暴君と呼ばれる第四王子の聖夜
十二月二十四日、この物語の世界は聖夜。
セイフリードがどんな聖夜を過ごしたのか、お楽しみ下さいませ。
これは後宮華の会の後。
暴君と呼ばれる第四王子セイフリードの元で、リーナ・セオドアルイーズという侍女が働いていた頃のお話。
十二月は一年が終わる最後の月だ。
冬の寒さが厳しくなっていく中、人々は特別な日の訪れを待つ。
聖夜。十二月二十四日から二十五日にかけての夜だ。
聖夜は宗教的な祝日ではあるものの、エルグラード王国における宗教全ての祝日というわけではない。どちらかといえば民間信仰と結びつき、後から宗教的な祝日になった。
この日、多くの神殿や宗教施設は特別な儀式をする。聖なる夜に神の祝福を求め、祈りを捧げるのだ。敬虔な信者達もそうでない者達も、神の祝福が得られるように祈りを捧げに行く。
また、聖夜は大切な者と過ごすという慣習もある。
なかなか会えない家族もこの日ばかりは都合をつけて集まり、夕食を共にする。
食卓には祝日にふさわしい豪勢な食事が並ぶ。メインは鳥料理、デザートは聖夜を祝うための特別なケーキというのが定番だ。
勿論、家族だけでなく親族あるいは親しい友人知人などで盛大なパーティーをする者達もいる。
それぞれに特別な夜を過ごし、祝福の言葉をかけ合い、贈り物をする。
親から子へ、子から親へ。恋人、婚約者、友人、知人。初めて会う者。見ず知らずの者。
多くの贈り物があるほど、祝福も多くあると思われる。
だからこそ、人々は聖夜の贈り物を何にするか、何を貰えるのかを考え、悩み、期待するのだった。
十二月二十四日。
後宮にある第四王子専用図書室。
セイフリードは本を読むのを中断すると、リーナに視線を向けた。
リーナの席は暖炉の右側にある椅子だ。
暖炉の左側にあるソファはセイフリードが使用している。
本来、部屋に待機する侍女の席は廊下側、扉の近くになる。暖炉の側になったのは理由があった。
十二月ともなれば気温は室内でもかなり下がる。
廊下側の椅子に座るリーナは何も言わないものの、寒そうであるのは一目瞭然だった。
「リーナ」
「はい!」
「火の番をしろ」
「火の番、ですか?」
リーナはよくわからないといった表情をした。
「まさか、わからないのか?」
「……暖炉の火のことでしょうか?」
「当たり前だ!」
「わかりました」
リーナは頷いたが、それだけだった。
セイフリードは苛立った様子を隠さず怒鳴った。
「おい!」
「……何でしょうか?」
「火の番を務めるなら、暖炉の側にいるべきだろう!」
リーナは慌てて立ち上がった。
そのまま暖炉に行こうとすると、セイフリードが更に怒鳴った。
「馬鹿か! 椅子も持って来い!」
「椅子ですか?」
暖炉の側に立つ気でいたリーナは驚いた。
「椅子に座ったまま、火の番をしてもいいということでしょうか?」
「持って来た椅子に座らずに立ち続けるほど馬鹿なのか?」
「わざわざご配慮いただき、光栄です!」
「配慮じゃない。立っていると目障りだからだ。僕を見下すのは許さない!」
リーナはセイフリードを見下すつもりはない。
しかし、セイフリードが座っていることを考えると、立ったままでは自然と視線が下がることになる。
それが気に入らないのだろうと思いながら、リーナは暖炉の側に椅子と共に移動した。
「おい」
「はい」
「真横じゃない。もっと前だ」
「でも、私は侍女なので」
「そこからは暖炉の火が見えない。いちいち立って覗き込むつもりか? 馬鹿め!」
「申し訳ありません……」
椅子の位置が決まると、セイフリードは使っていないひざ掛けを放り投げた。
「膝の上に広げて乗せておけ。いつでも僕のところへ持って来ることができるように、寒い日は常にそのままにしておけ。わかったな?」
「でも、これは殿下のためにあるひざ掛けです。私が使用するのは」
「勘違いするな!」
セイフリードは怒鳴った。
「これは仕事だ! ひざ掛けの使い心地や効果を知りたいだけだ!」
つまり、セイフリードの代わりにリーナが身をもって試し、効果を確認しろということだった。
「お前は僕の侍女だ! 僕のために働け! 命令には従えばいいだけだ! 余計なことは考えるな!」
「……はい」
