23.騒めき 【挿絵あり】
薬草の強い香りが苦手なローゼは、腰の物入れから先日使った布を取り出す。
神殿で香を分けてもらったのは2日前のことだが、直接布にくるんだためか、清涼感のある香りはまだ十分強い。
「ねえローゼ、それ何?」
ローゼが布を顔に当てると、さっそく興味をひかれたらしいラザレスが近寄ってくる。
しかし香りを確かめ、すぐにつまらなそうな顔をした。
「それ、神殿の香だよね。なんでそんなもんを持ってるの? 周りはすごくいい匂いなのに」
「あたしはこの甘い香りが苦手なのよ」
「ふーん。なんかローゼってさ、時々変わってるとこあるよね。……っ痛!」
ラザレスの背後に立ったマティアスは、わずかに眉を寄せている。
「考えもなく失礼なことを言うから、お前はまだ子どもだというのですよ」
「だからって思いっきり殴ることないじゃないか、父上!」
両手で頭を押さえるラザレスのことは無視して、マティアスはローゼに向き直る。
「では参ります」
「はい、お願いします」
ローゼの言葉に笑みを返し、マティアスは赤い薬草の畑に向かう。
彼の後ろを、ブツブツと文句を言うラザレスがついて行った。
「……大丈夫ですかしら」
「うん、きっとね。だってマティアス様だし」
フェリシアには種と薬草について既に話してあった。
始めは驚いていたフェリシアだが、彼女がすぐに気にしたのはパウラのことだ。
「あの薬草が本当は悪いものだと知ったら、パウラはきっと悲しみますわよね……」
一言そう呟いたフェリシアだったが、以降はパウラのことを口には出さず「種や薬草をどうするか」の相談に乗ってくれたのだ。
それでもフェリシアが気にしていないはずはない。現に今、ローゼの横で眉を下げる彼女はとても切なげだ。
ローゼだってフェリシアの気持ちは良く分かる。
パウラは母が遺した種を形見のように思って大事に育ててきた。刈り取って来た薬草を手に「みんなに喜んでもらえたら、母も喜んでくれる気がする」と言っていたパウラの表情は、ローゼだって覚えている。
(でもね……)
瘴穴跡を浄化して薬草がどうなるかは分からない。ただ、どんな形であれ失われるというのがレオンの見解だった。
【あれは瘴気を吸収して育っている。その場で枯れるか、あるいは一緒に浄化されて消えるかもしれないな】
おそらくパウラは今日も畑の手入れをしている。
この時刻なので、彼女はもうとっくに神殿へ戻っているはずだ。
明日、いつものように畑へ行ったパウラは、一体どのような顔をするのだろうか。
悲嘆にくれるであろうパウラのことを考えればローゼも心は痛む。
だからと言って、何らかの悪影響を及ぼしているはずの薬草を放置しておくことはできなかった。
【薬草自体の問題はこれで解決するな。あとは種か】
「……そうね」
瘴気のある場所でないと根付かないとはいえ、今回のように瘴気のある場所に種が植えられてしまう可能性がある。そうでなくとも種は『花を愛でるもの』によって変えられているのだ。今後を考えればやはり処分するべきだとレオンはローゼに進言していた。
「でも今は薬草のことが先よ。種はまた後で考えよう」
なんとか残す方法が見つからないだろうか、と思いながらローゼはマティアスの動きを目で追った。
薬草の畑に到着したマティアスは、ラザレスに何か言ったようだ。少年はうなずき、右手を剣に添える。
次にマティアスは地面へ明かりを置き、聖剣を抜いた。刀身が明かりに反射してきらりと光り、そのまま吸い込まれるように赤い花の中へ沈む。
途端に赤い花々が、強風に吹かれたかのようなざわざわとした音を立てた。
(え?)
