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24.験

 到着した東門はやはり閉まっていた。


 金属で補強された大きな木の扉の前でローゼは覗き窓を開けて外を見る。

 背後からラザレスが問いかけてきた。


「どう?」

「食人鬼が1体いる。ごめん、ラザレスはこっちにいてくれるかな」

「分かった」

「フェリシア。門番のところへ行ってきて」

「ええ」


 走り去る足音を聞きながら、ローゼは外の様子をもう一度確認する。


 村からそこまで遠くない場所には黒々とした丸い影が落ちている。瘴穴だ。

 覗き窓からだと全容は見えにくいが、食人鬼が出てくるほどなのだからおそらく瘴穴は大き目なものに違いない。そして瘴穴からはずっと村に近い場所で食人鬼が立っていた。


(とりあえずフェリシアとラザレスには食人鬼の相手をしてもらって、あたしはその間に瘴穴を消そう。そうしたらふたりのところへ戻って、食人鬼を倒して……)


 ラザレスは南方を父のマティアスとふたりで巡っていた。北方でもコーデリアと共に幽鬼に立ち向かったこともある彼だ、きっとフェリシアと一緒に持ちこたえてくれるに違いない。

 もし苦戦したとしても、この村には神殿騎士がいる。彼らが来てくれさえすれば問題はないはずだった。


 そう考えていると、後方から足音がする。見ればフェリシアがふたりの兵士を連れて戻ってくるところだった。


 ローゼは彼らの方へと向く。


「外に食人鬼が出ました。連絡の鐘と、開門をお願いします。……大丈夫。あたしたちも、神殿騎士たちもいますから」


 食人鬼と聞いて血の気が引いた兵を安心させるため、ローゼは笑ってみせた。


 門に控えているのは神殿騎士ではなく、領主から寄越されている兵士たちだ。

 大体1年ほどの任期で各集落へやってくる彼らは、夕刻には門を閉めて宿舎へ戻る。


 彼らもまた、村の人たち同様に小鬼と戦うことはある。しかし小鬼より強い魔物と戦うことはほとんどなかった。


 ローゼの笑みを見た彼らはわずかに安堵したように見える。

 年配の兵士が何かを言って控えの建物へ向かい、若い兵士は門の方へと来た。


 扉は両開きだ。その片方の取っ手に兵士が手をかけたのを見て、ローゼはフェリシア、ラザレスとともに前へ立つ。


「門を開けたらあたしたちは外へ出ますので、すぐに閉めて下さい。でも落とし格子はそのままで」


 門の外側には魔物が出た時に備え、頑丈な落とし格子もあった。しかし今は必要ない。


(食人鬼を倒すのに時間はかからないはず。瘴穴だってすぐに消してみせる!)


 ローゼの言葉にうなずいた兵士は「ご武運を」と言って力強く戸を引く。


 音を立てて開いた扉の隙間から、ローゼは外へ飛び出した。


 同時に背後から鐘が聞こえる。合図の内容は鐘を鳴らす回数で決まっていた。


 東門、緊急。

 大きな、魔物。


 との音を聞きながら、ローゼは弧を描いて逸れる。まっすぐに走ったフェリシアたちが魔物と対峙する姿を横目でとらえながら、奥にある瘴穴へと向かった。


 噴き出す瘴気は瘴穴の大きさに見合うだけあって濃密だ。また、瘴気は人や精霊を黒く染めるばかりでなく、魔物を強化する役目もある。今も瘴気の一部は帯のように食人鬼へと流れていた。


(瘴穴を消せばフェリシアたちの戦いも楽になる。ここが終わったらラザレスにはマティアス様の所へ戻ってもらって……)


 考えたところで、瘴穴から漂う瘴気が届く。

 ローゼとレオンは同時に声を上げた。


「なに、これ!」

【なんだ、これは!】


 思わず足を止めてローゼは口と鼻を押さえる。混乱する頭のまま、それでも前方を見据えながら腰の物入れに手を入れたところで不快な感覚に襲われた。


 この感覚には覚えがある。視線を下げ、ローゼは悲鳴をあげた。


 物入れに入れていた『2』の種はふたつ。ひとつは切れ目を入れたときにレオンが浄化してくれたが、もうひとつは何もしていない。その種が芽吹き、既に指ほどの長さになっている。おそらく周囲を取り巻く瘴気に反応したのだろう


(嘘でしょ! とにかく、早く何とかしなきゃ! ……ええと、まずは……)


 ローゼの周囲をとりまく瘴気は濃厚な甘い香りがしていた。例の薬草の香りだ。今までの瘴気でこんな香りがすることは一度もなかった。


(種を何とかするより、神殿の香を挟んだ布を出そう!)


