17章 門番
名桜病院。
出来て一年しか経っていない事もあって、その内装はまだ新しく、微かに新築独特の香りが微かに残っている。
葉月や母さんが通院する病院なので、今までなにも感じたことはなかったが、今日は、今日だけは白い無機質な内装がとても不気味に感じさせた。
「お待たせ。」
白い白衣に着替え看護ステーションから出てきた芝崎は、ファイルを誠に渡した。
「七階の703号室。個室で三人とも同じ階に入院しているみたいね。」
芝崎は白衣を着ることで、医者の凛々しい顔へと変わっていた。
「今から本番だけど、心の準備は大丈夫?」
芝崎は余裕ありげに誠に聞いた。
誠はコクンとうなずくと、芝崎と共にエレベーターへと乗り込んだ。
ベッドごと乗せることのできる病院の大きなエレベーターは、まるで猛獣の檻にでも入れられた様な錯覚に陥らせた。
誠は芝崎に気付かれない様に静かに深呼吸をした。
(大丈夫、大丈夫)
そう言い聞かせながらも、目を閉じていると、上に行っているのか、下りているのか、それとも落ちているのか…
だんだん気分が悪くなって来た。
トンっ。
「?」
急に芝崎は誠のみぞおちと臍の間に手を置いた。
「目を閉じてイメージして、今あなたの気がここに閉じこめられている。
今から深呼吸をするとそれが全身に流れて緊張が解れていく。」
「え?」
「いいからやってみて。目を閉じて深呼吸。」
誠はよく分からないまま、目を閉じると深呼吸をしてみた。
急に芝崎の触れている臍の上辺りを中心に全身に血液が流れる感じがして、落ち着いていくのがわかった。
「落ち着いた?」
「はい。なんですかこれ?」
(七階に到着しました)
質問の答えを待つことなく七階に着いたことを告げたエレベーターは、ためらいもなくスッと扉を開いた。
「さ、行くわよ。」
芝崎は右手を白衣のポケットに手を入れ直すと、颯爽とエレベーターの外へと歩き始めた。
(ヤバい、惚れる…)
誠はブンブンと顔を振って、頬をパシンと叩いた。
しょうもない事を考えられるようになるほどには余裕ができたという安心感とともに、こんな時にアホなことを考えてしまっている自分が嫌になった。
そうこうしているうちに、二人は703号室の部屋の部屋の前に着いた。
「あれ?」
部屋の前に貼られている名前には谷ではなく山田と書かれていた。
不思議そうに柴崎の方を見ると、
「一応高い部屋だからね。芸能人とかが入院してるのがバレないように名前を変える位のサービスはするわよ。
ま、バレたくない相手の仕事先に入院したのが運のつきね。」
そう言って部屋の前で深呼吸をし、芝崎は軽くノックをした。
「どうぞ。」
何処かで聞いた声だった。
荒々しい棘のある声ではなく、もっと優しい感じの。
しかし、それが逆に重圧に感じる声。
芝崎は少し顔をしかめ、もう一度深い深呼吸をすると、ドアに手をかけた。
「失礼します。」
カラカラと音を立ててドアをゆっくり開けると、退屈そうにベッドで携帯電話をいじる青年と、窓際に立つ男性がいた。
シワ一つないスーツ、アンティークであろう高そうな金時計、ライン上に入った白髪交じりの髪型もきっちり整えられており、立ち姿に隙がない。
「どうも先生、せがれがお世話になっております。」
軽く頭を下げた男性の胸に、きらりと光るバッチが付いているのが目に入った。
金メッキが剥がれ落ち、銀色に輝くそれには力強い正義のヒマワリと、平等を表す平和の天秤。
さっき落ち着けたばかりの心臓が、再びエンジンのようにドッドッドッと暴れだすのが分かった。
メッキが剥がれた銀バッチは今も最前線で日々戦っている歴戦のつわものの証。
そこには谷貫一が立っていた。
