第八章 裏側の話 宗像と五木
世の中は下らなさで溢れている。くだらなさに染まっている。皆もそう思うだろう?
樹里――君もそう思うだろう? だがその一言は訊けないでいる。
世界は下らなく、つまらない。其れを愉快にするためにはどうすればいいか。何時もそんな事事を考えていた。
「ふざけているのか!」
煤錬次郎が然う怒鳴りつける。
「ふざけていませんよ」
宗像一は平然とそう答えた。
煤錬次郎は、宗像の部活の顧問であった。つまらない人間だ。樹里、君もそう思うだろう?
「恥さらしめ、あんな走り方をして……それで一位を取れると思ったのか?」
「はい」
これもまた宗像は極平然と答える。
「お前は……いつもいつも奇を衒いすぎだ!」
顧問の怒鳴り声が響いた。だが、宗像は奇を衒ったつもりはなかった。あの日あの大会で、是非ともあの走り方を試しておく必要があったのだ。通用するか、あるいは否か……無論、それが馬鹿げた走り方であることは、知っていた。MP効率が悪すぎる走り方だ。
五キロという距離、1000MPという制限、そのレースをライドで走るなんぞ意味不明。だが、それを実践した者の記録はない。書籍を見渡してみても、そういった記録はなかった。だから試したまでだ。そもそも普通に走って一位になれないのだ。ならば可能性がありそうな走り方をするのは別に奇を衒っていない。至極真っ当な考えだと思っている。
それに。努力を怠っているわけではない。
今年の夏くらいから部活が終わった後も、五木と一緒に練習し続けている。
空っぽになった魔力と体力で、天拝歴史公園を走り続けている。
その成果を、五木はおそらくあのレースで試した。結果は七位だった。宗像も同じだった。その結果を試しただけだ。顧問から禁じられていたライドの練習を何度も何度もあの公園で行った。イメージトレーニングを、家でも欠かさなかった。
それがただ通用しなかった、それだけの話だ。たとえ強化型で走ったとしても通用しないのは同じであろう。
あの走りを以て、宗像は一つの決心をしていた。もう中学は捨てよう。中学で一位になることを諦めよう。たぶん足りない。才能も練習量も足りていない。だからこの一年は……必死に必死に練習量を増やし、高校に向けて調節をしようと決心したのだ。
「謹慎だ。一週間部活に来るな」
顧問の煤が怒鳴った。
運がいい、と宗像は思う。どうせ部活でやらされる練習は強化型のものだ。
ずっとずっと昔からライドで走ろうと考えていたから、これは丁度いい。そう思ったのだ。
一週間ライドの練習をしよう。イメージトレーニングをしよう。魔法を研磨しよう。
「分かりました」
宗像は神妙に頭を下げた。
顧問は一瞥もくれずに職員室へと戻っていく。宗像も自分の教室へと戻っていった。
「大丈夫だったのか?」
教室へ戻るとすぐに巨漢の男がこちらへと近づく。身長は百七五センチ。体重もそれに比例して、大きい。以前八十を超えたと聞いたことがある。だが大男なのは、宗像も同じだった。宗像も同じくらい身長がある。ただ宗像の体重は、六十キロに満たない。百七十五センチ、五十八キロ。完全に痩せののっぽだった。
「問題ない、一週間の謹慎だ」
宗像がそう告げると、巨漢の男は顔を青くする。
「やばいだろう……」
こいつは図体がでかいのに、気弱な男だ。宗像はいつもそう思っている。
「何故だ?」
「だって……お前、部活謹慎何度目だ?」
「忘れた」
実際忘れた。三回目だったか、五回目だったか。たぶんそのくらいだろう。あー、くだらない。煤錬次郎の顔を思い出すと、苛立ちしか込み上げてこない。
いつもそうだ。人間の顔は不細工で、だから、苛立ちしか残らない。このに居るクラスメイト全員がそうだ。皆、不細工なのだ。無論、自分の顔が整っているなどと言う自惚れはない。
「お前もな」
「何が?」
「不細工という話だよ」
