14.旅の途中
旅はおおむね順調だった。旅初心者のローゼとしては、とてもありがたい。
「わたくしも、こんなに遠くに来たのは初めてですわ」
馬を並べて歩きながら、ローゼの左側にいるフェリシアは物珍しそうに周囲へ視線を向ける。
「フェリシアは旅慣れてるから、遠くまで行ったことがあるのかと思った。訓練で遠くまで行くことは無いの?」
「ありますけれど、わたくしはまだ見習いですもの。王都の近くにある町や村を巡る程度ですわ」
「そっかぁ。……ね、フェリシア。神殿騎士ってどこに配備されてるの?」
「大神殿か、アストラン国内の大きな5つの街ですわね。そこで部隊を編成して各領内を巡ったり、大きな魔物が出た時は要請に従って討伐に向かったりしますのよ」
「なるほど。神官とは違うんだね」
どんな小さな村にでも神殿は必ずあり、神殿がある以上は神官がいる。
一方で、この広い国内に拠点が6つしかないのであれば、ローゼが今まで神殿騎士を目にしたことがないのも納得だ。
「神殿騎士が一番多く配属されてるのってどこ?」
「大神殿ですわね。見習いが学ぶ場所でもありますし、儀式があるときには神殿騎士が護衛として出ることもありますもの。――もちろん、戦闘もしますわよ」
言ってフェリシアは胸を張る。
「わたくしはまだ見習いですけど、時々王都の外へも訓練に出かけますの。魔物と戦ったことだってありますわ!」
今、ローゼの周囲にいるのは神殿騎士ばかりだ。当然ながら、ほとんどの人物が魔物と戦ったことがあるのだろう。
自慢げな初々しい後輩に「あー、まあ、がんばれー」というぬるい視線を向けているのが分かって、ローゼはなんだか妹を見ている気分になってきた。
「フェリシアは本当に可愛いくていいなー」
「あらっ、まあっ、ローゼ様ったら! そんなこと言われたらわたくし、嬉しくって舞い上がってしまいますわ。ねえ、お兄様、お聞きになりましてー!?」
「はいはい、聞いた聞いた」
「まあ! ひどい態度ですこと!」
ローゼの右横で馬を並べるジェラルドは全く取り合わない。
頬をふくらませるフェリシアを横目で見ながら、ローゼは疑問に思っていたことを聞いてみる。
「そういえばお2人は兄妹なんですか?」
ジェラルドの姓はリウス。フェリシアの姓はエクランド。苗字は違うものの、フェリシアが「お兄様」と呼ぶのが気になっていた。
「ああ、誤解されるよなぁ。実はさ、俺とフェリシアちゃんは従兄妹なんだよ」
「そうだったんですね」
「ついでに教えちゃおうかな。ローゼちゃん、フェリシアちゃんはさ」
ジェラルドはずい、と馬を近くに寄せる。
「――王女様なんだぜ?」
「……え?」
言われた言葉を飲み込めずに瞬くローゼを見ていたジェラルドは、ややあって噴き出す。
「ぶぁーっはっはっはっはっは! やっぱり信じられないよなぁ!!」
「いや、信じられないというか、ええ?」
左側のフェリシアに目を移すと、彼女はニコニコと微笑んでいる。右で爆笑しているジェラルドと、左の微笑むフェリシアとを交互に見比べているうちに、周囲からもほんのりと笑いが漏れてきた。
(こっ、これは、あたしからかわれてる?)