リーナは言われた通り、ひざ掛けを広げて膝の上においた。
「寒くないか?」
「寒くないです。ひざ掛けも軽いのに暖かいですし、ふわふわで触り心地もいいです!」
「王族用の品だ。その位当然だろう。だが、継続して使用しなければわからない。そのままにしておけ」
「はい!」
「寒く感じたら、暖炉の火が弱い証拠かもしれない。注意しろ」
「わかりました!」
第四王子のセイフリードは後宮にいる一部の者達に暴君と呼ばれている。
感情的でわがまま。すぐに怒りを爆発させ、激しく叱責する。非常に疑い深く、気難しい性格をしている。
未成年だが十六歳。すでに大学生であるほど頭がいい。だからこそ、余計に扱いづらいと感じている者達も大勢いた。
確かにセイフリードは暴君という異名を連想させるような厳しく冷たい態度で命令した。
しかし、そのおかげでリーナは暖炉のすぐ近く、最も暖かい場所で過ごせるようになった。しかも、王族用のふかふかで暖かくも軽い最高の手触りをした最高級のひざ掛け付きだ。
セイフリード王子殿下は優しい。わかりにくいけれど。
リーナは第四王子付きの侍女として部屋に待機する仕事を、誰もやりたがらないような嫌な仕事とは思わなかった。
それどころか、セイフリードのおかげで様々な勉強ができ、立派な侍女になるためにどうすればいいかわかるのはとても嬉しいこと、自分は恵まれていると感じていた。
「勤務時間はいつも通りか?」
部屋には二人しかない。
リーナはすぐに勉強用の本を読むのをやめて答えた。
「はい」
そうは言ったものの、現在、第四王子のエリアは深刻な人手不足である。
そのため、体調等に問題がなければ、可能な限り残業することになっていた。
但し、夜間勤務と長時間の部屋籠りは極力避けることにもなっている。
未婚で年頃の男女でもあるからだ。
「その後は何か予定があるのか?」
リーナはドキっとした。しかし、答えないわけにはいかない。
「……夕食を一緒に取ろうと言われています」
「男に誘われたのか?」
聖夜は特別な日だという認識から、異性と過ごしたいと思う者もいる。
「違います! メイベルさんとローラさんです!」
リーナはすぐに強く否定した。
「他にも特別なことをするのか?」
リーナは動揺した。しかし、やはり正直に答えた。
「今日は聖夜なので、お部屋で夕食を取ります。少しだけおしゃべりをしようということになっていて……」
実際はおしゃべりだけではない。菓子を食べたり、お茶を飲んだり、贈り物を交換し合ったりする。つまり、ささやかなパーティーをすることになっていた。
必要なものは女官であるアリシアの付き添いという形でローラが購買部まで行き、すでに買い揃えてもいた。
「夜更かしする気か?」
セイフリードの質問は続いた。
「大丈夫です! 明日の勤務に差し支えることはありません!」
「寝坊したら処罰する」
リーナは処罰という言葉に一瞬震えながらも、言葉を発した。
「セイフリード王子殿下、お伺いしたいことがあるのですがよろしいでしょうか?」
「なんだ?」
「今夜は王宮まで行かれますが、そのままご宿泊されるのでしょうか? それとも、こちらへ戻られるおつもりでしょうか?」
「なぜ聞く?」
セイフリードが王宮に宿泊しようが後宮の部屋に戻ろうが、勤務時間外であるリーナには関係ないはずだった。
しかし、リーナが聞いたのには理由があった。
「殿下のご予定次第で、他の者達の予定も変わるので……」
「戻らない。王宮に泊まる」
「そうですか」
リーナは正直過ぎた。安堵の表情になる。
それを見たセイフリードは眉をひそめた。
「僕が戻らないのが嬉しいのか?」
「えっ?! いえ、その……」
リーナは完全に動揺してしまった。
冷たく睨むような視線と地を這うような低い声に、怒りを買ってしまったのではないかと懸念したのは言うまでもない。
しかし、それこそがセイフリードの狙いだった。
リーナは真面目だ。
セイフリードが後宮に戻らなければ楽ができる、急な呼び出しもないだろうと思うような性格ではない。強気でもない。優し過ぎるほどだ。
だからこそ、セイフリードはわざとリーナを不安にさせるような態度を取り、嘘や隠し事がないかを探ろうとした。
