狂戦士と過去の夢
——夢を見ている。
リューンは過去に流れていく己の残滓を眺めていた。
幼少期、青年期――、今に続く確かな足跡だ。
☆
「母様っ! できましたよ。炎の魔法です!」
小さい火球を見せて、リューンは日よけ傘の下で座る母を振り返る。
「まぁ、やっぱりリューンは天才ね。…………ゴホッ……ごめんなさいね、カルネリアお薬を」
「アナ様無理はなさらずに」
御付の人に薬を貰い、水で流し込む。
そんな母の姿を見て、少しでも喜んでもらいたくて、リューンは懸命に努力した。
ありとあらゆる魔導書を読み込み、分からないなりに母に見せた。
そうすると、いつも柔らかく微笑んで「リューンは天才ね」と言ってくれる。
けれど、その日はいつもと違っていた。
母が咳き込み始めて一年経つ頃の話だ。
ずっと辛そうに、リューンを呼び止めて、
「——リューン、どうかお母様のお願いを聞いてくださいますか?」
そう小さい彼の手を握って話しかけた。
思えば、それは決別の日も近いと分かっていたのだろう。
「その魔法を使っても、使わなくても良い。本当に守りたいものを守れるようになりなさい」
「……? 僕が守りたいのは母様だけです」
「本当に……あぁ、私の可愛い子。愛しい子、——愛していますよ」
その日を境にアナは部屋から出られなくなった。
リューンにとって、その母の顔は忘れらないワンシーンだ。
リューンの父は厳格で冷たい人間だった。
武人であり、殆ど家にいることもなかったが、帰ってくるとリューンの稽古に付き合うぐらいには良い父親であった。
もちろん、アナが亡くなったときには大粒の涙を流して、慟哭を叫んだ。
けれど、月が経てば人は変化する。
悲しみは思い出になり、過去へと変わる。
父は後妻を連れて帰ってきた。
「リューン、新しい母だ」
「初めまして。アナタがリューンちゃんね。お話には聞いているわ」
柔らかい笑みではあったが、リューンはどうしても納得できなかった。
母に対する裏切りにも感じられたし、何より『笑み』が受け付けられなかったのだ。
彼女を例えるならば『美しき蛇』だ。
ゆっくりと歯牙にかけ、飲み込んでいくような不気味さを感じられるような底なしの女。
リューンは防衛本能からか、その差し出された手を拒んだ。
「……まだアナが亡くってそこまで時間は経っておらん。ゆっくり打ち解ければ良い」
そうじゃない。
リューンは吐き出したい気持ちに蓋をした。
怒りと、悲しみと、寂しさと、苦しさと、様々な感情が入り混じり、もう笑うことも忘れた。
けれど、アナとの約束だけは頑なに守り続けた。
愚直に訓練を繰り返し、おそらくその当時の同年代の誰よりも努力していただろう。
感情をぶつける先は、もうそこしかなかったとも言える。
「どこに行くの、カルネリア! 僕を置いて、置いていかないでっ」
「リューン様。必ずお迎えにあがります」
そして、『蛇』はゆっくりと屋敷を飲み込んでいく。
まずはアナの御付きであり、リューンの理解者を屋敷から叩きだした。
カルネリアの薄緑の瞳が、濡れて揺れる。
救いはなくなった。
本当に味方が一人もいなくなったのだ。
「これも、それも。もう不要ですよね」
次にありとあらゆる思い出の品を捨てた。
「やめてください」
「どうして? あなたの母はここにいますが?」
「……」
地獄だった。
運命に手招きされて足掻いて苦しむ一日。
そんな断絶的に続く日々は決して楽な道ではなかった。
運命を呪った。
乾いた後悔の川が、自意識さえ流していく。
7歳になったとき、遂に義理の母は子を孕んだ。
父はもうかつての息子に目くれなくなった。
そうなれば、もう後は——。
「父の言うことが聞けぬか」
「——納得できません。母の魔導書を燃やすなんて、僕は許せません」
次第に反抗するようになり、青痣が増えた。
邪魔なリューンを排除する為に、相手も手を出すようになった。
屈しなかったリューンにとって決定的になったのは、やはりアナの魔導書を燃やされたことだろう。
だから、逃げた。
耐え切れなくなった先に、リューンの取れる選択肢は一つだけ。
記憶もない。
走り続けて、ただ何かを振り切るように駆け続けた。
「っは、助けて。誰か、助けて」
——どれくらい走ったのか。
視界は真っ暗で、頭もぼうっとしていた。
気付けば、見覚えもない神秘深い川に一人立っている。
いっそ死んでしまおうか、なんて考えゆっくりと力なく歩いた。
「——助けてやろうか」
川の中からそんな声が聞こえる。
「お前が我の望みを叶えてくれるならば、だが」
川から昇り舞うのは、七色に輝く龍であった。
後編にあたる部分は本日更新予定にしております。宜しくお願いいたします。