7.背馳
村でまったく人を見かけなかったため、神殿はどうなっているだろうかとローゼは少し不安だった。
神殿内に私室を持つ神官はもちろんいるはずだが、雑務を担う神官補佐は町や村の住人がなる。
もしかすれば神官補佐はいない可能性というのを考えながら門をくぐると、奥の建物入り口に神官補佐の姿が見えたので、ローゼはなんとなくほっとする。
村の状況はあまりにも非日常すぎた。だが神官補佐を見かけたことにより、ようやく日常に戻ったような気持ちになれたのだ。
ローゼたちに気付いた神官補佐は、小走りにやってくると声をかけてくる。
「もしかして、聖剣の主様でいらっしゃいますか?」
「はい。ローゼ・ファラーと申します」
「エンフェス村へようこそ。……ええと、そちらの方は……」
「わたくしはフェリシア・エクランド。今回、聖剣の主と同行しておりますの」
そうでしたか、と言って神官補佐はローゼと、そしてフェリシアにも頭を下げた後にセラータとゲイルの手綱を取る。
「今はあいにくと私ひとりしか神官補佐がおりません。馬をお預かりした後に奥へご案内いたしますので、申し訳ありませんが少しお待ちいただけますか?」
ローゼがうなずくと、ほっとしたような笑みを浮かべて神官補佐は馬屋へ姿を消した。
「……やっぱり普段通りというわけにはいかないね」
「ええ。……実はわたくし、神官補佐はいないと思っておりましたの。こんな状況では不安ですもの、ご家族と一緒が良いですわよね」
「だよねぇ……」
返事をしながら、ローゼは神殿に目を向ける。
エンフェスの神殿は、中央にある尖塔の左右から伸びるすっきりとした屋根と、段違いに組み合わさる屋根とが相まって洗練された印象を受ける。
他の神殿と同じく白い石で造られているが、夕に近い柔らかな日を受けているというのに、輝く白は眩しいくらいだ。この神殿はおそらく新しい建物なのだろう。
「すごく綺麗ね」
【……グラス村の神殿の方が綺麗だ】
ぼそりと呟く声が聞こえてローゼは思わず笑う。
「やーね、レオンったら。どう考えてもこっちの建物のほうが綺麗よ」
【そんなはずないだろう。向こうの建物の方が綺麗だ】
「身びいき激しいー」
【公平な目で見ての感想だぞ。……お前は本当にこっちの方が綺麗だと思うのか?】
「当たり前じゃない」
体を右に傾けたり左に傾けたりして神殿を眺めながら、ローゼは答える。
「石の組み上げ方だって全然違うもの。そもそも石自体が綺麗だし、壁にある神々の像だって本当に素晴らしいわ」
【……裏切り者】
レオンの言葉を聞いてローゼは吹き出した。
「あたしだって公平な目で見てるんだからね? 綺麗なのはどっちかって言われたら、間違いなくこっち」
【じゃあお前は、この神殿の方が好きなんだな】
「どうしてそこで拗ねるのよ。だいたいね、そんなこと聞くまでもないでしょ?」
くすくすと笑いながら、ローゼは神殿から聖剣へ視線を向ける。
「グラス村の神殿より好きなところなんて、あるはずがないんだから!」
* * *
セラータとゲイルを馬屋に落ち着かせたらしい神官補佐が戻ってきたので、ローゼはフェリシアと共に改めて神殿へ足を向ける。
歩きながらちらりと見たが、残念ながら入り口に販売物はなかった。おそらく誰も買いに来ないのだろう。もしかすると品物は倉庫にでも置いてあって、誰か来たときのみ品物を出すのかもしれない。
そんなことを考えながら神殿に足を踏み入れたローゼは、内部を見渡して感嘆のため息を漏らした。
エンフェスの神殿は外観だけでなく、内部もまた美しかった。柱には細かな彫刻が施され、壁や弧を描く天井には神々や神話が見事な筆致で描かれている。
「素晴らしい建物ですわね」
フェリシアが青い絨毯の上を歩きながら声をかけると、振り向いた神官補佐は自慢げな笑みを見せた。
「おいでになった方々からは、そのように仰っていただけます」
「まだ新しい建物ですわよね?」
「3年ほど前に完成いたしました」
なるほど、とローゼもうなずく。
各地を巡るようになって分かったのだが、新しく建てられた神殿は小さめな代わりに洗練されている。グラス村のように古い神殿は、大きいが武骨な印象だった。
美しい装飾が施された中を通り、やがて神官補佐は優美な彫刻が施された扉の前で声をかける。
中で待っていたのは女性神官だった。
年はローゼとそこまで変わらないように見える。きっと大神殿で修行を終えてからいくらも経っていないのだろう。
「ようこそエンフェスへお越しくださいました、聖剣の主様」