 しかし、ゆるゆると思考が低下していく上に、成長する薬草に阻まれてうまく取り出せない。やがて焦る気持ちは徐々に追いやられ、だんだんどうでも良くなってくる。


【ローゼ!】


 レオンの叫び声を聞きながらぼんやりし始めるローゼの手が、ぐいと引っ張られる。

 次いで物入れが漁られる感触がしたかと思うと、顔に布が押し当てられた。


「ローゼ、しっかりして下さいませ!」


 清涼感のある香りで我を取り戻すローゼの目に、横に立つフェリシアの姿が映る。


「食人鬼は?」

「お兄様たちが来て下さったので、ラザレスと一緒にお任せしましたわ」

「そっか、ありがとう」


 言いながらローゼが布を受け取ると、フェリシアは物入れで成長していた薬草を手にして引きちぎり、ローゼに手渡した。


「あとはお願いしますわね」


 地面に落とすのは危険な気がしたので、ローゼは手のひらの上に種と薬草を乗せる。フェリシアがもう一度布を押さえてくれたので、聖剣を抜いて種と薬草へ使った。

 終わったぞ、という声が聞こえたところで聖剣を腰へ戻す。布を受け取ってフェリシアと共に走り出そうとしたとき、そのフェリシアが小さく悲鳴をあげた。何事かと振り返ると、いつの間にか来ていたルシオがフェリシアの左手首を掴んでいる。


 フェリシアを睨むルシオの目は血走り、吊り上がっていた。


「だからなんで表に出ているんだ!」


 フェリシアは身をよじって逃れようとするが、よほど強く握っているのだろう、ルシオの手は開く気配がない。


「ここには食人鬼がいるんだぞ! あ、あ、あなたに何かあったら、俺は――」

「ザレッタさん!」


 瘴穴を気にしながらもローゼはふたりの間に割って入ろうとするが、残念ながら徒労に終わる。仕方なくローゼは説得を試みた。


「フェリシアはあたしに必要なんです。この先に瘴穴がありますから、それを――」

「何?」


 フェリシアの手首をつかんだまま、ルシオはローゼに視線を向ける。


「今、何と言った? 瘴穴? 瘴穴があるのか? もしかして食人鬼の出た瘴穴か?」


 彼の奇妙な様子を訝しく思いながらもローゼがうなずくと、ルシオはニヤリと笑う。


「そうか! ではお前も村へ戻れ!」


 言うが早いか、ルシオはもう片方の手でローゼの左手首を握ろうとする。瞬間バチッという音が響き、叫び声と共にルシオは手を引いた。


【銀鎖が反応するほどの悪意を持って俺の娘に触るな!】


 レオンは吼えるが、もちろんルシオには聞こえない。フェリシアの手首をがっちりと掴んだままルシオは大声を上げた。


「なんだその変な飾りは! そうか、自慢だな! ちょっと金と地位が手に入ったからって、ちゃらちゃら見せびらかしやがって!」


 ギリギリと音がしそうなほどにローゼを睨みつけるルシオの瞳には、確かに憎しみや嫌悪といった感情が溢れていた。


(悪意? 銀鎖が反応するほどの? でも、どうしてそこまで? それに村へ戻れって……。……ああ、それよりも、今はとにかく急がなきゃ)


 布で顔の下半分を押さえたまま、ローゼはルシオに言う。


「とにかく、あたしは瘴穴を消すだけだから、フェリシアを放して」


 瘴穴の近くへ行けばまた正気を失うかもしれない。その時はフェリシアに助けて欲しいのだから一緒に来てもらいたい。そう思って口にした言葉だったが、ルシオには一蹴された。


「何を言ってるんだ?」


 嘲るような笑みを浮かべ、ルシオは続ける。


「瘴穴を消すだと? 食人鬼が出てくるほどの瘴穴をこんな短時間で消すなんて、もったいない」

「え?」

「消すな。消すんじゃない」


 その時、地が震える音がする。

 振り返ってみると、瘴穴の傍に新たな食人鬼が出現したところだった。


(嘘! 2体目? 最初の食人鬼は!?)


