第一章 疾患の話
小さな頃、あれはまだ幼稚園のころ。魔法闘士になるのが当然の夢だった。あるいは、魔球選手だったか。
小学生になって、魔細工師という仕事を知る。そういう道もありかな、と思った。
誰しもがそうだった。男の子ならば誰しもが、そういった魔法関係の仕事に就きたいと思っていた。
派手でかっこよく世の中の役に立つ、あるいは賑わせるスター的な存在になりたい。そう願うものだ。
曉翼もその例に漏れず当たり前のように魔法関係の仕事を志し、そして中学半ばに諦めた。
絶望的にまで才能がなかった。それが理由だった。
失意のまま高校へと入学する。
夢を諦めた彼は、もはや何の希望も高校に抱いていなかった。
■
入学式も終わり本格的に授業が始まる。四月十日が授業開始日だった。中学からの知り合いはクラスに一人しか居ない。高木聡美という女だ。
しかし、さほど仲がよいわけでもなく、女子ということもあり、話すこともしていない。目を合わせば挨拶をする程度だ。
腑抜けになった曉は、特に回りと話そうという気力も起きず、無為に授業時間を過ごしていた。
「部活動何する?」
「やっぱり魔法研究部か魔闘部じゃない? それか魔球部かなぁ」
「えー、魔法研究部とかダサそう」
「そう? かっこいいと思うけど」
そんなクラスメイトの会話を横目に曉は机に伏せる。無情な無慈悲な会話だ、と彼は思った。
そういった部活に入れたらどんなに幸せだろうか。しかしそれは無理だ。無理でないにしろ、ただ惨めなだけだ。
何故なら曉には魔法における才能が絶望的に無いからだ。
ぼんやりと黒板を眺め、先生たちの話を聞き流していく。最初の授業という事で、先生たちの自己紹介であったり、当たりさわりのない授業紹介であったりと、時間はただ茫漠と過ぎていく。
昼休み、母から持たされた弁当を自分の席で食べながら、ああ今昼休みなんだな、と思った。曉の意識は完全に上の空で、自動的にただ人生の流れの中に身を投じている。そんな感じがした。
「ねえ」
後ろから声がする。
「ん?」
振り返ると女が座っていた。背丈は低い。髪は短いボブカット。幼いながら落ち着いた雰囲気を醸し出している。どこか人懐っこい笑みを浮かべている。豆柴のような、という形容がしっくりくる黒髪の女だった。
「えーっと、名前なんだっけ?」
まだ全く名前と顔が一致しておらず、後ろのそいつも曉は知らない。
「東佳奈だよ。ヒガシに佳作のカに奈落のナ。それでアズマカナ」
「東ね、で、何?」
東か。その苗字自体は有り触れたものだが、東道貞という有名な魔法闘士がいるため、曉はやや興味を持つ。東道貞は今年齢四十の魔法闘士だ。彼の憧れの一人だ。
だがすぐに興味を失せる。東道貞は確か東京出身の魔法闘士だ。ここは福岡だから、あの道貞の娘ということはないだろう。
「いや、何というか……あれですよ、部活どうするんですか?」
東はそう訊ねた。
まあ、彼女は単に高校初日に、目の前に居るクラスメイトに話しかけた、それだけの話だろう。
「部活ね……さあ、東さんは?」
「うん、魔走部に入ろうかな、と思っています」
「ふーん」
「曉翼でしたよね、名前」
「そうだけど」
「じゃあ、わたしと一緒に魔走部入りませんか?」
その小さな女は、曉より背が低く形容するならば豆柴というのが適切な女はそう誘った。
魔走部――さまざまな魔法系部活の中でも、そこそこ人気に高い部活だ。曉も中学時代は、魔走部にするか、魔闘部にするかで迷ったことがある。
魔法走は魔法競技の中でも一番の花形とはいいがたいが、メジャーな競技だ。
だが、……
「誘ってくれて嬉しいけど……俺魔法系の部活はパス」
「え? そうなんですか?」
「いや、何で意外そうな顔するんだ?」
「だって曉君、授業中ずっと鍛錬していたでしょう」
「は? 鍛錬?」
「うん、まあ普通あんなの気づかないだろうけど、実はわたし目がいいんです」
東は笑って自身の目を指さす。
曉は考えあぐねた。何かよくわからな言いがかりを付けられているような気がする。
鍛錬って何だ? 曉は普通に授業を受けていただけだ。
