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村娘は聖剣の主に選ばれました ~選ばれただけの娘は、未だ謳われることなく~  作者: 杵島 灯
第4章(後)

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43.焦がれたともし火

 ローゼが屋敷に戻ると、着替えを済ませたヘルムートが出迎えてくれた。


「良かったな」


 言って笑う彼に、ローゼも笑ってうなずく。


「ありがとう」

「旅装は客間に置いてある。洗って乾かしてあるからな」

「本当? なんか申し訳ないわ」


 ローゼが言うと、ヘルムートは手を振る。


「気にするなよ。まあ、その服は良く似合ってるし、ローゼが気に入ったなら着たままでも構わないぞ。姉も多分文句は言わないと思う」


 ということは、とローゼは思う。

 今着ているこの薄紫の服は、ヘルムートの嫁いだ姉のうち誰かの物なのだ。


「そう言ってくれるのは嬉しいし、服はとっても素敵だけど、ちゃんとお返しするわ。……でも」


 ローゼは首をかしげる。


「旅装を着ていいの?」


 旅装は名の通り旅用の服で、動きやすい分、簡素な見た目をしている。

 ただしローゼが着ている旅装は大神殿で作られており、魔物の攻撃を通しにくい素材でできているために意外と高価だ。確かに値段だけで言えば借りている服より高いだろうが、場に応じた装いがあるということはローゼにだって分かっている。


 確認のつもりで聞いたところ、ヘルムートは困惑した様子を見せた。


「……ローゼが良ければ、いいんじゃないか?」

「そう? じゃあ、この後は旅装にさせてもらうね」

「なんで俺に言うんだ?」


 ますます困惑したらしいヘルムートを目にして、ローゼも戸惑う。


「だって、ヘルムートはこのお屋敷の人でしょ?」

「そりゃまあ、一応はそうだが……」


 一応、との言葉を耳にしてローゼは気が付く。確かに何度か里帰りをしているとはいえ、ヘルムートは8年の間屋敷から離れていたのだ。おまけにこの後はまた王都へ戻る。彼はもう、屋敷内での権限があまりないのかもしれない


「もしかして、ヘルムート以外の人に言った方がいいの? でもあたし、ヘルムートのご家族がどこにいるか知らないし、勝手に会っていいのかどうかも分からないわ」

「ああ」


 ローゼの言葉を聞いたヘルムートは納得したらしく、表情を緩めた。


「挨拶のことなら気にするな。俺から言っておく」

「挨拶?」


 しかし今度はローゼが戸惑う。


「挨拶って何? 夕方のご挨拶っていうのがあるの?」


 朝起きて「おはよう」と声を交わすように、貴族の屋敷では夕方に挨拶を交わす習慣があるのかもしれない。そう思いながら返したローゼの言葉で、ヘルムートはもう一度困惑した様子に戻った。

