深夜の咆哮
「つ、疲れた……」
「頑張ったな! カナリア、すげーよ!」
宿屋の受付を終えて、借りた部屋でカナリアはまずベッドに倒れこんだ。
外出をしない彼女にとって、今日一日は本当に冒険のような感覚である。
まだ陽光の熱が残る部屋だが、今は古城よりも安寧の地となっていた。
「な……で」
うつ伏せで顔を枕に埋めるカナリア。
「え? 枕で声が消えて聞こえないんだけど」
耳に手を当ててもう一回言ってくれとアピールするリューン。
まったく、お兄ちゃんはまったく!
と顔を真っ赤にしながら兄を見て、早口にまくし立てる。
「——頑張ったから! 私頑張ったもん」
「お、おう? 確かにそう言ったが」
カナリアの必死な思いは、どうやらリューンには届きそうにない。
色々と言葉足らずなのは否めないが、それでも巧みに女の子の気持ちを読み取るのが主人公であると思う。
が、彼に期待することなかれ。
愚直で単純、おまけに鈍いときた。
いや言い換えると素直で良い奴と言うことも出来るが、こと今日に至ってはもうちょっとアンテナを張り巡らせて欲しい。
カナリアは頬を膨らませながら、鈍い兄にも分かるように自分のして欲しいことを言った。
「もうっ……だから、頭をなな、撫で——」
言い切る前にリューンの手が伸びる。
そうそう、そういうこと。
優しく左右に揺れる手のひらが、カナリアの髪を流していく——。
「アネグロさんに、言ってくれたことあったろ」
そう言うと、軽いカナリアの身体を抱き上げて膝の上に乗せる。
小さい背中を自身の身体に預けさせた。
「わっ、ぁ……あ」
と、これまたリンゴの果実のように顔を真っ赤に染め上げて動揺する。
が、嫌がる素振りは全く無い。
「ありがとな。事実は拭えないけど、救われた」
空間が静寂に包まれる。
首筋にかかる息、背に当てられた心臓の音。
カナリアはそれら全てを噛み締めた。
しばらくそのまま、二人は時間を経つのも忘れて、ただ一緒に疲れを癒すのだった——。
☆
深夜、みなが眠りに落ちた頃。
「——モ、モンスターだっ! 上位種のドラゴンだぞっ!」
月が明るい静かな夜に、けたたましい鐘の音が鳴り響く。
商人たちはこぞって商売道具をしまい、冒険者は近くのギルドに緊急招集されていた。
天空を舞い上がり、町を見下ろすのは二頭の竜。
赤い竜と青い竜であった。
サイズとしては最上位の竜に比べて小さい。
が、吐く息だけで人を死に至らせ、尾は建物を崩壊させる。
「結界はまだ保つ! 急いで冒険者たちを集めろ!」
竜が簡単に町に降りたてないのは、魔法による結果のせいであった。
それもいつまで保つのかは分からない。
「勇者は! 勇者様は今どこに!」
「……遠征だ」
「ダメだ、もう終わりだ……」
旋回する竜を見上げて、町の兵達は諦めた声を出す。
兵はあくまで兵であって、このようなモンスターを倒すなんてことはない。
だからこそ、冒険者や勇者、その筋の者たちに任すしかないのだ。
——地に響くような咆哮が鳴る。
結界越しに聞こえるようになったということは、間も無く結界が破られるのだろう。
ミズガルドは平和である。
平和であるからこそ、このような非常事態にはいたく弱い。
ギルドも、駐屯軍も、指揮系統が完全に混乱しており、マニュアル通りにしか指示できない。
そして同じく、町の人々も避難するではなく、こぞって耳を塞いで建物に篭り、ただひたすらに祈り続けていた。
この場合なら、ミズガルドより外へ出て逃げた方が生存率が高いはずだが、恐怖に怯える人々にその判断をしろというの方が酷だろう。
「カナリア、着いてくんのか? 流石に危ねえからやめとけ」
逃げ惑う人の流れとは逆に、天を見上げ疾走する者がいた。
「大丈夫だもん。私吸血鬼だから!」
「お前が怪我でもしてみろ! お兄ちゃんは死にたくなるぞ」
「過保護すぎだって! それにあのドラゴンさん、多分操られてる——」
竜の生態を良く知るリューンもそれは薄々感じていた。
普通はあんな風に旋回したり、咆哮したりと威嚇行動を取らない。
「黒竜」や「白竜」といった、最上位の竜なら自身の力を誇示するために行うのだろうが、アレは違う。
目的の為に高い知性を活かし、速やかに、確実に動くのが竜という種だ。
「とにかく、一緒に町の外まで出てからカナリアは逃げること。俺は“挑発”で、あいつらの注意を引きつけるから」
「やだっ! でも、お兄ちゃん……どうして、そこまでするの?」
「あー? そりゃ大事な妹の為でしょ」
あっけらかんと言ってのけるリューンにカナリアは目を丸くした。
竜と人、種としての違いがありすぎる。
比べればなんと人間の脆弱なことか。
竜のように翼もなければ鱗もない、尾もなければ牙すらない。
そんな強大な相手を前にして、理由がたったのそれだけ。
「もし、アイツらが宿でも破壊してみろ! カナリアが怪我するかもしれないだろうが! それにまだ買い物もしてねえ! 服も買ってないし、食材もねえ!」
籠手の感触を確かめながら、リューンはただ己の目的の為に疾走する。
大正門は目の前、町には竜の咆哮が再び鳴り響いた。
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