「悪いけど……俺は魔法の才能、絶望的に無いんだ。だから魔法系の部活はパス」
めんどくさそうなやつだな、と思い曉は事実を告げた。そう告げれば、こいつは納得するだろう。
「え?」
東は困惑の視線を曉に向ける。
そして突如腕を伸ばし、曉の肩をつかんだ。
「おい、なんだよ」
「どうして嘘を付くんです?」
東はじっと曉を睨む。腕には、手には力がこもっている。
なんだ、これは。
高校生活初日。後ろの席の女に、自身より身長の低いチビに、突然肩をがっしりと掴まれたのだ。暁の当惑は甚だしい。
「えーなにあれ」
「恋人かな?」
クラスのヒソヒソ声が聞こえる。
曉は面食らう。
違う。クラスの声に曉は心の中で反応した。
高校生活初日なためか、クラスメイトは一部を除き、ほとんどが教室に居た。そのため、沢山の視線が曉と東を見て居る。
「嘘じゃない、ていうか、手を放してくれ」
東の手を振りほどいた。
「あ、ごめんなさい……」
東はすぐさま力を抜く。曉は東の手を振り払った。
「嘘ってなんだよ」
「ご、ごめんなさい。何か事情があるんですよね? それなのに大声で、ごめんなさい」
「いや、事情とかねーよ。俺は本当に才能がないんだ」
曉は気づかぬうちに大声を出していた。そんな大きな声を出すつもりはなかった。しかし、才能がないというのを、口に出すのは思ったよりも辛い。その事実を、自分で口に出すのは辛い作業だった。
「え……気づいてないんですか? え……じゃあ……」
東は訳の分からないことを言う。思わせぶりな言葉を話す。
ウルサイ。
才能がないのは己で分かっている。
初級魔法も満足にできない。中学生レベルの魔法が扱えない。殊魔法に関しては劣等生の己は、中学三年間で身に染みて理解している。
――魔法の才能が開花するのは、早い人も居れば遅い人も居ますよ。
中学魔闘部の顧問がそんなことを言っていた。
そんな気休めみたいな言葉を。中学一年の時はまだそれを信じていた。俺は努力が足りず、そして才能がまだ開いていないただそれだけなんだ、と。
でも、努力し続けても一向に曉の能力は上がらなかった。まるで駄目。初級魔法を扱えない、欠陥者だったのだ。
「うぜえ。なあ、あんたが何なのか知らないけど、俺は魔法が使えない。才能がないんだ。惨めだからこれ以上話しかけないでくれ」
曉は東に背を向ける。高校生活初日はそんな感じで、糞ったれに過ぎていった。
■
四月十一日、高校生活二日目。その日から部活の勧誘が始まる。朝からさまざまな部活がチラシを配っていた。曉は特に入る部活は決めて居なかった。帰宅部でいいかなと思っていた。
朝の一時間目を使って部活の紹介を行った。新入生は皆体育館に集まり、先輩たちのパフォーマンスを見たり、紹介を聞いたりする。
それらを全て聞き終えても、やはり暁は帰宅部でいいかな、と思っていた。
曉の心は茫洋としていて、いうなれば人生に絶望していた。
だが、心を激しく揺さぶる――急き立てる物もある。それも悪い方向へ。
魔闘部の存在だ――
魔闘部の先輩二人が部活動紹介をし、軽いパフォーマンスを行う。
女の人と男の人が体育館ステージに立ち向かい合った。二人は制服姿でユニフォームは着用していなかった。女が右手を差し出す。そこから氷の刃が噴き出る。男が右手を差し出す。そこから焔の刃が噴き出る。ぶつかり合う氷と炎の刃。二人は距離を取り、閃光を迸らせる。魔法と魔法の応酬。それがパフォーマンス用の形式ばったものとしても……曉はその姿に憧憬を抱かずにはいられなかった。
純粋にかっこいいと思う。そして、そして、……
(俺もそうなりたかった――、でも、俺はなれない)
曉は失意を感じたまま、教室へと戻る。
あーあー、やっぱ帰宅部かな。そう考えていた。
ただ茫漠と授業をこなし、昼食を食べ、掃除をし、帰宅する。それだけだ。
家に帰って……漫画を読むかゲームをするか……そんな生活でいいか。
その日もすぐさま授業が終わり、HRの時間になっていた。曉はぼんやりと廊下を眺めながら、先生の話を聞き流していた。
