4.村娘
神官補佐に従って奥へ進んだローゼとフェリシアが案内されたのは、アデクの神殿にある応接室だった。
「ようこそお越しくださいました」
初老の女性神官は丁寧に頭を下げる。胸元に金の飾りがついているので、おそらくこの女性がアデクの正神官なのだろう。
町や村の神殿にも、基本的には複数の神官が在籍している。主要都市ならば10名くらい、おそらくアデクほどの町ならば6~7名はいるはずだ。中でも神殿の責任者となる人物は正神官と呼ばれ、神官服の胸元に金の飾りをつける。その他の人物は副神官と呼ばれ、神官服は着ていても飾りはなかった。
もちろん正神官と副神官に能力の差異はない。
神官見習いは大神殿で8年の修行を終えると、次は神官としての経験を積むためにどこかの神殿へ副神官として赴任する。この時に希望地を述べることができるそうで、大抵は自分の故郷を選ぶそうだ。
その後、大神殿へ戻ることや、何かの事情で正神官に空きが出た神殿へ移動することを希望しなければ、ずっと同じ神殿に副神官として居続ける。
他にも、老境にさしかかった正神官が後進に地位を譲って自身は副神官になる、ということもあるらしい。事実、30年近くグラス村の神殿で正神官を務めていたミシェラ・セルザムは、もうじき副神官として村へ戻るのだと本人から聞いた。
「あの神殿はレスター神官が立派にまとめているでしょう? だから正神官は引き続き彼に務めてもらうことにしたのよ。年寄は副神官になって、村人と話でもしながらのんびりさせてもらうわ」
ローゼが南へ発つ前に大神殿で会ったミシェラは冗談まじりに言いながらも、「やっとグラス村へ帰ることができる」と、とても嬉しそうだった。
彼女の様子を見ながら、ローゼも嬉しくなる。
もちろん長年務めてくれたミシェラが村へ戻ってくれるのは純粋に嬉しい。ただ、アーヴィンのことが頭にあるのもまた事実だった。
ローゼが今まで立ち寄ったどんなに小さな村でも、神殿にはふたり以上の神官が存在していた。彼らは分担して仕事を終わらせると、夜の早いうちに神殿を閉めて早々に私室に戻っていたのだ。
今までローゼは「神官とは夜遅くまで何がしかの仕事をしているもの」と思っていたので、彼らの行動にはかなり驚かされた。
確かに、神官の仕事内容は多岐にわたる。しかし昼間は訪れた人々に対して行うことが中心なのだから、それ以外の業務は人が来る前、もしくは絶えた後にやるしかない。神官がひとりしかいないのなら分担もできないので、遅くまでかかってしまうのも道理だ。自分のために時間を使いたければ、さらにその後となる。
グラス村は人も少ないしのんびりした雰囲気だから楽に違いない、と思っていたのに実は逆だったことを知り、ローゼはミシェラやアーヴィンに申し訳なく思ったものだ。
(今まで旅した中で、ひとつの神殿にひとりの神官だったのは北方くらいよね……)
思い返せば、400年前のレオンの記憶の中でも神官はひとりしかいなかった。
他に行くところもない辺境のあの村は、どうやら昔から人気がないらしい。
そんなことを思いながら長椅子へ腰を下ろしたローゼは、アデクの正神官に話を切り出した。
「今朝早くファロの町を発ったのですが、アデクへ来る間も何体かの魔物を倒しました。やはり数が多いようですね」
「はい。神官の半分を町周辺の警戒にあてていますし、駐留している神殿騎士の巡回も増やしてもらっているのですが、魔物の数が減る様子はありません」
「そうですか。……ところで、この町の周辺はどのような魔物が出ますか?」
ローゼの質問に神官は表情を引き締め、考える様子を見せる。
「……周囲には小さいものたちがとても多く出ます。アデクの町はルカジャ王国との交易をしておりますから、荷が多く、町の外へ出る人も多数おります。現在は魔物の数が多い状況が続いておりますので、交易の荷が――」
「数は多くとも、小物なのですわね?」
窮状を訴えようとする神官の言葉を遮るように問いかけたのはフェリシアだ。彼女の言葉を聞き、神官は慌ててうなずく。
確かにローゼが尋ねたのは町がどのように困っているかではない。どのような魔物が出るかなのだ。
「は、はい。いつも以上に多くの小鬼が出ます」
「大きな魔物は出ますの?」
「いいえ、アデク周辺で見るのは小鬼だけです」
「……では、大きめの魔物を見かけることが多い町や村はありますか」
ローゼが問いかけると、神官は傍らの地図を広げてひとつの場所を指し示す。
