別離の時
自由な時間が出来てしまった——。
彼は両の腕につけていたガントレット、いわゆる籠手を外し、更には白い手袋を外して、己が手を見る。
「やっぱりどう見たって普通じゃないよなぁ」
ここは旅の一行がよく使っていた宿屋の一室だ。
ボスンと木で作られた固いベッドに倒れ込んで、静かに目を瞑り、ボソリと呟いた。
「この手さえ、普通なら——」
ざらついた彼の手には、人とは思えぬ硬い爪と煌めく鱗が生えていた。
龍の手、と勝手に呼んでいるそれは多大な恩恵をもたらす分、どうしても「魔物」のものに見える。
顔や身体に異変はないけれど、その一部分だけは変えようがなかった。
右手は金の鱗と銀の爪、左手は銀の鱗に金の爪。
忌々しく、そして命を救われた複雑に絡み合う感情。
憎みきれず、彼はきつく唇を噛んだ。
「おっと……手袋、手袋っと」
丁寧に取り扱われる手袋を、再びゆっくりと手にはめていく。
これは特製の手袋。
手の神秘性を隠してくれる『白亜の手袋』と呼ばれる宝具であった。
「追放ねえ。やっぱりまだ実感が湧かないな」
ぐんと力を入れて立ち上がり、窓の外を見つめる。
町はお祭り騒ぎ、宿屋の主人も、武器屋のおじさんも、服屋のおばさんも、みんな火を囲み楽しそうに踊っていた。
ただ、彼ことリューンはそんな気持ちには到底なりえない。
それもそのはず。
つい先ほど勇者一行から解雇の命を受けたのだ。
勇者や魔法使い、聖職者や武闘家に聖騎士——リューンの狂戦士という役職は、今やそのパーティに席はない。
「へっ、馬鹿野郎が。そのまま燃えて灰になってしまえ!」
呪詛だけ吐いて、彼はまた荷造りに戻るのだった。
☆
リューンはずっと不遇である。
未知の敵には真っ先に突っ込んで行って、力の限り薙ぎ倒す。
毒も、罠も、何もかも無視して、穴を開ける。
ただ、それだけ。
必死の努力は労われるどころか、脳筋と揶揄されるのも、もはや一つの役割となっていた。
『脳が筋肉で出来ている男は大変だな』
『突っ込むしか能のないカスは引っ込んでろよォ!』
『あー隊列がぐちゃぐちゃだよ! 魔法が撃ちこめない!』
別にリューンが悪いわけじゃない。
それも役割だと、自身の推進力や突破力はパーティーに欠かせないんだと、ひたすらに言い聞かせていた。
それも、解雇の命を受けた後では幻想と成り果て、もう意味も持たない矜恃。
事の発端を振り返ること、今回の遠征へ。
勇者が引き受けた仕事の内容はすこぶる簡単、単なる下級モンスターの退治であった。
勇者メンデスは労力を比較的割かず、それでいて人から賞賛されるような仕事が好きだった。
魔王退治も一向に進んでいない。
どうやら肩書きを与えられ讃えられる方が、彼にとってはよほど都合が良いらしい。
明らかに余剰過ぎる戦力で、今回の目的である「スライム」「ゴブリン」「コボルト」を数匹ずつ叩きのめすと、悠々と凱旋した。
勿論、村人から「流石です。勇者様!」と褒め称えられて気持ちよさそうに笑みを浮かべて手を振り、その後は、好きなように謳歌する打ち上げまでがワンセット。
だが、その打ち上げ前に、今回の事件が起きた。
リューンの白亜の手袋が、勇者によって無理矢理引き剥がされたのだ。
理由は単に暑苦しいから、本当に些細な話である。
もしかすると、メンデスは白亜の手袋が隠しているモノについて、なんとなく察していたのかもしれない。
『な、魔物の手か! 鱗と、爪——⁉︎』
『ちょ! マジきめえっ!』
彼ら勇者パーティーは、リューンの手を見た瞬間、一斉に解雇を唱え始めた。
やれ悪魔の手だ、勇者にはふさわしくない。
やれ龍の手だ、災いを引き起こす。
流石に村人もどうしたことかと、様子を伺いに来始めた。
それを見たメンデスはくいくいと手でリューン招き、
『お前の旅はここで終わりだ』
あっさりとそう言ってのけた。
ただ、言われてすぐに「はい」と答える者もいない。
リューンもすぐさま反論した。
『俺の手が不気味、たったそれだけで解雇か? ちょっと待ってくれよ』
『決定事項だ。皆のモチベーションにもかかわるし、何より正義を誇るパーティーに、魔を持ち込まれても困る』
『っざけんな! これが魔かどうかも分からねえだろうが! 罠も毒も、囮役も、突撃役も、タンクさえ、何もかも引き受けてたのは、お前たちの力になれるって——』
『はぁ……。分からないならはっきり言おうか。
お前は不要なんだよ、リューン。代わりはいくらでも用意できる』
『……あぁ、そうか。そうかよ‼︎』
諦めに似た、これ以上話してもどうしようもないという停滞感。
もう何を言っても、自身の声は勇者には届かない。
それが分かったからこそ、リューンは身を引いたのだ。
☆
「ただ言い方ってのがあんだろう! いくら俺でも涙くらいでるっちゅーねん」
リューンは狂戦士ながらと思慮深く、単なる良い奴である。
そんな彼も今日からは無職。
荷物をまとめ終えて、今に至る——。
「さて、と。そろそろ出発するかな。……って、どこに行けば良いんだろう」
外から聞こえる褒め称える村人の声、それに応える一行の声。
やけに耳に響いて、消し去りたいのにずっと残り、耳を圧迫する。
リューンは、歯がゆい気持ちを残したまま、ただあてもなく歩き始めたのだった——。