「何か隠しているな? 正直に話せ! でなければ処罰する!」
リーナはすぐにセイフリードの言葉に屈した。
「実は」
「待て!」
セイフリードは鋭く命じた。
少しだけ間を置いた後、言葉を発する。
「何をする気かわかった。掃除をする気だな?」
十二月は掃除の季節でもある。新年に向けて、王宮も後宮も通常とは違う掃除の予定が組まれるのが常だ。
当然、第四王子の居住エリアも同じだが、圧倒的に人手が足りない。
通常であれば普段よく使用する場所だけ掃除をすればいいかもしれないが、十二月も同じように済ませるわけにはいかない。
あまり使用されていない部屋も順番に掃除する。これは新年を迎えるために隅々まで綺麗にしておくだけではなく、部屋に問題がないか、窃盗や破損、設備の修復等の必要性といった様々なことを確認するためでもあった。
最近は他の部屋の掃除に忙しいのもあって、セイフリードが棲みついているといっても過言ではない図書室を掃除していなかった。
大学はすでに冬休み。外出予定もほぼない。セイフリードが部屋にいると、本格的かつ徹底的な掃除ができない。そこで、聖夜に目をつけた。
毎年、王宮では聖夜の礼拝と晩餐会が行われる。
セイフリードも出席する。勿論、強制参加だ。
セイフリードにとっては面倒な行事だが、掃除する者達には絶好の機会だった。
とはいえ、どの程度の時間的猶予があるのかわからない。晩餐会が終了した後ですぐに戻って来るのであれば、長時間かかるような掃除はできない。逆に王宮に宿泊するつもりであれば時間がたっぷりとれる。
そこで、リーナからセイフリードに晩餐会の後で後宮に戻る気があるのかどうかを確認しておくことになった。
リーナがメイベル達と共に部屋で夕食を取るのもそのせいだ。聖夜だからという理由だけではない。
掃除をしていると通常の夕食時間に食堂を利用できない。あらかじめ特別勤務の都合で食事だけを取り置きするか自室に運び込んでおき、掃除をした後でゆっくり取るつもりなのだろうとセイフリードは推測した。
「実はそうです。なかなかこちらを掃除する機会がなかったので……」
リーナはうなだれながら答えた。
掃除をすることに不快感を示されるのを覚悟しているのが見え見えだった。
セイフリードは呆れた。
確かに部屋を勝手に掃除されるのは好きではない。置いてある本を勝手に動かされたくない。
だが、汚い部屋が好きなわけではない。綺麗な方がいい。
侍女達が掃除をするのは仕事だ。仕事をするのは当然だ。むしろ、しないのは怠慢だ。
セイフリードの都合や指示を理解した上で掃除するのであれば問題はなかった。
当たり前の仕事であるため、褒めはしない。だが、怒りもしない。そういうものだ。
「わかっているとは思うが、テーブルの上の本には一切触れるな。後は片づけてもいい。毛布も新しいものに交換しておけ」
「はい!」
セイフリードは時計を見ると立ち上がった。
「そろそろ支度する」
セイフリードは儀式に備えての身支度をするため、しぶしぶ図書室を後にした。
王族専用の礼拝堂で聖夜のための特別な礼拝を終えた後、国王一家による晩餐会がある。
食卓の上には豪勢なテーブルセットと聖夜にちなんだ飾り付けがこれでもかというほどに施されていた。
部屋の中には巨大なツリーもあり、金や銀、宝石がふんだんにあしらわれたオーナメントが晩餐会の煌びやかさと華やかさを盛り上げていた。
しかし、どれもセイフリードの心には響かない。
「今年も聖夜を皆で祝えることを嬉しく思う。乾杯しよう」
聖夜を祝う晩餐会が始まった。
運ばれてくるのは今夜のためのスペシャルメニューだ。全てが聖夜にふさわしく考えられた逸品揃いである。
それらもセイフリードにとってはどうでもいいものでしかなかった。
乾杯のグラスは掲げただけで、全く飲まない。
料理については睨みながらじっくりと吟味した後、一部を確認するようにつつき、一センチもないほどの小さな欠片を切り取って口に運ぶ。
以前は吐き出していたものの、最近では少量だけなら食べられるようになった。
これでも進歩しているのだが、他の者達から見れば普通に食事をする様子ではなかった。
「セイフリード、食欲がないのか?」
父親である国王が質問した。
無駄なことを毎回聞くな!
