第七章 恐走の話 五木と宗像
「なんだよこれ、畜生」
宗像一は走りながらそう吐き捨てた。
宝満高校を出発し、走り出して、まだ十二分。走った距離は十キロもないはずだ。
五木はM3を確認する。
M3とは、魔法走用の測定器、Magic and Moves Meterのことだ。魔力消費や、走行距離が表示されるバンドの事だ。腕に嵌め、それで情報を確認できる。略称してM3と呼ばれる。
八・三キロ走っている。時間は十二分――
「あいつら何なんだ、速すぎる」
宗像が再び、そう叫ぶ。車の往来の多い場所なことに加え、時速四十キロ近い速度で走っているため、その声は並走している五木に辛うじて聞こえる程度だ。
宗像の苛立ちも分かる。
五木と宗像は今、最後尾を走っていた。
開幕十二分。まず、風見先輩たちが先行した。それを追いかけるように、一年の東、曉ペア。彼らが先んじる。そして、三年の江崎部長と橘副部長。二人も既に視界から消えた。
一年の宗像、高木、五木は瞬く間に取り残された。
あーあー、と五木は溜息を吐く。所詮これが自分たちのレベルなのだ。宗像もおそらく痛感したはずだ。
「速すぎる……」
悔し気につぶやきを漏らしたのは、高木聡美だった。さほど仲は良くない。というか、五木と宗像は個人組で練習していたので高木とは没交流だ。
他の人たちもどんな走りをするか、ほとんど知らない。唯一知っているのは、風見姉弟だ。二人の走りはその異様さであまりにも有名だ。
同感だよ、速すぎる。
高木の呟きに五木は心の中で同意する。
そういえばインターハイがどうのと言う話をしていたのを思い出す。アズハル組は七人しかいなかったため冗談だと思っていたが、どうやら本気らしかった。
糞、速すぎる……全国レベルと自分とではこうまで実力の差があるのか。想像が及ばなかったわけではないが、実力差を実感すると、途方に暮れたくなる。
「糞!」
五木の声を代弁するかのように、高木が叫ぶ。
「ああ、くそったれだ! 何だあいつら、時速六十キロくらい出てるんじゃないのか?」
宗像が高木に便乗して、言う。
確かに。何せ自分たちは今時速四十キロ越えのペースで走っている。もっともこのペースをずっと続けられるわけはない。これから徐々にペースを落とすつもりでいる。そうでなければMPが持たず、五十キロなど到底走り切れない。
先輩たちや東曉ペアも、おそらく時速六十キロで走り続けられるわけではない。だが――
届かない。その事実は厳然と五木樹里の前に立ちふさがる。
「まずい、追いつかないと、やばいわね」
高木聡美はそう言い、「私は先に行くわ」と、走っていく。魔法を行使し、両足に籠めた魔力を増幅させていた。傍目にも無理をしているのが分かる。
そのまま高木の姿は先へ先へと、消えていく。
「おいおい」
五木はそこでようやく口を開いた。
何が「速すぎる」だ。高木とて、まだ、速度を出せないわけではないということだったのだ。結局最下位を走っているのは、自分と宗像だ。
(まあ私はそもそもアズハルじゃないしな……)
五木は心の中で独り言を言う。
「おい、五木、僕たちも速度を上げるんだ」
「止めとけ、私たちには無理だ」
「ふざけるな! そんなんだから君は、ジュリちゃんなど馬鹿にされるのだ」
宗像が声を荒げた。
五木は肩を竦める。
高木は無理をして飛び出していった。だが、無理をしても、完走できる確証があるからそうしたのだ。
五木にその自信はなかった。むしろ、そろそろペースを落とした方がいいと考えていた。無理はできる。しかし無理をした後、完走できる確証はない。
「ジュリちゃん、僕は、お前を置いていくぞ」
「どうぞ」
五木は意に介さなかった。
ジュリちゃん――女みたいな名前を、時々友人たちが面白がっていう。五木はだから当然、樹里という名前が好きではなかった。
しかし、然程傷つきもしない。嫌な事は嫌だが、不思議と、そこまで嫌悪感が生じず、侮辱された感じもしない。もともと自分は、そう言ったことに疎いというか、鈍感にできているようだ。五木はそう思っている。
「おいおい、僕に置いて行かれたら、君は完走できないだろう」
「傲慢だな。お前について行ったら、私は完走できない」
「弱気になるのは、君のいけない癖だ」
「現実を見ろ、宗像。今現在、約十キロ走っている。今ここはどこだ……「夢タウン」はとっくに過ぎて……山家道の交差点にもうすぐ着く。消費MPは……1000ちょっと。毎分100MPの消費だぞ! 時速は四十キロ。このペースで走り続けると、50キロ走り切る前にMPは底を尽きる。冷静になれ、完走するんだ」
「そしたら、僕もお前も、インハイの補欠にさえならない」
「そうだよ、宗像。それが現実だ」
「ははは、そんなこと言っていたら僕らはいつまで経っても、インハイに出られない。今年だけじゃない、来年もその先も」
「お前は無茶が過ぎるんだ。無茶をして体を壊したら、インハイどころではないだろう」
宗像の無茶はいつものことだ。だが、無茶をして報われた試しはない。五木は溜息を吐く。宗像とは三年来の付き合いだ。いつも宗像が無茶をし、五木が宥める。昔からそうだった。
■