 少しの間玄関には沈黙が降りていたが、やがてヘルムートがおそるおそるといった具合に口を開く。


「……なあ。ローゼはこの後、どうするんだ?」

「どうするって……言ったでしょ。今日は町に泊まるって。で、明日、村へ帰るのよ」

「いやそうじゃなくて、えーと、なんだ。つまり、どこへ泊まるんだ?」


 ヘルムートの言葉を聞いてローゼは目を見開く。


「えっ……だってさっき、ヘルムートが屋敷に来ればいいって……あ、そっか。夕食の話までしてなかったもんね、ごめん! あたし、外で――」

「いや、そうじゃなくて!」


 慌てて踵を返すローゼの腕をヘルムートが掴む。


「だから、その、ローゼは宿へ泊まるんじゃないのか?」

「え? なんで?」


 ローゼは首をかしげる。


「もしかしてご家族は、あたしを泊めることに反対だった?」

「それはないが……」

「じゃあ、何?」

「……いや……」


 歯切れの悪いヘルムートの表情を見ながらローゼが混乱していると、ヘルムートは小さく息を吐く。


「まあいいや。えーと、もう少ししたら夕食になる。着替えを持っていくから、客間で待っててくれ……で、いいんだよな?」

「いいけど……旅装は?」

「旅装のことは気にしなくていい」

「……そう?」


 頭を押さえながら玄関を去るヘルムートの背を見送り、ローゼも首を捻りながら客間へ戻った。鏡を覗き込むと、目は赤い。


「……明日、目の周りが腫れなきゃいいけど」


 呟き、朝に座っていた椅子へ腰かける。


「ねー。レオンー? どうせ籠ってるんでしょー」


 机の上にある聖剣の柄をばしばし叩くと、レオンから返答がある。しかし彼はすぐに黙り、しばらく間をおいて声を上げた。


【なんでこの部屋にいるんだ!】

「なんでって……ヘルムートが泊めてくれるって言ったからに決まってるでしょ。レオンは聞いてなかった?」

【聞いてた。聞いてたが……】


 一度絶句し、再度レオンは叫ぶ。


【だからってどうしてまた屋敷に泊まる!】

「馬鹿なの? 今言ったじゃない。ヘルムートが――」

【そうじゃない! ああくそ、アーヴィンはどうした! どこへ行ったんだ!】

「アーヴィンなら宿へ向かったわ」


 言いながら、ローゼはマントから取り出した小さな板をそっと両手で包む。


「明日の朝にね。待ち合わせてるの」



   *   *   *



 しばらく泣いていたローゼの声が小さくなると、待っていたかのようにアーヴィンの馬が低い声を出す。

 ああ、と言ってアーヴィンはローゼの背から手を離し、傍らの葦毛の馬を撫でた。


「ここまでほぼ駆け通しだったからね。……良く頑張ってくれた。宿へ行ったらゆっくりしよう」

「そうなんだ。ええと、ありがとう」


 アーヴィンにとも馬にともつかない調子でローゼが言うと、葦毛の馬がぐいと顔を上げ、覇気の衰えない瞳で見下ろす。その様子を見ながらローゼはふと気になった。


 昨日の昼過ぎ、この葦毛の馬はグラス村にいた。しかしその時にはもう、アーヴィンは町にいたはずだ。なのに今、アーヴィンと馬が一緒にいるということは。


「ねえ。アーヴィンはもしかして、一度村へ帰った?」


 うなずくアーヴィンを見ながらローゼは眉を寄せる。


「ええと……村へはきっと、今日帰ったのよね? なのにまたすぐ町へ来たってこと?」

「そう」

「……どうして?」

「どうして?」


 目を丸くするローゼを見てアーヴィンはおかしそうな様子で問い返す。


「ローゼが町にいるからに決まっているだろう?」

「……もしかして、あたしに会いに来てくれたの?」


 まさか、と思いながら問うと、アーヴィンは微笑んだ。


「……私はね、ローゼ。村に戻ってようやく分かったことがあったんだ」

「分かったこと? 何?」

「色々とある。……その中のひとつが、ローゼと私はお互い誤解していることがあるらしい、ということだ。だから町へ戻って来た」


 アーヴィンは左の手でローゼの頬に触れる。


「私が誰かと結婚するという話を聞いたなら、それは間違いだ。さっきも言ったように、私はずっとローゼを待っていたよ」

「良かった。嬉しい」


 再び潤み始める視界を瞬きで澄ませ、ローゼもまた微笑む。


「あたしも一緒よ。……えーと、その、心変わりなんてしてないからね?」


 恥ずかしいな、と思いながらもローゼが思い切って言うと、アーヴィンは優しく瞳を細める。


 彼は左手でローゼを上向かせ、馬から離した右手で自身の黒いマントを高く引き上げた。アーヴィンのわずかに身をかがめた姿を見てローゼが瞳を閉じると、唇に柔らかいものが触れる。


