33.負う
荷物をまとめ、ローゼはもう一度部屋を振り返る。
【忘れ物はないか?】
「大丈夫よ」
【まあ、忘れたものがあっても、1か月もしないうちに戻ってくるんだけどな】
「確かに、そうね」
レオンの言葉に苦笑いをして、ローゼは扉を閉めた。
* * *
昨日、ヘルムートに会った後にローゼは、貴族区域と大神殿とを結ぶ専用の門へ向かった。
貴族用の門からほど近い場所には来賓用の建物もある。
おそらく門から大神殿へ来たフロランはその建物へ案内されるだろう。そう考えながら目的地付近まで来たローゼが廊下の大窓から見たものは、建物の前に停まっている10台の荷馬車だった。
すべての馬車にはたくさんの荷が積まれており、近くでは分厚い紙を持った神官が荷を改めている。おそらく紙は目録なのだろう。確認が済んだものは神官や神殿騎士たちが建物へ運んでいる。
そして馬車の傍には、見覚えのある装束を身にまとった騎士が立っていた。
【まさかこれ全部、フロランが用意した寄付の品か……?】
信じられない、と言いたげなレオンの声は、ローゼの気持ちを代弁している。
立ち尽くしたままローゼが窓の外を眺めていると、近くから男性の声がした。
「久しぶりだな」
振り返ると、護衛を従えて立っているのは短い銀色の髪をした青年だ。
彼は相変わらず感情の窺えない瞳で笑みを浮かべている。
「お久しぶりです」
ローゼはチェスターに向けて一礼した。
「昨年に比べれば、ずっと良くなったようだな」
「ありがとうございます」
思えばローゼが変わるきっかけは、この青年との会話だったかもしれない。
わずかな笑みを浮かべたチェスターは、ローゼを見ていた瞳を窓の外へ向ける。
ローゼもまた彼の視線を追った。
「驚いた。我が家でもあそこまでの寄付をしたことはない」
次期カーライル侯爵は、まったく驚いていないような様子で呟く。ローゼは彼が、この寄付を行ったのがどの家なのかをとっくに知っているように思えた。
そもそもこれだけの量を一気に持ってくるなど、どうしたって注目を浴びる。ということはフロランもまた、完全に隠密にするつもりではいないのだろう。
ローゼが外を見ながらそんなことを思っていると、再びチェスターの声がした。
「……花か」
(花?)
「ただし、咲くまでには至っていない」
ローゼは首をかしげるが、窓から見える範囲に花はない。
廊下に視線を戻すと、チェスターの背後には生花が飾られていた。彼が見ている方向とは違うが、おそらく花とはあれのことだろう。
しかし飾られている花は美しく開いたものばかりだ。蕾など見当たらない。
「綺麗に咲いてますよ?」
「いや。まだ蕾だ」
同じ言葉を繰り返すチェスターはしかし、どこか満足そうなようにも見える。
「もしかすると蕾のまま枯れてしまうかもしれない。だが咲くことさえできれば、見事な大輪の花となるだろう」
小さく笑ったチェスターは護衛を促し、ローゼの返事を待たずに去って行く。彼の後ろ姿を見送ったローゼは花瓶へ近寄ると、咲き誇る花々を眺めながら呟いた。
「相変わらず良く分かんない人ね」
【……いや】
意外なことに白い鞘の聖剣からは否定の言葉が戻って来た。
【あいつは物事を良く見てる、立派な奴だ】
「は?」
【俺はどうやら誤解してたようだな。……まあ、少々不愉快な点もあったが……】
「レオン? 何言っているの?」
なぜか感激しているらしいレオンの様子を訝しく思ったところで、横の廊下から大勢の足音が近づいてくる。
やがて、合流部に人の一団が姿を見せた。
「……おや」
中には大神官全員の姿だけではなく、大神殿長の姿まである。
そして、声を発したのは護衛に囲まれた金髪の青年。彼がこの一団の主役のようだ。
彼はその端正な顔に酷薄な笑みを浮かべる。
「そうか、ここで出迎えてもらえる予定だったのか。私ももっと早く思い至っていれば、門で待つなどという無駄な時間を使わなかったものをな」
フロランはいつもよりぐっと低い声で、ローゼにそう告げた。
* * *
朝もやの中、通い慣れた大神殿内をローゼは歩く。
確か以前、北へ行く前も同じような時間に同じ道を歩いた。