二人は筑紫野西中学で一緒に走っていた。地区内では一番早く、地域の大会では何度も一位に輝いた。ただ、それ以上には行けなかった。全国レベルの大会にまでは行けなかった。
だから五木は自分にさしたる才能がないと、気づいた。
だが、宗像は違った。
中学二年の秋。中体連が終わり、三年生が引退したある日の部活の終りで、彼は突然練習量を増やそうと言い出した。
「思うんだが、たぶん僕たちには練習が足りないんだ」
「ああ、まあ、だろうね」
五木は答える。
確かに練習は足りていないだろう。部活で三時間走り続ける。その三時間の練習では、たぶん全国レベルには届かないのだ。しかし……それ以上に練習のしようがない。無茶な練習は体を故障させるだけだ。大体MPが続かない。五木のMPは3000程度。一般的な中学二年生水準を上回ってはいるが、三時間魔法を使いっぱなしの時点で、体に大きな負担がかかり、MPも空っぽになってしまう。これ以上どう練習すると言うのか。
「強化型っていうのは、魔法も大切だが、肉体も大切なんだ」
「なんだよ、宗像。そんなもの、今更じゃないか」
「君は、魔力が空っぽでどう練習するんだ、とさっき思っただろう、だから今更な常識を教えたまでだ」
宗像は少しずれ落ちた眼鏡を指で押し上げた。
「はいはい、そうですか。でもなあ、魔力が空っぽで、効率的な肉体強化は出来ないんじゃないか?」
「効率か……君はいつもそうだ、効率ばかりを求める。その肥沃な体型は効率の最果てかい?」
最果て……? 宗像はいつも難解と言うか変な言葉を使う。喋り方も芝居がかっている。
「そうじゃないだろう、本当に効率を求めるならば、そんな体型にはならないはずだ。効率などいらんのだ」
宗像のいう事はよく分からない。難しい。
体型に問題があるのか?
五木は、巨漢と言ってよかった。身長百七十五センチ。体重八十五キロ。足のサイズは二十八。肩幅が広い。お腹は出ていない。宗像に言わせれば、お前の体型は長方形だ、という。
「ともかく、我々には練習が必要だ」
「はあ、でも、どうやって増やすんだ? 時間は決められているぞ。鬼瓦先生に怒られる」
「部活後練習する。後輩や他の奴らはどうでもいい。僕と君で練習するんだ、公園があるだろう。広い公園が。あそこで走ろう」
「あのなあ、もう部活でくたくただ。魔力も空っぽ。走って意味あるか?」
「そのくだりはさっきの問答で終わったはずだが。もしも、MP絶無の状態から魔法が使えればそれは、進歩と言えるのではないか?」
「使える道理が無いだろう」
「でも、急速に回復する可能性はある、行くぞ」
「嫌だよ、天拝山のところだろ? あそこに行くまで歩いて二十分くらいかかるじゃないか!」
「魔法を使って走れば十分と掛らない」
だからMPがないだろう。五木は胸の内で溜息を吐くが、しかし、宗像の頑固さはこの一年嫌と言うほど知らされた。無理にでも連れていくだろう。しかしMPがない上に、今はスクールバッグを持っているのだ。満足に走れるわけもなかった。
だが宗像は駆け始める。
「やれやれ」
五木は溜息を吐き、仕方なくそれに続く。
部活の疲労もあり、MPもほぼなく、スクールバックを背負っていたため結局十五分掛けて公園に着いた。五木達の通う中学校から徒歩二十分程度の場所にある、天拝歴史自然公園だ。さほど広い公園ではないが、既に日も暮れはじめ、人はまばらだ。走るには都合がいい。貴重品を持っていないので、ベンチにスクールバッグを投げ置く。
「さあ走るぞ」
溜息を吐きながらも五木はそれに従う。
足は鉛のように重い。両足を魔法で強化しようとすれども、やはりMPが空っぽのようだ。
「おい、お前は、MP残っているのか?」
五木は宗像の方を向いた。
「いいや、空っぽだ」
宗像は肩を竦めた。
「なるほど、それで、空っぽの状態から魔法を使えたか?」
「見ればわかるだろう、使えていないさ」
二人はもはや足を引きずるように歩いていた。体力は限界を超えている。魔力も絶無だ。
「君はどうなんだ」
宗像が訊く。
「話にならない」
この状態で魔法を使うなんて無理だ。
「やってみろ」
「さっきやったさ」
五木はそう答えながらも、足を立止め、目を瞑る。もう一度魔法を行使するつもりだ。
深呼吸をする。体を落ち着かせる。世界に静けさが灯る。宗像の声が聞こえない。風の音も鳥の声も聞こえない。静謐世界に、五木はいた。こんなのは初めてで、驚くべき事態だが、目は開かなかった。心は落ち着いていた。
両足のイメージを思い浮かべる。
両足は疲弊していた。うなだれた両足が、五木のイメージの前に横たわる。
五木はそれを両手で持ち上げ、立てる。頭の中に、ある銅像を思い浮かべる。台湾で見た保生大帝の像だ。来歴は知らないが、親に「医者や治療の神様だよ」と教えられた。五木にとって治癒や回復におけるイメージはその銅像に固定されてしまっている。治癒のための術式を頭の中で組み立てる。
それから魔法の詠唱。
「治癒せよ、保生大帝」
ごく短い、二小節からなる詠唱だ。
だが、魔法は行使されない。
「保生大帝って何だ?」
声がした。静寂が割られる。声は、宗像のものだ。
そこで初めて自分が公園に居たことを思い出した。
