10.神官と神殿騎士
明日の出発に向けて荷造りをしようと思うのだが、ローゼは旅をしたことがない。
そのため何を持って行くべきなのかが分からず、遅々として進まなかった。
先日夢で見た、レオンという少年の気持ちが良く分かる。
首をひねりながらいくつかの物を選んで、しまって、考えてまた出して、という無為な時間をすごしている内に、荷物が全くまとまらないまま夕方近くになってしまった。
結局何も入っていない袋を見ながら途方に暮れていると、イレーネが扉越しに声をかけてくる。
「お姉ちゃん。アーヴィン様がいらしてる」
「アーヴィンが?」
(隣町に行ってたはずだけど、村に戻って来たんだ。ちょうどいいや、荷物の相談もしてみよう)
妹に礼を言って外に出てみれば、家の前の道には男性がふたり、そして1頭の馬がいた。
男性のうち、ひとりはアーヴィンだ。豪華な青い衣装ではなく、白地に青の縁取りがされたいつもの神官服を着ている。
そしてもうひとりは、がっしりとした体格の大柄な男性だ。白い鎧を着用しているので、神殿騎士なのかもしれない。
ふたりは何やら談笑しているようだったが、出て来たローゼを見てアーヴィンは話をやめ、軽く手を上げる。近寄ったローゼは、どこか残念に思いながら白い神官服を眺めた。
「いつもの服に戻しちゃったの?」
「ああ。儀式が終わったからね」
「儀式?」
アーヴィンはうなずく。
「ローゼに返答をもらうまでが今回の儀式。本当はもう少し複雑なんだけど、ここは大神殿から遠いから簡略化されてるんだ」
ということはやはり、今朝の話をアーヴィンはもう知っているのだ。
草原ではいったいどんな話になっているのかを聞こうと思い、アーヴィンの顔を見上げたローゼはふと眉根を寄せる。
ほんの少しだけ、アーヴィンの表情に翳りがあるような気がした。
何かあったのかとローゼが尋ねようとした時、横から朗らかな声がする。
「いいなぁ、神官は。俺もこんなもん脱いじまうか」
「あなたの鎧は儀式と関係ない、ただの神殿騎士の装束でしょう」
背中になびく金髪のように明るい印象を与える男は、笑いながら、さようでございます、とおどけたようにアーヴィンに答える。
横の男性に相対するアーヴィンの表情からは既に翳りが消えていた。
(……気のせいだったのかな?)
「初めましてローゼちゃん。俺はジェラルド・リウス。今回、大神官殿のお供で来た神殿騎士だ」
「あ、初めまして。ローゼ・ファラーです」
ジェラルド・リウス、その名前には覚えがある。フェリシアが、アーヴィンと親しい人物だと言っていたはずだ。確かに先ほど見たふたりは仲が良さそうに見えた。
笑顔のまま、大柄な彼はローゼのところへ近寄ってくる。少し身をかがめると、ローゼの顔を気安げに覗き込んだ。
「本当に赤い髪と赤い瞳なんだな。こんな綺麗な赤い色の髪も瞳も初めて見たよ。しかも美人だし俺好み!」
うんうん、とひとりで頷くジェラルドは楽しそうに続ける。
「ローゼちゃんは今いくつ?」
「17歳です」
「お、これはいいね! 俺、24。こいつと同じな」
ジェラルドは親指でアーヴィンを示し、豪快に笑った。
「ところでさ、俺、ずっとあっちの草原にいたんで、初めてこの村に来たんだ。でも明日には出発しなくちゃいけないだろ? 良かったら案内してくれないかな」
「ジェラルド」
ローゼの背に手を回そうとするジェラルドを止め、呆れたような口調でアーヴィンが口をはさむ。
「自己紹介は終わったんでしょう。そろそろ説明させてください」
「へいへい」
両手を広げたジェラルドは、ローゼから離れて少しだけ下がる。
ため息をついて、アーヴィンはローゼに向き直った。
「ローゼ。本人も言った通り、ジェラルドはアレン大神官と一緒に来た神殿騎士でね。明日から古の聖窟へ行く間、近くで護衛をしてくれるよう頼んでおいたんだ」
「そういうこと! 任せておいてくれな!」
ローゼの手をジェラルドが取ってぶんぶんと上下に振る。
「……ありがとうございます。よろしくお願いします」
「なんのなんの! こんな可愛い子の護衛なら喜んで」
がくがくと揺らされながらローゼが言うと、ジェラルドは朗らかに笑う。
(あ、明るい人みたいだけど……力強っ)
ローゼが少し困惑していると、さりげなく間に入って2人の手を離しながらアーヴィンが言う。
「こんなだけど、剣の腕と、一応は人柄も信じていいからね」
アーヴィンの言葉を聞いたジェラルドは顔をしかめる。
「一応ってのは酷くないかな?」
「手放しに誉めることの出来る人柄ではないでしょう」
「そんなことは……いや待て、どの口が人柄の話をするんだ?」
最後の言葉を無視すると、アーヴィンはローゼに手招きをして馬のそばへと連れて行った。
「それから、この馬を」
若い栗毛の雌馬だった。日に透けて夕焼け色に輝くたてがみが美しい。
「初めて見る馬ね」
神殿にいるのは葦毛の馬だ。アーヴィンが移動するときに乗っているのを見かける。
「ローゼが使うかもしれないと思って手配しておいたんだ。送り先を隣町の神殿にしておいたから取りに行ってきたんだけど、届くのがぎりぎりになってしまってね。間に合って良かったよ」
「え?」
「大人しいし、訓練されてる馬だから、魔物に怯えたりもしないよ」
そう言ってローゼの手に手綱を渡す。
「……あたしが使っていいの?」
アーヴィンはうなずく。
移動するにも馬がなければ不便だ。もちろんローゼも馬に乗ることは出来るが、しかしローゼの家には馬が一頭きりしかいない。
明日からの旅で乗って行ってしまった場合は、自宅に馬がいなくなってしまう。どうしようかとは思っていたのだ。
「だって、馬って……」
結構良い値段がするはずだ。しかもさっき、訓練されている馬だと言っていなかったか。
素直に受け取って良いのかどうなのかローゼが困惑して黙り込んでいると、ジェラルドが近くに寄ってきて馬を眺める。
「おお、いい馬だなぁ。……あ? おい、これ北方の馬じゃないか? お前まさか、リュシーちゃんに……」
「――ジェラルド」
低い声で名を呼ばれたジェラルドは、しまったと言う顔をして横を向く。
同時に、アーヴィンの表情には、迷いや憂いがよぎったような気がした。
(……なに、どうしたの?)
