48.村祭り 【挿絵あり】
夕暮れが近くなったころ、ローゼは村の外を歩いていた。
広場では、女性たちがひとりの男性を探している。どこからか彼の姿が見えないという話が聞こえた時にローゼは行先の見当がついてしまった。
せっかくの祭りなのにあの人は何をしているんだろう、と思いつつ北へ向かって進むと、やがて前方に森が見えてくる。腰に佩いた黒い鞘の聖剣から、ほう、と感嘆の声が聞こえた。
【確かに精霊の気配がするな。北方以外でここまでの気配を感じるのは初めてだ】
「やっぱりいるのね。あたしも見たいな、見せてよ」
【今度な】
そう言ってレオンの言葉は途絶える。ローゼは柄を叩こうとして思い返し、そのまま森へ足を踏み入れた。おそらくレオンは勝手に気をまわしてまた内に籠ったのだろう。
ただ、内に籠るとはどういうことで何をしているのか、ローゼは全く分かっていない。レオンからは、外部の見聞を止めた状態だとしか聞いていないのだ。
何をしているのか今度聞いてみようと思いつつ、ローゼは東の方向へ歩を進めた。
木々の合間から漏れる橙色の光は赤や黄の葉を美しく彩っており、ローゼの目を楽しませてくれる。
今のローゼには憂うものが何もない。
浮きたつような気持ちで足取りも軽く進むうち、森の中に小屋が見えてくる。
目当ての人物はこの辺りにいるはずだと思いながら周囲を見渡すと、入り口から少し離れた木に寄りかかる後ろ姿があった。
着ている物は白い衣。青の縁取りがされており、一部には金色の装飾がなされている。そして、本来なら肩よりも下にあるはずの褐色の髪は短い。
ローゼはため息をついた。髪が短くなった彼の神官服姿はどうも見慣れない。
北方から戻った後に大神殿で見た際、思わず顔をしかめてしまったので、アーヴィンからは苦笑されている。
昨日、村へ戻ってきて神殿で見かけたときには、思わず「やっぱり変」と呟いてしまっため、ミシェラを除く周囲の女性たちから一斉に非難されてしまった。
そもそも、髪の短いアーヴィンは、どうしてもエリオットを思い起こさせる。エリオットのことを考えると、同時に北にまつわる色々なことを思い出してしまうため、ローゼはまだ心穏やかでいられないのだ。
口を引き結んでアーヴィンの後ろ姿を見ていると、気配に気づいたのか振り向いた彼がローゼの姿を目に留め、いつもの穏やかな笑みを浮かべる。
(それなのに、髪が短くってもやっぱり好きなのよ……)
なんとなく悔しい思いを抱えて小さく息を吐いたローゼは、さくさくと枯れ葉を踏んでアーヴィンの側に近寄った。
「みんながアーヴィンのことを探してたから、もしかしたらって思ったけど、やっぱりここにいたのね」
見上げた彼はローゼの非難まじりの言葉など意に介す様子もなく、笑みを浮かべたままで言う。
「私を探しに来てくれたんだね」
「……別に。たまたま来ただけよ」
素直にうなずくのもなんだか癪だったので、ローゼは即座に否定し、反対に問いかけた。
「で? アーヴィンはこんなところで何をしてたわけ?」
「決まってるだろう? ローゼが探しに来てくれるのを待っていたんだよ」
柔らかな声の返答に、思わずアーヴィンを見返す。呆然と彼を見ているうち、ローゼは思わず吹き出した。
「やだもう、信じらんない! そんなこと言う人じゃなかったでしょ!」
笑いながら胸に飛び込むと、彼はローゼを抱き留めてくれる。
背に回した腕に力を籠めた後、ローゼはアーヴィンの顔を見上げた。
「あのね、あたしだってそう何度もアーヴィンのことを探してあげるわけじゃないからね?」
――特に、遠い北の地まで探しに行くなど、一度で十分だ。
「覚えておくよ」
笑ってうなずくアーヴィンの衣からは、薬草と、神殿で焚かれている清涼感のある香の匂いがしていた。
(アーヴィンの匂いだ……)
甘い香りはどこからもしない。
ローゼは彼の胸に額をつけ、満ち足りた気分になる。
なんだか嬉しいなと思っていると、アーヴィンが小さく肩を叩いた。
「……ところで、ローゼ」
彼が囁く声は、聞いた者を魅了するような甘さを含んでいた。