宗像の言葉に五木は首を傾げた。全く不細工な男だ。五木樹里という巨漢は醜い男だ。
■
宝満山登山入り口。
「もういい、時間の無駄ね。私は行くわ」
高木聡美がそう言い、走り出そうとする。馬鹿な女だ、と宗像は嘲笑う。
「待て! 無意味だろう、高木聡美さん、君は、先輩たちに追いつけると思っているのか?」
宗像はそう切り出した。本心だった。追いつけなければ意味がない。宗像のその言葉に、高木は押し黙った。震えている。歯を食いしばっている。そうだ、お前は遅い。だから、一緒に走るしかないんだ。
「わたしたちは自信があります」
今度は東が躊躇なく、宗像に食って掛かる。
分かっていない。お前も追いつけない。それは、先のレースで感じたはずだ。この、折り返し地点に来るまでで感じたはずだ。確かに東は才能を持っている。宗像もそれは認める。だが、足手まといの曉……彼の存在が、東を足止めしている。
ただ、それを馬鹿な奴とは思わない。それが東の見出した「勝つ」ための策略なのだろう。だが経験が足りない。それだけの話だ。そう、今のままでは絶対先輩たちには勝てない。こいつらはなぜそれが分からないのだろうか。宗像は深い深い溜息を吐いた。
もう、見せつけるしかない。時間もない。言っても分からぬ馬鹿には、見せつけるしかない。
「五木」
宗像は振り返る。
「僕たちは疲れている、そうだろう? 神様による休息が必要だ――」
そして五木に向かってそう告げた。
五木はきょとんとしている。全く図体だけがでかく、頭の回転が遅いやつだ。だが、彼ならばおそらく可能だ。見せつけるのだ、己の実力を。
五木は宗像の真意を悟ったのか、呆れたような、非難するような視線を送ってくる。
それから五木は目を瞑った。精神を集中させているように思えた。
「保生大帝……」
五木が呟いたその言葉に宗像は、ほほ笑む。求めていたのはそれだ。
魔法はイメージが全てを先行する。魔法を持続させるという点においてはMPという要素が最も重要ではあるが、瞬間的な威力に関して言えばイメージが最も重要だ。宗像はそう思っている。だから彼の回復魔法はそれでいい。
五木の眼前に銅像が現れる。保生大帝の像だ。帽子をかぶっており、首から大きな数珠を二つ提げている。
魔法はイメージだ。五木の固定されたイメージは保生大帝と言う、台湾の人物と言う。イメージを強化させるためにはそれを具現させるのが最適な方法だ。それ故魔法の威力は増幅される。イメージはイメージでなくなり、現実となる。その具現化したものを通して魔法を行使する。これに勝る魔法はない。殊威力においては。
具現化するのは無駄な手間だ。だが、瞬発力が求められる魔法でなければ、これが最も効率よく高威力の魔法を行使できる。少なくとも宗像はそう考えている。
「保生大帝……お願いします」
五木はそう呟く。彼は相変わらず目を瞑ったままだった。それが彼にとって、イメージを増幅させるための方法なのだろう。
銅像の大きな二つの数珠が外れる。それが宙を舞いぐるぐると五人の周りを回る。
全身に暖かい光が瞬いた。刹那疲労感が消失していく。
心地よい。実に心地よい。五木の回復魔法は、疲労感を取り去ってくれる。今ならば、スタート時と同じ感覚で、あと二十五キロ走り切れる。そう思わせてくれる。
五木が目を開く。
「よくやった」
宗像は笑った。
曉も東も高木も、皆驚き、五木を見ていた。当然だ。広範囲の回復魔法など、普通の高校生が出来る芸当ではない。
「さて、準備完了だ。いいよ、高木さん、乗らなくてもいいよ。行くならいい、行けばいい。一人で。東と曉そして僕に五木がいれば、確実に追いつくさ。東、曉の魔力を僕に流せ、僕が今から全員を乗せて走る。ライドとタンクの組み合わせは基本だろう?」