「ああ、医者の神様。中国とか台湾の神様だよ、千年くらい前の人だけど」
「何じゃそりゃ」
「昔、台湾に旅行に行ったとき、その神様を見たんだよ。いや、銅像なんだけどね。こう、大きな数珠を首から二つ掛けている銅像」
「ふん、回復魔法をイメージするために使うのか?」
「そう」
「変な奴だな」
「お前ほどではないさ」
「何? 僕は至極真っ当だぞ」
宗像は反論する。彼の回復魔法を、五木は何度か見たことがあった。
彼のイメージは注射器だった。彼はしかも注射器が具現するのだ。
実際にこの世界に具現として注射器が出現し、それが突き刺さる。突き刺さった場所が治癒するという奇妙極まりない魔法だ。注射器イメージを具現化させるのに先ずMPを消費してしまう。その後、回復魔法を行使するのだから、非効率極まりない魔法でもある。だが、宗像に言わせれば強いイメージが魔法の根源である故、具現化させればそれだけ回復精度が上がる、っと言うのだ。理屈はあっているが、それが消費するMPに見合うか、五木には判断つかない。
「物は試しだ、その保生大帝とやらで、ジュリと僕を回復させてみろ」
「はあ? 無理無理、二回も魔法使えないし、それにほらさっきやったけど無理だった」
「違う。魔法は一回。一回の魔法で、二人を回復させるんだ。そして、今度は保生大帝とやらを具現化させてみたまえ」
五木は溜息を吐く。だが、やって見せなければ宗像は納得しないだろう。
「分かった分かった、やればいいんだろう」
五木は目を瞑る。頭の中に銅像を思い浮かべる。大きな数珠を二つ首から下げた、体格のいい銅像だ。保生大帝、と心の中で念じる。術式はできた。真面目にやろうとは思っていない。完全に力の抜けた状態で、もはやテキトーだ。
「保生大帝」
詠唱もテキトーだった。銅像の具現化などやったことがない。だからその名を読んだだけ。
しかし、だというのにだ。
五木が目を開く。そこには宗像の笑顔があった。そして銅像が厳めしく、聳えていた。
(馬鹿な)
既に魔力は〇に近しい。だというのに。
「ほれ、回復を」
宗像が急かす。
五木は、驚きながらも、夢見心地で回復魔法を行使する。
「治癒せ、保生大帝――」
体に暖かい光が走った。
紛れも無く、回復魔法を行使している。
こんなことがあるのか……五木は茫然となった。
「言っただろう。イメージは魔力の威力を底上げにする、そしてイメージの最たるものは現実化だ。ありがとう、僕の体もいまや軽やかだ」
「何? 私の魔法が……宗像にも及んだのか?」
「そうだ、なんだ、お前が行使した魔法だろう?」
「……」
五木は茫然とするしかなかった。
「五木よ」
「ん?」
「今度、冬大会があるだろう」
「ああ、個人五キロ、1000MPのやつか」
五キロ、1000MP制限――つまり五キロの距離を、1000MP消費で走り切らなければならない。1000MPを超過すると、5MPにつき、1秒の減点がなされる。重いペナルティだ。
「そう、それだ。そこでな、作戦がある」
「作戦? なんだよ、個人競技だから、共闘なんてできないぞ」
「無論、共闘はしないさ。ただ僕一人がしても盛り上がりに欠けるからね、五木も僕の作戦に乗らないか?」
「どんな作戦だよ」
「うん、全力で走ってぶっちぎりでゴールする」
「はあ? それが作戦かよ? 全力で走ることは当たり前のことだろう?」
「いいや、全力で走ることは当たり前ではない」
「なんだ、頭でもおかしくなったか」
「いいや、僕は至極真面目だよ、まあ聞け」
宗像は作戦を語り始めた。驚くべき内容で滑稽な内容で、五木にしてみれば考慮に値しない内容だった。宗像はそれを真面目な顔で語るのだ。全く突拍子もないやつで破天荒な奴だ。五木はそう思った。
「却下だな」
五木は宗像の作戦を跳ね除ける。宗像の作戦は全く論外な内容だった。
■
嘘だろう、嘘だろう。
五木は走りながら二回そう呟く。声には出ていないはずだ。いや、出せない。それほどきつい。M3を確認する。時速五十三キロ。毎分125MPの消費だった。
馬鹿げている。五十キロ走り終わらずに、魔力は底を尽きる。だが、速度を落とさない。宗像はその速度を保ち走り続ける。五木もそれに続く。
山家道の交差点を曲がり、北上する。距離は既に十六キロを走っているようだ。三分の一……消費MPは2000。
だめだ、と思った。
タンクである風見虎之助先輩は最大MPが一万も二万もあるという。化け物染みる数字だ。彼ならばこのMP消費で走っても問題ないのだ。だが、自分には無理だ。自分の最大MPは5100。
この調子で走れば、途中で空っぽになる。今後は疲労もたまり、消費MPはより多くなるからだ。現時点でも……
先ほど毎分125の消費MPだったはずが、毎分130になっていた。速度は変わらないのに。同じ魔法を使っているのに。
糞、糞、糞。
苛立ちが募る。このままでは完走できない。
だが宗像のいう事も事実だ。遅くては意味がない。速く走らなければ意味がない。
「宗像!」
切れ切れで荒れる呼吸で、無理やり大声を五木は上げた。
「なんだ!」
宗像も荒れた呼吸で返す。
「休憩だ。水分補給、走ってから一度も補給していない。死ぬぞ」