「おーい、部活勧誘週間は一週間だからな。来週の火曜日までだ。入部届二枚配るから、部活に出したら私にも出すように」
担任の先生が入部届を配る。曉は漫然とその紙を後ろへ回す。
後ろは東だった。あのチビだ。
「ねえ、曉君。放課後ちょっといいかな? てか今から」
「はあ?」
なんだこいつは。うぜー。曉は心の中で溜息を吐く。
「嫌に決まっているだろう。部活見学一緒に行こうってか?」
「どうして?」
「魔走部には入らねーよ」
「うーん、魔闘部に入るの? 確かに魔闘部のほうが花形だけど、魔走部も面白いよ」
曉はカバンに教科書を詰め、立ち上がる。
「どっちも入らん。てか帰宅部だ俺は」
さっさとこんなウザイやつから退避せねば。そう思い曉は教室を出る。が、東が曉の手をがっしりと掴んだ。小さいくせになかなか力が有る。
「まて、暁」
しかし次に曉を止めたのは東ではなく、担任の先生だった。長身で細長い眼鏡の男だ。
「なんすか先生」
「この高校は、部活に強制加入だぞ」
「え?」
「帰宅部はない、何かに入れ」
「まじかよ……」
「マジだ」
それだけを言い残し、先生は去っていく。その先生の背中を見ながら曉は暗澹たる気持ちで、手芸部にでも入ろうか、と考えていた。
「ねえ」
声が後ろからした。東だ。
東は笑顔で暁を見上げている。その笑顔に少しドキリとする。そもそもこの女は何故、自分に構うのか? 曉の困惑はいよいよ募る。まさか自分のことが好きなのか? いや、そんないい方向に捉えるのは良くない。曉は冷静になる。だが、自分が部活に誘われる理由が皆目見当つかない。
「ねえ、今から部活見学いかない?」
「魔走部だろ? いかねーよ」
「ねえ、行こうよ」
「しつけえ! なんだお前。俺とお前は初対面だろう? 別の奴誘えよ」
曉はそそくさと廊下を歩く。さっさと帰るに限る。だが、そんな曉の前に東が立ちふさがった。そしてあろうことか、廊下で土下座を始める。
「あ? な、なんだよ! やめろ」
「お願い、見学だけでいいから!」
まだHRが終わってないクラスもあり、廊下にいる曉たちは注目の的になってしまっていた。曉は身長が一七五ある。対する東は一六〇もないであろうちびだ。付け加えていうなら曉は目つきがあまりよくない。端から見れば、曉が東を虐めているように見えなくもない。
「わかった、見学くらい行ってやるから、行くぞ」
羞恥から即座にその場を離れたかった。曉は東を掴み、立たせその場を離れグラウンドへ急ぐ。
「ありがとう」
東は満面の笑みで曉に言うのだった。
曉は顔を逸らす。
■
(なんで俺はこんなところにいるんだ?)
曉は俯いて暗澹たる気持ちに襲われた。
グラウンドへ出て、曉は体操服に着替えていた。見学どころではない。体験入部に近い形式のようだ。
実際に走らなければならないらしい。勘弁してほしい。曉は嘆く。
単なる陸上競技ならば、救いがあるが、魔法走となれば話は別だ。曉は魔法が使えないのだ。完全に自分の足でしか走れない。
「参加者五名か、少ないね。さて、経験者はいるのか?」
スタートラインには二年生の先輩と、見学者の一年五人が立っている。説明をしているのは女性の先輩だった。
「へえ、一人いるね、名前は」
「東佳奈です」
見れば東が手を挙げている。他に手を挙げている一年は居ない。
「ふーん、どこ中学出身?」
「あの……東京の中学です」
どこか言いにくそうに東は言った。
「東京? そうか、わざわざ福岡までご苦労やな」
東京だって? そこで初めて東の出身が東京だとわかる。確かにこの女性の先輩の言うように、わざわざ福岡という遠いところの高校へ通うなんてご苦労なこった。
「競技とタイプは?」
「アズハルの強化型です、サポーターをしていました」
「へえ、サポーター出来るったい」
女の先輩と、東が何やら専門用語を使い会話をしている。曉には何のことかさっぱりだった。
「さて、皆今から走ってもらうけん。ルートはこの高校の外回り。それを、そうねー、五周くらいかな」
曉は唖然とした。五周? どのくらいの距離になるかは解らないが、一キロはゆうにあるだろう。それを五周?
