余話:ゆるし 2
ローゼがアーヴィンを連れて家に入ると、出迎えた両親は目を丸くする。アーヴィンは頭を下げて訪問の常套句を告げるのだが、彼らはその間も心ここにあらずといった具合だ。
それもそうだろう。さすがに畑から戻って野良着は脱いでいるものの、両親が着ているのはローゼと同じく普段着だ。だというのに客として訪れたアーヴィンは見たこともない上等の衣装を着ているのだから、無理もない。
しばらく声を出せずにいた両親だが、先に父がなんとか口を開く。
「……や、これは……どうなさったのですか、アーヴィン様」
アーヴィンと自分たちとを見比べた後、両親はローゼに視線を向ける。
まさか結婚の挨拶だと思っていなかったローゼは両親に「あたしが帰ってきたことに関しての挨拶よ」と説明してある。
今更どう言って良いのか分からず、うつむいたローゼは口ごもった。
「えー、なんというか、ちょっと手違いというか……」
「手違い?」
「その……まあいいや。とりあえず、本人から直接聞いてよ」
さあさあ、と両親の背を押し、ローゼは居間に向かった。
ローゼの家は村外れの方にあるぶん敷地は広めだ。建物も家族8人が自室を持てるくらいの大きさはあるのだが、客間はない。客人があれば居間に通し、空いている椅子を勧めるのが常だ。
今回はアーヴィンが訪れるということで、居間では祖父母も待っていた。彼らが着ているのももちろん普段着だ。そしてやはりアーヴィンの姿を見て驚き、ふためいた。
「も、申し訳ありません。出迎える我々がこのような格好で」
4人から恨みがましい目で見られ、ローゼはますます居たたまれなくなる。
アーヴィンは気にしていないのだから構わないだろうと言いたいが、4人ともそんな意見で納得するはずないことは分かっていた。
「とりあえず、こちらにお座りください、アーヴィン様」
「いえ」
父は上ずった声で椅子を勧めるが、固辞したアーヴィンは逆に両親と祖父母を座らせようとする。普段着で出迎えた上、先に座れとまで言われた4人はさすがに断り続けていたのだが、それでも最後には折れて椅子に座った。
4人は居心地が悪そうにしているが、アーヴィンは意に介すこともない。机を挟んで彼らと向かい合うと、横に立つローゼにちらりと視線を送り、優雅な仕草で片膝をついて頭を下げた。
驚いたファラー家の年長者たちが声を上げる中、アーヴィンの通る声が響く。
「本日はお願いがあって参りました」
「お願い? アーヴィン様が? 我が家に?」
「はい」
アーヴィンは頭を下げたまま言う。
「私はローゼとの結婚を望んでおります」
両親や祖父母が信じられないと言いたげな面持ちでアーヴィンと、次いでローゼに視線を向ける。
「どうか、ローゼと結婚するお許しをいただけないでしょうか」
室内の音が止んだ。祖父母や両親とも妙な格好で彫像のように固まったまま動かない。
少し迷った後、ローゼもアーヴィンの横で座り込むように膝をついた。
「ええと。そういうことで、あたし、アーヴィンと結婚したいの。だから、お願いします」
ローゼが言うと、最初に口を開いたのは母だ。
「……どういうこと? アーヴィン様の結婚相手はベアトリクスだって、噂で……」
「それ、嘘。ベアトリクスは他の人と結婚するし……」
わずかな逡巡の後、ローゼは思い切って言う。
「あたし、村祭りの前から、アーヴィンと、つ、付き合ってるし」
「なに、それ!」
「なんてこと!」
立ち上がったのは、母だけでなく祖母もだ。
「村祭りの前からってことは、もう半年以上も前のことになるね?」
「黙ってたなんてひどい!」
「申し訳ありません」
「アーヴィンが謝ることないわ。だって口止めを頼んだのはあたしだもの」
「口止め!」
ローゼの言葉を、祖母と母のふたりが声をそろえて反芻した。
「ローゼったら、なんて親不孝な娘なの!」
母はぶるぶると体を震わせている。
アーヴィンは頭を上げずに言葉を重ねた。
「私は村の出身ではありません。どこの者とも知れぬ男が大切なお嬢様と結婚したいと申し上げるのですから、皆様からご不快の念を抱かれるであろうことは覚悟しております」
