13.香る
朝食をとって家を出たローゼはフェリシアと共に神殿へ向かった。
「ローゼ、今日はどういたしますの?」
「そうね……」
尋ねられたローゼは少しばかり悩む。
先ほどまではいつもと同じように、瘴穴を警戒しつつもレオンの抱く不快感の理由を探ろうと思っていた。しかしどうしても井戸のほとりでヘルムートから聞いた言葉が頭にちらつくのだ。
(少しくらいは魔物と戦った方がいいのかな……)
確かに神殿騎士がいるとはいえ、ローゼは聖剣を持っている。瘴穴を消すためではなく、魔物と戦うことを考える必要があるかもしれない。
だが、やはり魔物のことは神殿騎士たちに任せたいのだ。レオンの感じているものが面倒なことに関係するのならば、先にこちらからなんとかするべきだと思えてならなかった。
(……でも当のレオンが「何だか分からん」って言うばっかりだから、あたしも何をどうすればいいのか分からないし……あーもうレオンってば本当に役に立たない……)
進展しない事態への焦りをレオンの文句に変えたところで、神殿の門をくぐったローゼは前庭に人の姿を見つけた。
「おはよう、パウラ」
「あら、おはようございます。良い朝ですわね」
ローゼとフェリシアが声をかけると 笑顔のパウラが振り返る。
「ローゼ様、フェリシア様、おはようございます」
パウラは大きな籠を抱えていた。
前庭には花がたくさん咲いている。周囲にも花の香りは漂っているのだが、振り返ったパウラの籠からだろう、それらの香りをまるで押しのけるかのようにして甘い香りが届く。
ローゼが思わず顔を顔をほころばせると同時に、レオンの声が響く。
【これか!】
思わず腰の聖剣へ視線を落としたローゼへ、続けてレオンが叫んだ。
【ローゼ、あれはなんだ! 尋ねろ!】
(なんだって言われてもねぇ。パウラの家に残ってた香りと同じだから、お茶を作るための薬草でしょ? どうして薬草に詳しいレオンが分からないの?)
それでも一応ローゼが尋ねると、パウラは持っていた籠を傾ける。
「これはお茶の材料として使っている薬草です」
やはり、と思いながら覗き込むと、中にあったのはアデクの神殿で見た薬草と同じものだ。
すらりとした茎はローゼの肘から手首までとほぼ長さ。丸に近い形の葉がちょこちょことついており、先端の方には指先ほどの赤い可憐な花がいくつか咲いていた。
「良い香りでしょう?」
「ええ、とても。実はわたくし、アデクでこのお茶を買いたいと思っておりましたのよ。でもちょうど売り切れになってしまいましたの」
「そうだったんですか? でしたらアデクで買わなくて大正解です、フェリシア様。先日も言った通り、他のお茶はうちのものに敵わないもの!」
自慢げなパウラの話を、フェリシアは楽しそうに聞いている。
彼女たちの様子を横目で見ながら、ローゼは聖剣からも籠が覗けるように動いた。しばらくの後にレオンの声がする。
【……ローゼ。何本か花を手に取ってみてくれ】
勝手なことを言う、と思いながらもパウラに許可を求めると、彼女は笑顔で了承してくれた。そこでローゼは籠に手を入れて茎を取ったのだが、持った瞬間に指先からぞわりと嫌な感じが伝わってきて思わず手を引く。
「……っ!」
「ローゼ様、ど、どうされました? 大丈夫ですか?」
「あ、ううん。なんでもない……」
焦りの表情を浮かべるパウラへ誤魔化すように笑い、ローゼが手を見せる。何もないことを確認したパウラが安堵しながらも籠を覗いて首をかしげた。
「この薬草に棘はないんだけど……あ、もしかして虫がいた?」
「本当になんでもないの。大丈夫」
それでもパウラは「念のため」と言いながら籠を探る。
何もないことを確認したところでうなずき、香りを確かめながら何本かの薬草を取り出してローゼたちに差し出してきた。
「はい、どうぞ。よろしければ香りを試して下さいな」
「わたくしもよろしいんですの?」
「もちろんです、フェリシア様」
先に受け取ったフェリシアは嬉しそうで、不快そうな様子はみじんもない。
だがローゼは差し出された薬草を握った途端、先ほどと同じ嫌な気分に襲われる。
薬草を放り出したい気持ちを我慢しながらも、試しに右手と左手で1本ずつ持ってみると、不快な気分は左手から来ているように思う。
そこでローゼはさりげなく、先に何も感じなかった方、次に不快だと思う方の順番で聖剣に押し当ててみた。
【……っ!】
後の方を当てた途端、聖剣からもくぐもったうめき声が聞こえる。
やはり何かあるのかと思いつつ、ローゼはそれぞれの薬草を顔に近づけた。
何も感じない方の薬草も甘く良い香りだ。
しかし不快感を伴う薬草の香りは比較にならない。ローゼの鼻腔を、まるで味を感じるのではないかと思うほどに濃厚な甘さがくすぐる。
(すごい……!)
