後悔の勇者
あたたかな昼下がり。約二百年ぶりに街へと降り立った俺たちは、今も昔も変わることのない、他人同士の喧騒の中にいた。人込みの魔王。誰も気づかない。時代が移り変わろうとも、文明が発達しようとも、そして世界を作り変えたとしても、結局人の気質は何も変わらない。………それが。どうしようもなく懐かしいと思った。
「ねえ。オルヴァ。」
「なんだ。ユト。」
それでも。だからこそ。
「偶に来る街は、やっぱりいいものだね。……なんて。」
「……後悔。してるのか?」
「まあ。少し。」
正直。少し後悔している。勇者が来て、勇者と話して、人とふれあって。退屈な生活から、刺激を求めて、ここまでやってきたのに。二百年ぶりの街は、少し刺激が強すぎた。人と関わることをやめた俺には、偶に来る勇者との会話だけで十分だったのに。たとえそれが、殺し合いに過ぎなかったにしても。
「そうか。だよな。じゃあもうさ。帰ろうぜ?」
「……うん。それもいいかもね。まあ、とりあえず。ここから離れよう。」
このままずっと街にいては、積み重なった後悔に押しつぶされそうになってしまう。
人の営みを後にし、町外れの丘に腰掛けた。ぼんやりと広がる街を眺める。この役を引き受けた事に後悔はない。それから俺の代で終わらせるという覚悟が揺らぐことも無い。だけれども。もう少しやりようがあったのではないか。こうすれば良かったんじゃないか。そういった後悔が小さく棘のように刺さっていた。今までに何人の勇者が訪れて来ただろう。今まで何人の勇者を散らしてきただろう。その度によぎる。
『俺たちの夢がかなう時は来るのだろうか。』
「……大丈夫。お前は間違ってないさ。」
ずっと俺のそばにいた。見守っていた彼が、そう声をかけてくれた。俺の依存であり。俺の希望。本物の強さがそこにはあった。
「……ありがと。」
少し。ほんの少しだけ。希望が光ったような気がした。
「さてと。それじゃあ、もう帰ろうか。」
「ああ。」
立ち上がり草を払っていると。誰かが来るような足音がした。
「あれ?人がいる…。」
そう酷く残念そうに呟いたのは、蜂蜜色の綺麗な女性だった。
「ああ、ごめんね。もう行くところなんだ。」
一度だけ丘の向こうの街をちらりと視界に収め。帰ろうとした。その時。
「待って! ねえ。あなたは、ここの街の人じゃ無さそうだけれども。この街。来てみてどう思った?」
唐突な問いかけ。
「どうって……。良かったんじゃないかな。」
なんと答えてやるべきか。迷いとともに絞り出した感想。
「だよね!私、この街が大好きなんだ!」
そんな回答に、彼女は満足そうな声をあげた。それから興奮気味に始まる街自慢。その勢いは止まる事なく。彼女がどれほどまでに街を愛しているのかが良く伝わって来た。
「明日もここで会おうね!」
有無を言わせぬ一方的な約束。それでも、俺をこの場所に縛り付けるには十分すぎる程の効力を発した。
「……彼女。フロルと少し、似ていたね。」
ぽつりと独り言のようにして、オルヴァへ話しかける。
「似ていた?どこが。」
「人の話を聞いてくれない所だよ。俺が明日もここにいる。だなんて保証。どこにもないのにさ。まるで確信しているかのように。そう言うんだ。」
「……そう。みたいだな。」
「ねえ。オルヴァ。彼女には、彼女たちには一体なにが見えているんだろうね。」
きっとあの時、巡礼が始まったあの日から、彼女はすべて分かっていた。だからこそ。何度も彼女は伝えようとしていたのに。当時の『僕』は、それに気付かなかった。いや。もしかしたら、気づいていたのかもしれない。だが、もうそんなことは過去の話。後悔すれども。もう遅い。だからこそ。今度こそは、気づいてあげたいと。そう思った。
「知らねえ。俺。難しいことはわかんねえし。……お前が残りたいって言うんなら。知りたいって言うんなら。俺はそれで構わねえよ。」
「よくわかったね。もう少し残ろうって俺が言うの。」
「むしろなんで分からないんだよ。分かるさ。それぐらい。」
「流石。」
彼女が街を愛し、世界を愛し、現状を愛する訳を知ろうとして。数週間をそこで過ごした。たわいのない話から、込み入った話まで。いろいろと聞かせてくれたけれども、俺のことは何一つ聞こうとしなかった。初めは、ただ無関心なだけなのかと思っていた。だが、すぐにそうではないのだと気がついた。彼女は俺との距離感を、よくつかんでいたのだ。だからこそ。彼女も、俺も。気が付かなかったのだけれども。『現状を愛した』彼女。シェリアの後悔を。
