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12.よがあけて

 ひとしきり泣いた後、ローゼが身じろぎをするとアーヴィンはそっと離れる。深呼吸してふと視線を上げたローゼは愕然とした。


(あっ!)


 アーヴィンの神官服は、ローゼが泣いたせいでぐっしょりと濡れていた。


(……これはっ! あたし、また人の服を汚したってこと!?)


 いたたまれなくなって慌てて身をよじる。壁にガンガンと頭を打ち付けたくなるのを必死で耐え、体を反対方向に向けた。

 そんなローゼの様子を見ていたアーヴィンはそっと退出すると、しばらくして何かを持って戻ってきた。


「庭に馬がいるんだ。せっかくだから会っておいで」


 持ってきたものを近くの机に置くと、ローゼの背中を軽くたたいて立ち去る。

 人の気配がなくなってからこっそり見てみると、そこには桶が置いてあった。中には冷たい水と浸した布が入っている。これで目を冷やせということなのだろう。


(ううううう……)


 桶を持ち、今しがたアーヴィンが出入りしていた扉へ向かう。廊下を出て一度左へ折れ、突き当りにある扉を開けるとそこが庭だった。


 神殿内からは分からなかったが、庭に出てみれば朝焼けが見えていた。涼しい風が草を揺らしている。 

 アーヴィンが言った通り、栗毛の馬は庭でのんびりとしていた。


 その光景を見ながら、ローゼは桶の中の布を軽く絞った。手近な草の上に寝転んで目の上に乗せる。

 ほてった目に冷たい布が心地良くて思わず深呼吸すると、草の香りがした。


(あーもう、大失態……アーヴィンの神官服汚すの2回目じゃない……)


 まさか旅立ちの朝にこんなことをしでかすなんて、と、目だけでなく顔も赤らんでくるのを感じる。


 問題は、いつ謝るかだ。


 その昔、彼の神官服を汚したのに謝っていないことは、実はローゼの奥でわだかまりになっている。

 自分が悪かったという思いと、謝れていない後ろめたさと、恥ずかしい気持ちと。それが原因で、未だにアーヴィンに対してはどことなく素直に接することができない。

 今回のこれもさっさと謝らないと、同じくわだかまりになってしまいそうだ。


(どうしよう。今のうちにさらっと謝っちゃうべきかな。ついでに昔のことも「あの時はごめんねー」と軽く……いやなんか不自然よね……)


 考えているうちにぬるくなってしまった布を取る。

 もう一度水にぬらして目に乗せようか、どうしようか。

 少し考えてから布を桶に戻し、庭でのんびりとしている栗毛の馬に近寄った。


「あのね、あなたの名前はセラータにしたの。今日からよろしくね」


 ローゼが言うと、彼女は穏やかな瞳をローゼに向けてきた。

 夕焼けのような色のたてがみを撫でると、顔をそっと寄せてくる。

 今日からこの馬がローゼの旅の相棒になるのだ。


 セラータを撫でているうちに、なんだか出かけることなど大げさなものでもないような気がしてきて、ローゼはうつむく。


(別にもう二度と戻らないってわけじゃないのに、どうしてあんな……)


 いろいろと恥ずかしくなって顔を赤くしていると、通りへ通じる扉が開いて誰かが顔を出した。


「よっ、おはようさん。ローゼちゃん今日も可愛いね」

「おはようございます、ジェラルドさん。今日からよろしくお願いします」

「こっちこそよろしくなー」


 ローゼの目はまだ赤いはずだが、ジェラルドはそのことには触れずに話しかけてくれた。


「いやぁ、意外と立派な神殿だねぇ」

「そうなんです。この規模の村にしてはちょっと立派すぎる気もするんですけどね」

「古い建物みたいだからなぁ。でもこんなきちんとしてる神殿なかなかないよ。神官1人しかいないのがもったいないくらいだ」


 場所によっては複数の神官を抱えている神殿もあるのだが、グラスは西の果てにある村なので、なかなか来てくれる神官もいないようだった。


「他にも、神官補佐の人が5名いますよ。でも住んでるのはアーヴィンだけですから、広いと言えば広いかも」

「なんだと。1人当たりの広さだけで言えば、俺の住んでるところの方がずっと狭いじゃねぇの。負けた気分だぜ」


 神官補佐は文字通り、神官の手伝いをする人たちだ。基本的には各種の雑務が神官補佐たちの仕事だが、大神殿で修業をしたわけではないので神聖術は使えない。

 基本的には神殿のある町や村の人たちなので、もちろんローゼとも顔見知りだ。

 

