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核ブラフは日本の最後の切り札だ。

 防衛研究所は、防衛省市ヶ谷地区F棟にある建物であった。私と軍師は昼前にそこへ訪ねた。八神海斗に会うために。


「こちらです。どうぞお入りください」


 係の者の案内で、私たちは八神の研究室までやって来た。軍師が私に言った。


「自分で扉を開きなさい」


 私は頷き、扉に手をかけた。その瞬間、中から扉が開いた。


「わざわざお越しいただきありがとうございます」


 現れたのは、華奢な若い男だった。


「君が、八神くんかな」

「八神海斗と申します。どうぞ、お入りください。汚い部屋ですが」


 八神は和服を着ていた。今時のしかも若者にしては大変珍しい。部屋の中は確かに戦史に関する本などが積まれていて、お世辞にも整理整頓が出来ているとは言えなかった。


「君はいつも和服を着てるのかね」

「いえ、総理がいらっしゃると聞きまして、着替えただけですよ」


 八神に全く緊張している様子は見られなかった。


「君は普段どういう研究をしているのかな」

「戦史ですとか、安全保障とかそういった分野ですね」


 軍師の質問につつがなく応じた後、八神はこう言った。


「あなた方は私に何の御用でお越しになったのですか。何となく察しは付きますが」


 そう言うと八神は私の方を見つめてきた。すさまじい目力を私は一手に引き受けた。


「安全保障問題は急務だ。もし君が総理大臣だったらどうする?それを聞きに来た」

「ほほう…そう来ましたか」


 八神は少し笑みを浮かべた。不思議と大きな余裕を私は感じた。


「いっその事、官邸の屋上から飛び降りましょう」

「何?」


 軍師は若干いらだった。この20代の男は、60を超える男二人相手に随分な事を言う。


「趨勢は定まりつつあります。これから総理が、どう頑張った所で全てが手遅れです。私に期待して尋ねてくれたのは、有り難いですが、お役には立てませんよ」

「そこを何とかお願いしたいんだよ」

「初対面の人をそこまですがりますか。余程困られていらっしゃる?」

「若造。その通りだ」

「そうですね…この事態です。正攻法では上手くいきますまい」


 八神はそう切り出して、ようやく自身の戦略を語ってくれた。


「うむ。改憲はもう無理だ。よって今の自衛隊の戦力で日本を守らねばならない訳だ」

「とはいえ、戦力の拡充をせずしてそれは不可能でしょう」

「君の言う通りだ」


 八神は我々から目を逸らし、外を見た。


「そういえば、我が日本には原発用として47tものプルトニウムがあるそうですね」

「えっ」

「お前、それはいかんぞ」

「確かに、我が国には非核三原則があります。しかし、それを使うより他ない状況まで追い詰められたとしたら。本当に非核三原則を貫けるでしょうか?」

「核保有は有り得んぞ。日本は世界唯一の原爆被爆国。そんな事はあってはならない」


 軍師は強く声を上げた。


「もちろんその通り。核は保有しない、核は製造もしない、核を持ち込まないというこの核に対する三原則、その平和憲法のもと、この核に対する三原則のもと、その基において日本の安全はどうしたらいいのか、これが私に課せられた責任でございます。でしたっけ?」


 佐藤栄作元首相の政府答弁を完璧に覚えているのか。こいつ。


「その基においてどうするかと言えば一つしかありません」

「まさか?」

「核を持っているフリをする。国を賭けたハッタリをするしかありません」

「何と」


 軍師は驚きのあまり言葉を失った。対照的に、私は大いに興味が引かれた。


「お前、そんな事が出来るのか」

「ええ。うちは防衛研究所ですよ。実は昔からそう言った研究がなされてきていましてね。もちろんトップシークレットですが」


 そう言うと八神は「安全保障(対同盟国)のあり方に関する研究(仮称)」なる分厚いファイルを持ってきた。


「こういう事が30年前から研究されているんですよ」


 衝撃的な内容だった。それは、軍事費を著しく低く抑えざるを得ない日本が、いかにして軍事的独立を果たすかという事を追求する研究だった。


 そしてその結論が、核を持っているフリをして、周辺国に脅威と認識させるというにわかに信じがたい結論であり、大真面目に具体的な遂行手順が事細かに記されていた。


「これに私は一つ付け加えたいのです」


 そう八神は言った。


「これでは、政府が核を持っていないが持っていると自認する事になってしまいます。嘘だとバレた時のダメージが大変大きい」

「じゃあどうするんだい」

「核を持っているんじゃないかという噂を広めて、一方で政府は否定する。だがしかし憶測が憶測を呼んで、実は持っているらしいという風に持っていく」

「そんな事が出来るのものか」

「ええ。もちろん完璧を要します。ですがこれ以上有効な策が今打てますか、総理」


 こいつは天才だろうか。はたまた妄想主義者だろうか。


「君の言う事はよくわかった。ただこれを我々だけで実行するのは不安だな。君、今日から官邸に来てくれないか」

「私が…官邸に…ですか」

「こんなアクロバティックな策は若いやつじゃないと出来んだろう」

「わかりました。でも一つだけ条件が」

「なんだ」

「仲間を何人か連れていきたい。全員とても優秀な奴です」

「良いだろう。では今から官邸に来てくれ。東郷先生、それでいいですか」

「わかった。好きにしろ」


 八神海斗に日本の命運を託そう。核ブラフは日本の最後の切り札だ。

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