思わず顔を上げると、灰青の瞳が蠱惑的に輝いている。
ローゼの鼓動が早くなった。
今までこんな声は聞いたことがないし、こんな瞳を見たこともない。
「ローゼが村を出発する日はいつになる?」
「……あ、えっと……本当はゆっくりしたいんだけど、大神殿から言われてることがたくさんあって……だから、あんまり長居はできないの。4日後くらいかな……」
「4日か。短いね」
憂いを含んだ彼の声はさらに魅力を増す。ローゼはぞくぞくとした。
「ローゼ。実は、頼みがあるんだ」
「ん……アーヴィンの頼み? なぁに?」
声を聞いているうち、頭のどこかがしびれたような気分になる。ぼんやりとしながらローゼが問い返すと、アーヴィンの瞳が細められた。
「4日のうち、一晩を私にもらえないかな」
「……一晩? あたしの? アーヴィンに……?」
「そう」
指でゆっくりローゼの頬を撫でながら、アーヴィンは続ける。
「セルザム神官にも、ローゼのご両親にも許可はいただくよ。……一晩だけだ。いいだろう?」
アーヴィンの笑みはローゼを蕩けさせるようなものだった。こんな麗しい顔は今まで見たことがない。
思わずうなずこうとしたその瞬間、ローゼの脳裏に警鐘が鳴る。
――うなずいてはいけない。
ローゼの勘が危険だと告げている。
躊躇うローゼを見たアーヴィンが、そっと耳元に唇を寄せた。
「ほんの一晩でいいんだ」
「でも……」
「いいだろう? ……ローゼだって構わないと言ってくれたじゃないか」
耳元で囁かれて力が抜けそうになる中、警鐘は鳴り続ける。――構わない。いつ自分はそんなことを言っただろうか。
ぼんやりとしながらも考えようとしたとき、アーヴィンがもう一度ローゼを見つめた。彼の瞳にくらくらして、うなずこうとするのを、意思の力でなんとか止める。
目を合わせないために顔を背けようとしたが、アーヴィンに頬を包まれて動けなくなってしまった。
まずい、とローゼの一部が焦りの声を上げる。声だけ、もしくは瞳だけならまだ抗える可能性がある。しかし両方に抗うだけの自信はなかった。
「ローゼ」
蠱惑的な光を宿す瞳に見つめられる。甘やかな声が名を呼んだ。
「私に一晩をくれるね?」
さらにアーヴィンの指がゆっくりローゼの唇をなぞる。
途端にすべてがどうでも良くなってしまった。
「……うん」
抗う気力を無くしたローゼが肯定の返事をすると、アーヴィンが何とも言えない美しい笑みを浮かべた。
「約束するね? 決して逃げないと。必ず私に一晩をくれると」
「……うん。約束する……絶対逃げないわ……」
その瞬間、アーヴィンの表情が一変する。
獲物を捕まえた狼を思い起こさせる笑みだった。
「絶対だよ」
声もがらりと変わった。彼の出すどこか意地の悪い声を聞いたローゼは正気に返り、思わず声を上げる。
「あああああ! 失敗した! 駄目だって分かってたのに! ずるい!」
勝ち誇ったような笑い声をあげ、アーヴィンはローゼに向って言い放った。
「さあ、約束したよ。……大神殿で神降ろし関連の書物を借りて来たからね。今度こそ、どれだけ危ないのかをたっぷり教えてあげよう」
ローゼは苦い思いで彼を見上げる。
確かに北の小さな庭で『前の約束を破ったんだから、一晩中でも黙って叱られてあげる』とは言った。しかし北から戻る道中、アーヴィンが何かを言い出す気配は無かったので、忘れているか、もしくは許してくれたものだと思っていたのだ。
「……甘かったわ。アーヴィンが執念深いことを忘れてた」
「心外だな。これはローゼが言いだしたことだったね?」
「それはそうだけど……ああもう、悔しい。大体どこで覚えたのよ、こんなやり方……」
まるで誘惑するかのようだったと思いつつ、顔をしかめる。
「他の人にもあんな風にしてるんじゃないでしょうね?」
思わず問いかけると、アーヴィンは「まさか」と答える。
「ローゼ以外にはやらないよ」
どこかほっとしたのもつかの間、彼は言葉を続けた。
「他の人はもっと素直だからね。こんな手を使わなくても、きちんと約束をしてくれるんだ」
