2.大神殿の会議 【挿絵あり】
ローゼはフェリシアと共に、3か月近くを南方で過ごしている。
本来ローゼは、村祭りの後に出発して以降、年が改まる頃には一度グラス村へ戻るつもりでいた。
北から戻ったローゼはアーヴィンに関する処置を不問にしてもらうため、ベリアンド王国から来た聖剣の主との対面や、自分以外の人には見えていない瘴穴や瘴気に関する報告のまとめを提出した後に、王都周辺地域の警戒任務を引き受けていたのだが、そろそろグラス村へ帰ろうと思っていたある日、大神殿から急な呼び出しを受けた。
嫌な予感を胸にローゼが大神殿へ戻ると、呼び出した本人であるハイドルフ大神官は彼の執務室でローゼに告げた。
「南方で異変が起きているようです」
「異変ですか?」
長椅子に腰かけたローゼが問いかけると、机を挟んで正面に座ったハイドルフ大神官は硬い表情でうなずく。
「今月の初めにラナーディラの神殿から連絡が来ました。この冬はいつもと違うかもしれない、と」
ラナーディラは南方の街だ。一帯に大きな領地をもつ侯爵家の屋敷があるので、南方で一番大きい街でもある。
そのためラナーディラの神殿は南方にある神殿の情報を取りまとめる役のほか、星の読み方や動植物に関して詳しく学んだ者など、他の神殿にはいない専門的な神官も派遣されていた。彼らは暦を作ったり、動物や植物の様子から異変らしきものを察知することがあるのだと聞く。
もちろんこういった、地域の基点となる神殿は西と東にもある。ないのは北方くらいだった。
「事実、最近は王都の辺りも気候がおかしいのです。西や東からも相次いで同様の連絡が来ました」
グラス村は気温が低めなために実感がなかったのだが、どうやら王都周辺は例年に比べるとぐっと寒いらしい。
考えてみれば、儀式のため大神殿へ滞在した初夏は気温の違いに驚いたのだから、冬の寒さがグラス村とあまり差を感じない程度というのはおかしな話だった。
「気温が上がらないというのは普通でもありえることです。しかし今回の異常はどうやら何かが違う……もしかすると、瘴穴が大量出現する前兆かもしれません」
ハイドルフ大神官の言葉にローゼは息をのんだ。
魔物が出現する瘴穴は、神木に守られている王都以外ならば、いつでもどの場所にも出現する。とはいえ町や村の中にはあまり見られないので、集落を移動することのない人物は運が良ければほぼ魔物には遭遇しない。現に聖剣を手にするまでのローゼもそうだった。
しかし病が流行ったり、天候が不順だったりといった『良くないこと』が起きる場合、大元となる地域には瘴穴が出現しやすくなる。
瘴穴が多く出る予兆として良くないことが起きるのか、良くないことが起きるために瘴穴ができやすいのかは分からない。いずれにせよ分かっているのは、良くないことと瘴穴、つまり魔物の多発は同時に起きる可能性が高いということだ。
こうなってしまうと大元になった地域では、普通の人も連日魔物を見かけることさえあった。
「現在も大神殿は各地の情報を集めつつ判断を急いでおります。今後の動向が決定づけられた際にはファラー殿にも動いていただくと思いますが……」
「もちろんです。あたしにできることがあれば、何でも言ってください」
膝の上でこぶしを握ったローゼは、ハイドルフ大神官の瞳を見ながら大きくうなずく。
安堵したような笑みを浮かべるハイドルフ大神官から再度の呼び出しがあったのはこの5日ほど後のこと、年が改まるまであと2日という時だった。
* * *
ローゼが広間に入ると、既に10名以上の人物が大きな机を囲んで座っていた。
手前側にはありふれた神官服を着ている人たちがいる。彼らの奥には3名の神殿騎士、5名の大神官、そして聖剣の二家のうちセヴァリー家当主スティーブの姿も見える。
一番奥にいるのは大神殿長だ。
60を過ぎたばかりの彼は、ゆったりとした白い衣を纏い、肩から青の布をかけ、金の飾りをいくつもつけていた。
どうやらこの場へ来たのはローゼが一番最後らしい。