セイフリードはそう思いつつ答えた。
「はい」
「無理をしなくてもいい」
すぐにそう言ったのは王太子だ。
セイフリードは幼少時に毒入りの食事を食べてしまい、死にかけた経験をしている。それからというもの、食事に対する警戒心が異常なまでに強くなってしまった。
だからこそ、無理に食べるようには言わない。無理をして食べても、気分が悪くなって吐いてしまうだけだとわかってもいた。
「気になってしまうのはわかりますが、国王一家が集まる晩餐会です。エルグラードで最も美味かつ安全な食事なのですよ?」
王妃の言葉に対し、セイフリードは返事をしなかった。
国王一家の食事に毒が入っているわけがないと思うのは勝手だ。実際はわからない。
王族の食事は毒見されるため、絶対に安全なはずだった。しかし、セイフリードの食事には毒が入っていた。セイフリードはそれを食べ、死にかけた。これは紛れもない事実である。
「それでは成長が早く止まるでしょうね」
第二王子の言葉に、セイフリードは耐えた。
成長とはいったが、身長が低いことに対する嫌味だ。
いつもであれば、すぐさま言い返す。しかし、今夜は特別な夜だった。
色々と面倒な者達が揃っている。わざわざ相手をするよりは、無視する方が簡単だった。
「健康のため、食事を取ることは重要だ。この時期は寒い。しっかり食事をしないと、体が冷えてしまうぞ」
健康にも食事にもうるさい第三王子らしい言葉だ。
体力を増強しろという小言が多いが、今回は冷え性の注意になっていた。
これにもセイフリードは我慢した。余計なお世話だという言葉をぐっと飲み込む。
聖夜の晩餐会は国王、王妃、王子四人、側妃三人の合計九人。
国王一家が揃う貴重な機会であるにもかかわらず、人数から考えれば圧倒的に会話が少ない。
その多くを占めているのは王妃や側妃で、料理の味や飾りつけに関するものだった。
第二王子も多少は話に加わっているが、会話を広げるようなことはほとんどしない。食事の時間を長引かせないようにしている。
その理由は誰もが知っていた。
第二王子は晩餐会の後、王立歌劇場で開かれているパーティーに出席するため外出する。
このパーティーは第二王子を支持する貴族達の集まりでもあるため、参加しないという選択はありえない。
深夜になるとウェストランド公爵家の経営するホテルで二次会もある。友人達とゆっくりあるいは騒がしく朝まで過ごすのが恒例だった。
外出するのは第二王子だけではない。第三王子も同じだ。友人達の開くパーティーだけでなく、軍関係者、卒業した学校関係など大小様々なパーティーやイベントに顔を出して回る。
最後は友人という名の護衛達と共に平民の利用する酒場に行き、一般市民と朝まで飲み明かす。
昨年は酒場の厨房を乗っ取り、自ら焼いた鶏肉を振る舞ったことやその味が絶品だったことが大衆紙で取り上げられ、また一つ第三王子の知名度と好感度を上げるエピソードが加わった。
王太子も予定があるが、パーティーではない。残業だ。
この日ばかりは側近達も屋敷に戻ってしまうため、執務室に一人籠って黙々と書類を片づける。これもまた毎年恒例だった。
食事が終わると別室に移動し、国王から聖夜の贈り物を授与される。
渡される順番は王太子からで、次に第二王子、第三王子、第四王子。その後は女性陣に移り、王妃、第一側妃、第二側妃、第三側妃と続いて終了だ。
贈り物は全員同じではない。何が入っているのかは箱を開けるまではわからないが、セイフリードは大きさや重さからいって、今年も本だろうと予想した。
「これで聖夜の行事は終わりだ。皆に祝福あれ」
国王の言葉と共に解散になるものの、実際はまだ続く。
「エゼルバード、レイフィール、セイフリードは私の部屋に来い」