「……しかし、まだ追いついていないぞ!」
「追いついたら補給するタイミングを逸する」
「ッち……その通りだ! 分かった、あそこの自販でいいな!」
自動販売機の前で二人は止まった。スポーツドリンクを購入する。一気にそれを嚥下する。生きた心地がした。全身から汗が噴き出る。拭う事もままならない。続けてもう一本スポーツドリンクを購入し、ポーチの中に入れる。
宗像は眼鏡を外し、一度汗を拭いた。だが無駄なようだ。汗は止めどなく出ていく。宗像もスポーツドリンクを二本購入し、一本を飲み、一本をポーチに入れた。
「よし再開だ」
「ああ、だが、もうあのペースは無理だぞ」
「だめだ、あのペースだ」
「お前、MPはどのくらい残っている?」
「うん、たぶん三千くらい」
「私もだ。三千だ、これであと三十四キロ。走れると思うか?」
「走れる」
宗像は断言した。五木は呆れる。どう考えても無理だ。
「仮に時速55キロで走る。さっき、MP消費は毎分130だった。十分走れば消費MP1300、で約9キロ、二十分走れば単純計算で――」
「煩い、走るぞ。こうしている間にも、あいつらは、ゴールへと近づいている」
宗像は五木の言葉を聞かず走り出す。それはごもっともな話だと思ったが、しかし……しかし、先程のペースで走るのは無理なこともまた事実だ。
だがもはや走り出す宗像を止められない。五木はしょうがなくついて行く。魔法を行使し両足を強化する。
ついて行くのだが……M3の表示を見て愕然とした。時速55キロ、消費MP150毎分……
無理だ。どう考えても無理だ。五木はペースを落とす。
時速二十キロまで一気に減速した。その代り、消費MPは毎分15と、かなり抑えられた。
「宗像すまんな、お前だけ行ってくれ」
宗像は既に視界の先の方だった。
宗像はいつも無茶をする。無茶をするが……なぜかいつも五木はそれに付き合ってしまう。なんでだろう、と考えたが答えは出なかった。自分には主体性がないのかもしれない。だから、主体性がありハチャメチャな宗像に付き合っているのかもしれない。
だがどうでもいいことだ。彼の無茶にもいい加減うんざりだ。MPが切れれば、無様になるだけだ。とてもではないが部活時間内に完走はできないだろう。
「何をしている」
ボーっとして走っていたため気づかなかった。ア、と思ったときには、目の前にこぶしがあった。痛みが頭に走る。頭部を宗像に殴られた。
「何をしている、五木」
彼は立ち止まって五木を待っていたのだ。馬鹿な、と五木は腹の内で思ったが、口には出さない。
「さあ、走るぞ。時速六十キロだ」
「何で、先に行かない。私は無理だ」
「ジュリ――お前は臆病な男だ」
彼は、五木を罵る時下の名前で呼ぶ。
「知っている」
「だが、お前は足が速い」
「それは嘘だ」
「速い。だから大丈夫。臆病さ、それさえなければ大丈夫」
何を根拠に。もう無理だ。現実はいつも容赦ないのだ。現実として今この時点で自分と宗像は、インハイレベルに達していないのだ。
「受け入れろよ」
五木は絞り出すように言った。
現実を受け入れろ。走り切ることが大切だ。完走できない事ほど惨めな事はない。だから、現実を受け入れて、現実的に走るのだ。
「目を覚ませ」
宗像は再び五木の頬を打つ。
「いいか、負けは無意味だ。どんな結果になっても二位以下は負けだ。いや、二位や三位ならまだ意味はあるかもしれないが、それ以外に意味はない。そうだろう? 完走することに意味などない、だから走るのだ」
「ふざけている」
「ふざけているのは、お前だ。目を覚ませ、宝満高校の魔走部は決してインハイに出るようなレベルの高校ではなかったはずだ、だが今年は違う。インハイを狙える、インハイを走れるレベルの部活だ。そうだろう? 僕とお前は幸運なんだ。だから走る、時速六十キロで走り続ける。挑戦せず諦めるなんてたちが悪い、そうだろう? 違うかい?」
五木は言い返す言葉が見当たらなかった。言っていることは真っ当だ。しかし時速六十キロで走り続けるなんてむちゃくちゃだ。
「お前にとっては、こんなの無茶の内にも入らないんだろうな」
五木は宗像を眩しそうに見た。羨望の眼差しで。
「入らないさ、さあ、行くぞ」
宗像が駆け出す。
いったいその細い体のどこに、破天荒な発想と力が有るというんだ。
五木はもはや宗像に反抗する気力がない。
魔法を行使し、限界まで両足を強化する。M3を確認する。時速は六十キロ。消費MPは171毎分。
馬鹿げている。馬鹿げている。そう、心の内で宗像を罵りながらも、しかし、口には出さなかった。
太宰府市の長い道のりを走り続ける。
あと何キロで折り返し地点だろうか。
走りながら水分を補給する。汗が止めどなく流れ落ちていく。汗は、したたり落ち、地面を濡らす。
畜生。馬鹿げている。糞。非常識。
そんな罵詈を思い浮かべるが口には出ない。自分の残りMPは1500を切っただろう。確信があった。やがて緩やかな上り坂から、斜度がきつくなる。より激しいMP消費。だがこの坂を上がれば、竈神社に辿りつく。そうすれば、そうすれば……あと少しだ。
もう折り返し地点まで二キロ程度だろう。だがその先は?
