18.決断
正直に言えば、ローゼはフェリシアに対して申し訳ない気持ちが大きかった。
(あたしがもっと早く気づいて、うまく立ち回れていれば)
フェリシアは今まで、大いにローゼを助けてくれた。グラス村で初めて会ったときや、古の聖窟へ行ったときはもちろん、儀式やお披露目会、さらには北方のことですら彼女がいなければどうなっていたか分からない。
(なのにあたしは何もしてあげられない。どうすればいい? どうすればフェリシアの助けになれるの?)
黙ってフェリシアの言葉を聞いているローゼの心の中は、実は焦りと悔しさでいっぱいだった。
「わたくし、ここまでローゼと一緒に旅ができて、良かったと思っていますの」
レオンにもフェリシアにも、別れることに未練は無いと言いたげな態度を取ったローゼだが、もちろんただの強がりだ。来た事に対して悔いを抱えている状態のまま背中を見送るなど、絶対にしたくはなかった。
(何かないの? フェリシアを留める手段は?)
「もともとは神殿騎士見習いになることだって父は反対していましたのよ。それなのに、ここまで自由にさせていただいたのですもの。……そうですわね。わたくし、色々な方に感謝しなくてはなりませんわ」
フェリシアはまるで自分へ言い聞かせるように言う。その声色は、ローゼにひとりの男性を思い起こさせた。
(アーヴィン。……ううん、違う。エリオット)
北方の城で未来に関してのことを問いかけるローゼに、エリオットは「先のことは考えられない」と答えた。
あの時彼の声に含まれていたものが、フェリシアの声にも含まれている。
(フェリシアはもう、全部諦めてるんだ)
寂しげな声を聞きながらローゼは左腕の銀鎖をすがるように握る。
(ねえ、アーヴィン。あたし本当は、このままフェリシアと別れたくなんてないの。どうしよう。どうしたらいい?)
うつむき、泣きそうな気分のままローゼは複雑な色に輝く腕飾りを見つめる。
その瞬間、ひとつの事柄がローゼの脳裏をよぎった。
最初は思い出しただけにすぎなかった。しかし銀鎖を見つめるうちに思考が澄んで、次々に可能性が見つかる。
やがてひとつの考えに到達したローゼは勢いよく顔を上げた。
(……そう……そうよ。……もしかして!)
思い違いが無いかどうか。
もう一度記憶を照らし合わせた後、ローゼは昂る気持ちを抑えながらゆっくりと目の前の友人に語り掛ける。
「ねえ、フェリシア」
フェリシアはローゼに何かを言っていたように思う。しかし思いついたことがある今、ローゼはフェリシアが述べる別れの言葉を聞くつもりがない。
彼女の話の状態を気にかけることもなく口を開くと、フェリシアは眉を寄せた。
「ローゼったら。今はわたくしが話しておりましたのよ? ちゃんと聞いてましたの?」
「ごめん、聞いてなかった」
やはりフェリシアは話している最中だったらしい。
「南方で話をする機会はこれが最後ですのに……」
「最後にならないから平気。フェリシア、あのさ」
物憂げにため息をつくフェリシアを気に掛けることもなく、ローゼは食い込み気味に話しだした。
「さっきの人、ええとトレリオ侯爵の使者? にはなんて返事をしたの?」
「それも話したばかりですわよ、もう。ローゼに挨拶をしたら一緒に参ります、と申し上げましたわ」
「じゃ、それ断ってきて」
「……ローゼ?」
頬を膨らませたのもつかの間、ローゼの言葉を聞いてフェリシアはすぐ怪訝そうな表情を浮かべる。やがて視線を落として小さく言った。
「もう返事をしましたもの。撤回なんてできませんわ」
「できなくても、してきて」
「……どうしましたの? 先ほどは、わたくしが決めたことでしたら、仕方ないと。さようならって言うと、仰いましたわよね」
「言ったわ」
ローゼは腕を組み、尊大にうなずく。
「心底お別れしたいなら、って前提でね。……で? どうなの?」
「どう?」
「フェリシアは、あたしと心底お別れしたいって思ってるわけ?」
「……わたくしにそれを聞きますの?」
「もちろん聞くわ。だからちゃんと答えて」
重ねて言うと、フェリシアは小さな声で答える。
「……お別れなど、したくありませんわ」
「そう? なら、別れなくていいってことよね。じゃあやっぱり断ってきて」
「できませんわ。それに、わたくしが屋敷へ行くことは、トレリオ侯爵だけでなく神殿騎士たちも望んで……」
「だから何? あたしは望んでない」
ローゼは強い口調で話しだす。
「フェリシアは南方へ勝手に来たわけじゃないのよ。聖剣の主が随伴者として希望し、大神殿が正式に承認したから来ることができたの」