五キロ?
「外周は、一周、一・三キロメートルだ、つまり五周で六・五キロメートルある」
その先輩は、平然とそう言った。嘘だろう。曉は絶望する。七キロも走れば、自分と他の一年の差が歴然となってしまう。何せ自分は魔法を使えないのだ。
「さて、魔走部の体験入学だ。皆位置に着け」
先輩はぐっと、半身をかがめる。後ろで結ぶ長い髪が揺れた。
あの長い髪は邪魔になりそうだと曉は思った。大体スポーツ選手は一般的に短髪ではないだろうか。
「よーい、どん!」
暁がぼんやりと考えていると、先輩が、そう叫んだ。合図とともに、皆走り出した。
曉もだった。
わけもわからないまま、走り出す。
「なんだよこれ」
自然ぼやいていた。
すぐさま差が開く。皆、曉より先に走る。
当たり前だ。皆は、魔法で足を強化しているのだ。
曉が叶う道理が無かった。
だが奇妙なことに気づく。
あの、女の先輩が前にいなかった。
後ろを振り返る。先輩はまだ、スタートラインにいた。憤然とした態度で立っている。
え? と思った。
あの人はなにをしているんだ? 何故走り出していない?
が、そう思った刹那、先輩は消えた。
いや、違う。
「お前、遅いな」
先輩は曉の目と鼻の先にいた。
一瞬で距離を詰めたのだ。およそ五〇〇メートルくらいだろうか。先輩の整った顔が曉の目の前に迫る。身長は曉より低い。目つきは鋭い。後ろで結った髪が風に揺れる。
「なんだ、魔法を使ってないん?」
先輩は曉の足をじっと凝視した。
「俺才能ないんです」
とっさに、暁は答える。
「は?」
先輩は呆れ顔で暁を見返した。
「才能って魔法の?」
「そうです」
「ふーん、魔法の才能ね」
先輩はよく見れば胸が大きかった。こういった競技をするうえで邪魔にならないのだろうか? そんなくだらない考えが曉の脳裏を過ぎる。
「まあ、気にせんときい。魔法走は、魔法が全てではないけん。肉体と魔法のコラボレーションが基本やけん。魔法が足りないなら体力で補えばいいんよ」
「あ、そうじゃなくて、魔法が全く使えないんです」
なんだこれ。何で俺は目の前の女性に、己の無才を強調している? 曉は惨めだと思った。
これも全てあのチビのせいだ。
「あっそう、なら、止めときい」
先輩はそれだけを言い、曉の隣を通り過ぎる。彼女は飛んでいた。飛行だ。飛行系の魔法を使い、瞬く間に、先行する新入生達を抜いていく。
一瞬で曉の視界から消えた。
なんだあれ。
なんだ、なんだ。
空を飛ぶのか。しかもあの速さ有り得ない。時速何キロだ?