「本当よ! こんな不快な思いをするなんて思わなかったわ!」
母が叫び、祖母がうなずく。
「私たち、嘘の話で盛り上がってたってわけね……なんてことかしらねえ」
「こんな自慢できる話を黙ってるなんて、ローゼの馬鹿! 酷い娘!」
「……は?」
思わず口を半開きにするローゼの前で、祖母が呟く。
「……まあでも、今後はこの話で盛り上がれるってことだわ」
言って祖母は、祖父と父を挟んだ向こうにいる母へ目配せをする。母はしばらく考えていたが、やがて大きくうなずいた。
「確かにみんな、アーヴィン様のお相手はベアトリクスだと思ってますものね。それがもし、うちのローゼなんだと知ったら……」
祖母と母が顔を見合わせ、にやりとしながら椅子に座る。
「……これはいい話のタネになりますよね、お義母さん」
「もちろん。村人がこぞって私たちの話を聞きに来るよ」
嬉しげなふたりを見ながらローゼが唖然としていると、今度はローゼの父が渋い顔で口を開いた。
「ローゼの結婚相手がアーヴィン様……どうしてそんなことに……」
父の言葉を聞き、アーヴィンが再度「申し訳ありません」と謝辞を述べる。
「ですが、私はどうしてもローゼと結婚したいと思っております」
言い切るアーヴィンの言葉を聞き、ローゼは胸が熱くなる。すると、父の隣に座った祖父が笑いだした。
「許してやれ。お前の夢なんかより、娘の現実の方が大事だろうが」
「親父。……だけどさ」
父は一度祖父を見た後にアーヴィンへ視線を戻すと、大きなため息を吐いて頭を抱えた。
「……最初の子が娘だと分かったときから、俺の夢だったんだよ……なのに……」
泣きそうな声で打ちひしがれる父を見ながら、ローゼは胸が塞ぐ思いがする。ここまで落ち込む父の姿を今まで見たことがない。
自分に関して何かしらの夢を持っていたらしい父に申し訳ない思いはあるが、それでもローゼは口を開く。
「お父さん、ごめんなさい。でもあたし、結婚する相手は、どうしてもアーヴィンがいいの」
ローゼの言葉を聞き、父はのろのろと顔を上げた。
「……まあ、確かに……お前が結婚できるんだ……そう考えればまだいいのか……」
もう一度大きくため息をつき、父は遠くを見る目つきをした。
「ああ~……あ~……。娘婿と酒を交わしたかったな……」
「……は?」
再び口を半開きにするローゼの前で、堰を切ったように父は話しだす。
「酒の席で婿に『お前の仕事のやり方を言ってみろ』なんて言ってだな。『はい、お義父さん、こんな感じです』『馬鹿野郎。そんなやり方でいいと思ってるのか』『すみませんでした。未熟者の自分にどうか正しい方法を教えて下さい』『よしよし、いいか? まずは心構えだ』なんて説教してやるのが俺の夢だったからよ……」
「え、え、え? なに? それがお父さんの夢だったの?」
ローゼが目を白黒させていると、横のアーヴィンが静かに言う。
「私はまだまだ未熟者です。何かございましたら遠慮なさらず仰ってください」
「止めて下さいよ。俺らが神官様に何か言うなんて、そんな」
慌てて手を振りながら父が言うと、祖父が笑う。
「そもそもアーヴィン様は、酒が飲めませんしな」
「あら、いいことじゃないのよ」
横から口を出したのは祖母だ。
「ローゼの選んだ男がさ、飲んだくれてクダを巻くような男じゃなくて、私は安心したよ」
「言われてみれば、確かに」
祖母に母が追従する。酒好きの男性ふたりは、それぞれ隣にいる女性から睨まれて小さくなった。
「まあ、そんなわけだから」
端にいた祖母が立ち上がる。彼女は机を回り込むと、頭を下げたままのアーヴィンの手を取った。
「ローゼのことをよろしくお願いしますね、アーヴィン様」
途端に残り3人が音をたてて立ち上がった。
「おい! そういう格好いいことを言うのはワシの役目じゃないのか!」
「母さん、ローゼの父親は俺だぞ! その言葉は俺が!」
「あっ、私も! アーヴィン様の手を握ってみんなから羨ましがられたい!」
さらに扉の向こうからの「うおおおお!」や「すごい、姉ちゃんすごいや!」といった叫び声を聞きながら、ローゼの心の中では嬉しさよりも、家族に対しての恥ずかしさの方が大きくなっていった。