「……そうですけれど……」
「つまり、あたしの随伴者であるあなたの身柄は、あたしの管理下にあるわ。なのにあなたはあたしを無視して勝手な行動をした。あたしの承認を得もせずに、あたしと別れるって言ったのよ」
腕を組んだままのローゼは正面にいる随伴者を睨めつける。
「でも、あたしはあなたと別れるつもりがない。ということであなたの返事は無効なの。……分かったらさっさと使者のところへ行きなさい。そして『侯爵の屋敷には行かない』って言うのよ。反論は許さないわ、神殿騎士見習いフェリシア・エクランド」
「ですが……」
「反論は許さないって言ったでしょ」
フェリシアの言葉を遮ってローゼは続ける。
「それともひとりじゃ行けないの? だったらあたしが一緒に行ってあげる。剣での勝負は勝てる気がしないけど、舌戦なら負けるつもりはないもの」
きっぱり言い切るローゼの腰からは小さな笑い声が聞こえた。
【格好いいんだか悪いんだか……まあ、お前らしいな】
レオンの声は呆れとも揶揄ともつかない調子だったが、それでもどこか安堵した様子が感じられた。
彼の言葉を聞きながらローゼは腕組みを解いて立ち上がる。
「でね……あと、さ」
この後に話すことは少し気まずい。
内容の分、我ながら声が気弱になったと思いながら、ローゼはフェリシアに手招きをして厨房に向かう。
「えーとね、もしフェリシアがいなくなったら、あたしがひとりで、これを食べきらなくちゃいけなくて……」
居心地の悪さを覚えながら、ローゼは鍋を示す。
わずかに首をかしげたフェリシアは中を覗きこみ、顔をしかめた。
無言で鍋と対峙するフェリシアを、顔を下に向けたローゼは上目遣いに見つめる。しかしあまりに長い間フェリシアが動かない。
「あ、だからってわけじゃないのよ。でもね、とにかく、行かないでもらえると、嬉しいなーって……」
狼狽えながらローゼが言葉を重ねると、やがてフェリシアはゆっくり頭を動かす。傍らに置いてある容器へ目を止め、大きなため息をついた。
「ローゼ」
腰に手を当て、フェリシアは呆れたような声を出す。
「どうしてここまで真っ赤にしてしまいましたの?」
「べ、別に、したわけじゃないのよ。実はワケがあるの」
「どういったワケですかしら」
「それがね、つまずいた時に、うっかり瓶を鍋に落としちゃって……」
ローゼの言葉を聞いたフェリシアは鍋の汁をすくう。味見をし、わずかにむせた後で再び顔をしかめた。
「わたくし、辛いものは嫌いではありませんのよ。ですがこれはさすがに辛すぎますわ」
「だよね……」
「昨日見た時、容器の中に香辛料はかなり入っていましたのに……。本当にもうローゼったら」
文句を言うフェリシアはローゼへ背を向けてしゃがみこむと、籠の野菜を手に取る。
「こんなうっかりをするのでしたら、食事当番を任せられませんわ。今後はずっと、わたくしが作ることにいたします」
初めに目を見開いたローゼは、次に緩む口元を左手で押さえた。銀色の鎖が涼やかな音をたてる。
「ほら、何をしていますの、ローゼ」
野菜を選別をする仕草を見せるフェリシアは相変わらずローゼに背を向けており、その表情は見えない。
「わたくしは鍋に入れる野菜を増やして、辛さをなんとかしてみますわ。たくさん水を使うはずですもの。ローゼはその分の水を汲んできて下さいませ」
もちろん今日もローゼは朝に水を汲んでいる。先ほどローゼが追加の野菜を茹でるときにも水を使ったとはいえ、厨房の隅にある水がめにはまだまだたっぷりと水が残っていた。
「うん」
それでもローゼは素直に返事をし、震えるフェリシアの声には気づかないふりをする。
「行ってくる。あたしが戻ってくるまでに、なんとか食べられるくらいにしておいてね」
言って玄関へ向かいかけたローゼは、ふと振り返る。
「ね、フェリシア。食事の後は人に会うでしょ。あたしも一緒に行った方がいい?」
「何を言っていますの、ローゼ」
フェリシアは相変わらず背を向けたままで答える。
「人に会って話をするくらい、ローゼの力を借りずとも、わたくしだけでできますわ」
彼女の返事は力強い。
(うん。大丈夫ね)
ローゼは今度こそ水を汲むために玄関へと向かう。
【いつもよりゆっくり目の方がいいな】
「そうね」
レオンの声にローゼは小さく言葉を返す。
「ゆっくり水を汲んで、フェリシアが泣き止んだ頃を見計らって帰るわ」
悲しい泣き顔でなくとも、フェリシアは泣く姿を見られたくないだろう。
そう思いながら水桶を持ち、ローゼは玄関の扉を閉めた。