曉は愕然と先輩の消えた方を見ていた。
そして、やはり自分のいる世界ではないと思った。魔法の使えない曉の世界ではない。帰ろう。そう思った。思いながら、その場を動けなかった。視線は先輩を探していた。
二分ほど、スタートラインの校門から五十メートルも離れていないその場所で先輩の姿を探していただろうか。
先輩が再び見えた。曲がり角を鋭角に曲り、飛んでこちらへと肉薄する。僅かな時間で一周したのだ。これが魔法の力か。曉は愕然とせざるを得ない。
「なんだまだいたん?」
「かっこいいですね」
「なら入るん?」
先輩は笑顔を浮かべるでもなくぶっきらぼうにいう。
思わず頷きそうになるが、慌てて首を横に振る。
「そうか、ならなんでここにいるんだ?」
「クラスメイトに誘われて……でも、帰ります。ごめんなさい、才能ないんで」
曉は言った。そして先輩に背を向ける。
だが、踵を返した暁の目線の先には奴がいた。東佳奈だ。
彼女も、わずかな時間で一キロを走って来たというのか。曉は驚く。
「彼はわたしがつれてきました」
今にも飛び出さんとする先輩に向けそう言った。
「そうか、あんたなかなか早かね。タイプは強化だったっけ」
「はい、強化です」
「ふーん、で、なんでこいつ連れてきたん? こいつ魔法使えないって言っているけど」
「彼には才能があります」
東は決然と言う。曉は頭抱えた。
「ふーん、まあ、どうでもいいよ。部活に入りたいなら歓迎するし、泣き言言うなら置いていく。それだけのことたい」
先輩はそう言うと再び飛び、隼のように飛去る。
「なんだよ、ふざけんなよ。お前さうぜーよ」
曉は東に怒鳴った。
才能がある? そうじゃないことは己がよく知っている。
「暁君、わたしの手を取ってくれませんか?」
「は?」
「いいから!」
東は、叫び、そして有無をいわさず、曉の了承を得ずに手を握る。力強く強く握り締められる。温かい感触が曉に伝わる。べっとりと東の汗が、曉の手に張り付く。曉は思わず赤面した。
「やっぱり」
東はそう呟いた。
彼は相変わらず力強く握りしめている。
「離せよ!」
暁は東の手をふりほどこうととした。が、だめだ。離れなかった。
「おい、ふざけるのもいい加減にしろよ」
「追いつくよ、先輩に――」
東はそう力強く言う。その手は相変わらず力強く暁の手を握りしめ離さない。
「――隼の如き飛翔」
魔法の詠唱だ。東の体が光る。
そう思ったときには、体が浮遊していた。ギュッと握りしめる東、そして握り締められる暁の体が浮遊したのだ。
強烈な風が、暁を襲う。
(風?! 違う、風が吹き付けているわけではなく……俺が飛んでいる!?)
アスファルトから一メートルほど浮いた暁と東は、猛スピードで学校の周りを飛ぶ。校門から続く壁に沿って、最短距離を飛んでいく。壁とはすれすれだ。
曉を支えているのは、東の腕一本だ。不安定な姿勢だが、風以外特に不自由を感じない。
(こいつ……飛びつつ、俺を魔法で支えているのか……!)
まずは最初の曲がり角。ほぼ九十度に曉と東は曲がる。
曲がったところで、先輩の姿が目視できた。
「追いつきます」
東が言った。その刹那、強風が曉を襲う。風が吹いているわけではない、それだけ速度が出ているのだ。
このチビが……?
東は曉の手を握り滑空しているのだから、二人分の人間を運んでいることになる。このチビにどれほどの魔力があるというのか。
先輩の姿が瞬く間に見えなくなった。角を曲がったのだ。
だが、曉と東も一瞬で、次の角へと近接する。
校舎を取り囲む壁すれすれを東は飛び、ガクッと直角に曲がった。曉にはそう感じられる。
「よう、お前強化型じゃなかったのか」
曲がり角を曲がった先には、先輩が待ち構えていた。ダークブラウンの瞳が東を睨んでいる。
「強化型ですよ」
東が応えた。
「ふーん……」
「行かないなら行きますよ――虎足、鉛足――」
詠唱が終わった刹那、東は浮遊を止めた。地面に着く。いや、地面に落下する。重い一歩だった。東は曉の手を放さぬまま、一歩を繰り出す。
鉛になったかと思った。己と東は鉛になったのだ。東の一歩は、いや己と東の一歩は鉛より重く、そして鋭く速い。
地上を何度蹴っただろう。おそらく数回。たったその数回の蹴りで、東と曉は次の曲がり角へと足を着いたのだ。
浮遊するよりはるかに速い――
全身に激しい衝撃が走る。
