8章 透析
「CT検査の結果は異状なしでした。
土日に気分が悪くなることはなかったですか?」
「はぁ、特に思い当たることはないんですが…。」
CT検査が終わった後、柴崎は検査結果は個室でするからと、検査室ではなく病室に移ったのだが、誠は居心地の悪さを感じていた。
「ん?どうかしましたか?」
柴崎は不思議そうに聞いた。
「えっと、頭の抜糸はいつ頃になりますか?今日抜糸だと思ってたので。」
「抜糸は傷の具合にもよりますが、次回誠さんがCT検査をする今週の金曜日以降になりますね。
頭部や顔面は血管が豊富で派手に出血しますが、出血の割に軽傷な方が多いんですよ。
だから今日はCT検査をして終わりです。」
「そうですか、ところで、CTだけで大丈夫ですか?ここにはMRIとかPETとかも置いていると聞いているんですが、そっちはしなくてもいいんですか?」
「ええ、脳の腫瘍や動脈瘤を見るにはMRIのほうが優れていますが、急性の出血にはCTの方が優れてるんですよ。
それに、検査時間もMRIの方がどうしても長くなってしまいますからね。
PETは癌が出来た場合につかいますね。癌の正確な位置を知ることができるのですが、放射線性の薬剤を血管に注入して使うので、不必要に使う必要は無いですね。」
「お兄ちゃん、お茶こぼれるよ。」
葉月が不機嫌そうに誠の持ったコップを指しながらいった。
「ところで、なんでこんなところで説明なんですか?」
「え?」
説明を受けている個室は、葉月が透析を受けている病室だった。
「廊下で親御さんとすれ違ったときに、『誠が隠し事をした時は教えて下さい!』と、念を押されたので、皆さんの前で説明した方が安心されるかと思いまして。」
そういうことか…
確かに効率はいいけど、この程度の怪我で家族同伴での説明ってどうなんだろう。
「それに、ご家族の方にお礼とお詫びを一度しておきたかったので。」
柴崎はすっと立ち上がって、真面目な顔で父親と母親に向き直ると、
「この度は息子さんを危険なことに巻き込んでしまい、本当に申し訳ございませんでした。」
そう言って深々と頭を下げた。
父さんと母さんは驚いて顔を見合わせ、そしてふっと頬を緩めた。
「柴崎先生、頭を下げないでください。」
口を開いたのは母さんだった。
「この子は困っている人をほっとけないお人よしなんですよ。」
母さんはやさしい口調で言った。
「勉強が苦手なくせに、家族のために無理して医療系の学校に行ったり、工場でへとへとになるまで働いているのに、夜な夜な酔っ払いを拾っては交番に届けて終電を逃したり…
自分の事を後回しにしてしまう馬鹿なんですよ。
だから、謝るのはやめてください。」
父さんも後ろでうなずいて、
「そうそう、どうせこいつの自己満足だから気にしないでください。
そうだ、何だったら勉強でも教えてやってください。こいつバカなんで。」
ハハハッと笑い、バシバシと誠の背中を叩いた。
父さんはいつも一言多い。
柴崎はクスッと笑い、ありがとうございます。と、もう一度深く頭を下げた。
なんだか、くすぐったい空気になってしまったな…
「そう言えば、警察から連絡があって、今日の5時に俺と柴崎先生、あと三浦という人が三人で実況見分に立ち会わなくてはいけないって言われたんですが、聞いてますか?」
「ええ、私は被害にあった日にもう一度現場に行って、警察に立ち会ったときに聞きました。
学生は休日なのに少し遅い時間なのは、私の勤務時間に合わせてもらったからです。」
「あれ?俺はなんで来いって言われなかったんだろ?」
柴崎よりも、むしろ怪我をした誠を現場に呼ぶのが普通なんじゃないだろうか?
誠は首をかしげた。
「それは、現場で長い間立ちっぱなしになるのもあまり良くないので、三日後の検査が終わるまで待つようにって言っておいたんです。医師としてね。
まぁ、あまりいい顔はされませんでしたが、向こうの都合なんて知りません。」
「え、大丈夫なんですか?」
「『救急車で運ばれた人を治療後に医師の意見を無視して引き戻し、青年状態悪化。』なんてことをぼそっと言ったらなにも言わなくなりましたね。」
事故があった日に妙に若い警官の腰が低かったのは、柴崎が原因か…
この人相当強いなぁ。
「そう言えば三浦って人は誰ですか?」
「警察を呼んでくれたあの民家に住んでた学生さんです。覚えてないですか?」
そう言えば民家から出てきた人がいたような気がするな。
「記憶力のいい学生で、話してた内容から犯人の服装までよく覚えていてくれて、随分と助かりました。
自分では落ち着いていたつもりでしたが、いざ警官に聞かれると、覚えていないものですね。」
今思ったらその学生がいなかったらどうなってたかわからなかったわけだしな。
少し遅れたが礼を言っとくべきだろう。
「誠、近々中間試験があるって言ってたけど、勉強は大丈夫?
時間がなかったって理由で欠点は取らないように気を付けてね。」
「わかってるって、生理学以外はたぶん大丈夫だから、そこに重点を置いて勉強すればなんとかなるから。」
誠は柴崎から顔をそらした。
他人の前で勉強のことを言われるのはいくつになっても嫌なものだ。
いや、年を重ねると余計に。
「そういえば医療系の学校に行っているとさっき聞きましたが、どこの学科に行っておられるんですか?」
「理学療法科に行ってます。名桜グループ系列で、最近できたばっかりの。」
「ああ、あそこの。理学療法科なら葉月さんとお母さんをサポートするうえでぴったりですね。」
柴崎はなるほどと納得した後、顎に手を当てて考え始めた。
「あの、柴崎先生?どうかしましたか?」
「誠さんは工場の仕事のシフトはどうなってますか?」
「え?」
「いいから。」
「今日は休日なので休みですが、月火、木金の8時半から4時までで、ときどき土日にも出勤しますね。」
「なるほど…」
柴崎はうんと納得すると、顎に当てた手を下した。
「わかりました。私が勉強を見ます。」
「はい?」
「私は火曜日は当直なんです。
火曜日に当直をすると、水曜が休みになりますので、その日を誠さんの勉強にあてましょう。
場所がないなら私の家でも大丈夫なので。」
「え、えっと、いや、柴崎先生の休みの日をつぶしてしまうのはちょっと…」
「大丈夫です。とくにする趣味も予定もないので一石二鳥です。」
「ご家族の方に迷惑が…」
「独身です。」
「お家なら親御さんにも迷惑が…」
「他界しました。」
しまった…触れてはいけないところに触れてしまった。
誠は助けを求めて葉月と文月を見た。
「お兄ちゃんいいじゃない。マンツーマンで外科医の先生に勉強なんてそうそう教えてもらえないよ?」
「そうそう、わからないところを学校で調べるのが大変って言ってたじゃん。」
ねー。と、葉月と文月が声をそろえて言った。
だめだ、父さんと母さんは…
「よろしくお願いします柴崎先生。」
「先生の個別授業なら何の心配もないよな。」
味方ではなかった…
「誠さん、どうしますか?」
この状態で断れる人間はいないだろ…
「よろしくお願いします…」
「こちらこそ。」
こうしてほぼ強制的に誠は勉強会をすることになった。