今孔明、起つ。
第三章 孔明
2022年12月5日(月)
和服を身にまとった八神は、総理に訪ねられる事を予測していたかの如く、手早く首相官邸に出向く手はずを整え、日本を共に守る仲間を呼び集めた。程なくして血気盛んな若手の研究員らが八神の研究室に入った。彼らこそ、八神と共に「安全保障(対同盟国)のあり方に関する研究(仮称)」を密かに続けている面々だった。
長机の誕生日席には八神が座り、その両側に4人ずつ、計9名の未来のカレンダーを握る者らが一堂に会したのである。彼らが未来の日本の英雄となるか戦犯となるか、それは彼ら自身に委ねられている。
「全員分の熱気でコップ一杯の水は沸かせられただろう」
とは、八神から向かって左手、最も手前に座る春日飛雄の述懐するところだが、彼は何ら事実を誇張しておらず、状況を正確に比喩しているものと捉えるべきであろう。
「官邸からお達しが来るかもしれないとは思っていたが、わざわざいらっしゃったよ」
「まさか研究熱心な君が官邸行きを承諾するとはねぇ」
右手最も手前の花山晴仁はそう皮肉った。八神より一年年長で、まもなく30になろうとしている花山は、八神を良く支える兄貴肌の男だった。しかし表面上の言葉とは裏腹に、もし八神が官邸行きを拒んだとしたら、失望したに違いない。
「総理から仲間を連れていく事を承諾されている。難儀な仕事だから、行きたくなければついてこなくても構わないが」
「給料はいくら出るんだ。月100万は貰えるだろうな?言っておくが手取りだぞ」
などと、花山の一つ奥に座る鳥羽光希はとんでもなく非常識な見解を述べたが、諸氏は冗談を理解出来る人間であったのでこれを賛意と受け取った。鳥羽のまた一つ奥に座る風見岳人、また月詠蒼明は後に雑誌のインタビューで鳥羽をこう評している。
『あいつは、知らない人からすれば眉をしかめるような事ばかり言うけども、関わりのある奴は段々、返ってそれに安心するようになるんですよね。まだ余裕があるんだなって。むしろ鳥羽がまともな事を言い始めたら、本当にやばい状況だっていうサインですよ』
『最初は戸惑いましたが、結局彼は愛される人です』
「好きなだけ払わせてやるから安心しろ。夏川さんはどうですか」
八神が唯一この場で敬意を払って接するのは、夏川綾斗ただ一人であった。八神が防衛研究所(防研)に配属された時から、その才幹を見出し、今孔明と呼ばれるまで育て上げたのは、他でもない夏川だからである。八神にとってのただ一人の師は夏川であった。他より一回り年の差がある夏川は、安保研究の前プロジェクトリーダーであり、その座を八神に譲ったのはつい八か月前、すなわち今年の4月である。
八神の懇願によって、夏川は急遽、防研の別チームから呼び戻され、かつてのリーダーが諸氏の列に並ぶあまり類を見ない状態となっている。無論、夏川は八神が自らの実力をゆうに超えていることをわかっているので、結構な事ではあったが。
「夏川さんじゃないですか」
「目の上のたんこぶが折角去ったのにと、もっと嫌な顔をされると思ったが」
「とんでもないですよ。どうぞこちらにお掛けになって下さい」
普段は不遜な輩で通っている秋月郁磨と冬城翔でさえ、先輩を末席に座らせるのは恐れ多いとして席を譲り、夏川は春日の一つ左に席を置いていたのだった。
「春夏秋冬、花鳥風月が揃ったのは久しぶりだが、皆変わっていなくて安心したよ。八神。君はこの8人を率いる神ということだ。好きに使うと良い」
「では、行きましょうか。官邸に」
春日、夏川、秋月、冬城から一字ずつ取った春夏秋冬。花山、鳥羽、風見、月詠から一字ずつ取った花鳥風月。そしてこの8名を率いる八神。この9人はまだ無名だが、この場にいる誰一人として、自らが無名のまま生を終えるような凡俗の徒であるとは微塵も思っていない。まさに、自分の可能性を信じることのできる若者の集まりであった。