「ねえ。私。間に合うのかなぁ?」
唐突に、彼女はそんなことを言い始めた。ぼんやりと、丘に咲いた花を眺めながら。
「何が?何の話?」
「私ね。」
———魔王を倒しに行こうと思うの。———
彼女の口から飛び出した言葉を、信じたくはなかった。動揺を悟られぬようにして、問う。
「へぇ。そりゃまたなんで。」
「私、今の世界がとっても好きなんだ。だから。世界を乱している魔王は、許せないんだよ。そんなの。世界のあるべき姿じゃない。この前、魔王を倒しに行った勇者は、抜け殻のようにして戻ってきた。いつも。いつでも魔王の存在が私の愛する世界を脅かしているなんて。私はいやなんだ。だから。」
「だから、魔王を倒しに行くんだね。」
「そう。そうだよ。おかしな子だって笑われるかもしれない。それでも、私は。私は!……ねえ、私。間に合うのかな。」
間に合うのか。今度は、まっすぐ俺の目を見ながらそう問いかけた。その気迫に。俺は目を背けた。
「知らないよ。そんな事。」
「薄情者。」
薄情者とでも。裏切り者とでも。何とでも言うがいい。
「……ははっ。」
乾いた笑いがこみ上げる。
「でも。止めたって無駄だよ?」
「分かってる。」
分かってるよ。だからこそ。たまらなく切ない。俺が何を言おうとも、何を告げようとも、たとえそれが真実だとしても。きっとシェリルは聞く耳を持たない。それが彼女の強さだった。
「やってみなくちゃ分からないもんね。」
「うん。やってみなくちゃ分からない。から。私は行くよ。」
「……そう。じゃあね。」
「…行ってくる。」
「行ってらっしゃい。」
俺がただの俺として会えるのは、今日で最後なのかもしれない。いや。間違いなく。今日で最後なんだ。
「ねえ。私が死んだら……泣いてくれる?」
「縁起でもない。」
否定はすれども、断言はできない。ああ、どうか。その考えを改めてはくれないだろうか。どうか。どうか。祈りは、通じない。
「ねえ。答えて。」
逃げることは、許されなかった。
「そうだね……花くらいなら添えてあげるよ。勇猛果敢な少女がいたという証として。」
「何それ。」
「まあ、いずれ分かるよ。君が。君である限り。君が希望を捨てない限り。」
森は疑いようもなく。彼女を受け入れるだろう。そうして俺の元に来るのだ。
「むぅ。分からないけど。分かったことにしておくよ。」
しばしの間に。
「よしっ!」
決意をみなぎらせた少女は立ち上がる。
「私! 絶対に魔王を倒して、それでここに戻ってくるんだから!」
「……わかったよ。君が後悔しないというのなら。俺はずっとここで待っている。」
「後悔なんてしないよ。だから。約束ね?」
「ああ、約束だ。」
去っていく彼女の後姿を見つめながら、自嘲気味に呟いた。
「勇者…シェリア。か。」
「街に出てこなければ、こんなことにはならなかっただろうに。」
「……そうだね。知らなければ、よかったのに。でも、そうやって後悔しながらでも。俺たちは役目を果たさなくてはならない。」
「後悔。しているのか? あの時の、選択を。」
「後悔、してないよ。あの時の選択は。」
「そう。そうか。なら、いこうぜ。」
また、俺は気づいてやれなかった。
それから約1年が過ぎていった。彼女の心が折れていなければ、きっと間もなくここへやって来るだろう。いっそ森にのまれればいいと思ってしまう自分がいた。たどり着いたとしても、ここに来る過程で、願いをまげてくれればいいと思った。ひどく傲慢な考えであろうことは知っている。それでも、そう思うよりほかはなかった。
そしてギィと嫌な音を立て、重い扉は開かれる。
「やあ。待っていたよ。『勇者シェリア』」
「う…そ…。」
かすれた声で、そう言った。表情には驚愕の色がはっきりと見て取れた。
「ね、え……。あなたは、魔王なの?」
「そうだよ。」
「私を…騙していたの?」
「……なんとも。」
「……何それ。私、馬鹿みたいじゃない。魔王の前で、ぺらぺらと。」
話す言葉だけでなく。かける言葉すらも、すべてが後悔に彩られていた。
「………ねえ。君の夢は何かな。」
「…知っているでしょう?私の夢は、魔王を、あなたを倒して。それで。私の愛する世界を守ることだよ。それ以上でも。それ以下でもない。」
「それは、今でも同じ?」
「当たり前じゃない。」
きっぱりと彼女はそう答えた。迷いのない。美しい答えだった。だからこそ、俺は君を殺さなくてはならない。『CrowCrown』には、その願いを叶えることはできない。何よりも。『俺』が許さない。
「そう。やっぱり。君は強いね。」