しばらくして笑いの波が去ったらしいジェラルドは「いやーわりぃわりぃ」と言いながらローゼに手を上げる。
「ごめんよー、ローゼちゃんの反応がおかしくってさー」
「お兄様ったら本当にひどい方ね。ごめんなさい、ローゼ様」
「えー……いや別に……」
「あぁ、でもさ」
笑いの余波で涙目になったままジェラルドは続けた。
「フェリシアちゃんが王女様なのは本当だぜ?」
つまりはこういうことらしい。
下級貴族の娘であるフェリシアの母は、神殿騎士だった。
王宮や大神殿で任務に就いているうち国王の目にとまり、王妃として望まれ、産まれたのがフェリシアなのだそうだ。
ただし、ジェラルドの母とフェリシアの母が姉妹なので、ジェラルドは王族ではないらしい。
「でもお母様は身分が高くありませんし、正妃ではありませんもの。わたくしの王位継承権も高くありませんから、好きにさせていただけてますのよ」
母親と同じ神殿騎士には、自分からなりたいと言い出したのだ、とフェリシアは語った。
「わたくしはまだ見習いですから、今回の護衛選出には名前も挙がらなかったんですの。でもローゼ様にお会いしたくて、お兄様に無理言って連れてきていただきましたのよ」
「そうそう。従兄の俺が神殿騎士だったばっかりにさ、このお姫様の面倒見てんのよ。俺の苦労分かるだろ、ローゼちゃん?」
「まあひどい。わたくし、そんなにご面倒おかけしてませんわ! ……それは、その、今回はちょっぴり、ご迷惑をおかけしたかもしれませんけど」
少し気まずそうにフェリシアが言うと、ジェラルドは大きくうなずいた。
「分かってるじゃないのさ! まったく、内緒で合流させるの大変だったんだぜ? 周囲への根回しも必要だしさぁ」
周りを見渡すと、近くの神殿騎士たちは訳知り顔だった。フェリシアのことはそれなりに有名なのかもしれない。
「ですから謝りましたでしょ」
「俺、謝罪なんて聞いたっけ?」
「まぁひどい。お兄様ったら、もう知りませんわ!」
首をひねっているジェラルドの表情は真剣だ。本気で「謝罪をいつ聞いたのか」と考えているらしい。
そんな従兄を放置して、フェリシアはローゼに視線を向ける。
「ですからローゼ様も、ただの神殿騎士見習いフェリシアとして、このまま仲良くしてくださいませね?」
少し不安そうな表情を浮かべるフェリシアに、ローゼはうなずいた。
「うん、ありがとう。私もフェリシアと仲良くできたら嬉しい」
ローゼの言葉を聞き、彼女の顔が明るくなる。
(うーん、こういう素直さを見習いたい)
ローゼは内心うなりつつ、生い立ちを聞いたついでに質問してしまおうと口を開く。
「そういえばジェラルドさんは、アーヴィンと知り合いだったんですよね? どこで知り合ったんですか?」
「ん? ……ああ、なんだ。あいつ、そんなことすら言ってなかったのか」
結局、謝罪を聞いた時期を思い出せなかったらしいジェラルドは、意外そうな表情を浮かべてローゼに視線を向ける。
「神官見習い時代にさ、俺とあいつは同じ部屋だったのよ」
「同じ部屋?」
「そーそー」
神官を目指したければ、王都の大神殿で学ぶ必要がある。
大神殿の学舎では、遠方出身であろうと王都の住人であろうと、全員が寮に入って生活することになるのだが、その際は何か大きな問題がない限り、最初から最後まで同じ人物との2人部屋なのだという。
修行開始の下限は10歳、修了までの期間は基本的に8年、つまり神官や神殿騎士の最低年齢は18歳ということになる。
そこまで聞いて、ふと、出発する日に見た夢が頭をよぎる。
確かレオンが――。
『暮らすための部屋は平民と貴族で別れてるらしいが』
「10歳以降なら何歳から修行を始めても構わないんだけどさ。俺もあいつも下限年齢で入ったもんだから、出会いは10歳ってことに……ん? どうした、ローゼちゃん」
「あ、いえ」
ローゼは慌てて首を振る。
「じゃあ、昔からの付き合いなんですね」
「おうよ。でも俺は落第ギリギリだったからさ、こりゃもう頭より体使う方がいいだろうってんで、途中から神殿騎士志望へ切り替えたんだよな」
出発前にアーヴィンがジェラルドに言っていた「脱落した」という言葉が浮かんで、ローゼは密かに納得した。
「変更することもできるんですね」
「そうなんだよ。たまーにいるらしいぜ」
神官と神殿騎士は別の寮だが、途中で変更した場合は同じ部屋のままなのだという。
「アーヴィンとの生活ってどうでしたか?」
「ん? そうだなあ……」
ジェラルドはふと表情を硬くし、口を閉じる。
その様子を見てローゼはわずかに眉を寄せた。
(……また?)