町や村の神殿は大神殿の他、周囲の神殿へ飛ばす鳥も持っている。情報交換や救援の時に使うのだ。
「アデクから山側へ行ったエンフェスという村からは、一昨日にも幽鬼が出たという連絡が来ております」
フェリシアが目配せをしたのでローゼはうなずく。近くにある他の町で聞いたときにも、エンフェスには幽鬼が出ているという話だった。
ローゼは手を握りあわせ、神官の目を見る。
「では、私はこの後エンフェスへ向かいます」
本来なら小鬼も住民と神官だけで戦うには時間がかかる。神殿騎士ならば短くて済むとはいえ、彼らの武器でも1体の小鬼を倒すのに苦戦することがあるというのに、神から与えられた聖剣ならば一撃のもとに倒すことも可能だった。
ここしばらく戦い続けたおかげで、ローゼも小鬼の動きに慣れてきた。たとえひとりで戦っても、北へ行く前のように苦戦することはないと言い切れる。ましてや今は息の合ったフェリシアが一緒だ。小鬼ならばあっという間に倒すことができた。
それでも、時間をかけたとしても小鬼ならば他の誰かが倒すことはできる。しかし幽鬼は小鬼よりずっと強い。そんな強い魔物が出るということは、瘴穴も大きいということだ。そして大きい瘴穴は、長期にわたってその場に残っている可能性が高かった。
ならば、ローゼのいる場所はアデクではない。
(瘴穴は、あたしにしか消せないもの)
目の前の女性神官はうなずきながらも、わずかな落胆と、そして期待を籠めてローゼへ瞳を向ける。
彼女の視線を受け止たローゼは、逡巡した後に口を開いた。
「……でも、アデクの方々が困っていることは窺えます。私からも大神殿へ報告いたしますから、鳥文に使う紙と、筆記具をお願いできますか?」
ローゼが口に出した言葉を聞き、神官は表情を明るくした。
聖剣の主であるローゼが大神殿へ連絡するのだから、神官が訴えるよりも大神殿は動いてくれる。神殿騎士や神官のさらなる増員は見込めるはずで、運が良ければ他の聖剣の主が派遣されるかもしれなかった。
しかし神官が部屋を出て行く姿を目で追っていたフェリシアは、扉が閉まった後にため息をつく。
「どこの町や村だって、自分の場所を助けてもらいたいのですもの。すべての話を聞いていてはきりがありませんわよ、ローゼ」
「分かってるんだけど……」
フェリシアの言うことはもっともだ。
それでも自分や自分の村に置き換えて考えるとどうしても切り捨てることができず、ローゼは大神殿へ支援を求める鳥を飛ばすことが多かった。
「どうするかの最終的な判断は大神殿が行いますけれど、あまりに連絡が多いとローゼの言葉は軽んじられてしまいます。鳥を飛ばすのは本当に必要な時のみにしてくださいませね」
「……うん」
フェリシアの苦言にローゼがうなずいたとき、男性たちの声が部屋に近づいてきた。
「……今日も3体か」
「昨日もだよね。明日には出なくなってくれないかなぁ。……あーあ、こうも毎日魔物退治だと嫌になるよ」
「いつ魔物に襲われるか気が気じゃないもんな。まったく、神殿騎士が増員されるか、聖剣の主に来ていただきたいもんだよ」
「聖剣の主なぁ」
声の主はどうやらこの町の神官たちのようだ。
おそらく小鬼を倒してきた帰りなのだろう。
疲れたような彼らの声に耳を傾けていると、中のひとりがため息まじりに言う。
「だが聖剣の主が来たところで、娘の方じゃ意味が無いだろ」
ローゼの鼓動が大きく跳ねた。
「娘の主なんかに来られたら、逆にこっちの仕事が増えるに違いない。『やられましたー、助けてくださーい』なんて言って泣きながら駆け込んできそうだ」
「うわ、状況が見える気がする」
「ただの村娘だったくせに、今じゃ聖剣の主様だもんな。……はぁ。……たった1年程度の主様が、この状況でどれだけ戦えるもんだか」
嘲りを含めた笑い声をあげる神官たちが廊下を通りすぎる。
静かな部屋の中、不意に笑顔のフェリシアが口を開いた。
「今日はアデクの神殿に泊まりますものね。鳥文を書きましたら、夕刻まで外へ警戒に参りましょう。……そうそう。夕食の店選びはわたくしに任せていただけますわね? 美味しいところを知っていますのよ」
「じゃあ、お願いしようかな」
「ふふ、期待してくださいませね」
フェリシアが向けてくるのは一点の曇りもない笑顔だ。ローゼはこの笑顔を南方に来て何度も見てきた。そして、彼女がこんな風に笑うのはいつも同じ状況だった。