柴崎は顔色を変えることなく、軽く頭を下げると、
「初めまして、救命救急の女医をしている柴崎と申します。
今日はご子息様の事についてお話したい事がございまして伺わせて頂きました。
容態の事ではなく、事故の事なのですが…」
「事故の?」
谷貫一は表情を変化させることなく、聞き返す。
ちらりと、ベッドに横たわる谷雄大を見ると、こちらに関心がないのか、はたまた気づいていないだけなのか、一度も目線を上げることなく音楽を聴きながら携帯電話を見ていた。
「その内容を詳しくお聞かせいただいてもよろしいでしょうか?」
「ええ、その前に息子さんにごあいさつさせていただいても?」
「むろんです。雄大、いい加減あいさつぐらいしたらどうだ。」
谷貫一は雄大の耳につながっているイヤホンのコードを引っぱった。
「っつ!!」
耳に差し込まれたイヤホンが勢いよく抜かれ、雄大は耳を押さえた。
「先生が話があるそうだ。いい加減子供じみたふるまいはやめて大人らしい対応というものをだな…」
「うるせえな…」
眉間にしわを寄せ、あからさまに不機嫌な表情を作ると、威嚇するかのようにこちらを睨みつけた。
「どうも、先日はおせわになりましたね。」
「は?」
何言っていやがると、雄大はさらに眉間のしわを深くしながらジロジロと柴崎の顔を見ると、数秒もしないうちに、幽霊でも見たかのように目を丸くしてあんぐりと口を広げた。
「お、あ、ガハッ!ゲホゲホ…」
「思い出していただけましたか?」
出しかけた言葉をかき消そうとせき込む雄大に、柴崎はにっこりとほほ笑むと小さくお辞儀をした。
「なんだ、先生とお知り合いか?」
「いや、知らねえ、なんも、今会ったところだ。っていうか、体調が悪いから出てってくれ!
ゲホ!ゴホッ!」
「体調がよろしくないのでしたら私が見ましょうか?こう見えても私は救命救急士ですので。」
「出てけって言ってんだろ!いらねえんだよそんなの。」
「雄大落ち着きなさい。先生も少しお待ちいただいてもよろしいですか?」
谷貫一はゆっくりした口調で言うと、傍にいた秘書に目配せをして芝崎と雄大の間に立たせた。
その秘書は筋骨隆々の威圧的な感じではなく、なんというか、立ち姿にスキがない人物で、芝崎は少し後ずさりをした。
「それで、お話と言うのはうちのせがれが刺された事件の話と受け取って間違いないですか。」
「はい、その事件の話です。私もその事件に巻き込まれておりまして。」
「てめぇ!っつ!」
叫んだ瞬間に雄大は腹部を抱えてうずくまった。
「腹圧をかけると縫合部が傷つくので、あまり大声は出さないで下さいね。」
「雄大、落ち着きなさい。柴崎先生もせがれの気を逆撫でするような言動は控えていただけると助かります。
まだ…怪我人ですので。」
谷貫一はそう言って微笑んだ。
まだ、の後少し間が空いたのは、子供と言いかけたのを飲み込んだのだろう。
「申し訳ございません。」
柴崎は目を閉じて深々と頭を下げた。
おそらく谷貫一は雄大に対して手を焼いているのだろう。
少し他人行儀なのも、仕事で家をあけていることが多いとなれば容易にどの様な関係か想像出来る。
問題はなりふり構わずもみ消すタイプかどうか…
「とりあえず話を聞きましょう。今回の件について私は内容を把握しきれているとは言えないため、何が真実か正しく知る必要があると考えています。
なので、両者の言い分を聞いた後に発言させて頂きたいと思いますが、よろしいですか?」
「はい、そうしていただけると助かります。」
柴崎は深く呼吸をすると、昨日あった出来事を話そうとした。
が、
「おいおいおい、何勝手なことしようとしてんだよ!親父はこいつらのホラ話信用するっていうのか?」