 そんな話をしていると、神殿の扉が開く。出てきたアーヴィンは昨日の荷物の袋2つの他、別に小さな荷物も持っていた。


「もう来たんですか、ジェラルド」

「よう。そろそろ慌ただしくなってきたからな、念のためにな。ローゼちゃんが神殿にいてくれて助かったぜ」


 その言葉を聞いてアーヴィンは苦笑する。


「あの人はどうしていつも悪い方へ予想通りなんですかね」

「だろ? さすがだよなー」


 まるで今日の天気を話すかのごとく、さらりと悪口を言い合っている2人を見ながらローゼは少し笑う。

 これお願いします、と荷物2つを押し付けられたジェラルドは馬の方へと向かう。

 それを確認して、アーヴィンはローゼに小さな包みを渡した。


「これは?」

「昨日ディアナから預かったものと、こっちはさっきイレーネが持って来たんだ」

「え……」

「なるべく人目につかないようにしたいだろうから見送りには行かないけど、せめて、と言っていたよ」


 ディアナからの包みにはおやつが入っていた。一緒に手紙が入っている。

 道中で読もう、とローゼは大事に抱えた。


 イレーネからの包みは弁当だった。

 入っていた紙には『朝と昼のぶん』とだけ書かれている。

 寡黙な妹を思って、ローゼはふと微笑んだ。


(あの子らしいや)


「私もここでお別れだよ」


 そう言ってアーヴィンは神官用のマントを取りだし、頭まで被せてくれる。


「こうすれば、ジェラルドと一緒にいるのがローゼだと分からないはずだからね」


 村人はジェラルドには話しかけないだろうから、マント姿の人物が一緒にいても「今回来た神殿騎士と神官か」と思われるだけだ。

 しかしアーヴィンも一緒にいれば村人は話しかけてくる。そうなると近くにいるのがローゼだと分かってしまう可能性があった。

 先ほど気持ちは前向いたが、いざ出発だと思うとやはり心細さが襲ってくる。


「……アーヴィンも一緒だったら良かったのに」


 思わずローゼが言うと、アーヴィンは、そうだね、と呟く。


「残念だけど、私はこの村の神官だからね」

「……うん」

「行けない代わりに、ここでローゼの無事を祈っているよ」


 微笑むアーヴィンに、ローゼはうなずいた。

 村人は1人しかいない神官を頼りにしている。短時間の留守なら神官補佐でも平気だが、長期にわたって神殿をあけるのは難しい。

 自分のわがままで、村から神官を奪ってしまうわけにはいかなかった。


 そんな様子を見たジェラルドは、心底感心したような声を上げる。


「いやあ、すげぇ……。昨日一緒に歩いてるときも思ったけどさ。お前、本当に神官様なんだな」


 それを聞いた神官は神殿騎士に目を向け、少し眉根を寄せた。


「皮肉ですか?」

「いやいや、純粋に褒めてんだって。あの子がこんなに立派になったのが嬉しくて……うううう」

「うっとうしい泣きまねはやめてください。そもそも脱落したあなたに言われたくありません」


 そんな軽口を繰り広げている男性2人を見ながら、ローゼはふと気が付く。


(あ……神官服濡れてない……着替えてきたんだ……)


 同時に今朝の状況が思い出されて、思わず顔が赤くなる。

 マントの顔部分をぐいっと引き下げた。


(わーっ、わーっ、わーっ!)


「じゃあ、ジェラルドさん! 行きましょうか!」

「お、おう? どうしたローゼちゃん」

「なんでもないですっ。アーヴィン、行ってくるからね!」

 

 笑いを含んだ「いってらっしゃい」という声に送られ、ローゼは神殿の庭から外に出る。

 神官服を謝る件が持ち越しになってしまったことに気づいたのは、村を出てからだった。 

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