息を吸うたびローゼは香りに魅了された。
手から伝わる不快なものなど感じない。いや、本当は感じているのだが、感覚はずいぶんと遠くなっている。周囲の音も薄れてきており、まるですべての感覚が嗅覚に集中しているようにすら思う。
(ああ、なんて幸せ……)
うっとりとしながらローゼが瞳を閉じた時、微かにレオンの叫び声が聞こえた。
【おい、ローゼ! しっかりしろ!】
突風が周囲に漂う香りを運び去った。
感覚が戻り、はっとしたローゼは周囲を見まわす。
「わあ、びっくりしたー」
「すごい風でしたわね」
(あたし……?)
パウラとフェリシアも乱れた髪を直したり服を直したりしているのだが、ローゼのようにぼんやりしていた様子はない。
この差はなんだろうと思いつつ、ローゼは戻って来た不快な気分にわずかに顔をしかめると、籠に薬草をそっと戻した。
「……ありがと」
パウラに聞こえないようレオンへの礼を小さな声で言ったローゼは、遠のく不快感にほっと息をつく。
「どうでした? うちの薬草」
「香りが強いものと弱いものがありますのね。強い方の香りはとても素晴らしかったですわ!」
フェリシアはローゼのように不快感を覚えていたわけではないのだろう、無邪気に賛美を述べている。彼女の言葉を聞いて嬉しそうなパウラはそのままローゼへも顔を向けてくるので、曖昧に笑ってローゼもまた答えた。
「確かに……片方はすごく甘い香りでしたね」
うなずいたパウラは満面の笑みを浮かべた。
「そうなんです! すごいでしょう? 今はまだ香りの濃いものは少ないけど、これでもだいぶ増えてきたの。そのうち全部香りが濃いものにできたらいいなって思ってるんです」
「全部……」
それはなんだか恐ろしいことのように思われて、ローゼは背筋がぞくりとした。
「でも不思議ですわね。同じ薬草なのに、どうしてこんなに香りが違いますの?」
首をかしげるフェリシアに向かって、パウラが寂しげに笑う。
「それが良く分からないんです。……この薬草の種は亡くなった母が残してくれたものですから」
「お母さまが?」
「ええ」
パウラは籠の中にある薬草を大事そうに手に取る。
「薬草自体は村の近くにある林によく生えているんです。お茶にすると眠りやすくなるので、眠れないときや病気になったとき、母が良く淹れてくれました。……独特のえぐみがあるから、飲みやすいように甘くしてくれて……」
言いながらパウラはうつむく。
「……でも、母はエンフェスに食人鬼が出た時に犠牲になってしまったんです。母だけじゃなくて、父と、弟も。……私はその時、神官修行のために大神殿に行っていたから……連絡をもらったときには……」
「そうでしたの……」
「……でも、姉と家は無事でしたから」
フェリシアの小さな声を聞き、顔を上げてパウラは微笑んだ。
「うちは元々香辛料を作っていたんです。その種を保管している棚を整理していたら、畑に撒くものとは違う種があって。しかもこれだけ、数字の書かれた袋に入ってたんです」
パウラの母の字で『1』『2』と書かれた袋に入っていた種はどちらも同じものに見えたが、パウラには何の種かは分からなかった。当然撒く時期も分からなかったので、おととし村へ戻ってきてから毎月少しずつ撒いてみたのだとパウラは語った。
「そうしたらある日、この薬草が生えてきたんです。しかも『2』って書かれてあったものの方は、明らかに香りが違ってて……お茶にしてみたら、えぐみも少なくてすごく飲みやすくて」
そこで昨年『2』の方は刈り取る量を少なくして種用にしてみたそうだ。
「おかげで『2』の種は多く撒けたから、今回は収穫量が多かったの。せっかくなので『1』と合わせてお茶にして販売したら、思いのほか好評で嬉しくなっちゃった」
パウラは弾んだ声で手の中にある薬草を示す。
「今年はもっと『2』の種を増やすつもりだから、来年あたりは『2』単独でお茶が作れるかも。そしてたくさんの人に喜んでもらえたら、種を残した母だって喜んでくれると思うんです」
「ええ、きっと喜んでくださいますわ!」
【だがそれは普通じゃない。神の定めから外れた何かだ】
沈んだレオンの声は、もちろんパウラにもフェリシアにも聞こえない。
【人が手を加えられる範疇を超えているものだから、おそらく母親が種を入手したのは偶然だろう。しかし増やしてはならないものなんだ。……ローゼ、早急に何とかする必要があるぞ】
レオンの言葉を聞き、ローゼはわずかに眉を寄せる。
(何とかって言っても……)
口ぶりからするに、パウラはこの種を母の形見のように思っている。おそらく悲惨な死を迎えた家族の代わりとして育ているのだろう。そんなパウラにどう伝えれば良いのだろうか。
作業をするから、と手を振って去るパウラを見送り、ローゼはそっとため息をついた。




