13章 壁
「それではこちらへどうぞ。」
案内人に連れられて、誠と柴崎は白い建物の長い廊下を歩いていった。
窓には精神の不安定な人が発狂して逃走したりしないよう、重苦しい鉄格子がはめられ、独特な閉塞感を漂わせていた。
明け方に柴崎に電話をかけてきたのは警察だった。
現場に残されていた誠の鞄から携帯を調べ、まず誠の家、病院、そして柴崎の家にたどり着いたようだ。
「こちらでお待ち下さい。」
面会室に用意された椅子に座ると、少しして扉から大地が顔を出した。
そして、誠の向かいの席に腰を下ろした。
「よう、元気か?」
大地は大きなあくびをしながら言った。
大地の顔には右目の上に青アザが出来ていた。
「大地…おまえ…」
「あぁ、気にすんな。
昔にも一度入った事あるからこれ位なんともねぇって。」
ガラス越しに大地はヘラヘラと笑った。
誠は拳を握りしめて机に叩きつけると、誠と柴崎を案内し、そのまま後ろに立っていた看守が不機嫌そうに咳払いした。
「なんでお前が拘置所なんかに入んなきゃなんないんだよ…。」
「昔っから誤解されやすいタチだからなぁ…。」
「とにかく、一から状況を説明してくれ。
お前がここに入れられた理由を何も聞かされてないから意味がわかんねぇ。」
「お前に話してどうにかなるのか?
面倒に巻き込まれないうちに帰れ。」
「出来る限りの事はします。
教えて下さい。」
柴崎が言うと、大地は睨み付けるようにジッと柴崎を見た。
「助けといて今更だけどあんた誰?」
「柴崎、柴崎千鶴、葉月さんの通院している病院の外科医です。」
「柴崎さん、病院みたいに大きい所で働く人は余計に面倒な事になりそうだけど、それでも聞くのか?」
「面倒事は困りますね…」
口元に指を当てて言った。
大地はやっぱりと言わんばかりに、ハッと笑った。
「ですがせっかく知りあった誠さんや高野さんに恩を返さず、心残りを残す事の方が気分が悪いので、気にせず話して下さい。
大丈夫です。
ダテに女1人で生きてないですから。」
柴崎は睨み付けるような大地の眼光を怖れることもなく、毅然とその目を見つめ返した。
少しの沈黙の後、大地はふっと力を抜いた、
「悪かった。
ちょっと機嫌が悪かっただけだ。
肝が据わってるみたいだし、冷やかしってわけでもなさそうだしな。」
大地はダランと下に降ろしていた手を机の上に置くと、真面目な顔で言った。
「かいつまんで話すと、あいつらをボコボコにしたら警察が来て、捕まりそうになったから抵抗したら俺が捕まったって事だ。」
「…」
誠は頭を抱え、柴崎はきょとんとしていた。
「悪い、俺たちが居なくなってからの話を全部たのむ。」
「面会の時間があるからいらん話は省いたんだけど?」
「いや、細かいところがわからないと…
お前それを初めて聞いた人ならお前がただただ暴れたとしか思えないだろ?」
「そうか、そうだな。
ちょっと長くなるぞ。」
そう言うと、大地は少しニヤッとした。
(まずいな…)
大地には考えている時間は無かった。
サイレンの音が聞こえているから、警察が来るまでの数分耐えればいいだけだが、こいつらもその事は十分わかっているはずだ。
恐らく奴らの最善策はいち早くこの場を去ること、そして俺の口を封じるために、連れ去る。最悪殺すってところか…
3対1、1人取り押さえているとはいえ、状況は最悪に近い。
「ちょっと一緒に来てもらおうか。」
ひったくりが刃先を大地に向けてジリジリと近づいて来ていた。
「嫌だといったら?」
大地は抑えている男の腕を少し持ち上げた。
「がぁぁぁっ!くそっ、てめぇぶっ殺すからな!」
「調子に乗るな。」
髭の男の声が聞こえたと同時に、首すじに誠が捨てた鉄パイプが当てられ、振り向く間も無く首を絞められた。
「ぐっ!」
大地は痛みと苦しさで声にならない声を出した。
「死ね」
バキッ
暗闇に低い骨の音が響く。
「ぐああぁぁぁ!!」
叫び声を上げたのは金髪の男だった。
大地が締め上げていた腕は思い切り持ち上げられ、腕が本来ありえない方向を向いていた。
金髪の男の声に動揺した髭の男は少し手を緩めると、その隙に大地はするりと抜け出て、呼吸を整えた。
「てめっ!」
髭の男が鉄パイプを振り上げた。
大地は拳を引くことなく、そのまま相手の鎖骨めがけて張り手のように最速で打ち抜いた。
パキッと乾いた音がし、少し髭の男の顔が歪む。
が、痛みに怯むことなく髭の男は振り上げた鉄パイプを思い切り振り下ろした。
つもりだった。
髭の男の腕は糸の切れた操り人形のようにダランとぶら下がっていた。
「な、なっ!?」
軽度な痛みと裏腹に、完全に肩が上がらないことに動揺し、大地と腕を交互に見てオタオタしていた。
髭の男のみぞおちに、大地は思い切り蹴りを入れると、完全に戦意を失ったのか、小さな呻き声を上げてその場に崩れ落ちた。
「さてと…」
すっと視線を動かして、刃物を持ったままのひったくりを見ると、目が合った瞬間にあからさまにビクッと震えるのが分かった。
サバイバルナイルが命綱であるかのように、小さな柄を両手で握りしめ、どうすればいいのか迷いに迷っていた。
大地は腕を押さえてうずくまる金髪の男にどかっと片足を乗せた。
「まだやんのか?」
大地の後方から救急車とパトカーのライトが近づいてきていた。
「うあぁぁ!」
ひったくりは足を縺れさせながら走り出したが、5メートルも走らないうちに派手にこけた。
「全員その場に静止しなさい!
