしてね」という一言で神々の世界を見ることになるなんて思わなかったなぁ……と思いつつ、ローゼの意識は暗転した。
* * *
―― …………。
(ん? 誰? 何か言ってる? 聞こえないよ?)
―― …………。
(小さくて聞こえないな。なに?)
―― ……くる
(くる……来る? 来るって、どこに?)
―― にんげん くる
(人間?)
―― にんげん くる。……けん まつ
* * *
ぼんやりと目を開くと、青い空が目に飛び込んできた。
確か覚えているのは夜明けすぐくらいだった気がするのだけれど、もう日はあんなに高い。
しかもなんだか自分が揺れている気がする。
そこでローゼはやっと、寝かされて荷馬車の上にいるらしいということに気が付いた。
「おっ、ローゼちゃん目が覚めた?」
声に気が付いてそちらへ顔を向ける。覗き込んできたのはジェラルドだ。
「フェリシアちゃんが組み敷いちゃってさ、ローゼちゃん気を失っちゃったんだよ。気分はどう?」
(ああ、そうだ。フェリシアに抱き着かれて、息が出来なくて気が遠くなったんだっけ……)
「出発時間が近くなっても目を覚まさないからさ、ちょっと荷馬車に乗ってもらったってわけよ。セラータちゃんはフェリシアちゃんが牽いてるから安心してな」
セラータはローゼの馬で、性別は雌だ。
馬にまでちゃん付けをするジェラルドがおかしくてローゼは少し笑った。
「大丈夫です、ありがとうございます」
そっか、良かった、とジェラルドも安心したように笑う。
「横にいるのが俺でごめんよ。フェリシアちゃん落ち込んじゃって一人になりたいって言うし、まぁ、他の奴は……」
彼にしては珍しく、表情をかげらせて口ごもる。
ローゼは首を振った。
この一団から微妙に距離を置かれているのは最初から分かっている。気にしてないと言うと嘘にはなるが、もうだいぶ慣れた。
むしろ自分にかかわることで、ジェラルドやフェリシアの立場が悪くなるのではないかと危惧している。
ジェラルドもフェリシアもそんなことはない、気にしなくて良いと言うが、後ろめたさは消えない。
「一応俺からも叱っておいたけど、フェリシアちゃんも反省してるみたいだからさ」
そう言いながら、彼は苦笑交じりに前方を見る。ジェラルドにならって前を見ると、セラータを牽いたフェリシアが見えた。
乗り手のしょんぼりした気持ちが伝わるのか、フェリシアの馬、ゲイルの足取りもどことなく力が無いような気がした。
ちょっとおかしくなって、フェリシア、とローゼが声をかけてみる。
するとフェリシアは、弾かれたようにこちらを向いてパッと表情を明るくする。が、次の瞬間うなだれ、やがておずおずとこちらを見た。
ローゼが笑みを浮かべてひらひらと手を振ると、フェリシアはゲイルの速度を落として荷馬車に並んだ。
しかし並んだもののどう切り出したものか分からないらしく、先ほどのジェラルド同様に珍しく口ごもっている。
「あの……ごめんなさい。わたくし、その……」
「あたしは大丈夫だから、もういいよ」
「でも……」
「平気だから。ね」
そのままじっとローゼを見ていたフェリシアだが、しばらくして大きな紫の瞳をうるませるとうなずいた。
小休止までは間があるので、セラータは引き続きフェリシアに牽いていてもらうことにする。
そのまま荷馬車に乗っていたローゼは、不思議な声について思い返していた。
神の国をちょっと覗き見てしまったあの時に聞こえてきた声は、たどたどしい喋り方をしていたが、成人した男の声に聞こえた。
―― けん まつ
けん……剣?
あれはひょっとして、聖剣の声だったりするのだろうか?