 ただし時間はごくわずかだ。離れたぬくもりを残念に思いながら目を開けると、身を起こしたアーヴィンはどこか名残惜しげな表情を見せている。

 きっと自分も同じような顔をしているのだろうと思いながらローゼが余韻に浸っていると、先にアーヴィンが口を開いた。


「私は明日の朝に町を発つ予定にしているんだが、ローゼはどうする? もしまだ、町に用があるのなら――」

「あ、あのねっ、あたしの用も終わったの! だから、あたしも明日、村へ帰る! アーヴィンと一緒に!」


 勢い込んで言った後、ローゼは嬉しそうに笑うアーヴィンを見ながら頬を緩ませて続けた。


「でもあたし今日は、ヘルムートの屋敷に泊まる約束をしてるの。だからアーヴィンとは、明日の朝に待ち合わせする、ってことでもいい?」


 言うと、笑みを浮かべていたはずのアーヴィンは驚いたように目を見開く。彼の様子を見てローゼは狼狽えた。


「……ええと、待ち合わせは駄目だった?」


 宿まで迎えに行くと言うべきだったか、と思いながら問い返すと、アーヴィンはくすりと笑って首を横に振った。


「なんというか、ローゼらしいな。まあ、レオンもいるし……。分かった。では明日の朝、町の南門で会おうか」

「うん!」


 アーヴィンの言葉の意味は良く分からなかったが、承諾してくれた以上は構わないのだろう。

 浮き立つような気持ちで大きくうなずいたローゼだったが、途端に不安が襲ってきた。


「……ね、アーヴィン。アーヴィンはちゃんとここにいるのよね?」


 村へ帰って、心の底から安堵して喜んで。

 でも朝が来れば夢だったと知って涙する。


 手放しで喜んでしまえばその分だけつらくなるのだと、ローゼは南で何度も経験し、学んでいた。


「あたし、西にいるよね? 本当に戻ってきたのよね? ……今回は夢じゃないよね?」


 自身を見上げながら呟くローゼにアーヴィンは何か言おうとしたように見えたが、少しの逡巡の後に小さく首を振って口をつぐみ、代わりにといった様子で服の内側から何かを取り出した。


「では、これを預けておこうか。夢かどうかを疑いたくなったとき、これを見れば少しは安心できるだろう?」


 差し出されたものを目にして、ローゼは思わず叫ぶ。


「駄目よアーヴィン! こんな大事なものをほいほい人に渡しちゃ!」


 アーヴィンが出したのは神官の身分証だ。


 昨年アレン大神官が村に来た時、アーヴィンはローゼに会うためこの身分証をジェラルドとフェリシアに託し、ローゼに持たせた。


 あの時は重要性が良く分からなかったが、今のローゼには身分証がどれほど大切なものかが分かっている。これを失ってしまったら、神官は要ともいうべき神聖術が使えなくなってしまうのだ。


 慌てて押し戻そうとするローゼの手を取り、アーヴィンは逆にそっと身分証を持たせる。


「そう、大事なものだ。だから明日、必ず持ってきてくれるね?」


 囁く彼の声に籠められている想いを感じ取り、しばらく考えた後にローゼはうなずく。


「……分かったわ。明日の朝まであたしが預かる。絶対、持っていくからね」


 身分証を胸に抱いたローゼが見上げると、アーヴィンは微笑み、もう一度マントを引き上げて身をかがめた。



   *   *   *



 金色味を帯びた板の表には所属神殿の焼き印。裏には階級と、名前がある。その名前を指でなぞりながら、ローゼは笑みをこぼした。


(明日持っていく。南門へ。絶対に)


 その時、扉が叩かれた。聖剣の横へ身分証を置き、ローゼは立ち上がる。扉を開けると、立っていたのは使用人だ。ヘルムートの言った通り、着替えを持ってきてくれたらしい。

 服を受け取ったローゼは使用人に礼を言って室内に戻る。ローゼに気を使ってくれているのだろうか、服はひとりでも着られそうなものだった。


「じゃ、あたしは着替えるわ。レオンは箪笥の中にいて」


 大仰なため息を聞きながら、ローゼは笑う。


「箪笥から出した後は、昨夜みたいに出窓の張り出しに置いてあげるから」

【いや】


 しかし意外なことに、レオンからは断りの言葉が戻ってきた。


【出窓はもういい】

「え、なんで?」


 ローゼは思わず瞬く。


「外はもう暗いから? ……あれ? でも昨日出窓に置けって言ったのも夜よね?」

【……昨日は置いてほしかったんだ】

「今日はいいの?」

【ああ】


 聖剣から小さな笑い声が聞こえた。


【見たかったものは見た。だからもう、出窓に置く必要はないんだ】


 呟くレオンの声は、とても慈愛に満ちていた。

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― 新着の感想 ―
[一言] ローゼさんったら。 他の人はみんな気づかってくれてたのに気付いてないの、可愛いです! 純な乙女さに悶絶してしまいます。 翌日の待ち合わせ、また大切で幸せな時間になるんでしょうね。
[一言] あ〜〜〜何というか……確かにローゼらしい……( ̄▽ ̄;) しかしだな……普通ずっと会いたかった人と会えたら、一分一秒でも長く一緒にいたいと思うのが普通だと思うんだけどね! やっぱりローゼは…
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