知らない人ばかりに囲まれるローゼを和ませようとしてくれているのか、ジェラルドは自分の知るアーヴィンのことを聞かせてくれることがあった。しかしなぜか今回のように、必ずと言って良いほど話の途中で黙り込んでしまうのだ。
その様子は悩んでいるようでもあり、何かを確認しているようでもあった。
(アーヴィンに関わることで何か言えないことでもあるの?)
そんな風に疑いたくなるくらい、ジェラルドの様子はまったく違っているのだ。
(……なんて、まさかね。きっと、大神殿の中には部外者に言っちゃいけない話だってあるのよ)
ローゼが自分に言い聞かせると同時にジェラルドの顔は笑顔に戻り、再び機嫌よく話し始めた。
「俺は大雑把でさ、なのにあいつは几帳面だろ? 実はかなり衝突も多かったんだぜ。――そういや俺たちの部屋からは神木が見えたんで、夜中にこっそり登って見回りの神官に大目玉くらったこともあったっけか」
「木登り? ジェラルドさんとアーヴィンが?」
「いや、俺だけ。奴は行かねぇっつって寝てやがるから、こっそり1人で行ってな」
「まあ。嫌ですわ、お兄様ったら。神木に登るなんて」
横で聞いていたフェリシアが心底嫌そうに眉をひそめる。ローゼは聞き覚えのない単語に首をかしげた。
「神木……ってなんですか?」
「ああ、神木はな、大神殿の庭にあるでっかい木さ」
「でっかいんですか」
「おうよ。なんせ大人が10人、手をつないでも届かない幹の太さなんだぜ」
ローゼは目を見開いた。
「それはすごいですね」
「だろ? まあ高さはそこまでじゃないけどな。一番下の枝なら、俺が跳べば届く程度だな」
「へぇ……」
そんな木なら見てみたいな、とローゼは思う。
「神木は『国が出来た時に神から賜った』という伝説もありますの」
横からフェリシアが口を挟む。ローゼに何かを教える時、彼女はいつも笑顔だ。どうやら「人に何かを教える」ということが嬉しくて仕方ないらしい。
「神木のおかげで、王都には魔物が出ませんのよ」
「そうなの? すごいね」
大神殿があるのだから、もちろん神官や神殿騎士は多いだろう。
しかしそれ以上に人口が多すぎるだろうから、王都に魔物が出ればきっと大変なことになってしまうのではないかと思っていたのだ。
ただし、居住権を得るためには条件がある上に、王都は税もかなり高いらしい。
(……安全が保障されてる場所なら、当然みんな住みたいよね。土地は限られてるから、人が殺到して来たら当然困るのは判るけど……条件がお金、かあ……)
ローゼはこっそりため息をついたあと、陰鬱な気分を払うように小さく頭を振り、先ほど気になったことを尋ねてみた。
「……ところでさっきお聞きした、その、寮の部屋割って、全員同じ条件なんですか? 例えば身分別で部屋が分かれるとかってあります?」
「あー。身分に関係なく同じ部屋になるな。これはずっと昔から変わらないはずだぜ。まぁ、よっぽどの身分の人物が強く希望すれば、こっそり何かあるかもしれないけどな」
「昔から同じ……」
ではあの夢はなんでもないんだ、と思ったローゼの左から、フェリシアがため息交じりに口をはさむ。
「お兄様は本当に頭をお使いになるのが苦手ですのね」
「おいおい、フェリシアちゃん?」
「昔は神殿の寮だって、身分で別れてましたのよ。身分変わりなく同じ部屋へ割り振られるようになったのは、つい100年ほど前のことですわ」
100年ほど前、とローゼは眉をひそめた。
「あれ? そうだっけ?」
「もう。ちゃんと神殿の歴史で習ったはずですわよ? まったく、お兄様ときたら仕方ないですわねぇ、ローゼ様?」
フェリシアに曖昧な笑みを向けながらローゼは考える。
『平民と貴族で別れてるらしいが』
今は別れていない。しかし100年以上前は別れていた。
だとすれば、あのレオンという少年が生きていた時代というのはいつなのだろうか。