11.よあけまえ
ローゼが明日からの出立の件を家族にどう話そうか悩んでいると、収穫した野菜を持って帰ってきた祖父と会った。
ちょいちょいと手招きをされたので近寄ると、こっそりと耳打ちをされる。
「ローゼや。タウベルトさんのお孫さんに聞いたぞ。ワシはすごく嬉しい」
「はい?」
タウベルトさんのお孫さんことフローラは、例の女の子たちでお喋りする会、通称『未来を目指す乙女の会』に所属している。
何のことだろう? と首をかしげながら祖父を見れば、はらはらと涙を流していたのでローゼは慌てた。
「お、お祖父ちゃん? どうしたの?」
「お前がワシのことをそこまで思ってくれていたとは……ワシは、ワシは感激している……!」
事態が飲み込めずに立ち尽くすローゼの手を取り、祖父は言う。
「家のことは任せろ。例え何かあったとしてもワシが皆を説得する!」
「……あ、ありがとう……?」
良く分からないながらもうなずくと、祖父は「ローゼも大きくなったな……」などと呟きつつ納屋へ向かって行った。
首をひねりながらローゼが裏手へ回ると、農作業を終えて戻ってきた母と出会う。
「ローゼ。ちょっとちょっと」
呼ばれて近寄ると、やはりこっそり耳打ちされる。
「ありがとうね、ローゼ」
「な、なに?」
「お母さんにまで隠さなくてもいいのよ。クリスティンちゃんに聞いたわ」
クリスティン。彼女も乙女の会所属だ。
何があったのかは分からないが、母はとても嬉しそうにしている。
「本当は心配だけど、ローゼがそんな気持ちでいてくれるなんて、お母さん感激よ」
一体自分はどんな気持ちでいるのだろう。
「家のことは大丈夫。誰かが何か言っても、お母さんが説得するわ、任せてちょうだい」
「……? う、うん。よろしくね?」
心なしかウキウキしている母は、楽しげに家の中に入って行った。
これは自分の知らないところで何か起きているに違いない。
次は誰だ? と思っていると、上の弟がどたどたと歩いている。
ローゼを見ると一目散に駆けて来た。
「姉貴! ……おっといけね。姉貴、ありがとな」
大きい声はまずいと思ったのか、ぼそぼそと声をかけてくる。
なるほど、マルクにも誰かが何か言ったのか。
「エーリカが言うことなんで信用できるかどうか分かんなかったけどさ。姉貴のその態度からするに間違いないんだな」
なんだか分からないが間違いないらしい。
そしてもちろんエーリカも乙女の会の一員だ。
とりあえずうなずいておくと、マルクは満面の笑みを浮かべる。
「ありがとな、姉貴! 親父たちにはなんとかごまかしておくから任せとけよ!」
「分かった、頼りにしてるわ」
本来ならあんたにはあんまり任せられないけどねぇと思いつつ言っておく。
エーリカから聞いた『何か』が嬉しいのか、それとも頼られたことが嬉しいのか。マルクはぶんぶんと手を振りながら、来た時同様駆けて行った。
さすがに3人から同じようなことをされれば心構えも出来てくる。
次に出会った祖母も「ヨアヒムさんのとこのお嬢さんに聞いたわ」と言い、その後に会ったテオにも「グレーテルが言ってたけど」と言われる。
さらにその後に会った父にも「ボルクさんの下の娘さんがな」と話しかけられた。
そして一様にローゼに礼を述べ、家のことは心配するな、と言うのだ。
はて、これはどういう現象なのだろうか。
ローゼは自室に戻り、家族が会ったという人物のことを考える。
(フローラ、クリスティン、エーリカ、カミラ、グレーテル、エルマ……)
全員『未来を目指す乙女の会』の所属だ。ということは……。
(ディアナが何かしてる?)
そこへ扉がノックされる。
顔を出したのは妹のイレーネだ。部屋に入ってきて手紙を差し出す。
「これ、ディアナさんから。お姉ちゃんにって」
受け取って礼を言うと手紙を開く。
中には「イレーネにだけは全部話しておいて。『未来を目指す乙女の会』の秘密案件については後日イレーネに明かすし、あんたにも後で伝えるから」と書いてあった。
階下へ行った妹を慌てて呼び、部屋へ連れ戻す。
どこから話そうかと悩んだが、とりあえず『聖剣の主に選ばれた』『明日出発する』『帰りはいつになるか分からない』ということを話しておくことにした。
さらに、それに付随してディアナが何かしてくれているらしいことも付け加えておく。
黙って聞いていたイレーネは、話が終わると「分かった」と言ってうなずいた。
「家の方で何かあったら私も何とかする。お姉ちゃんは自分のことだけ考えて」
寡黙だけど頼れる妹はそう言って部屋を出ていく。
7人分の「家は任せろ」発言を聞いたが、今の発言が一番信頼感ある、とローゼはため息をついた。
(一番下の子が一番頼りになりそうだなんて……)
ファラー家の今後が心配だ。いや逆に、今後は明るいのか?
