マニュアル通りにやってみよう
マニュアルに使われている文字は見たことがないものだったが、それでも不思議なことに意味はわかってするすると読めた。あの管理者が一枚かんでいるのだろう。
それによると、俺に与えられた能力は、この世界において「オブジェクト」を創造・操作・破壊する権限のようだ。そのための道具として『コンソール』が与えられ、俺は『コンソール』にプログラムやコードを打ち込むことでその権限を行使できる。プログラムに使われる言語は特に命名されていないようだが、元の世界で使われていたオブジェクト指向言語の文法を踏襲しているようで、俺には馴染み深いものだった。
「チュートリアルがあるな。『まずはオブジェクトを生成してみましょう』か」
俺はコンソールに向き直った。画面は左右にわかれていて、左側は生成したオブジェクトのリスト(今は何もない)であり、右側は対面式コード入力画面のようだ。右側に触れると触れた場所にカーソルが点滅した。キーボードからふわふわと入力する。しかし、仮想キーボードか。慣れないなあ。メカニカルキーボードが俺は好みなんだが。
self:create(object);
っと。
変わったことと言えば、オブジェクトリストにオブジェクト(ランダムで作られた16桁の16進数が名前になっている)が一つ発生しただけで、物理現実には特に影響はないように思えた。
「『これでオブジェクトは生成されましたが、デフォルトの状態ではオブジェクトは物理現実と干渉しないようなプロパティになっていますので、何も感じられないはずです。次は、プロパティを操作して知覚できるようにしてみましょう』か」
生成されたオブジェクトをクリック。名前の先頭のプラスがマイナスになり、展開される。ツリー構造になっていて、プロパティとメソッドとイベントが並んでいる。さらにプロパティをつついて開く。
「ほーう?」
そこに現れた膨大なプロパティを前に声が漏れた。
それから小一時間、プロパティを見たり変更したりした。今回俺が初めて生成したオブジェクトは、一辺が1メートルの立方体で、俺とコンソールを結んだ直線を、俺の前方に向けて1メートル延長した座標を中心とした位置に固定して出現したようだ。このオブジェクトは内部と6面の合計七つのサブオブジェクトで構成されていて、それらの属性を俺は仮想キーボードを叩いて変更できる。
試しに各面の色を変えたり透明度を変えたりして遊んだ。それに1分で飽きると、他の属性を探す。
物理現実干渉のフラグ属性があり、それをTRUEにすると触れるようになるのだが、位置が俺との相対位置に固定されているので触れなかった。追尾の属性はオフにはできないようなので「惑星表面位置」に変更した。それまで微妙に変化していた絶対位置の属性が変動をやめて、一定の緯度経度を示すようになった。(それを見る限り、ここは中緯度地域の経度0になるようだ。緯度はともかく、経度は俺が出現した場所を0にしているような印象だが)
で、空中に浮いた中の見えない艶消し黒の箱を触ってみると、それは全く動く様子もなく、熱を伝えず受け取らず、不思議な感触だった。追尾の属性を「物質」にすると、その箱は重力に引かれて下に落ちた。すごい音がしてもう少しで足先が潰されるところだった。恐る恐るプロパティを確認すると、重量決定の属性は「比重と体積による」になっており、比重の属性は「1立方センチあたり1グラム」で水と同じ設定になっていた。で、一辺が1メートルの立方体なので、重量の属性は「1,000,000グラム」になっていた。1トンじゃねーか! 重いよ! 怖いよ! いきなり大怪我するところだったよ!
オブジェクトを操作するためにはコンソールがあればいいので、距離は無視できる。俺はオブジェクトから離れてこれまで以上に慎重に何ができるかを確かめようとした。
すると、遠くから狼っぽい遠吠えが再度聞こえ、状況を思い出した俺はひとまずオブジェクトを大きく広げて家にすることにした。