「……何それ。」
「………花くらいなら、添えてあげる。」
それは俺からの宣戦布告。
「ああ、そうか…。私を、殺すのね。」
「君が、君である限り。君の願いが変わらない限り。」
「あーあ…。なんで。勇者になんてなろうと思ったんだろう。」
返す言葉など、ない。
「何か、言ってよ……。ねえ。」
「俺は、かつて願っていた。永劫の平和を。叶わない夢だということは知っている。分かっている。だけれども。願わずにはいられなかった。その願いが今でも、俺を、それから相棒を。ここに縛り付けている。ねえ。シェリア。本当に、君の願いは変わらない?」
「……何度言われても同じこと。私の願いは、ただ一つ。だから、大人しく死になさい。」
彼女は剣の切っ先をこちらに向けた。
「そう、それが君の答えなんだね。勇者らしい。強い答えだ。」
「ねえ、魔王。最後に聞かせて。あなたは、願ったことを後悔していないの?」
「後悔はしていない。そんなことをするわけにはいかない。俺が自らの願いを否定してしまっては、消えていってしまった仲間たちに顔合わせできない。」
十三人いたはずの仲間だった。残ったのは、俺一人だけだった。俺の背に、十二人の願いが俺の背にのしかかっているとは思わない。ただ、あの時光っては消え、光っては消えていった希望の数々が、霞んで薄れてきえていった夢の数々が。閃光のように脳裏を駆け抜けるだけ。後悔は、ふさわしくない。
「………そう。あなたは、強いね。私は後悔している。後悔していながらも。願いを諦めるなんてできない。後に引くことなんてできない。だから諦められない。それこそが。私の後悔。」
ああ、そうか。そういうことだったんだ。強さは、弱さと同じだったんだ。フロルも、シェリアも。本当は弱かった。強い信念は、大きな後悔といつだって紙一重だったのだと。ようやく俺は気づいた。
「勇者シェリア・ランデル、私の愛する世界を守るため、あなたを討ちます。」
「魔王ユトニア・ベルクルス。その強さに敬意を表して、受けて立つ。さあ来い!」
決着は、思ったよりもはるかにあっけなかった。虚ろな視線と見下ろす視線が交差する。
「……私。負けたのね。」
「そう、だね。」
「ねえ、私。間に合ったのかなぁ?」
「知らないよ。そんな事。」
「ふふっ。薄情者。」
「何とでも。」
「あーあ。もう痛みすらも感じないや。」
軽く笑ったのが障ったのか、彼女は血を吐きながら激しくせき込んだ。
「…ねえ。何も見えないよ。聞こえないよ。私。花、待ってるから。」
出発前の、約束。
「必ず、必ず持っていくよ。」
「………さようなら。ユトニア。」
こうして勇猛果敢な少女は息を引き取った。後悔に、後悔を重ね、後悔とともに消えていった彼女を、俺はきっと忘れない。
「なあ。ユト。後悔って。なんだろうな。」
生の温かみが消えた城で、その問いが痛いほどにこだました。
「後悔は、後悔だよ。それ以上でもそれ以下でもない。……いや。違うね。後悔は、人の足を止めさせ、人を駆り立て、人を強くも弱くもする。薬のようなものなんだよ。きっと。」
「ふぅん…。」
希望も、夢も、後悔とともにあった。後悔の中、希望をつかみ。夢の旅路で後悔を重ねる。そんな道程で。
「ねえ。オルヴァ。オルヴァは。後悔してないの?」
「そりゃあ、どういう意味だ? こうやって魂だけになっても生きながら得ていることか? それともお前とともにいることか?」
ずっと恐れていたことだった。彼をここに縛っているのはほかならぬ自分であるという事実が、時折たまらなく辛く心を締め付けた。それこそが、俺の後悔。
「どっちも。かな?」
「お前がいなければ、俺は生きていない。今は当然だが、あの時も。だから。後悔なんてしてねえよ。むしろ感謝してるくらいだ。」
後悔などしていない。かねてよりずっと、俺の抱き続けていたそれを、彼はたやすく打ち破ってみせた。
「そう、そっか。そりゃよかった。後悔していないなら。それで。」
安堵と、それから少しの罪悪感。
「おう。今後とも、末永くよろしく頼むぜ。相棒。」
それらすべてを吹き飛ばすような、明るさ。
「ははっ。やっぱり。叶わないなぁ。オルヴァには。」
この先何百年、何千年も。俺たちはきっとここを守り続けるのだろう。正しい夢と、希望と、それから後悔のありようを見届けよう。この世界が終わるその時まで。『魔王』のいらない世界の始まりまで。
約束の丘。後悔の勇者は眠る。気高く美しい花を一輪咲かせ。静かに、彼女の愛した街を、世界をいつまでもいつまでも、見守るのだった。