帰りのMPがない片道切符だ。
畜生、畜生。鼓動が逸る。息が荒れる。
「見えたぞ」
宗像が言う。何が見えたというのだ?
五木は自分の視界が狭まっているのに気付く。
何が見えたんだ。
目を凝らす。
それは、……曉と東。それに高木だ。一年生三人の背中が見える。正確に言えば、曉を抱える東の背中と、高木だが。
折り返し地点である、宝満山登山口までおそらくあと一キロ程度。
「追いついたんだね」
高木が、五木と宗像に声を掛ける。
「ああ、まあな」
宗像は笑って応えた。
まったく。人の気も知らないで嬉しそうに笑ってやがる。こちらは、MPがもうないのだ。
だが、奇妙な事に気づいた。二年と三年は?
折り返し地点はもうそこだ。だがまだすれ違ってはいなかった。
それの意味することは、つまり、二年生と三年にも追いついたという事か?
そんなはずはない……そんな馬鹿な話が。
一年集団の五人は山道を登っていく。
傍から見ると、東と曉ペアは実に奇妙だ。小柄な東が大柄な暁を抱えて走っているのだから。だがタンクとはもともと奇妙な存在なのだ。
風見姉弟とてもそうだ。密着する必要があるタンク型は、アズハルにおいて奇異な存在だった。いや、アズハルといわず、魔法走において奇妙な存在だろう。先輩たちのように、抱き合って飛行する――東と曉のように、女がお姫様抱っこをする。
奇異で奇妙でぶっ飛んだ存在。だというのに速い。
なんだだよ。なんで速いんだよ。なんで、自分は遅いのだ?
募る苛立ち――
「五木、見えた、追いついたんだ僕たちは、これでインハイレベルの猛者に食いついたんだ」
少し開けた場所に出る。そこにはベンチに腰掛ける江崎部長の姿があった。それに風見姉弟、橘副部長が立ってこちら側を見ていた。
追いついた? 本当にそうか? 彼らはここで、一年生を待っていただけではないのか――
でなければ……
「へえ、一年坊主全員来たんだな、驚いた」
風見虎之助が全員の顔を見て、言う。
「それは私も予想外だな」
江崎部長は立ち上がり、辿りついた五人に近づいてくる。
「おいおい、麟。俺達は今日、本気で飛んだよな?」
「当たり前やん」
「ならなんで追いつかれている」
驚いたように風見姉弟が会話を交わす。
その会話の内容からすれば……一年生は快挙を果たしたようだ。この先輩たちは本気で走った。それに、追いついたということだ。喜ばしい事ではある。しかし問題はあった。もう帰りの分のMPが残っていないという事だ。
「うーん」
じっと風見麟が一年生を睨む。曉は東から降ろされ、二人は水分補給をしていた。高木も水分補給をしている。五木と宗像もそれに倣った。
すると風見麟がこちらへと近づいてきた。
「ああ、分かったよ虎之助」
にっこりと笑って、五木の前に麟が立つ。
「君、もうだめやね」
「え――?」
「酷使したんやろう? 片道切符やねえ、凄いけど、でも帰りの燃料なくなっちゃったわけか」
見抜かれている。心臓が逸った。いや、しかし見抜かれようが見抜かれまいが、MPが無い事には代わりがない。自分と宗像はもうだめなのだ。
「どういう事だよ麟」
後ろに居る虎之助が声を上げ、訊ねた。
「MPを全て使い切ったってことだろう」
後ろに居る江崎部長が代わりに答えた。
「ここからどうするん?」
麟が五木と宗像に訊ねる。
どうしようもない。ここかが終わりなのだ。
「アズハルはチームレースです」
答えたのは宗像だった。
「そやね、それで?」
「一年はちょうど五人居ます。だから、一年でチームを組んで先輩たちに追いつきます」
馬鹿な。第一そんな話し合い、して居ない。土壇場でチームを組んでも走れるわけがない。それに、チームを組もうがMPがないという事実に変わりはない。
「へえ、宗像君だっけ? でも、君もMPのうなった口やろう? チームを組んでも、無理なんじゃない?」
「秘策があります」
「面白いね、秘策なんて」
嘘だ。そんなのあるはずなかった。五木はただ茫然としているだけだった。
「じゃあ、うちら行くね、追いついてきいね」
虎之助が麟に近づく。走る準備をしているのだろう。