今のやりとりは気になるし、アーヴィンの様子も気になる。
しかし彼の声色を聞く限り、ローゼが踏み込んではいけない話のような気がした。
ローゼが逡巡していると、ひとつ息を吐いてローゼに向き直ったアーヴィンはいつもの声と表情で話し出す。
「……とにかくこの馬はローゼのために用意したから、何も気にしなくていい。まだ名前もついてないからね、明日までに考えておくんだよ」
彼の態度からは何も聞いて欲しくないという意思が窺えたので、どう答えて良いか分からないローゼはただ黙っていた。
「それから」
続いてアーヴィンは馬に積んである荷物を示す。
「使えそうな物は入れておいた。あとはローゼが身回りの品を用意すれば良いからね」
ローゼは目を見開く。
確かに何を持って行けば良いか分からないので相談しようとは思っていたが、まさか用意されているとまでは思わなかった。
「でも、馬に荷物までなんて。あたしそんなお金……」
「気にしなくていいよ。本来ならどれも大神殿側で用意するはずのものなんだ。ただ、アレン大神官はおそらく用意せずに来ると思ったからね。念のために用意しておいたんだけど、役に立ちそうで良かったよ」
確かに大神官は、荷物を用意する気はかけらも無かっただろう。何せローゼに断らせる予定だったのだ。
しかし本当にもらっても良いのだろうかと悩むローゼに、明るい笑顔でジェラルドが言う。
「大丈夫ってことよ、ローゼちゃん。どうせこいつが後で大神殿にふっかけて請求するだろうからさ」
横にいるアーヴィンはその言葉を否定も肯定もせずに、すました表情で立っている。
(本当にふっかけるの?)
その様子に笑って、ようやくローゼはうなずいた。
「……うん」
そして少し考えて付け加える。
「本当はね、不安だったの。大神官は絶対あたしのこと良く思ってないだろうし、きつい旅になるのは間違いないだろうなって思った」
しかもローゼは長旅なんてしたことがない。
「荷物もどうしていいか分からないし、馬もうちのを使うわけにはいかないし。悩んでたの」
言って、頭を下げる。
「だから、本当にありがとうございます。――そして明日から、よろしくお願いします」
「おう、任されたぜ!」
嬉しそうなジェラルドに笑ったところで、ローゼはふと思い出してアーヴィンに向き直る。
「ねえ、今日の朝早く隣町へ出かけたのって、馬を取りに行ったんでしょ?」
ローゼの言葉にアーヴィンはうなずく。
「あたしが大神官に返事をしたのは、アーヴィンが町へ出かけてからよ? なのにどうして今日、馬を取りに行こうと思ったの?」
「昨日の様子だと、ローゼはきっと行くって言うと思ったからね」
「……昨日はまだ行くって決めてなかったのに……」
ローゼは困惑するが、アーヴィンは微笑むだけで何も答えなかった。代わりにローゼから手綱を受け取って言う。
「馬と荷物は神殿で預かっておくよ。――出発はいつごろ?」
「ええと、明日の昼過ぎって」
「アレン大神官と関係ない神官から聞いたのではなく、大神官がローゼに直接そう言ったんだね?」
ローゼがうなずくと、アーヴィンとジェラルドは少し顔を見合わせる。
「多分、昼過ぎの出発にはならないな。もっと早く出発することになるはずだから、ローゼの準備が出来たらいつでも神殿においで。夜のうちに来ても構わないよ」
「え?」
アーヴィンの言葉にローゼが目を瞬かせると、ジェラルドも苦い顔をして言う。
「あの大神官殿はそういう奴ってこった」
「姑息な嫌がらせが得意なんだ。昼過ぎに行ったら、きっと草原には誰もいない」
「ええ……」
ローゼは眉を寄せる。
「そんなことしていいの? というか、できるの?」
「していいわけではないよ。でも、やるだろうね。あの人はそれだけの力を持っている」
「あいつに反発する奴は多いけどさ、でも結構な人脈も持ってんだよなあ」
そっか、と呟いたローゼが不安になって目線を下げた時、ジェラルドがひとつ手を叩く。
「いっけね。忘れてた」
肩の荷物入れを開いたジェラルドが取り出したのは、フェリシアに貸していたローゼの上着だ。
「これ、ありがとうってさ。フェリシアちゃんも、一緒に行けるの楽しみにしてたぜ」
(そっか、あの子も一緒なんだ)
上着を受け取ったローゼは心が温かくなる。
同じ年ごろの彼女と一緒に行けるということが、わずかに緊張をほぐした。
「フェリシアにも、明日からよろしくお願いしますって伝えてください」
「おうよ、任せてな。覚えてたら伝えておくぜ!」
自慢げに胸を張るジェラルドと、彼に視線を向けた後ため息をつくアーヴィンがおかしくて、ローゼは思わずふきだした。