丁寧に頭を下げる彼女の胸に金の飾りはない。つまり彼女は、神殿の責任者である正神官ではなく、副神官だ。
だが、ローゼは特に気にしない。今までにも副神官が出迎えることは何度もあったのだ。いつも通り挨拶をしようと口を開きかけたが、それよりも先に固い声が響く。
「お出迎えをして下さるのは、副神官のあなただけですのね」
フェリシアが非難めいた表情を浮かべて神官を睨みつけている。
神官の顔がわずかに青ざめるのを見て、ローゼはなだめるように口を挟んだ。
「別にいいよ、フェリシア。……あなたも、気にしないでくださ――」
「いいえ、気にする必要がありますわ」
進み出たフェリシアは、ローゼと神官との間に入る。
フェリシアの背中しか見えないローゼには彼女の表情が分からないが、声から察するに厳しい顔をしているのだろう。
「エンフェスへは、アデクから鳥が来ていませんの?」
「……え……い、いえ、その、少なくとも朝の内に、鳥文は届いておりました……」
「そう。ではアデクではなく、エンフェスが無礼だということですわね」
「フェリシア、何を言って――」
今までとは違う様子に戸惑いながらもローゼは間へ入ろうとしたのだが、フェリシアは引く様子がない。キリリとした顔をローゼに向け、厳しい声を出した。
「聖剣の主。これはあなたに対する礼儀の問題です。エンフェス神殿は、責任者の正神官ではなく、副神官に応対させようとしましたの」
ローゼが思わず気圧されているうちに、フェリシアは女性神官へ向き直る。
「エンフェスの正神官はどちらにおいでですの?」
「い、今はその、神殿の外に……ですから、あの、聖剣の主様へのお話は、私が……」
「この神殿はあなたが完全に任されていますの?」
「い、いえ、まさか」
「では正神官を呼びなさい」
凛とした声でフェリシアは言い放つ。
「こちらへいらしたのは聖剣の主です。大神官より上の位を持つ方ですのよ。神殿における責任者が応対するのが礼儀というものでしょう? ――早くお行きなさい!」
一礼した女性神官は慌てて部屋を出て行く。
圧倒されてしまったローゼは大きく息を吐き、場を支配していた少女を見遣った。
「……フェリシア」
ローゼの声に含まれた咎める気持ちを感じ取ったのだろう。
振り返るフェリシアの瞳には憤りが浮かんでいた。
「わたくし、間違ったことを言ってはおりません」
「うん、でもね――」
「ローゼは侮られるような人ではありませんのよ! こんな扱い、許されませんわ!」
声を荒げるフェリシアの様子にいつもとは違う頑なさを感じて、ローゼはわずかに眉をひそめた。
「判断は過程や実力からするべきですのよ。なのに、いつも、いつも! ……生まれなんて、関係ありませんわ!」
「フェリシア?」
「生まれなどというもののせいで、正しく見ていただけないなんて、ひどい……」
呟いて唇を引き結ぶフェリシアを見ながら、ローゼは違和感を覚える。
彼女は本当にローゼのことを言っているのだろうか?
フェリシアも自分の言っていることがどこかおかしいと気付いたのだろう。視線を泳がせると曖昧な笑みを浮かべた。
「……そう、そうですわ。もしも出迎えたのが神官補佐だけで『神官は急な用事で出払っている』と言ったのでしたら、わたくしだって正神官が居なくても納得します。ですが、今回は違いますもの」
言って、フェリシアはため息をついた。
「たとえ何かが起こったのだとしても、神官を残せる力がある以上、ローゼを出迎えるためには正神官を残すべきですわ。副神官を残すなど、ローゼを軽んじている証拠でしてよ。――今までも同じことがございましたわね?」
「うん、まあ、あったけど……あたしは別に気にしないし」
「いいえ、気にしなくてはいけません。ローゼはこの国でも3人しかいない、聖剣の主ですのよ!」
見上げる小柄な少女にローゼは笑ってみせるのだが、おそらく困ったような気持ちが混じっていることだろう。
「フェリシア。あたしはね、話をする相手なんて誰でもいいの」
「ローゼ!」
「聞いて。……あのね、相手が誰なのかよりも、話をしてもらうことの方が重要なの。あたしはさ、早いとこ話を終えて、周囲の状況を見に行きたいのよね」
開けた場所ならすぐ見えるのだが、森や林の中など見通しが悪い場所は近くへ行ってみないと瘴穴の有無は分かりづらい。
先ほど村へ入る前に大きな瘴穴は消したが、もしかすると他にも瘴穴がある可能性があった。
ローゼの言葉を聞いたフェリシアは目を見開いて項垂れる。
下を向いたまま、小さく「ごめんなさい」と呟いた。