雄大は柴崎の言葉を遮った。
傷が痛むのだろう、苦悶の表情を見せながら腹部を押さえて前屈みになり、必死に話をさせまいとしている。
「雄大落ち着きなさい。まだ彼らは何も話をしていないじゃないか。
それともやましい事でもあるのか?」
「そんなんじゃねぇ!ただ…。」
「…。」
しばらくの沈黙の後、谷貫一はふぅ、と溜息をついた。
「せがれもこんな状態なので、状態が回復してからではどうでしょうか。
このままではまともな話し合いになるとは思えない。」
「そうですね…しかし、私達はあまり時間をかける訳にはいかないのです。」
柴崎は神妙な面持ちで言った。
「その訳とは?せがれの体調が悪化する事に勝る理由なのですか?」
谷貫一は初めて表情を曇らせながら、一歩前に出て威圧的に言った。
あくまで我を通すというよりも、非常識なのではないのかと、問いただす様な空気を醸し出した。
自分の意見でなく、世論的にどうなのかと。
一歩近付く事によって少し見上げる形になり、柴崎は少し後ずさった。
「しかし…」
「俺の親友が巻き込まれて今拘留されているんですよ。
別に死ぬわけでもなく体調が悪くなるほど柔な奴じゃないし、確かにやり過ぎな所はあったかもしれない。」
谷貫一をじっと見つめて、誠は口を開いた。
「でも。」
誠は柴崎の前に出て、谷の前に立った。
「あいつは俺らの為に命を張ってくれた。
そんな奴が拘留されてんのに呑気に待ってられるほど人間腐ってない。」
先程とは対照的に誠か谷貫一を見下ろす形でギッと睨みつけた。
「俺らが何も出来ないと思うなよ。
たとえ法に触れる事だろうがあいつの為なら何でもする。なんでもな。」
しばらくの間沈黙が続き、谷貫一はチラリと雄大を見て小さく溜息をついた。
「いいでしょう。あなた達が切迫した状況にある事は伝わりました。話だけでも聞きましょう。」
雄大は大きく目を見開いた。
「は?おまえ俺の事が信用出来ないってのか?仮にも父親だろうが!」
そう言って、また傷口を押さえてうずくまった。
「信用と言いなりは別だ。
思考を破棄すれば守るものも守れない。
もしも何かあった時には、どんな相手に対しても家族を守ることが出来るように弁護士になった。
だからこそ現状を正しく認識する為にも互いの言い分を聴かなければならない。
わかるな。」
「でも…」
話をさせまいとする雄大に対し、黒谷貫一はキッと睨みつけた。
黒谷雄大は睨み返したが、諦めた様に肩をすくめると、窓を向いて布団を被った。
「さて、時間も有限ですので始めましょうか。私は今回の件についての状況を把握しきれていないので、発言するのはまずはあなた達の話を聞いてからでもよろしいですね。」
「はい。ありがとうございます。」
そう言って柴崎は目を閉じて一礼すると、空気を吸い込見ながら顔を上げ、パッと目を開いた。
「では…」
「おっと、その前にひとつだけ。」
谷貫一は人差し指を立てて、柴崎の言葉を遮った。
「なんでしょう?」
「ここを簡易の裁判所としてよろしいでしょうか?
嘘は一切無しで、当然自分に不利だと思う事に関しての黙秘も認めます。
嘘偽りがあると時間を無駄にしてしまいますので。」
「わかりました。」
「では、良心に従って、真実を述べ、何事も隠さず、また何事も付け加えないことを誓ってください。」
「はい、誓います。」
そこまで言った所で、秘書らしき男がボイスレコーダーを机の上に置いた。
すでに録音は開始されているところから、誓いの宣言も取られているのだろう。
柴崎は表情を変える事なく、谷貫一の目をしっかりと見た。
「それでは私達が引ったくりに会った日の話から話させていただきます。」
銃と刀の戦が始まった。