これが魔法走? 普段思い浮かべているものは違う。テレビで見るのとは違う。テレビで見る魔法走は、とても華やかだ。地を豹のように駆け、空を飛び、乗り物に乗り爽快に走る。
だが現実は違う。
逸脱している。華やかなんてものではない。
重い。泥のようだ。全身にかかる負荷は尋常ではない。
ただ泥沼のように、大量の魔法を、魔力を放出し、前進するのだ。
すぐさま最後の曲がり角が見える。
校舎は長方形のような形をしているので、四つの角を曲がり、少し行けば一周だ。一周、一・三キロを、どのくらいのタイムで回っているのだろうか。
暁には理解できなかった。
そして、これが己の憧れていた魔法の世界だと知る。決して自分の手の届かない世界だと知る。
ゴールは間近だった。
「なるほど、強化が本命だけど、飛行もできますってか」
背後から声がする。女の声。先輩の声だった。
追いつかれた――
「ライドもできますよ」
「何?」
先輩は驚きの声を上げる。そんなやり取りをしている間に、ゴールラインを踏む。先輩と東は二周。曉は一周走ったことになる。
「やってみろよ」
「ええ、もちろん」
ゴールラインを踏み、東と先輩は立ち止まった。
東が魔法の詠唱に入る。
「――対輪、廻れ」
次の刹那には、曉は乗り物に乗っていた。それはバイクだった。東がバイクに乗り、曉はサイドカーに乗っている。
「バイクか……いいだろう、競争だな」
「ええ」
先輩は瞬く間に飛んでいく。初動は先輩に軍配が上がる。
やや遅れてエンジンの掛ったバイクが、東と曉を乗せたバイクが走り出す。
もはや曉は完璧な観客だった。
東と先輩の競争を傍から見ている傍観者だ。加えていうならば特等席で観戦している。自分は競争していないのに、競争者の間近でレースを見ているのだ。
東のバイクやはり壁際ぎりぎりを走る。そして曲がるのは直角に、だ。
強烈な風が、曉に吹き付ける。
曉はそっと東を盗み見る。真剣な顔つきで、全身から汗が噴き出ていた。当然だ、飛行で約〇・六キロメートルを高速で滑空し、その後足を魔法で強化し〇・六キロメートルを走破したのだ。更に今はバイクで走っているのだ。
全身汗だらけなのは当然だろう。
しかし――
(どうして、俺まで汗だくなんだ……)
汗が噴き出るような状態になっているのは、曉も同じだった。それに全身に激しい虚脱感と疲労感がある。――全力疾走した時のような、そんな感覚が容赦なく曉を纏わりつくのだ。
魔法で具現化させたバイクに乗りながら、なお、東は曉の手を力強く握っていた。
レースは佳境だった。既に先輩と東にとっては三周目のラインを踏み越えている。
「あと、二周やねえ!」
前を走る先輩の声が、東と曉に向けられた。東と先輩の間には、目視で五十メートルほどの差がある。
「さあ! 飛行もライドも見せてもらって、うちは満足だよ! もういい、お前の十八番で勝負しい!」
「望むところです、――虎足、鉛足――」
一瞬でバイクは消失する。ふわりとした浮遊感が襲う。だが、もう次の刹那には鉛のように重い一歩を、踏み出していた。
強化。東は足を強化し、大きなステップを踏む。
その間、曉は完璧に東の腰にしがみ付いていた。それが精いっぱいだった。振り落とされないようにするのが精いっぱいだった。女の背中にしがみ付くなど……羞恥はあったが、それどころではなかった。
当然疑問も湧く。
(何故俺を置いていかない? その方が速く走れる上に、負担もない……)
その理由は見当がつかない。だが、手を放せば瞬く間に振り落とされ、負傷するだろう。それ故放せなかった。
四週目を過ぎたところで東は失速し始めた。
さすがに疲労が激しいのだろう。
動悸が激しい。息が荒い。
だが、それは曉も同様だった。全身を襲う激しい疲労感。十数キロを走ったような疲労感が襲うのだ。
東は最後の曲がり角を曲がる。直線上ゴールには、先輩が仁王立ちで居た。
「早いですね……」
ゴールをした東は先ず、先輩に対してそう声をかけた。完全に息が上がっている。それは曉も同じだ。喋ることもままならず、校門の前で倒れ込んでいる。
「お前も早いな、東。しかもサポーターやったね? そのくせその速さって上出来。しっかしさあ」
先輩は仰向けに倒れた曉をぎろりと睨む。
「なんでお前まで、息上がっているんだ? お前もしかしてタンクか?」
タンク? 知らない単語が出て来る。無論「タンク」自体は貯蔵庫とかそんな意味だという事は知っているが……。自分がタンクとはどういった意味だろうか。
