21.知らぬを知る
2日前にローゼは正神官と会った際、赤い花が咲く場所を尋ねると同時に、聖剣の主がいる場所もまた尋ねた。
鳥文を飛ばす際に書き記しているようで、各神殿は聖剣の主がいる場所を把握しているらしい。正神官は、セヴァリー家の当主スティーブがいる場所は少々離れているが、ブレインフォード家当主のマティアスはエンフェス村から3日の町にいると、すぐに教えてくれた。
アストランの聖剣の二家は繋がりが深い。
どちらの人物でも構わないと思っていたローゼは、近くの町にいたマティアスに来てもらうよう正神官へ伝言を頼んだのだ。
「本来なら用事のある私が赴かなくてはいけないのに、申し訳ありません」
ローゼは目の前に座るマティアスにもう一度頭を下げる。
「構いませんよ、ローゼ嬢」
答えるマティアスの声はどこか楽しそうだった。
顔を上げると、彼の灰茶の瞳は興味深げに揺らめいている。
「お披露目会で『今後関わらない』と言ったあなたが、私にどのような話をするのかとても興味がありますからね」
「あれは……」
確かに昨年のお披露目会で二家から随伴者という名の夫を選べと言われた時、かなり失礼なことをしている。あんな物言いをしたくせに頼みごとをするなど虫が良いとは自分でも思っていた。
ローゼが言葉に詰まっていると、入り口の方から朗らかな声が聞こえる。
「そんな言い方するなんて、父上も意地悪だなあ」
顔を向けると、当事者のひとりだったラザレスは、まったく気に留めない様子で笑っていた。
「僕から言わせれば、あれは父上たちの方が悪かったと思うよ。コーデリアだってずいぶん怒ってたんだからね」
「ラザレス」
厳しい声で名を呼ばれてもラザレスの態度に変化はない。むしろ父の態度を面白がっているかのようにも見える。
「それじゃあ僕、ちょっと外を見てくるね。ふたりとも喧嘩しちゃ駄目だよ!」
ひらひらと手を振り、ラザレスは扉の向こうに消える。
少年を見送ってマティアスはため息をついた。
「……失礼しました」
「い、いえ」
ローゼがなんと言えば良いか悩んでいると、マティアスが先に口を開く。
「確かに昨年のことは、我々が先走りすぎましたね」
マティアスからは、怒りや憤りといった感情は窺えなかった。
「実を言えば、あの件に関しては彼から謝罪をもらっているのです」
「彼?」
一体誰のことだろうかとローゼが首をかしげると、マティアスはくつくつと笑う。
「髪が短くなっていたので、最初は誰だか分かりませんでした」
ローゼの知り合いで、髪を切った男性はひとりしかない。
(アーヴィン?)
マティアスのもとに短い髪で訪れたということは、シャルトス領から戻ってのことだろう。
「大勢の前で恥をかかせて申し訳なかったと言われましたよ。本当はもっと早くに謝罪する予定だったのが、色々あって遅れたとね。……まあでも」
言ってマティアスは探るような瞳をローゼへ向ける。
「かの公爵家に縁のある人物から頭を下げられるのは、悪い気分ではありませんでした」
ローゼの背筋がひやりとする。
それでも黙ったままでいると、やがてマティアスが口元を緩めた。
「さて、過ぎた話はこのくらいにしましょうか。せっかく急いで来たのに台無しになってしまいます。それで、用件と言うのはなんでしょう?」
「用件と言いますか……」
ここからが本題だ、とローゼは気を引き締めてマティアスを見つめた。
「マティアス様にお願いしたいことというか、まずは、お聞きしたいことがあるんです」
「知識ということならば、神官や神殿の書庫の方がずっと上だと思いますよ」
「ですが、魔物に関しての知識は二家の方々の方が上ですよね?」
マティアスの瞳が細められた。
「伺いましょう」
自信ありげな口調の聖剣の主に、ローゼは自分の考えが間違っていなかったことを悟って安堵した。
「魔物たちはそれぞれ、どんな能力を持っていますか?」
「能力?」
「はい。能力と言うか……なんていうんでしょう。特殊な力があるとか……不思議な行動をするとか」
ローゼの言葉にマティアスが息をのんだように思えた。
「……なるほど。さて、どのようにお答えしましょうか」
わずかに時間をおいて答えるマティアスは思案する様子だ。
とぼけているというより、すべての魔物について答えるのか、と問いかけているようにも思える。
「ええとですね……」
何を言っているんだ、と馬鹿にされたらどうしようとの思いもよぎるが、意を決してローゼは口を開く。
「植物が好きというか、好きそうに見える魔物、というのに心当たりはありませんか?」
「……ありますよ」
今度はローゼが息をのむ番だった。
「我々二家で『花を愛でるもの』と呼んでいる種類の小鬼がそうです。花に語り掛けているような姿が見られますね」
(小鬼の中にそんなものが……)
小鬼とはいくつかの魔物の総称だ。例え風貌が違っても、倒すのが厄介でない魔物は全て小鬼と呼ばれる。