何はともあれ、これで家のことは大丈夫だろう。
あとは自分の用意をするだけだ。
* * *
古の聖窟へ行く途中も辛かったが、王都へ行く途中も辛かった。
聖剣の主様だからだとかなんだとかで馬車に押し込められたが、休憩の時や食事を持ってくるときくらいしか俺に近寄る奴はいない。
なんだか体よく軟禁されている気持ちになってくる。
王都へ行ったら終わりかと思ったが、そうでもない。
大神殿で儀式、王宮でお披露目会とかいうもんをやらされたが、なんのことはない。神殿関係者や貴族どもに笑いものにされただけだった。
しょうがねえだろ。俺はただの庶民だ。裾の長い服なんか着たこともないし、そんな場所での礼儀作法だって知らねえよ。
聞けば俺は今後、各国の聖剣の主を集めての交流式なんてもんにも出なくちゃいけないらしい。
他にも出来るだけ、新年の神殿祭礼や王宮の社交界に出る必要があるんだと、ニヤニヤしながら神官の1人がぬかしやがった。
しかも「次こそはきちんとしてくださいよ、レオン"様"」と嫌がらせのように敬称までつけて人のことを呼びやがる。
くそくらえだ。
俺は最初に出たお披露目会というやつで、今後こういった場に絶対出ないと決めた。
交流だ? 祭礼だ? 社交界だ?
そんなもん勝手にやれよ。俺は知らねえ。
どうせ笑いものにしたいだけだろ。ふざけんな。
そういえば、エルゼは大丈夫なんだろうか。
大神殿にだって貴族出身の奴がたくさんいる。
寮の部屋は平民と貴族とで別れてるらしいが、その他学ぶときや食事なんかは一緒だと言ってたっけ。
嫌がらせされてなきゃいいな。
神殿と言えば……村の神官様にも申し訳ない。
本当なら、聖剣の主を輩出した村の神官、ってことで大手を振って歩けるだろうに。
実際には俺みたいなのが主なんだから、逆に肩身が狭くなってるかもしれない。
神官様にも、村の奴らにも、失望されただろうな……。
彼らのがっかりした顔を見るのが怖くて、俺は聖剣の主になってからも故郷には近寄らなかった。
* * *
(なんかこの人の夢、先日も見た気がする。何だろう?)
聖剣の主らしい少年レオンの独白は、なんとなく自分の境遇とかぶるところがあって胸が痛んだ。
そういえば彼の幼馴染の少女、エルゼは赤い髪と赤い瞳をしていたっけ。
――ローゼのような。
しかししょせん、夢は夢。今の自分には考えることが他にある。
これからローゼにとって、重要なことが控えているのだ。
窓の外を見るとまだ夜中だった。
早すぎるような気もしたが、どうせ寝付けないのだからもう起きてしまうことにする。
今日は村を離れる日だ。
身支度をしながら、ローゼはこみ上げてくる気持ちで胸が苦しくなってきた。
このまま家にいては出かけようとする気持ちが消えてしまいそうな気がしたので、着替えた後にローゼは荷物を持ってそっと家を出る。
着ているものは普段着ではなく、畑での作業を手伝う時の動きやすい服にした。
馬での旅なら、この方が良いだろう。
人目につかないよう裏道を行き、神殿に到着するが、まだ日は昇る気配すらない。
アーヴィンから夜でも構わないと言われているものの、なんとなく遠慮してしまう。がしかし、他に行くところもない。
迷いつつ神殿の扉を引いてみれば、鍵はかかっていなかった。開けておいてくれたのだろうと思ってローゼは中へと入る。
しかし入ったところで特にすることはない。
そこでなんとなく、暗い神殿の中から同じく暗い空を窓越しにぼんやりと眺めていた。
(今まで町から出た人はたくさんいるよね。みんな旅立ちの前はどんな気持ちだったのかな……)
ローゼはずっと、村から出てみたかった。
いつもと同じ風景の中、見知った人たちと過ごす変わらぬ日常。
そんな日々を繰り返すことが退屈に思え、この先も続くことを考えると憂鬱で仕方がなかったのだ。
知らない世界を見てみたかった。知らない人と出会い、毎日新たな出来事が待っている、そんな人生が送れたらいいのに、とずっと思っていた。
(なのに……)
アレン大神官が持ってきたものはローゼにとって『吉報』のはずだ。
おかげでローゼは、夢見た広い世界へと行くことができる。
しかし旅立ちを前にした今、ローゼの胸に広がるのは喜びや期待ではなかった。
重い気持ちを抱えながらも窓の外で木が揺れるさまを見ていると、背後で扉の開く軽い音がする。
「ローゼ、おはよう」
続いて響いたのはアーヴィンの声だった。物音がしたので見に来たのだろう。
神殿の奥には倉庫や書庫に加え、神官の執務室や居室もある。つまりアーヴィンは神殿に住んでいるのだから、彼がいることには何の不思議もなかった。
返事をせずにただうなずいたローゼは、窓の外を見たまま尋ねる。
「ねえ、アーヴィンはどこで産まれたの?」
一瞬の間があった。
「もっと北の方だよ」
「そっか。……ねえ、故郷を出るとき、寂しかった?」
アーヴィンからの返答はない。
ただ、近くまで来た彼はローゼにそっと問いかけた。
「ローゼは、寂しいんだね?」
「……うん」
近くの町や村に行ったことくらいはある。
しかし本格的にグラス村から出るのは初めてだ。家に何日も帰らないのも。家族や友人たちとまったく会わないのも。
家では何とかこらえたが、寂しい気持ちを認めてしまうともう無理だった。
涙があふれてくる。
(駄目。自分で行くって決めたんだから、泣いちゃ駄目だ)
思うが涙は止まってくれない。
そっと肩に置いてくれる手がある。
限界だった。
「寂しいの……!」
ローゼはアーヴィンの胸に取りすがると、声を上げて泣いた。