見慣れた建物に入り、いつもの扉を叩く。
中からは白金の髪をした友人が、変わらぬ笑顔で出迎えてくれた。
「おはようございます、ローゼ」
「おはようフェリシア。ごめんね、こんな時間に」
フェリシアは笑顔のまま首を左右に振る。
「むしろ、忙しいローゼが時間を取ってくれたことの方が嬉しいですわ。わたくしはローゼでしたらいつでも歓迎いたしますもの。――さ、中へどうぞ」
促されたローゼが部屋の扉をくぐったところで、フェリシアは、まあ、と声を上げる。
「ずいぶんたくさんの荷物ですわね」
「そうなの。これね、半分以上はフロランのせいなのよ」
うんざりしながら、ローゼはフェリシアに答えた。
昨日は『公爵家当主が初めて大神殿へ来訪した』ということもあってか、全員で出迎えた大神殿上層部の対応は、まさに最上級の歓待というに相応しいものだった。
とはいえ、全員がずっと付き切りというわけにはいかない。
昼前にはハイドルフ大神官やアレン大神官といった一部の人が立ち去ったので、これ幸いとローゼも一緒に立ち去ろうとしたのだが、それを拒んだのはフロランだ。
約束通りレオンが取りなしてくれたので、ローゼに対するフロランの態度は軟化したのだが、しかし彼はなかなかローゼを解放しようとしない。
しかも夕刻に大神殿の案内が終わると、今度は城下の屋敷へ連れて行かれる。そこでフロランからは思いのほか大きな荷物を渡された。
「はい。これは、アーヴィン殿に」
「……一体なんです?」
「贈り物さ」
贈り物、と胸の内で呟いたローゼには思い当ることがあった。
「もしかして、誕生日の?」
アーヴィンの誕生日は秋と冬の境目にある。夏に兄と別れたフロランは、まだ贈り物をしていないはずだ。
そう思って問いかけたのだが、北方の領主はすました顔を見せた。
「別になんだっていいだろ。じゃあよろしく。もう帰っていいよ」
そう言って彼はひらひらと手を振り、用は済んだとばかりに背中を向けた。
「――よろしく、じゃないって言うのよ」
ローゼは文句を言いながら椅子に腰かける。
結局昨日はほぼ1日、フロランに付き合わされてしまった。
「荷物はこんなに重いしさ。セラータが参っちゃうんじゃないかって、今から心配だわ」
椅子に体を預けて天井を見上げると、背後からは茶の準備をするフェリシアの軽やかな笑い声が聞こえた。
見習いの寮は2人部屋だ。
しかしこの部屋はローゼが初めて来たときからフェリシアひとりのものだった。彼女と同室だった人物は、とうに神殿騎士となって部屋を去っている。
そしておそらくフェリシアが神殿騎士となり退室するまで、ここで暮らすのは彼女だけなのだろう。
「はい、どうぞ」
優しい声と共に、華やかな香りの茶が目の前に置かれる。
ローゼが天井から正面へ視線を向けると、向かいの椅子に腰かけながらフェリシアが尋ねてきた。
「ローゼはいつ大神殿へ戻ってきますの?」
「1か月もしないうちよ。そのときはまた、この部屋へ来るね」
言うと、フェリシアは嬉しそうにうなずく。
少しの間黙り、彼女は机の上で両手を組んだ。
「ねえ、ローゼ」
「ん?」
「わたくし、部隊の配属が決まりましたの」
意外なことを言われ、ローゼは瞬いた。
「部隊配属って……あれ? でもフェリシアはまだ、17歳で……」
フェリシアの誕生日まではあと2か月ほどある。
10歳で寮へ入ったフェリシアが神殿騎士になれるのは18歳になってからだ。
じわじわと嫌な予感が胸に広がるローゼに向け、フェリシアはふわりと微笑む。
「ローゼもご存じでしょう? わたくし、南へ行く前に部隊の配属が決定していましたの」
「そんな!」
本来ならば部隊の配属は、見習いの間の成績により神殿騎士になったあと決まるものだ。
しかし成績ではなく、出自の身分で配属が決まる特別な部隊がひとつだけある。
その特別な部隊へ配属が決定したフェリシアは、自身を身分でしか判断してもらえないことを悔しく思い、戦えることを証明するためにローゼとともに南方へ行ったはずだった。
「もしかして、最後まで小鬼としか戦えなかったせい? だからフェリシアのことはちゃんと見てもらえなかったの?」