王太子の部屋に弟王子達は集まり、兄からの贈り物を受け取る。
一方、側妃達は王妃の部屋に集まり、女性同士で贈り物を交し合うのが常だった。
セイフリードは王太子の部屋に行き、贈り物を受け取った。
「これも与える。私を信じて欲しい」
王太子はセイフリードにだけ二つの贈り物をする。
一つ目は聖夜の贈り物。二つ目は菓子箱だ。
夕食をほとんど食べないセイフリードのために、王太子は聖夜の贈り物に菓子箱をつける。そして、毒は入っていないため安全だという代わりに、自分を信じて欲しいという言葉を添えるのだ。
「ありがとうございます」
「聖なる夜の祝福をお前に」
王太子は微笑みながらセイフリードの頭を優しく撫でた。
もう子供ではない。そう思っていても、嫌だと思うことはなかった。唯一信頼できる兄が与えてくれるものを拒む気はない。祝福であれば尚更だ。
年齢が離れているせいか、王太子はセイフリードにとって兄であると同時に父親のような存在でもあった。
「兄上、この後は執務室ですか?」
「そのつもりだ」
「手伝いましょうか? 書類の整理位はできます。勿論、他のことも」
「大丈夫だ。一人で考えたいことがある。丁度いい」
「そうですか」
王太子であるがゆえに、兄は計り知れないほどの重責を担っている。到底言葉では言い表せないほどの疲れも溜まっているに違いない。邪魔は出来なかった。
セイフリードは大人しく引き下がり、王宮にもある自室に向かった。
部屋について最初にすることは、贈り物を確認することだ。
翌日、国王にお礼を言わなくてはならない。他の者達にも何を貰ったのか聞かれるため、中身が何であるのか知っておく必要があった。
国王からの贈り物は予想通り本だった。
しかも、絵本である。
僕を何歳だと思っているのか……大学生だというのに!
心底呆れるしかないが、国王である父親が自分に関心がないことはわかっている。
本なら何でもいい。聖夜にちなんだものがいい。王族に相応しい豪華な本。その結果、絵本になったというだけだ。
勿論、普通の絵本ではない。
豪華な装丁で、有名な童話作家と画家の連名になっている。本を開くと、絵が立体的になるような仕掛けも施されていた。
恐らくはセイフリードのために作られた世界でたった一つの絵本。貴重で最高に贅沢な品なのかもしれないが、セイフリードにとってはゴミ同然だった。
セイフリードはもう一つの箱を開けた。王太子からの贈り物である。
国王からの贈り物が毎年同じであるように、王太子からの贈り物もまた毎年同じだった。
本に挟むしおりである。
勿論、これも普通のしおりではない。
セイフリードは新しく贈られたしおりをじっと見つめた。
木製。薄い。ほぼ長方形。角は丸みがある。本に挟んだ際、上に出る部分だけは厚みがあり、バラの花が浮き彫りにされている。
セイフリードは手に取って重さを確かめつつ、バラの模様の部分に鼻を近づけた。香木ではない。
裏側を調べるために返す。
そこには焼き印のメッセージがあった。
愛する末の弟へ
年月日と王太子のイニシャルもあった。
毎年違うしおりを贈られるが、セイフリードは今年のしおりが最も嬉しいと感じた。
これまでのしおりはいかにも王族のための逸品というような豪華で贅沢なものだった。特注品、世界に一つしかないものかもしれない。それが嫌なわけではなかった。
しかし、今年のものは明らかに趣向が違う。
普通であれば豪華に塗る木製のしおりをあえて木目のままにした。素材の美しさを活かすために。
余計な装飾も排除されていた。全面に細かい浮彫をいれてしまうと、見た目は豪華になるが、木という素材の良さと美しさが目立たなくなってしまう。