同時に背筋が粟立つような感覚を覚え、ローゼは思わず振り返る。視線の先には村の壁があった。
(……外……? に、なにか……)
【ローゼ、瘴穴だ!】
レオンの叫ぶ声がする。
【村の外に新しい瘴穴ができた!】
「外?」
壁の向こうに見える夜の暗い闇の中に、なお暗い瘴気が立ち上るのが確認できた。
(……だけど、この感覚は……なんだか)
【なんだか、おかしいな】
まるで心を読んだかのようなレオンの言葉に、ローゼははっとして聖剣へ視線を落とす。
【瘴穴なのは間違いない。だが、いつもと違う気がする】
やや不安げな様子でレオンは独り言のように呟く。
動揺に気づかれないよう、ローゼは強い声を出した。
「でも、瘴穴なら行かなきゃ」
瘴穴、と聞いたフェリシアがはっとするのが分かった。
彼女へ視線を投げかけ、ローゼは壁の少し先辺りを示す。
「ここから一番近いのは東の門よね」
「ええ」
行く前に声をかけた方が良いだろうか、と思いながらローゼが父子の方へ顔を向けると、彼らが話し合っている姿が見える。
やがてラザレスがローゼの方へと走って来た。
「ラザレス、どうしたの?」
「父上がね、ローゼの指示を仰ぎなさいって」
「あたしの指示? だって、マティアス様は?」
見ればマティアスは、先ほど同様に聖剣を握って瘴穴跡に立っている。
「今のところは大丈夫そうだって言ってたよ。ローゼの方も何かあったんでしょ? 様子がおかしいみたいだって、父上がさ」
今のマティアスは瘴穴跡を油断なく見つめている。しかし彼はローゼの様子もまた窺っていたのだろう。
「薬草の方はね。ローゼが言った通り、聖剣を刺した辺りから少しずつ枯れてきてるよ。でもあの速度だと、全部枯れるにはまだ時間がかかりそうなんだ」
「そう……」
やはりローゼが瘴穴を消すよりもずっと遅い。しかしこれは聖剣の問題ではなく、薬草が影響しているに違いなかった。
「だからね、父上は動けない。でも、僕なら動ける。聖剣はないけど、僕だって結構役に立つんだよ」
鎧を着たラザレスはキリリとした表情でローゼを見つめる。
お披露目会や北方で会った時とはまるで違う様相だ。
彼の様子を見ながら、すごいな、とローゼは感嘆の念を抱いた。
聖剣の主と何年も行動を共にしてきているラザレスは、経験も技量も、すべてがローゼの比ではないほど上だ。なのに彼はこだわることなく、ローゼに対して「指示に従う」と言ってくれている。
『娘は、いずれ君が私やマティアスのようになるだろうと言っていた。マティアスから聞いた話によれば、ラザレスも同じことを言っていたそうだ』
南方へ来る前にスティーブから聞いた言葉が頭に浮かんだ。
(ラザレスも、コーデリアも、あたしに『何か』を見出してくれたんだもの)
しっかりしろ、と自分を叱咤しながら、ローゼはこぶしを握り締めた。
「ラザレス。村の外に瘴穴ができたの。なんとなくだけど、マティアス様があの瘴穴跡を浄化しようとしてることと関係ある気がする」
ラザレスのはしばみ色の瞳を見ながらローゼは門の方向を指し示す。
「とにかく様子を見に行くから一緒に来てくれると嬉しい。あたしとフェリシアだけで対応できそうなら、マティアス様のところへ戻ってもらって構わないから」
判断が間違っていたらと思うと怖い。実は動けないマティアスの方にこそ、ラザレスが必要なのかもしれない。
しかし、ローゼの感覚、そして何よりレオンが「いつもと違う」と言っている。もしかすると外の瘴穴はいつもと違うのかもしれない。そう考え、ローゼはラザレスには共に来てもらうことを選択した。
「この時間だし、門は閉まってるよね。開けてもらって、もちろん鐘も鳴らしてもらわなきゃ」
門にはそれぞれ緊急事態を知らせる鐘がある。主には魔物が出たという連絡に使われる物だった。
「じゃ、行こう!」
フェリシアと、そしてラザレスもまたうなずいたのを確認して、ローゼは東の門へと走り出した。