大きさが小さいからというのも理由だが、一方で『取るに足らないもの』という意味もあった。
ひとくくりで呼ばれるだけあって、小鬼たちは特筆すべき能力がないものとされている。神殿の本にも風貌の違いと動きの速さくらいしか掲載されていない。
やはりマティアスを呼んで良かった、とローゼは思う。
これで考えの裏付けが取れた。
「その『花を愛でるもの』は何のために花と話しているんですか?」
「残念ながらそこまでは分かりません。そもそも『花を愛でるもの』だって人と遭遇すればすぐ戦闘態勢に入りますからね。たまたまその姿を見かけた人の話が伝わり、呼び名がついただけなんです」
「なるほど……マティアス様は花を愛でている姿をご覧になったんですか?」
「1度だけ。スティーブは3回見たことがあると言っていましたね」
ということは、現在の聖剣の主は2人で4回しか見ていないということになる。これが高い頻度なのか、それとも低いのか。ローゼには判別がつかなかった。
なるほど、と呟いてローゼはさりげなく聖剣に触れる。
【残念ながら俺は見たことがない】
やはり見られる確率は低いのかと思っていると、マティアスが低い声で話を始める。
「……今回は国中の気温に異変がおき、中心となる南方は瘴穴が頻発して魔物との遭遇率が上がっているわけですが」
「はい」
「今までにも異変は起きています。頻度としては、10年から30年に一度といったところでしょうか。しかし、いつどこで、どんな理由で起きるか分かっていません」
確かに、とローゼは思う。
今回ローゼが南方に来たのも、冬に入った辺りから気候がおかしい、もしかすると大量に瘴穴が出るかもしれないと、ラナーディラの街から大神殿へ連絡が入ったことがきっかけだった。
「気温の異変の他、長雨や旱が起きたこと、病が流行したこともあります。そして一度起きた異変が、年単位で続いた例も」
それも大神殿を出る前にローゼは聞いていた。
「……異変が起きている間は中心地でずっと魔物が出続け、人々の暮らしが脅かされるのです」
マティアスはローゼをひたと見据えた。彼の瞳にあった真剣さにローゼは言葉を無くす。
「色々な理由から、異変が長く続くことを望む神殿関係者がいることは知っています。ですが我々二家は、早く終われば終わるほど良いと考えています」
引き込まれるようにローゼはうなずいた。
彼は異変が続くことを望んでいない。――ローゼと同じく。
「ローゼ嬢。あなたは何を知っているのですか」
「私は少し予想しただけで、知っていることは多くありません。ただ……」
言ってローゼは腰の物入れから種を取り出す。
「今回起きた異変には、この種が関係しているように思えるんです」
「これは?」
「瘴気に反応して芽吹く薬草の種です」
言い切ったローゼをマティアスは凝視する。
「根拠はあるんですか」
「エンフェス村は8年ほど前に食人鬼が出るほどの瘴穴が開いたそうです。この薬草は、その瘴穴跡と思われる場所に生えています」
マティアスが黙っているので、ローゼはそのまま話を続ける。
「この薬草も、元は通常のものと同じだったと思うんです。それを魔物が自分たちにとって益のある性質に変えた。今お話を伺って、きっとそうだと確信しました」
ローゼがフェリシアと話をしている際、腕飾りを見ながら思い出したのは北方のことだ。
銀の鎖が精霊銀だと教えてくれた北方神殿のジュストは、ローゼたちにエリオットに関する情報を与えてくれた。そのとき一緒に銀の花についても教えてくれたのだ。
(北方神殿の木は古の大精霊の化身。そこに精霊が銀の花を咲かせる。で、魔物は銀の花の香りを嫌うから、北方の町には近寄らないって)
嫌う香りがあるのならば好む香りもあるのではないか。あるいは精霊が銀の花を咲かせることができるように、特別な花を咲かせる能力を持った魔物がいるのではないか。ローゼはそう考えたのだ。
「人が魔物につけられた傷は自然治癒しませんよね? 治すためには必ず神聖術が必要になる。もしかしたら地面も同じなんじゃないでしょうか」
自分でも突拍子もないことを言い出した気がするが、それでもローゼは先を続ける。
「瘴穴は自然に消えますが、実は完全に消えているわけではないのかもしれません。大きな瘴穴は特に」
ローゼは割った種に触れる。レオンが綺麗にしてくれたので、もう何も感じることはない。
「だから『花を愛でるもの』が性質を変えたこの種は瘴穴跡に根付いた。そして水のように瘴気を吸って芽吹き、成長して、何らかの効果を生みだしているのかもしれないと思ったんです」
事実、この薬草が咲いているエンフェス村付近には大きな瘴穴がよくできる。
もしかすると香りによって地の底から大きな魔物を呼び寄せているとか、あるいは瘴穴を大きくしやすくする効能を持つという可能性もあった。
ローゼが話し終わると、マティアスは下に顔を向けてしばらく考え込む。
やがて大きく息を吐き「なるほど」と呟いた。