「先輩たち、抜いたら、何かご褒美ありますか――?」
だが、その行く手を宗像が遮る。なんだこいつ、何を言いだすんだ。五木はぎょっとする。
「えー? いいけど、どんなご褒美が欲しいん? うちのキスとか?」
いたずらっぽく麟が笑う。
「魅力的な相談ですけど、隣の弟先輩に殺されそうなので、遠慮しておきます。僕が欲しいのは、インハイ出場権です」
空気が凍る。それは、東や曉、高木もそうだし、三年の先輩もそうだった。
五木はただただ内心穏やかではない。宗像の不届きさに、呆れ、慄いている。
「それはうちの判断じゃ、無理やな」
「いいぞ」
間髪入れずに答えたのは部長だった。
「やれやれ、そんな口約束していいのか」
隣に立つ橘が肩を竦める。
「いいさ、一年に勝機はない。さあ、走るぞ」
江崎部長は駆けだした。橘副部長もそれに続く。
「麟、そうやって一年をからかうのはやめろよ」
虎之助はそう言って、麟に抱き着く。
「何? 嫉妬?」
「違う」
二人はそのやり取りを残し、飛び立った。
あとに残された五人――皆、一年だ。
その視線は宗像に注ぐ。当然だろう。先ほど、一年が協力して走るなぞ、嘯いたのだから。
いったい宗像はどういう提案をするつもりなのか。しかし、いくらチームレースだといっても、走るのは自分自身である。例えば曉と東ペアのように、魔力を流すという協力の仕方は、五木や宗像には不可能だ。魔力を流すにはそれ相応の訓練が居る。だからこそ東と曉はずっと練習には参加せず、タンクのペアとしての調節をしていたのだろう。
「それで?」
口を開いたのは東佳奈だった。
「どうするというんです?」
「車を出そう、大きな車を」
宗像は言った。
また突拍子も無い事を、と五木は呆れながら天を仰ぐ。
■
中学二年生の十月、地元でレースが行われた。個人競技、五キロ、1000MP制限のレースだ。
走者は八十人いた。大きな大会ではない。地元のシューズメーカー主催のごく小さな大会だ。
その大会に、五木と宗像は出場することになった。
だが五木は乗り気ではなかった。宗像と一緒に走るのが、堪らなく嫌だった。彼がとんでもないことをしでかすつもりだからだ。
「念のため聞くが、やっぱりやるのか?」
「当然だろう」
宗像は自信満々に答えた。
当然だろう、ではない。こいつは馬鹿なのだ。現実を知らない。
彼がやろうとしていることは常識外れで、論外な方法なのだ。
宗像は八十人の走者の中で出来るだけ前の方を陣取る。五木は宗像から離れるように、後ろの方からスタートすることにした。
「位置について……」
走者が皆、位置につき、走り出す準備をする。五木もそうだ。頭の中で両足を強化するイメージを行う。ピストルの音がするまで、魔法は行使できない。
「よーい、」
息が詰まる。ぱん。乾いた音が響く。
八十の足並みが一斉に駆けだす。基本的には皆強化型だ。中学生で、飛行やライドはそうそう居ない。
だが、誰よりも一番に抜きんでた、彼は強化ではなく――乗り物に乗っていた。ライド型だった。乗り物を具現化し、魔力を以て走らせる。
自分の足を使うわけではないので、疲労感はない。ただ魔力効率は最も悪い。乗り物を具現化する魔力と、そして走らせるために使う魔力と二重に魔力が必要だからだ。
しかし彼、宗像一はライドでこのレースを走り切る算段だ。
実に馬鹿げたことだ。
このレースは1000MPの制限がある。そのため、ライド型など論外なのだ。
加えて言うならば、宗像の出した乗り物は奇妙極まりなかった。乗り物と言っていいのだろうか? 宗像の全身を、何か機械のようなものがつつんでいる。言うなればロボットやアンドロイドのような。
馬鹿げている。普通車を具現化し、それに乗る。だが、彼はロボット。全身が鈍色に輝いた、少し古めかしい感じがするロボットだ。彼自身にその機械的なパーツを装着し、宗像自身がロボットに変身したような格好だ。走者の選手は誰もが唖然としている。宗像はそんなのお構いなしにぶっちぎりで、先へと行く。
早すぎる――誰もが思っただろう。それに、魔力が持つはずがない……!
