余話:西への手紙
アデクの町にある神殿の客間でローゼが荷物を再確認していると、廊下を走る音が近づいてくる。慌ただしい人がいるものだと思っているうちに、近づいてきた足音は部屋の前で止まり、フェリシアが勢いよく扉を開けた。
「ローゼ!」
薬草茶を買いに行ったはずの彼女は息を切らせ、焦りの表情を浮かべている。
大きな魔物でも出たか、とローゼは聖剣を手に立ち上がったのだが、フェリシアが口にしたのはまったく違う言葉だった。
「大神殿への連絡馬車が出るそうですわ! 手紙! 急いでくださいませ!」
「……手紙?」
意外なことを言われてローゼは面食らう。
しばらくその場で瞬いていたのだが、部屋に入って来たフェリシアが自分の荷物をひっくり返すに至り、今閉めたばかりの荷を慌てて開けた。
手紙の輸送に関しては、選択肢が主に2つある。
ひとつは商人に託すこと。
町や村を巡る商人たちに声をかけ、目的地へ行く人がいればついでに持って行ってもらうのだ。
ついでなので安く引き受けてもらえるが、信用できる相手でないと不安が残る。
しかも商人の予定が変更になれば到着が遅れることもあった。
もうひとつは神殿に託すこと。
神殿と大神殿の間には物のやり取りをするための連絡馬車が定期的に周回している。その馬車を通じて手紙を持って行ってもらうのだ。
こちらは少々値が張る。しかし確実な分、商人に託すよりも安心だった。
いずれにせよ手紙が到着するのは主に目的の町や村にある神殿だ。
到着した中に急ぎの手紙があれば神官補佐たちが宛名の人物へ届けてくれることもあるが、基本的には宛名の人物が神殿を訪ねたとき渡してくれる形となっていた。
「南方は魔物が多くて、商人の往来はほぼないもんね」
今の南は瘴穴が多く、魔物の出現頻度も高い。
街道を歩くのは危険だということで、商人たちも移動を控えていた。
「ええ。大神殿への連絡馬車も久しぶりだそうですの。近くの町で神殿騎士の交代があったので動かすことにしたそうですわ」
「なるほどー」
神殿の連絡馬車は町から大神殿への直通ではなく、周囲にあるいくつかの町を経由する。おそらく大神殿は、神殿騎士の交代に合わせて連絡馬車を動かしたのだ。
交代する部隊が馬車の護衛がてら駐留の町へ到着したので、今度は町にいた部隊が馬車の護衛をしながら大神殿へ帰還するのだろう。
どの地域の連絡馬車も大神殿までしか行かない。
他の地域へ宛てた品物や手紙は、大神殿で目的方面の連絡馬車に載せ換える。
大神殿から西へ行く連絡馬車は普段通り動いているはずなので、ローゼの手紙もきちんとグラス村へ届けてもらえるはずだった。
「お待たせ、急いで頼もう」
荷物の奥から手紙を取り出したローゼが振り返ると、フェリシアも1通の手紙を取り出したところだった。おそらく王宮にいる彼女の母へ宛てたものだろう。
大事そうに胸に抱いてうなずいたフェリシアは、次いでローゼが持つ手紙に目を向けると意味深な笑みを浮かべる。
「ローゼのお手紙は2通ございますのね」
「うん。前回怒られちゃったから」
手紙を軽く掲げてみせると、宛名を読んだフェリシアはわずかに気落ちした様子を見せた。
「ご家族、と……ディアナ様?」
「そうそう」
村祭りの前日に会ったディアナからは、手紙を寄越さなかったことを理由に神殿前で叩かれてしまった。
今回はきちんと送るのだから次に会った時は叩かれないはずだ、と思っていると、フェリシアが遠慮がちに声をかけてくる。
「……神殿宛てには送りませんの? ……その、アーヴィン様に……」
「送らないよ。わざわざあたしが手紙を出さなくたって大神殿から定期的に連絡があるんだし、別にいいでしょ」
「そうかもしれませんけれど……でも……」
上目遣いにローゼを見るフェリシアは、小さな声で問いかけてくる。
「……でも、アーヴィン様だって、ローゼからの手紙を待っていらっしゃいますわよね……?」
「うーん」
実を言うと、ローゼは何度かアーヴィンへ手紙を書こうとした。
ローゼ自身が見た南方の様子の他、自分は元気で問題ないからアーヴィンは心配しないように、と伝えたかったのだ。
しかしいざ書きあげてみると南方の状況はほとんど見当たらず、内容も「元気で問題ない」どころか「寂しい」「会いたい」という言葉ばかりが並んでいる。
こんなことではいけないと破棄しても、書くたびに同じような文面になってしまい、貴重な紙を何枚も無駄にした。
結果、ローゼは「アーヴィンに手紙を書かない」という選択肢を採ることにしたのだ。
(弱音ばっかりの手紙なんて読んだらアーヴィンはきっと不安になる。……そんな手紙、送れないわ)
笑みを浮かべたローゼは、フェリシアに首を振ってみせた。
「大神殿からの連絡で状況は分かってるはずだし、あたしからの手紙は待ってないと思うな」
「……でも……でも……」
手紙を持ったままのフェリシアは気遣うような視線をローゼに向ける。
「……やはり何か書いて差し上げた方がよろしいと思いますの。わたくし今から、ほんの少しだけお時間を下さるよう連絡馬車へ頼んできますわ。ですから……ね?」
そこまで言われてしまうと、さすがのローゼもやはり書こうかという気になってくる。
しかしその時、手にした聖剣からぼそりと声がした。
【それがいい。村を出てから一度も連絡してないだろ、せっかくの機会なんだから何か一言だけでも書いてやれ】
指図されたような気分になってムッとした途端、ローゼからは書こうという気持ちが去ってしまった。
聞こえた声を完全に無視すると、大股に部屋を横切り、開いたままの扉から廊下へ出る。
「書かなくてもいいんだってば。ほら、早く行こう。急がないと、せっかく書いた手紙まで預けられなくなっちゃう」
何か言いたげに近寄ってきたフェリシアの背を押し、廊下を進みながらローゼは胸の内で呟いた。
(……手紙なんて無い方がいいのよね。間違ってないよね……?)
考えているうち、だんだんと確信めいた気持ちに変わってくる。
(うん、無い方が心配かけない。絶対よ。間違いない!)
安堵して小さく笑うローゼの歩みに合わせ、左腕の銀鎖がシャラシャラと鳴る。
いつも変わらない音のはずだが、なぜか今はくぐもっている気がした。




