2章 文月
「じゃあ三日後と一週間後にまたCT検査があるから、月曜日の10時にもう一度病院に来て。」
「わかりました。月曜なら連休で学校も休みですし、妹が名桜に通院の日なのでちょうどよかったです。」
「へぇ、妹さんが…」
結局あの後、頭の傷の縫合やCT、脳波などの検査をしてもらった後、誠は柴崎と一緒に若い警察の人に事件について質問をされた。
質問自体は20分程度のものだったが、異様なまでに警察の腰が低く、腫れものに触れるように事情聴取し、質問が終わると「ご協力ありがとうございました。」と敬礼をして、逃げるように帰ってしまった。
その後、非番だった柴崎に家までタクシーで送ってもらったのだった。
誠は一人で帰れるからと断ったのだが、
「大丈夫、ひったくりはあなたと接触事故を起こしたにもかかわらず、警察が来る前に逃げた。
運転するものは人と接触したことを警察に連絡し、現場検証に立ち会う義務があるから、それを放棄したという時点で立派なひき逃げが成立するわ。
それ以前に傷害罪だけど。
タクシーは治療に必要な費用に入るから、ひったくりから慰謝料もまとめてふんだくれるしね。」
と、なかば強引に送られてしまったのだった。
誠の家の前に着くと、一旦タクシーの支払いを済ませ、
「今日は1日包帯を取らず頭を洗わないこと。
あと、返してもらうんだから、領収書をなくさないよーにね!」
と、領収書を渡して柴崎はまたタクシーで行ってしまった。
なんと言うか、サッパリ?いや、バッサリした性格の人だなと誠は思いつつ、少し古びた自分の家を眺めると、深く深呼吸した。
「ただいま」
誠は静かに玄関を開けながら独り言のように言った。
とはいっても、だれからも返事はない。
すでに深夜を通り過ぎて、明け方の5時を回っているのだから。
誠はそろそろと靴を脱いでリビングに向かった。
「おかえり!」
薄暗いリビングからひょこっと文月が顔を出した。
「うわっ、ぶん!もう起きてんのか」
驚いて思わず大きな声を出すと、文月はあわてて「シー」っと言った。
「悪い。っていうか脅かすお前もお前だろ。」
「お兄ちゃんが知らないだけで、私は毎日早寝早起きを心がけてるの!ていうか、ブンじゃなくってふみつき!」
と、文月はぷくっと頬をふくらませた。
「葉月は?」
「起きてるけど、まだ部屋でぼーっとしてる。昨日はちょっと体調が悪かったみたいだから。」
ひょいっと指を二階に向けて言った。
「そうか。」
「まぁ、葉月ちゃんは置いといて、お兄ちゃん、その頭は何?」
文月は頭を指差して言った。
しまった。帽子でもかぶっておくべきだったか…
「で?お兄ちゃんは電話では友達と飯食って帰るから遅くなるって言ってたのに、どうして夜中じゃなくて明け方に帰って来たの?
そしてどうしてそんなにぼろぼろになってて、包帯がぐるぐる巻きなの?」
妙に多い疑問形が突き刺さる。
「えっとだな、、、」
どう言ったものかと考えていると、文月はふぅとため息をついた。
「どうせ誰かのために無茶してきたんでしょ。」
「まぁそんなところだな。」
すべてお見通しか。
「お兄ちゃん」
文月はじっと誠を見つめた。
「私はこんな性格だから別にお兄ちゃんが酔っ払いを介抱しようが、絡まれてる人を助けようが別にいいんだけどさ。
葉月ちゃんが心配するから、怪我だけはしないでよね。」
「あぁ、わかってる。」
誠は荷物を玄関に置くと、文月の横を通ってリビングのソファーに寝転がった。
「もぉ、いつも返事だけなんだから。」
文月はまだ薄暗いキッチンに電気を付けた。
「どうせおなかすかせてるんでしょ。食パンしかないけど何か作ってあげるね。」
そういうと、キッチンに姿を消した。
何かごそごそした後に、オーブントースタの動く音とミキサーがものを砕く音が聞こえ始めた。
機械的な重低音も相まってがなんだか眠気を誘う。
チン!
「できたよー」
文月の声が頭に響く。が、御飯の用意をしてもらった手前文句を言うのもあれか。
「で、今日はだれを助けてきたの?」
文月は野菜ジュースとスライスされたリンゴの乗ったアップルパイ風の食パンをテーブルに並べると、誠が寝転がっているソファーの足にもたれながら聞いた。
「女医さん。」
「ほほう、ついに外人さんまで助けるようになったか。」
「ジョイってだれやねん!」
ガバッと起き上がって突っ込みを入れると、文月は口角をあげてニヤッとした。
「ナイス突っ込み!」
「関西人ですから。」
「で、なんやっけ?」
文月と話すときはいつも話が進まない。
そのあと、家に帰る途中にひったくりの現場に遭遇したこと、多少無茶をしたこと文月にかいつまんでを話した。
「名桜って葉月ちゃんが通ってる病院の先生?」
「そう、ただ救命救急の外科医だから葉月がお世話になることはないかな。」
「お兄ちゃんはしょっちゅうお世話になりそうだけどね」
「食中毒か…」
文月の料理を見ていうと、
「ひっひっひ、いったいいつまでこの毒の粉に耐えられるかな?」
と、パンにシナモンを振りかけた。
「さ、さては糖尿病にする気だな!」
…はぁ…
少し間を開けて二人でため息をつく。
「お前の兄でうれしいよ。」
「どういたしまして。」
「俺はこれの親だと思うと悲しいぞ。」
騒がしくしていたからか親父が車いすに乗った母を連れて起きてきた。
「あら、にぎやかでいいじゃない?」
母さんはくすくす笑っている。
「でたな!こんなふうに育てた諸悪の根源!」
「やかましいわ!」
「お父さんもうるさい!」
最後に起きてきた葉月が親父にチョップを入れた。
結局、沖田家の全員そろって少し早目の朝ごはんを取ることになった。
近所に妙な噂が立っていなかったらいいのだが…
結局、朝からテンションの高い家族に、頭の包帯のことを散々説明させられて布団に入れたのは8時を過ぎていた。