ことアズハルにおいて、タンクとの組み合わせはライドが最も理想とされる。なぜならライドであれば、チーム全員を乗せることが難しくないからだ。むろん、強化型や飛行型も不可能ではない。チームメイト五人を、全員魔法で運べばの話だ。しかし余計な魔力ロスに加え、走りにくい。例えば東は、曉を抱きかかえ走っていた。走りやすい態勢ではない。また曉を支えるためにも余計な魔力を浪費していたはずだ。それは風見姉弟にも言えることだ。
ライドであれば初めから、人数分乗れる車を用意すればいい。無論、その分魔力消費は大きくなるが、走るという点においては問題がない。強化型や飛行型のように、無理な走りにならない。無理な体勢になる必要もない。
「わたしは、君と走るとは言っていない」
東は宗像を見上げ、睨み付けた。
宗像は溜息を吐いた。
(このチビはまだ現状を認識していないらしい。折り返し地点まで、先輩たちに追いつけていないのだ。この先も追いつける道理が無い。その現状をこのチビは……)
もういい。無視しようと思った。見せてしまえばいい。
宗像は目を瞑った。
「高木さん、あなたはどうする。来てもいい、来なくてもいい」
「……行くわ」
悔しそうな表情で、高木は言う。
(ようやく決めたか糞女)
宗像は口には出さない。口に出すのは……五木に対してだけだ。
「さて……皆、僕の傍へ来てくれ」
「宗像、お前、あの時のあれをするつもりか?」
五木が真っ先に傍に来て、そう問うた。
察しがいい、そうだよ。宗像は心の中でそう呟く。だが口に出して答えはしない。
高木も宗像へ近寄る。あとは、東と曉だけだ。
「行こうぜ、何だか分からないけど、勝つんだろう?」
曉が宗像に問う。
(勝つんだよ。僕と五木がね)
宗像はただほほ笑むだけだった。
曉が宗像へと近づく。東は溜息を吐き、曉に倣った。
さあ、これで完成だ。あとは自分が魔法を行使するだけだ。宗像は笑う。
目を瞑る。魔法はイメージだ。乗り物は乗り物らしく、やはりオーソドックスな車がいいだろう。ただ、車にしてしまうと道路交通法に遵守しなければならない。だから却下だ。
風見姉弟のような飛行機。それが理想形だ。
決めていた。レースの途中で、飛行型の何かになることは決めていた。あとはイメージを完成させ、魔法を行使するだけでいい。
イメージは。ロボット。それが一番いい。
それが一番いいのだ。そのイメージはいつもいつも練習してきた。実践でも一度使った。
特撮戦隊もののロボットだ。人数はちょうど五人。そう、ちょうど五人。
戦隊ものでは、それぞれの隊員は、普通ロボットを持っている。それぞれのパーツが、合体し巨大なロボとなるのだ。
イメージ一。宗像一は頭部を担当する。当然だ。魔法の行使者であるのだから、指揮系統を司る。色は緑色。
イメージ二。高木聡美は脚部を担当する。宗像の見当では、高木は強力な脚力と、それに見合った強化魔法を使える。ロボは飛び本来脚部は必要ないが、イメージ完結のために必要だ。色はピンク色。
イメージ三。曉翼は胸部を担当する。彼の魔力源こそが、このロボの中枢なのだから。色は赤。
イメージ四。東渡は全ての接合部を担当する。彼女の目が、彼女自身も含め五人の魔力の流れを司り、コントロールする。色は青。
イメージ五。ロボットは巨大でなくていい――なんてことはない。巨大であればあるほど、魔力消費は激しくなる。だが、それではイメージが固まらない。戦隊もののロボットは決まって巨大なのだ。だから巨大でいい。巨大なままでいい。
イメージ六。ロボットは速い。速い速い、速い。めちゃくちゃ速い。そうでなければ意味がない。
「イメージ七。五木樹里は翼部を担当する。色は黄色」
呪文はわずか七小節――最後の部分だけで言い。それで魔法は完成する。五木樹里、君は翼になるのだ。
呪文を口ずさみ、魔法が完成する。
五人の体がそれぞれの位置に定着していく。
「東! 魔力を流し込め!」
宗像は声を張り上げた。
「戸惑うな、冷静になれ、今から僕たちはロボットになる。巨大なロボットだ!」