「……そう」
じろりと睨むが、アーヴィンは涼しい顔をしている。
なんだか色々なことが面白くなくてローゼはアーヴィンに背を向けた。
「もういい。あたし、帰る」
どこかもやもやとした思いを抱えながら村へ戻ろうとしたとき、アーヴィンが腕をつかんだ。
「ローゼ、用事は終わってないよ」
「離して。こんなことになるなら来るんじゃなかったわ」
「まだ離さないよ。……私に踊り方を教えてくれるはずだよね?」
アーヴィンの言葉に、ローゼは思わず振り返る。
確かに11歳の時、村祭りの日に会ったアーヴィンに「踊り方を知らないなら、教えてあげる」と言ったことがあった。
「……本気で言ってるの?」
「もちろん」
「もしかして、酔ってる?」
ローゼの言葉を聞いて、アーヴィンは苦笑した。
「今年は飲んでいないよ。ほら」
そう言ってアーヴィンはローゼを引き寄せる。確かに彼の動きはしっかりしているし、見上げた瞳は真面目そのものだった。
ローゼは灰青の瞳をじっと見つめた後にうなずく。
「いいわ、前に教えてあげるって言ったものね。あんなやり方しなくたって約束を守るってことを見せてあげる。向こうの開けた場所に行きましょ。そこで……」
言いながら歩き出すが、少し進んだあたりで違和感を覚える。
振り返るとアーヴィンは動いていなかった。どうやらローゼの服を見ているらしい。
今日着ているのは、北で買った刺繍入りの服だ。
一度着たときフロランに笑われたので、理由をレオンと推測したことがある。その時「祭り用の服ではないか」という結論になったので、せっかくだから着てみたのだ。
西方では見たことのない美しい刺繍は、ディアナを始め村の乙女たちや周囲の女性からも好評だった。
しかし、アーヴィンの視線は間違いなくローゼの服に注がれているが、その表情はどう見ても肯定的なものではない。フロランといい、アーヴィンといい、一体この服はどういうものなのだろうか。
「ねえ、アーヴィン……この服、似合わない?」
不安になって尋ねてみると、アーヴィンは困ったように笑う。
「……似合わないということはないよ」
「どういうこと? ねえ、これ何か変なの?」
「変、というか……」
「何? 教えて!」
アーヴィンは言おうかどうしようかを悩んだらしい。ローゼが何度も尋ねると、仕方なくと言いたげに口を開いた。
「北方で用いられている刺繍の模様と色には、意味があるんだ」
嫌な予感がするが、ローゼは黙ってアーヴィンの言葉を待つ。
「ローゼが今着ている服の刺繍は、既婚の年配女性を現す模様と色で――」
「あたし着替えてくる」
再度歩き出したローゼの腕を、またしてもアーヴィンが掴む。
「私にしか分からないんだから気にする必要はないよ」
「アーヴィンが分かっちゃうなら嫌!」
「では、私も忘れよう」
彼はふわりと笑う。
「ローゼが村にいる日は短いからね。そんなことで一緒にいられる時間を無駄にしたくない」
「……そ、そう」
臆面もなく言われて恥ずかしさを覚える。
わずかにうつむき、ローゼは早口で告げた。
「じゃあ、えっと、教えてあげるわね。早くしないと祭りが始まっちゃう。簡単だから、すぐに覚えられるわよ」
ローゼが進むと、今度は並んでアーヴィンも歩きだす。
どことなく晴れやかな声で彼は言った。
「これで来年以降も村祭りに参加できるな」
思わず立ち止まると、アーヴィンは穏やかな笑みを浮かべている。
来年、と呟きながらローゼは彼を見返した。
「……来年も村にいるの?」
「いるよ」
「その次や、もっと後も?」
「もちろん」
「本当に? 約束してくれる?」
「私が西にいることを望んだのはローゼだろう? だからローゼが望む限り、私はどこへも行かないよ。約束する」
言い切ったアーヴィンがローゼを抱き寄せる。銀の鎖が涼やかな音をたてた。
ローゼが見上げれば、アーヴィンは想いを籠めた瞳を向けている。
そのまま、ふたりの吐息が重なった。
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