本の上に飛び出す部分にバラの花。王家、国の花であると同時に愛をあらわす。贈り物に込められた愛情も示してるのだと思われた。
そして、控えめに添えられたメッセージ。
末の弟へという部分が極めて特別に感じた。
王太子の弟は三人いる。愛する弟へということであれば、その対象者は三人になってしまう。
しかし、末の弟ということであれば一人しかいない。セイフリードだ。
王族がどのような贈り物をするかは多くの者達が注目する。匿名で特注しても、セイフリードという名前から第四王子のことを推測する可能性は十分ある。だからこそ、名前ではなく愛する弟へというメッセージにしたのだろうと思えた。
王族だからといって、何もかも豪華に飾り立てる必要はない。ありのままでもいい。心からの気持ちを伝えあう。とてもシンプルで単純だが、美しく尊い。
セイフリードは木製のしおりに込められた王太子の真意も理解していた。
暴君と呼ばれ、多くの者達に嫌われている僕にも祝福は届く。この日だけは。
セイフリードはもう一つ、確かめていない贈り物があることを思い出した。
ポケットの中にある封筒を取り出す。
それは身支度をする際、リーナから贈られた聖夜のカードだった。
王宮での行事に遅れるわけにはいかないため、後で読むことにしてポケットに入れたままだった。
型どおりの挨拶文が書かれているに決まっている。
セイフリードはそう思った。
なぜなら、リーナは数日前に季節の挨拶に関する定型文例集を読んでいた。聖夜あるいは新年のカードに綴る文句を考えているからこその選択だ。
封筒は小さい。カードも小さいということだ。行間を考えると、多くの文字は書けない。
セイフリードは面倒だと思ったものの、封筒の中にある小さなカードを取り出して開いた。
美しい文字が目に入る。しかも、びっしりと書き綴られていた。
これだけ書くなら、もっと大きなカードか便せんにするのが常識だ!
心の中で叱責しながら、セイフリードは素早く内容を黙読した。
セイフリード王子殿下へ
十二月二十四日の聖なる夜、祝福は全ての人々に届きます。
祝福が何かはわかりません。
贈り物かもしれません。言葉かもしれません。気持ちかもしれません。
夜空に輝く月や星々。清浄な空気。白い息や胸の鼓動かもしれません。
きっと、人が思いつくよりもはるかに多くの祝福を神は与えてくれています。
セイフリード王子殿下はとても頭がいい方です。何でもご存知です。
でも、今夜だけはどうか心のままに感じてみて下さい。聖なる夜の祝福を。
ほんの少しでも信じる気持ちがあれば、必ず祝福を感じることができます。信じることが祝福でもあるからです。
私は祝福を与えることができるような身分でも、立派な人間でもありません。だから、セイフリード王子殿下に心からの感謝をお伝えします。
セイフリード王子殿下のおかげで、暖かい部屋で過ごすことができます。美味しい食事を取ることができます。ふかふかのひざ掛けを使うことができます。
厳しくも優しいセイフリード王子殿下の側で働くことができて嬉しいです。ありがとうございます。
まだまだ不足な部分が沢山ありますが、セイフリード王子殿下の立派な侍女になるために懸命に努力します。
セイフリード王子殿下が、聖なる夜の祝福によって心安らかに過ごされますように、心からお祈り申し上げます。
リーナ・セオドアルイーズ
セイフリードは感じた。
王太子である兄からの贈り物に込められた気持ち。
カードに込められたリーナの気持ち。
小さな贈り物から溢れ出す輝きが、セイフリードの心を優しく温かく包み込んでいく。
祝福は様々な形で存在する。
贈り物。言葉。気持ち。何でもいい。
一人で過ごす夜だったとしても、黒い夜空を見上げれば、そこには美しく輝く月や星々がある。