今から五人はロボットになり、四人の先輩たちを追跡し、そして……抜くのだ。
東が魔力を流し込む。絶え間なく流し込まれる魔力。なるほど、曉は、本当に巨大な魔力の貯蔵庫らしい。
「何なのこれ!」
「ちょっと、待てよ! 意味が分からないぞ」
高木と曉が暴れる。この期に及んで往生際の悪いやつらだ。もう、この五人は、先輩たちを追いかけるしかないのだ。空を飛んで、追いかけるのだ。
「こんなライド、聞いたことがありません。魔力消費も半端ないでしょう?」
東が宗像に問う。
そうだ、半端ないさ。そうでなければ意味がない。
「僕は、半端な乗り物では意味がないと思うけどね」
宗像は答えた。
そして、巨大ロボットが飛ぶ。
確証はあの中学二年の冬のレースの時にあったのだ。
■
ライド型が、乗り物を具現し走る――しかし、それは、無駄な作業ではなかろうか、と宗像は中学一年の時より思っていたことだった。現実に存在しないものならまだしも、現実に存在するものを具現するのはばかげている。それに。それに無駄だ。そう考えていた。乗り物とは、人間を乗せるための移動具だ。人間を乗せるために、本来必要でないスペースが存在する。
それが無駄なのだ。作る必要がないのだ。人間自身が乗り物になってしまえば、融合してしまえば、無駄なスペースがなくなる。走ることに特化するならば、人間が乗るスペースなど不要。人間自身が走るのに最適な乗り物になってしまえばいい。
巨大であることに意味はある。無駄なMP消費ではない。人間の一歩と蟻の一歩、いずれが大きいか明白だ。宗像一は己の考えに絶対の自信を持っていた。間違っているのは世界なのだ。
ああ、分からず屋ばかりの世界。ああ、間違った世界。ああ、醜き世界。愚かしい世界。宗像は世界を嘆く。
ライドであれば、乗り物を具現するなど論外。人そのものが乗り物自体になればいい。
世界はそんな発想をしない。誰もそんな発想をしない。
五木樹里。君もその目で見ているだろう。
(僕の正しさを――ジュリは僕の背中で、羽ばたいていればいい)
■
小学時代。孤独であった。それを辛いと思ったことはなかった。
何故孤独になるか、宗像一はよく理解していなかった。しかし辛くはなかったのだから、何の問題も感じていなかった。問題に感じていたのは回りの人間だった。
中学になった。友人が出来る。それが五木樹里だった。中学一年、中学二年と一緒のクラスだった。一緒のクラスで一緒の部活。だから友達になった、それだけの話だと思った。
五木は回復魔法に、保生大帝なんぞを援用してくる不気味な男だ。奇妙な男だ。
大男で不器用で臆病者だ。そう言ったところが嫌いと言えば嫌いだった。
友人……というより、ただ一緒に居るだけのやつ。そんな気がした。
中学三年生になって、五木とクラスが分かれた。部活は同じだったが、教室では孤独になってしまった。
初めは問題ないと考えていた。
小学時代独りだったのだ。孤独だったのだ。ただ一緒に居るだけの存在の五木と離れたからとて、何の問題があろう。
でも、そうではなかった。
孤独の寂しさというものを、中学三年生になって初めて実感し、中学三年の夏、部活を引退して以降、五木との接点が少なくなって以降、痛感したのだ。
人間は、孤独を寂しがる生き物なのだ。
それに、宗像一は、気づいた。それが中学三年の出来事だ。
■
巨大なロボが発進する。
木々をなぎ倒すか如く、力強く。
遥か上空を飛行し、道の蛇行を俯瞰する。
鈍色に輝くロボの羽が、羽ばたいた。
巨大な質量は、神速を以て追いすがる。
そうだ。これだ。この力だ。このイメージだ。
こうやってまとまるのだ。そうすれば寂しさなどはない。人間は一人ではない。
ジュリ――人間は孤独ではない。僕は、お前と一緒だから。だから一緒に大空を羽ばたいて、先輩たちを抜いて――僕が勝つ。五木樹里と宗像一が勝つのだ。