師匠の話
逃走劇も束の間。
三人は川の冷たさに身体を癒され、リラックスタイムを過ごしていた。
「兄さん、どうやって魚を捕まえるんです?」
川底に足をつけ、アネッサは自由に泳ぐ魚を見る。
大きい物なら手のひらは超えるサイズも泳いでいた。
その素早い身のこなしは、目でも追いきれない。
「お兄ちゃん、魚が全然掴まらない!」
カナリアもさっきから熱心に手掴みしようとしているが、成果は全くなかった。
それもリューンが素手で捕まえると言うのだから、ますます頭に疑問点が浮かび上がる。
「本当なら魔法とかで捕まえるのが一番早いかもな。分かった、俺がコツ教えてやるよ」
とは言うものの、リューンは魔法を使えないはず。
そんな疑問に答えるように、軽く濡れた手袋をキュッと伸ばすと、ゆっくりと上流に歩いていく。
鳥の鳴き声、風の流れる音、川のせせらぎだけが聞こえてくる。
カナリアもアネッサも首を傾げながら、その行動の行く末を見届けようとしていた。
「——川の流れを確かめるんだよ。んで、魚の位置を把握する」
ゆっくりと腰下げて、水面を見つめた。
なぜか異常に空気が張り詰める。
リューンが今から何をしようとしているのか、なんてアネッサもカナリアも知りもしない。
それでも明らかに普通の魚捕りとは違うと分かった。
「……ふッ!」
パシンと水面を拳で叩く。
その光景だけ見ると、まるで川を叩く子供のようでアネッサは少し笑いそうになった。
が、それも数秒経てば笑みではなく驚愕に変わる。
「——? え……!」
ぷかぷかと魚が浮き上がってきたのだ。
「お兄ちゃん!?」
「ほら、こうすれば一気に捕まえられるだろ? へへん!」
屈託のない笑顔で浮かび上がった魚を鷲掴みにする。
あまりに流れ作業的な光景に思わず二人とも顔を見合わせるのだった。
☆
「? 叩けば気絶する。当たり前だろう?」
「あんな術聞いたことありませんって! 私がおかしいみたいに不思議な瞳で見るのやめてくださいね!」
「……お兄ちゃん、狩りも野草にも詳しいよね。何して生きていたの?」
「あのなぁ……いや、そうか。話したこともなかったっけ」
リューンは一通り捕まえた魚をしまうと、自身の行ったことを説明した。
川を叩いて、水を揺らせば魚は気絶する。
これでも彼なりに精一杯に説明しているのだが、恐らく理解できる人は一人もいないだろう。
どうしてそういった事が出来るようになったのか、アネッサとカナリアの興味はそちらに向いた。
「いや、昔はよく森に叩き込まれてたからな。生きる術はどうしても覚えなきゃならねえんだよ」
そうして遠い目をしながら、己の知識や術をどうやって学んだのかを話し始めるのだった。
「俺には親代わりに育ててくれた師匠がいてな。
まぁ世話やいてくれるし、基本的には優しいんだけど、こと生き抜くってのには厳しい人だった」
この時のリューンは既に「龍の手」によって魔法は使えなくなっていた。
屋敷も追い出され、リューンを保護したのが亡くなった母の付き人、カルネリアである。
「……お兄ちゃんには先生がいたんだ!」
「そうだぞ。んで、そんな師匠からある日ボロボロの短剣一本を手渡しされて、こう言われたんだよ。
『リューン様、今日から一か月家に帰ってくることは許しません』って」
魔法が使えなくなったということは、生きていく上での圧倒的なマイナスであった。
それぐらい魔法は生活に根付いており、切り離せない。
だからこそ、カルネリアはどんな状態でもリューンが困らないように徹底的に『戦士』として育て上げた。
日々の鍛錬は並では耐えられないほどの地獄である。
最適、最善を選ばなければ死にかけるなんてザラだった。
リューンは初めての山籠もりを思い出しながら、そんな大変だった日々を笑う。
「今日みたいに暑い日だった。本当にそれだけ言われるとポンと家から追い出されたんだよ。
で、初めての山籠もりは十日目に意識を失って、気付いたら家に戻ってた。
どうやら毒草をチョイスして食べたらしい。ぶくぶく泡吹いてて、それを見た師匠は爆笑したって言ってたぞ」
「……その育成論は色々と間違ってる気がします。
というか、鬼なのではないでしょうか!」
「鬼というか鬼神だけどな。
でも、生き抜くってのは大変だって初めて知ったのはそん時。
酷いのが、目が覚めるとまた家から叩きだされた。
『また一日目からやり直しです』って、死刑宣告みたいな一言に俺も絶望したのを覚えてる」
うんうんと、腕を組む。
「けど、人間って良く出来てて、そのうち鼻で毒の匂いが嗅ぎ分けられるようになった。
しかも毒の耐性もついて、ちょっと口にしたぐらいじゃビクともしなくなるんだよ」
なんてリューンは平然と話しているが、カナリアの顔は引きつっている。
「でも、食ってのは草だけじゃどうしようもない。だから、俺は森の恵みにあやかることにした。
俺が叩き込まれた森ってまともな動物がいねえんだよ。現れるのはほとんど魔獣だ。
で、思った。……魔獣って食えるんじゃねえかって」
「——なんて、ことでしょうか。ルーツが滅茶苦茶すぎます……」
アネッサの言う通り、とんでもない発想であった。
モンスターとは違って、動物が毒草や特殊な経験などを以て変異したのが魔獣である。
例えば猪でも魔猪になれば、人なんてぶつかるだけで殺されてしまう。
「で、工夫していくと俺は魔獣と対等に戦えるようになってた。
手のお陰でタフではあったからな。
まぁそんな感じで育ったから、……ってお前ら引きすぎだろ!」
かわいそうな兄を妹は慰めるように頭を撫でる。
「壮絶すぎてなんにも言えない。お兄ちゃん、今日は私とアネッサがご飯作るから……」
「兄さん……大変でしたね」
リューンはふと師匠であるカルネリアの顔を思い出していた。
生きる術を教えてくれたことや、過ごした日々のお陰で彼はここまで来れた。
それがどれだけ地獄であろうと、人としてちゃんと扱ってくれることに心から感謝している。
「大変だったけど、楽しかった。純粋に尊敬してるしな。——っし、日が暮れるまでに帰るか!」
そうしてかつての恩師との再会を祈る。
いつか自分の妹を紹介できるように、と。