繰り返します。その場に静止して、指示に従いなさい。」
スピーカーからの警告の後、パトカーが後方から2台、前方から1台挟み込むように止まると、続々と警官が逃げ場を塞ぐ様にとりかこんだ。
大地はやっと終わったと、小さくため息を着いて目を閉じた。
「確保おぉ!」
ガシッ!
「は?」
大地は後方から羽交い締めにされ、たちまち
数人の警官に取り押さえられた。
「おい、ふざけんなよ!
なんで俺が押さえ込まれなきゃなんねえんだよ!」
予想外の事に混乱すると救急隊員が連絡を取っていた。
「被害者3名、1人は肩の脱臼、1人は鎖骨骨折、最後の1人は腹部に約15㎝の刃物が1/2程度貫通、内臓の損傷程度はわかりません。
腹腔内洗浄を…」
ふと目をやると、ひったくりの腹部にナイフが刺さっていて、大地を指差しながら、
「あいつです。あいつに刺されました!」
と叫んでいた。
「ふざけんなてめぇ!」
と、大地は警察を押し退けようともがいたが、5人の屈強な警察に更に強く押さえつけられるだけだった。
「警察は無実の人間にてを出すのか!
ふざけんな!」
と、前にいた警察を思いきり蹴り飛ばした。
「公務執行妨害だ!」
ガキッ
警棒が降り下ろされ、大地はパトカーに押し込まれた。
「というわけだ。」
大地は武勇伝を話したと言わんばかりに、してやったりな顔をしていた。
「なんだよそれ」
誠は怒りでわなわなと体を震わせていた。
「完全に冤罪じゃねえか!なんで、なんでお前が捕まんなくちゃいけないんだよ!すぐに疑いは晴れんだろ?
さっさと出てこいよ!」
「…」
大地は難しい顔をして、押し黙った。
「あの…」
柴崎が少し不思議そうに尋ねた。
「その話が、私にどう面倒なことになるんですか?」
大地は深いため息を着いた。
「あのひったくりの名前、谷雄大って言うんだ。」
「谷…もしかして谷貫一の?」
「そのまさかだ。」
「そう…、よりによって有名弁護士の息子様ね。」
谷貫一の名を聞いて、口もとに指を当てながら、芝崎も黙りこんでしまった。
谷貫一、最近よくテレビに出ている有名な弁護士だ。
別に負けたことがないとかそういう訳ではないが、穏やかな話し方に共感を得たおばさま方を中心に、幅広い層の人々に指示を得ている。
芝崎、大地、誠の三人の証言しか証明できない状況。
警察が誤認逮捕を認めるかどうか。
世間体を気にして、谷貫一が揉み消しにかかる可能性。
どれだけ力があるかはわからないが、ここの三人を世間的に潰す事くらい分けなく出来る力はあるだろう。
状況はほぼ詰みの状態と言える。
三人が押し黙っていると、面会の時間終了となり、大地の後ろで立っていた刑務官が大地を立ち上がらせた。
「しょうもない役が裏ドラで満貫って感じだな。
ま、なるようになるから、無駄に足掻くなって。
リーチ棒が無駄になる。」
「そんなものいりません。なんだったら全部突っ込んでやりますよ。それに…」
背を向けた大地に、芝崎はにやっと笑って言った。
「まだこっちがロンされてませんよ。
あいつらがどんなに強い手を持っていようと、諦めるのはすべて終わってからでいいでしょう。」
驚いた顔をして振り返る大地に、芝崎は一礼して大地よりも先に部屋を出た。
誠を部屋に残したまま。