だが五木はそのからくりを知っていた。
まさか本当に、ライドで走るとは思っていなかった。だが、宗像はそれをやってのける。彼は治癒魔法も注射器を具現化させるような男だ。もしかしたらライドこそ、彼の本来の走り方なのかもしれない。だが、この1000MP制限レースでは論外だ。
走者たちは圧倒的な走りを前に意気消沈するものが続出した。
「おい、あいつ、絶対MPオーバーするよな」
「そう言う作戦なんじゃないか?」
そんな会話が五木の目の前でやり取りされる。
何人かは、宗像のからくりに気づいたようだ。
開始から八分――ようやく、五木はゴールに辿り着く。消費MPはどれくらいか……競技用のM3には、表示パネルがない。自身でMP消費がどの程度が把握しなければならない。順位は良くない、既に九人ゴールしていた。
1000以内に抑えた自信はあった。だが……
「よう、遅かったな、五木」
宗像は随分先にゴールしていたようで、息は既に整っている。
「っち、で、当然一位だよな」
「ああ、タイムは三分二十二秒」
「はあ?」
五木は吃驚する。馬鹿げたタイムだ。無制限ならともかくMP制限のこの競技においては驚異的と言わざるを得ない。
「で、ペナルティは?」
そう、宗像は確実に1000MPを超過しているのは明らかだ。超過すれば5MPにつき、1秒のペナルティが加算される。だがタイムが三分二十二秒と言う驚異的なタイムであるならば……あるいは……希望が無いわけでもない。
「まだ出ていない」
「でも体感で分かるだろう?」
「体感か……正直言うと、空っぽに近い」
「空っぽ……?」
五木はすぐさま頭の中で試算を始める。彼の最大MPが4000程度だったと記憶している。ちゃんと調節はしているだろうが、常に最大MPというわけではない。だから空っぽになったということが、4000MP使ったという事はないだろう。しかし最低3000MPは使い切ったことであろう。2000MPの超過ならば、ペナルティは400秒。
「ちなみに二位のやつのタイムは?」
「知るか、七分くらいじゃないのか?」
七分か……そうなれば絶望的だな。一位にはなれない。結局こうなので。いくら早く走っても、超過ペナルティの重さには抗えない。こういった然程長距離ではない競技でライドが出来ないのはそのためだ。だが、それにしても……中学生でライドが出来るとは並大抵のことではない。無論、そう言った中学生が居ないわけではない。だから天才とは言えないまでも秀才とは言えるだろう。
しかし結局だめなのだ。それでは勝てない。一位にはなれない。
お前も分かっていたのだろう? 一位になれないことぐらい?
口には出さず、心の内でそう宗像をなじる。
「お、ペナルティが出たぞ」
大型の掲示板に、上位二十人のタイムと消費MPとそれに伴うペナルティ、そして、ペナルティ差し引きのスコアが表示される。スコアはタイムを秒数表示に直し、そこからペナルティを引いたものだ。もっとも、選手はM3に自分のデーターが表示されるから、それを見れば済む。
五木は自分のM3を確認する。順位7位――消費MPは979でペナルティはなし。タイムは八分二十二秒。そのままスコアが502と表示される。これがこの大会での成績となる。
だとするならば……おそらく宗像は自分より下なのだろう。
「どうだった?」
「うん」
宗像はそれだけを言う。
電子掲示板を見上げた。そこには、宗像の名前はない。つまり……上位二十位にも入っていないことを意味する。二十位のスコアは560。そうなると宗像のタイムは、200秒程度であるため、360秒程度のペナルティは最低喰らったという事だ。つまり1800MP以上の消費をしたということだろう。
「見せろよ」
五木は宗像の腕を掴む。
M3のディスプレイを確認する。タイムは三分二十二秒、消費MP3777、スコアは957だ。
最低のスコアだった。五木が502であることからしてもそれがうかがえる。五木と宗像の実力は伯仲しているから、五木と同じように走れば彼も10位以内には入れたはずだ。それを奇特な走り方をしたために、二十位にも入れなかった。下手をすれば、最下位ではなかろうか。
「普通に走れば、十位以内には入れた。もしかしたら入賞してたかもしれない」
諭すように宗像に言う。だが宗像は五木を睨み返した。
「でも、一位にはなれない」
「そうだったな、一位のスコアは431。ペナルティなしだから……七分十一秒。速すぎるな」
「それでは意味がない」
「でも、そのスコアじゃ最下位だろう?」
「ああ」
「それこそ無意味だろう」
「ジュリはそう思うか?」
「思う」
「何故だ?」
「何故? 最下位に意味があるのか?」
「馬鹿だな。そうじゃないさ、僕は……最下位になりたかったわけじゃない、一位を目指しただけだ。一位になれないなら、七位だろうが最下位だろうがそこに大きな差はないさ。そうは思わないか?」
宗像はすました顔で言う。
五木は溜息を吐く。剛情な奴だと思った。
この世界にある、まだ誰もが挑戦したことのないような事と言うのは、敢えて挑戦していないだけなのだ。結果が分かりきっているから。あるいは、挑戦したけれども後世に残っていないだけなのだ。いい加減それを分かれよ。五木はそう言おうと思った。でも止めた。
最下位に意味はない。では自分のこの七位に意味などあるのか?