地上を優しく照らし、見守っているのかもしれない。
凍てつくような寒さと冷たい空気であっても、そこに清浄さを見出すことができる。
神聖さが宿っているのかもしれない。
一瞬で消えてしまう白い息の温かさ、意識することなく動き続ける胸の鼓動。
それらは命のぬくもり、生きる力を感じさせてくれるかもしれない。
美しいもの、見えにくいもの、わずかなもの、一瞬でなくなるもの、当たり前のこと。
何かに着目し、意味があると考えてもいい。
人はこの世に存在するものだけでなく、存在するかどうかわからないもの、存在しないものにさえ、尊さや喜びを感じることができる。
信じる心さえあれば、すぐ側に祝福がある。
世界中に溢れる祝福を感じることもできるのだ。
「……悪くない」
リーナの言葉は完璧ではない。より美しい文章にするためには足りないものが多くあった。
しかし、リーナらしい言葉だった。
「このような聖夜のカードを貰ったのは初めてだ」
セイフリードは心を落ち着けるために一息ついた後、呼び鈴を鳴らした。
侍従が部屋に来る。
「御用でしょうか?」
「王宮に来る前に伝え忘れていたことがあった。カードと封筒を持って来い。封蝋もつける」
「かしこまりました」
さほどすることなく、侍従は様々なカードを持って来た。
聖夜らしい豪華な装飾が施されたカードも用意されていたが、セイフリードは真っ白で何の変哲もないシンプルなカードを選んだ。
すぐにペンを走らせる。
聖なる夜の祝福を信じる者へ
この世には数えきれないほど多くの祝福が存在するかもしれない。
まずはお前自身を見つめてみろ。
セオドアは神の贈り物、ルイーズは栄光の戦士という意味を持つ名だ。
つまり、セオドアルイーズは『神の祝福を信じる勇気ある者』という意味を持つことになる。
人が決めた名前かもしれない。だが、神が決めた名前かもしれない。
運命か、それとも祝福か。
好きなものを選べ。お前の心が感じるままに。
セイフリードはカードを封筒に入れた後、第四王子の印章で封蝋を施した。
「護衛騎士を呼べ。お前は下がっていい」
「かしこまりました」
侍従と入れ替わるようにして護衛騎士が部屋に入って来た。
「御用でしょうか?」
「後宮に行け。リーナにこれを直接渡してこい。至急だ」
「御意」
護衛騎士は部屋を出て行った。
セイフリードは暇つぶしのために用意された本を手に取ると、ソファに座った。
いつも通り本を読み、眠くなったら寝る。
しかし、セイフリードの視線は本を向いているものの、読んではいなかった。
セイフリードは考えていた。
自分からのカードを受け取り、読んだリーナがどんな反応をするのか。
予想するのは簡単だった。
リーナは知らなかったと驚く。孤児院の者が適当につけた家名だったとしても、その意味を知れば、別の考え方もできるとわかる。
祝福だと思うかもしれない。聖夜であるがゆえに。
全ての人々に祝福が届くと信じているのであれば、自分にも届いたと感じるはずだ。
リーナは嬉しそうに笑顔を浮かべるだろう。
「単純だ」
セイフリードの口角が上がる。
それは冷笑でも嘲笑でもない。
答えがあまりにも簡単過ぎること、その答えに満足しているからこその笑みだった。
一人の静かな夜が過ぎていく。
夜空に輝く月と星々の光が地上を柔らかく照らしている。
清浄な空気は暖炉の火で暖かくなり、部屋中を包み込む。
寒くはない。寂しくもない。
体温と鼓動が、自身の命と存在を肯定している。
特別なしおりとカード。そして、祝福。
暴君と呼ばれる第四王子セイフリード。
その心は激しい怒りや深い孤独を感じることもなく、とても穏やかだった。
読者様にも聖なる夜の祝福が届きますように。