ルシオの件があったというのに大神殿は何も変わらないのか、と憤りを感じて拳を握るローゼの前で、柔らかな笑みを浮かべたままフェリシアは首を横に振る。
「いいえ。南方から戻って、わたくしから申し出ましたのよ。部隊の配属をお受けします、と」
呆然とするローゼの前で、フェリシアは一口茶を飲む。
「ローゼ。ローゼは南で言いましたわね。わたくしの王女という立場を利用する時もある、と」
確かに言ったことがある。あれは、ルシオに恫喝されたフェリシアが、侯爵家の屋敷へ行くと言い出した時の話だ。
「あの後考えて、わたくし、ようやく分かりましたの」
射し込む朝の日差しはフェリシアを優しく照らし、床に淡い影を描いている。
「わたくしは、フェリシアという人物の『王女』という身分を見ることなく、親しく付き合ってくれる友人が欲しかった」
紫の瞳がローゼを捉えた。
部屋の中には沈黙が降りる。
ローゼが黙ったまま視線を受け止め続けていると、やがてフェリシアが小さく吹きだした。
「……と、思っていましたの」
そのままフェリシアはにっこりと笑う。
「でも違いましたのよ。わたくしが本当に欲しかったのは、王女であっても気にせず『フェリシア』個人として付き合ってくださる方、でしたの」
朗らかなフェリシアの声を聞き、ローゼは思わず瞬く。
「……それは、違うものなの?」
「ええ、もちろん違いますわ」
落ち着いた態度でフェリシアは話を続ける。
「わたくしはずっと、他の方がわたくしの身分を気にする、と思っていました」
「フェリシア……」
「でも、わたくし分かりましたの、ローゼ」
憂いを含んだ息を吐き、それでも笑みを絶やすことなくフェリシアは言う。
「わたくし自身も他の方と同じくらい、自分の身分を気にしていたのですわ。それに気づいてようやく楽になりましたの。――わたくしは王女ですもの。この事実はどうあっても変えることができません」
言って表情を引き締め、背筋を伸ばしたフェリシアは、ローゼに向かって宣言する。
「ですからわたくしは、既定の隊へ配属されることを了承いたしましたの。わたくしは今後、自身の立場と役目を受け入れ、向き合っていくことにしますわ」
凛とした様子のフェリシアからは、きちんと考えた上で選んだ選択だということが十分に伝わってきた。
「……そっか」
「それに」
言って、フェリシアはもう一度笑みを浮かべる。
「わたくしがずっと欲しくて仕方なかった方は、もう目の前にいらっしゃるんですもの。……そうですわね。もっと欲しい、という贅沢は、ゆっくり叶えて参りますわ」
「フェリシア……」
正面のフェリシアを見て、ローゼは頭を下げる。
「じゃあ、改めて。……部隊の配属決定、おめでとうございます」
「ありがとうございます」
顔を上げたローゼの目に飛び込んできたのは、大輪の花が咲くような、美しい笑みだった。
* * *
馬屋では約束通り、白い鎧のヘルムートが待っていた。
彼は馬の仕度もすでに終えている。
「遅かったな」
「ごめんね、ちょっとフェリシアのところへ寄ってたら話し込んじゃって」
セラータの馬具を取り付けながら、ローゼは話を始める。
「ねえ。フェリシアが部隊配属を了承したって知ってた?」
「……ああ」
「そっか、やっぱり」
ふたりは神殿騎士見習いの同輩なのだから、知っていて当然だ。
「フェリシアが白い鎧を着たら、きっとすごく似合うだろうね」
ヘルムートからの返事はないが、弾む気分のローゼは気にせず言葉を続ける。
「そういえばヘルムートの鎧姿を見て、フェリシアはなんて言ってた?」
「何も」
意外な答えに振り返ると、ヘルムートは自分の馬に顔を向けている。
「フェリシア様にはお見せしてない」
「え、なんで?」
ローゼが問いかけると、ヘルムートは振り返って渋面を作った。
「――おい。完全に手が止まってるじゃないか。その調子だと今日中に出発ができないぞ」
「う、うるさい。もうすぐ終わるから待ってて!」
肩をすくめて馬を連れ出すヘルムートの足音を聞きながら、ローゼは慌てて作業の続きに取り掛かった。




