手袋の秘密
真剣な眼差しを受けて、戸惑いを含みながらリューンはたじろいだ。
まさに大事な話、という感じで口を挟もうにも挟めない。
ただ、黙ってアネッサが話し出すのを待つだけだ。
「こちら、モーニングセットになります。おっと、取り込み中でしたかな」
タイミングが悪いのか、それとも話し出す前で良かったのか。
マスターが、焼いたトーストに新鮮なサラダ、ウィンナーに茹で卵といったまさに王道の朝食を運んできた。
「後に致しましょうか?」
一目見ただけで、先ほどと雰囲気が違っていたのだろう。
困ったように笑みを浮かべて、そう尋ねる。
「大丈夫です。置いちゃってください」
どのみち、どこかのタイミングで運ばれてくるのは避けられない。
リューンとしては出来るだけ冷めないうちに食べて欲しいとは思っていたのだが、こればっかりは自身のタイミングだろう。
——、食いてえ。
キツネ色に焼かれたトーストは見るだけで柔らかいと分かる。
上に乗せられたバターは、焼きたての熱に溶けて良い匂いを発していた。
思わず手を伸ばしたくなる気持ちを抑えて、ただ目の前のアネッサに神経を傾ける。
「では、引き続きゆっくりしていって下さい」
それだけ言うと、今度はカウンターに戻っていく。
客は疎らに座っているが、どの人もマスターとの会話を楽しみたいのか、カウンター席でコーヒー片手に談笑している。
これならばテーブル席にいる自分たちの話は聞かれないだろう。
リューンなりに気を遣いながら、引き続き聞く姿勢を保ち続けた。
「で、話ってなんだよ。改めて戦おうとかなら、お断りだぞ」
「違いますよっ! 兄さんは、……私のことを、覚えているでしょうか?」
……どう答えるべきか、逡巡する。
きっと目の前の少女は、理想の答えを待っている。
意図は分からない。
それでも、リューンはアネッサが嘘を吐いているとは思えなかった。
であるならば、きっとどこかで出会っているはずだ。
この少女が自分の面影を覚えるような、そんな出来事が——。
どうにか思い出せないか、記憶の海をリューンは探っていく。
深く、深く、更に深くまで沈んでいく。
深海までたどり着いた先に、その記憶は——。
「悪い。全く思い出せない」
あっさりと両の手を合わせて、ぺこりと頭を下げた。
きっと嘘は彼女を傷付けてしまう。
だから、リューンは正直に覚えていないと白状することにした。
例えばもし、出会ったときに自分が「狂化」を使用していたなら、もうその記憶は取り戻すことは出来ないだろう。
それが理性を失う、ということだ。
ただ、そんなのはリューンの都合であり、アネッサには関係ない。
もしも、自分が「狂化」していない時に会っていたとしたら、それこそ彼女に申し訳が立たない。
そんな風に考えながら、一口だけ苦いコーヒーを口に含んだ。
僅かばかりの沈黙の後、アネッサは柔らかい笑みを浮かべた。
「そう、ですか。それはちょっと残念ですね。
でも、……正直に話してくれてよかった」
「ちなみにいつ頃か、覚えているか?」
「今から何年前でしょうか。一年か、それとも二年か。三年、四年。まぁ、それぐらい前です。ごめんなさい、あんまり時間の感覚が」
悠久に近い彼女の生は、きっとリューンが想像するよりずっと長い。
その中での僅か一瞬の話。
「期待に沿えなくて悪いな。……でも、出会ってたのか俺たちは」
「私だって一目見ただけで、兄さんなんて呼んだりしませんっ! それに自分のモノにしようなんて考えませんし」
「そ、そうか。改まって言われると意味が違って聞こえるから、小っ恥ずかしいなっ……」
話しながらリューンは少し引っかかったことに気付いた。
どうやって自分の存在を追いかけたのだろう、と。
記憶だけ頼りに、人を探す事なんて大魔法でも無理だろう。
「なぁ、どうやって俺を見つけたんだ? それに、勇者パーティーを抜けたことも知ってたしな。それってどんな魔法だよ」
「へあっ! ……や、それは、あの……」
今度は逆にアネッサが歯切れ悪く返事をする。
「なんだ? 俺そんな変な事聞いたか?」
ちょんちょんと人差し指を突き合わせつつ、
「それも伝える為に呼び出したとこもあるので、説明しない訳にはいきませんか……。
て、て、ぶくろの、血、を、その……やっぱりダメです! 乙女に聞くのは間違ってます! 兄さんのえっち!」
強引に話をすり替えた。
残念ながら、リューンにも聞こえていたらしく、目を細めてアネッサを見つめる。
「話題の逸らし方下手すぎるだろっ! ねぇ、不穏な言葉が聞こえんだけど? 俺の手袋に細工したのか!」
慌てて手袋を見る。
純白無垢の手袋は、汚れている様子もないし、何か魔法をかけられている様子もない。
そも彼の『龍の手』は、魔法を無効化する力があるのだから、魔王は何もできないはずだ。
「いや、細工じゃないんですけどね。というか、事故? と説明すべきかと」
「なら詳しく説明しろっ!」
『白亜の手袋』はある人から貰った、いくつにも『加護』を重ねてある宝具だ。
「決して汚れない」・「決して手袋を不審に思われない」などはその加護にあたる。
他にもいくつか重ね掛けをしてもらっているので、直接見られたり、取られたりしない限りは手の秘匿性は守られているはず。
他の加護を思い出してみるが、思いつく限り穴になりそうなものはなかった。
アネッサはアネッサで観念したのか、説明をし始める。
「出会ったとき、私は『色々』あって怪我をしてました。
とは、言っても足の膝を擦りむいたぐらいのちょっとしたヤツです」
魔王が怪我をするなんて考えにくい。
どんなことがあったのかは、リューンの想像では到底理解しえなかった。
が、聞きたいのはそっちじゃない。
何がどうなって、どんなことが起きているのか、それが知りたいリューンはそのまま何も言わずに次の言葉を待った。
「その時に兄さんに助けてもらって、その手袋に血液が付着しちゃったんですよ。私の血は『悪魔王の血』ですからね、そりゃ凄いんですよ。
魔王の血は加護を与えられるんです。で、思わず……」
コツンと冗談混じりに自分の頭を叩くアネッサに、リューンは大きくため息を吐く。
リューンは数年間全く気付かなかったのかと、あまりに疎すぎてアネッサをあまり責められないでいた。
「加護自体はありふれてるけど、『魔王』からの加護となりゃ話は別だ」
加護にも種類があり、「魔法使い」といった人が与えるものから、「神」から与えられたものまで様々で、効果も多種多様。
リューンは改まって、
「まぁ結果的に何も害は起きてないから、別に構わないがっ! せめて、どんな加護を受けたかぐらいは知る権利があるだろ! さぁ、言え! 何をかけた!」
「……『守護と観察』です」
「なっ——、正気か! ちょっと怪我の時に助けたからって、どんな加護与えてんだお前は!」
普通「守護と観察」は恋人や婚約者同士が「祈りを込めて」ペンダントや防具などに与える。
それをあろうことか、この魔王は意味も知らずに与えたという。
「どうですか、これで話したいことは話せましたよね!」
「アネッサはな!」
かくして、リューンは二人の出会いは、再会であったことを知る。
そして、アネッサがどうしてリューンの行動を知っていたかも明らかになったのだった。