 どうやら最初に現れた食人鬼は倒れるのが時間の問題のように見える。神殿騎士がお互いに合図をし、何人かが新たな食人鬼の方へ走って行くのが見えた。

 ローゼは歯噛みする。


(あたしがもたもたしてるせいで!)


 それでも掴まれたフェリシアが気になって場から離れることができない。

 もどかしさを抱えるローゼの前で、ルシオがげらげらと笑い声をあげた。


「すごいぞ、言うそばから2体目が出てきたじゃないか! ――おい、見習い!」


 ローゼたちがいるからか、あるいはルシオに用があるのか。食人鬼の方ではなく、ヘルムートはこちらへ駆け寄ってきた。そんな彼に向ってルシオは高圧的に声をかける。


「俺は食人鬼を倒しに行く。お前は王女殿下が傷を負わないよう、丁重に村の中へお連れしろ。……おっと、瘴穴を消すと煩い聖剣の主様も一緒に連れて行くんだぞ。そうしたらまたこの場へ戻ってきてもいい」

「ザレッタ様? どういうことですか?」


「近くに食人鬼が出てくる瘴穴があるんだってよ! 消すなんざもったいないじゃないか! どんどん魔物を出させてどんどん戦えばいい! そうすればもっと上の地位が狙える! お前だってそうしたいだろう? なあ、見習い!」


「……え……? 何を……言って……」


 唖然とするヘルムートに、ルシオは握ったフェリシアの手をグイと差し出す。


「いいから早く王女を受け取れ! 俺がどんなに魔物を倒したって、この娘が怪我でもすれば出世は台無しだ!」


 ルシオは焦れたように言うが、ヘルムートはどうしたら良いのか分からない様子だ。


 そんな中、乱れた白金色の前髪の間から紫の瞳がローゼを睨みつける。

 彼女の視線を受け、ローゼは反射的に身をひるがえした。


「な……! おい、待て! くそ!」


 ルシオの声を背に聞きながら、ローゼは瘴穴へ向かって走る。


『いつまでわたくしにかまけているつもりですの? はやくローゼの為すべきことをなさいませ!』


 彼女の瞳は確かにそう告げていた。


(うん。ごめん、フェリシア) 


 漂う瘴気は瘴穴に近づくにつれ濃密になる。周囲の香りも濃くなるせいで布からの香りはほとんど分からなくなってきた。


 そんな中、レオンの叫ぶ声がする。


【あの男、追ってきやがる! 本当に瘴穴を消させたくないんだな!】


 この瘴気は畑よりも香りが弱い。とはいえ思考は徐々に朦朧としてくる。足もふらつき始めた。このままではルシオに追いつかれるのも時間の問題だ。


(……もう少しなのに……)


 顔に当てていた布を右手から左手に持ち替える。甘い香りに負けそうになる意識を、近くで鳴る銀鎖の音に向けることでかろうじて繋ぎ止めた。


 転びそうになる足を必死で進める中、背後から喚く声と足音がぼんやり聞こえたように思う。


【ローゼ、今だ!】


 だが、それ以上にレオンの声ははっきりと聞こえた。

 ローゼは右手で聖剣を抜く。そのまま崩れ落ちるように地面へ突き立てた。

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― 新着の感想 ―
[一言] 欲に駆られてとんでもないことを言ってしまったルシオ。 ……出世を望むあまり、銀鎖が反応するほどの悪意を人間が持てるなんて、とんでもない人物がいたものです。それが騎士団の人間だというあたりがな…
[一言] おぉ……今回は手に汗握る展開で、本当にドキドキしました! ルシオの本性が分かったけど、彼はきっとこれからも同じように瘴穴をできるだけ温存するよう繰り返すんだろう。 彼のような考えのもと神殿…
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