しかも中の様子を見るに、会議はある程度進んでいたように思える。もしかすると、会議が始まってからローゼを呼ぶかどうかの議論があったのかもしれない。
最終的に呼ばれた以上は来て良いことになったのだろうが、アレン大神官をはじめとする数名の視線は歓迎していないことを告げている。
それでも笑みを浮かべたハイドルフ大神官が中へと促し、大神殿長がうなずき、意外なことにスティーブが自分の横を示したので、広間に足を踏み入れたローゼは彼の横に座った。
「――では、南方に関する話を続けます」
ローゼが座ったことを確認し、フォルク・マイアー大神官が口を開く。どうやら彼が今回の進行を務めているようだった。
内容に関してはローゼがハイドルフ大神官に聞いたものとほぼ同じだ。
アストランの南、東、西、中央で異変が起き、発端はどうやら南であるらしいということ。
各地の状況を机の下手に座る神官たちが説明し、大神官たちが審議していく。
だが、やり取りを聞いている限り、すでに何度も話し合いを行った後らしい。今回の会議はこれまでの話をまとめているだけのようだ。
事実、各項目に関して大神官が決定したことを大神殿長が裁可するばかりで、特に紛糾することもなく話は進んでいる。
最終的に『異変は南が大元となっている』ことが結論付けられ、『今はまだ魔物の動きに変化は見られないが、今後に備えて神殿騎士、神官、そして聖剣の主を南へ派遣しておく』ということが決定となった。
「――各場所に派遣する神殿騎士と神官の人数は以上となります。聖剣の主様方は……」
「我らはいつも通り各神殿で状況を確認しながら動くとする。大神殿側も、指示があれば今まで同様に神殿へ我々宛ての鳥を飛ばしていただきたい。ここにはおらぬが、ブレインフォード家当主も同じ意見だ」
聖剣の主は基本、現地で状況を見ながら己の判断で動くことが多い。
もし大神殿側が聖剣の主に対し希望することがあればその地域の全神殿に鳥を飛ばし、立ち寄った神殿で連絡を受け取った聖剣の主は指示通りに動く、というのが主流だった。
今回もいつも通りの行動をするというスティーブに、大神殿長が承諾の意を示す。
次いで、マイアー大神官はローゼに視線を向けた。
「では、聖剣の二家の方々の行動は以上で。次に、もう一方の聖剣の主であるファラー殿ですが――」
「我らはいつも通りの動きをする、たった今そう決まったはずだ、マイアー大神官」
スティーブに口を挟まれ、マイアー大神官は困惑したようだ。ほんの少しだけ首をかしげる。
「……はい、聖剣の主である二家の方々はそのように承りました。で――」
しかし、マイアー大神官はすぐに気を取り直したらしい。何事もなかったかのように話し出すが、スティーブは手を上げ、彼の言葉をもう一度遮った。
「我らは、だ。聖剣の主の行動は決まった。そしてアストランの聖剣の主は3名だ」
広間がわずかにざわめく。
ローゼも思わず横に座るスティーブへ顔を向けるが、彼の表情は落ち着いており、何か深い意図を含んでいるようには見えなかった。
「ちょうど良い機会だ。セヴァリーとブレインフォード、二家の意見を申し述べておく」
話し出すスティーブは、自身の堂々とした体躯に見合う態度で周囲を見回した。
「ここにいるローゼ・ファラーに関しても、大神殿の方々には二家と同じ態度を希望する」
「それは」
思わず声を上げたアレン大神官を視線で制し、スティーブは話を続けた。
「彼女を区別する必要はない、というのが我々二家の当主による見解だ。もし私の言葉に信が置けぬというのであれば、ブレインフォード家当主のマティアスが東から戻り次第確認してみると良い」
アストランにおける聖剣の二家は立場が同等であり、また、初代の主同士が友人だったこともあって今も両家は深く付き合いがある。
もちろん、この場でスティーブの言葉を疑う者などひとりもいなかった。
「二家の意見、確と承る」
大半の人物が呆然とする中、通る声で大神殿長が告げる。