ない。ないが、最下位よりましだ。
五木はその時、そう結論付けた。
■
「車を出そう。大きな車を」
東の質問に宗像はそう答える。
「却下よ、あなたと走ってもメリットはないわ」
だが、間髪入れず答えたのは、東ではなく高木聡美だった。
却下――それはそうだろう。五木が高木ならば同じようにするはずだ。
そう、かつて宗像に誘われたあの日のように。
あの大会で、宗像がああいった無茶な走りをするのは事前に聞かされていた。そして「五木も」と誘われたのだ。五木はそれを断った。「却下」した。そんな事馬鹿げているからだ。実際あのあと結果を知らされた顧問の先生に、宗像はこってり絞られた。
当然の結果、恥さらしの結果――
「ある」
「宗像君たちはMPもうないんでしょう?」
「ああ、ない。だが、曉君、君は持っているんだろう?」
視線が曉翼に集まる。
彼はタンクだ。相当のMPを持っているはずだ。噂によれば、それは風見虎之助を凌ぐという。曉はたじろぐ。
「ある事はある、だが、それは今この瞬間でも東が俺の穴を塞いでいるからだ……知っているだろう、俺は魔力制御疾患なんだ」
「無理よ、彼のMPは東さんが扱えるだけ、でしょう? でも、曉君のMPをあんたに流すなんて無理な話よ」
「いいや、できる、そうだろう東佳奈さん」
宗像は自信ありげに言った。
どうなっているんだ、この状況。また宗像得意のはったりだろうか。根拠がないのにいつも自信満々に言う。あの五キロ、1000MP制限のレースの時だって、これで絶対一位になれると豪語していたではないか。
「できる。でも、わたしだってライドはできます、君の力はいりません」
東はそう言った。
「できるだろうね、そんなの誰だって出来るさ。でも、君のライドは速いの?」
宗像は笑うように挑発するように返す。
「君だって自己紹介では、強化型と言ったじゃないですか」
東は食って掛かった。
「もういい、時間の無駄ね。私は行くわ」
高木が走り出そうとする。だが……
「待て! 無意味だろう、高木聡美さん、君は、先輩たちに追いつけると思っているのか?」
宗像はそう切り出した。
五木は天を仰ぐ。またそれか。五木に対して、完走など意味はない、と言った。
同じ論法を使うのだろう。
高木は黙る。悔しそうに歯を食いしばっていた。
「わたしたちは自信があります」
東は躊躇なく、宗像に食って掛かる。
馬鹿げている。完全に蚊帳の外になってしまった五木はそう思った。こうしている間にも、時間は過ぎていく。先輩たちはゴールへ近づいている。休憩はもういいだろう。走り出そう。
だが、五木の体は動かない。口も動かない。いつもなら、宗像の考えをバッサリ切り捨てる所なのだが。何故だろうか。
「五木」
宗像が振り返った。
「僕たちは疲れている、そうだろう? 神様による休息が必要だ――」
五木は、宗像が何を言いたいのか分からなかった。きょとんと宗像を見返す。だが、今、皆の視線は五木に集まっている。
何をすればいいって言うんだ一体?
しばし、思考が停止する。何を求めている? 疲れている? だからなんだ。だからどうしろというのだ。回復させろという事なのか。だが、回復魔法なんぞ……
そこで、気づく。彼の狙いに。だが、そんな狙いは無謀なものだ。残念ながら、宗像の期待には応えられそうになかった。いつもそうだ。
(私はいつも、こいつの期待には応えられない)
こいつは、身勝手な奴だ。
全く、身勝手な奴だ。ま、だめならだめでいいか。五木は
目を瞑る。頭の中で回復の術式を組み立てる。五人分のだ。いや、それではだめだ、MP消費が激しい。頭の中で、保生大帝の姿を思い浮かべる。台湾の神様――銅像の姿。大柄な姿、首から大きな数珠を二つ提げている。頭には帽子があり、凛々しい目。あの銅像を思い浮かべる。組み立てる術式は二つだな、回復と具現。「保生大帝」とその名を口にする。目を瞑っているが、魔法を行使する。手ごたえはあった。目を開けば「保生大帝」の像が目の前に具現しているはずだ。回復するときは、いつもその銅像が自分の回復してくれる場所に手を当ててくれる。そう言うイメージで回復魔法を行使する。だが今は、五人だ。一々そんなイメージでやっていたら埒が明かない。
だからイメージを切り替える。そうか、大きな数珠だ。あれを使えばいい。銅像の首から下げられている二つの大きな数珠。それを取り外す。五人を囲むように広げる。
あくまでもイメージだ。目を開いた時、どうなっているか分からない。
呪文はどうしよう。広範囲回復など、使う機会はなかった。
オリジナルか。どうせ、この数珠を使うんだ。魔導書なんぞには書いていないだろう。
シンプルに、「回復しろ」か?
それとも「キュア」とか?
分からない。オリジナルとしても、どういった呪文か思いつかない。早くしなければ具現した銅像を維持するだけでも、MPが削られていく。
「保生大帝……」
出てきた言葉はそれだった。
暗黒の中、暗闇の中、ぼうっとその銅像の姿だけが浮かんできて、思わずそう呟いたのだ。
そして。
「お願いします」
それは心の中で言った言葉のつもりだった。呪文ではなかったはずだった。
でも口に出していた。
その刹那、体に暖かい光が灯った。目を瞑っているのにパッと光が広がった気がした。
いや、そうではない。五木は目を開いたのだ。
視界には、ほころぶ表情の宗像が、そこに立っていた。
「よくやった」
と彼は言う。