スティーブが彼に向って頭を下げた。
大神殿長の言葉により、ローゼの大神殿における今後の扱いは決定となった。
* * *
「……あの」
以降は特に反論が起きるような内容もなく、話し合いは終了した。
広間を出たローゼは、同じく退出したスティーブを呼び止める。
しかし、呼び止めたは良いが、何を言うべきか。
ローゼが振り返ったスティーブを前に迷っていると、彼の方が先に口を開いた。
「娘が世話になったようだな」
娘、と聞いてローゼの脳裏に浮かんだのは、草色の瞳とふわふわとした鳶色の髪で、はにかんだように微笑む少女、コーデリア。彼女はスティーブの末の子だ。
「マティアスも言っていた。ラザレスも同じような話をしていたと」
「……同じ?」
「北では何やら面白いことが色々あったのだろう? しかも――」
スティーブは髭を生やした口元をにやりとさせる。
「……なるほど、赤の」
彼の言葉を聞いてローゼはどきりとした。
腰に佩いた白い鞘からは納得したような、しかしどこか警戒心をにじませた声が聞こえる。
【あのふたりも、ただ旅をしていたわけじゃないってことか】
ラザレスが好奇心から北へ行ったのは間違いではないだろう。
とはいえ、ただ無為に旅をするわけではなかったのだ。彼らはいつも魔物を倒す傍ら、各地の情報などにも気を配っているに違いない。
北方は排他的だ。中でも精霊に関わることには細心の注意を払って話をしている。
しかし帰路で聞く限り、公爵家の話や、とりわけ『赤の娘』のことを興奮気味に話す人々は多かった。ラザレスやコーデリアが何日も耳をそばだてていれば『赤の娘』という単語だけは耳にすることがあったはずだ。
そして彼らならば『赤の娘』というのが誰なのかも分かるだろう。
「さすがに全容は分からなかったらしい。娘たちが持って帰ってきたのはその言葉が特定の誰かを指していること、悪意をもって語られているわけではないということだけだが、それでも十分だ」
「……そうですか」
「君が詳細を語ってくれるというのなら、もちろん歓迎する」
「何をおっしゃってるのか良く分かりません」
ローゼの言葉を聞き、スティーブは大きく笑った。
「まあいい。……北から戻った娘はな。あの子にしては珍しく、私に色々なことを話してくれた。その中のひとつが、君に関することだ」
スティーブは笑みを消し、見透かすような視線をローゼに向ける。
「娘は、いずれ君が私やマティアスのようになるだろうと言っていた」
ローゼは目を見開く。
「マティアスから聞いた話によれば、ラザレスも同じことを言っていたそうだ。『ローゼ・ファラーはいつか、マティアス・ブレインフォードやスティーブ・セヴァリーのように立派な聖剣の主になるだろう』とな」
「コーデリアと、ラザレスが……」
熱いものがこみあげてきて、ローゼは思わず胸を押さえた。
「……正直に言うならば私もマティアスも、君が我々に比肩しうる日が来るとは信じがたいと思っている」
スティーブの声は静かだ。
「だが、幼いころからずっと旅をし、聖剣の主と一緒に過ごしてきた娘たちの見る目は信じている。あの子たちが言うのであれば、おそらく君には何がしかの素質があるのだろう。なれば我々は君を信じると決めた」
言って、スティーブは表情を引き締めた。
「故に聖剣の二家は、今から君をひとりの聖剣の主として扱う。しかし君は実力も経験も圧倒的に足りていない。もし今回、南で斃れてしまうのなら君はそこまでの人物だったということになる。……一層励め、ローゼ・ファラー。我々を失望させるな」
「はい。――ありがとうございます」
厳かに告げるスティーブに、ローゼが深く頭を下げたとき、横から自慢げな声がした。
【あのガキども、思ったより見る目があるじゃないか。その通り、ローゼには才能があるぞ。なにせ俺の娘だからな!】
この真面目な時に一体何を言っているんだと思いながら、ローゼは聖剣を叩きたくなる気持ちをぐっとこらえた。