「彼は、タンクです……」
東が答える。どういう意味か、曉は考えようとしたが、頭がうまく働かない。それだけ疲労が激しい。
「そうか、成程。うちの名前は風見麟、宝満高校二年、魔法走部エースだ、よろしくね」
先輩が握手を求めた。しかし曉の手は上がらなかった。
だめだ、訳の分からないところで話が進んでいくし、考えもうまくまとまらない。なんだこれは……。
先輩は上がらぬ曉の手に触れた。柔らかい手だった。白い手だった。
次に先輩は東とも握手をする。東は既に座れる程度には回復していた。
「今年は、確実に行けるね」
先輩が嬉しそうに言った。
「何がです?」
東が訊ねる。
「インターハイ」
「なるほど、……行きましょう!」
東は威勢よく言うのだった。
インターハイだと? そんなに激しい部活なのか。絶対俺は入らないぞ、と曉は心に決めていた。
しかし……そういえば、他にも新入生たちは居たはずだ。
東と走っている時、おそらくは抜いたのだろうが、全く気付かなかった。風景が全く見えなかったと言ってもいい。
鉛のように重い走りで、蜂のように軽く速く飛び……それに、バイク――あれほど早く道を走った事など初めてだった。これが魔法の世界か。俺の憧れ、しかし届かぬ世界か……
この世界に入りたいという気持ちはあるが、しかし、己は無才なのだ。
曉は東を恨めしく思った。何故、こんな世界を少しばかりでも体験させたのか。この届かぬ憧憬世界を……
■
時刻は夕方だった。帰路をとぼとぼと歩く。
あれから、他の新入生達もゴールした。東ほどではないにせよ、皆暁に比べれば格段に速かった。当然だ魔法を使っているのだから。
それに比べて自分の体たらくは何だろう。
その後、先輩たちが競技の説明をする。しかし、曉はほぼ聞いていなかった。部活に入るつもりはなかったからだ。やはり非魔法系の部活に入らなければと、思う。
説明も終わり、曉はすぐさま家に帰ろうとした。
だが、駅の目前で、呼び止められた。
「曉君」
振り返るとそこには東が立っていた。
小さな身長、それに、――ひ弱そうな肉体。力で争えば暁がいとも容易く組み伏せてしまうだろう。だが、先ほどのレースで彼女は圧倒的な速さを見せた。
「なんだよ」
「話があります」
「……部活に入ろうってか」
「そうだ」
「……断る」
あの世界は自分の立ち入れない世界なのだ。曉は踵を返す。
だが肩を掴まれる。苛立ちが募る。
「何だっていうんだ、言っただろう、俺は魔法の才能がない」
「才能? 才能って何?」
「なんだよ、俺はお前と頓智問答をしたいわけではない、俺は魔法が使えない。絶無だ、皆無だ、才能がないんだ!」
「魔法を使う才能がないってことね」
「そうだ」
「でも、君にはタンクの才能が有る」
「タンク?」
先輩もそんなことを言っていた。いったいタンクとは何を指すのか。
「タンクは魔法走の用語です。給油係と呼ばれることもあります」
給油係? それって水を受け渡す人たちのことか?
なんだそれ。そんな才能が有るって、意味が分からない。受け渡しに才能も糞もあるのか。曉の中に怒りがふつふつと募っていく。
「水の受け渡しに才能なんか要るのか!」
曉は叫んだ。
「え? か、勘違いをしているようですね。そういうわけではないです、ちょっと話をしませんか。わたしの家、すぐそこなんですよ」
「嫌だ、俺は――」
魔法系の部活には入らない。そう言おうと思った。だが、唖然とする。東は土下座をしていた。
「お願いします、たぶん君が居れば……わたしと君が居れば、全国狙えます」
曉は大きくため息を吐く。こいつは何を言っているんだ。と言うよりも、今すぐこの場を離れたいという羞恥心が湧いてきた。
「分かった話だけは聞く、でもそれで俺が納得しなかったら諦めろよ」
暁のその言葉に、東は顔を上げ笑顔を向けた。
■
「お前一人暮らしなのか?」
確かに東の家は学校から近かった。徒歩十分と言ったところか。
ワンルームのアパートだった。
「ええ」
冷静になって考えると、女性の家など初めて来る。その事実に気づいて、曉は少し落ち着かなくなる。ただ東の部屋は、曉の想像する女の子の部屋像にはそぐわなかった。引っ越したばかりなのだろうか、段ボールが放置されてある。家具は最低限のものしかなさそうだった。
「確か、東京に住んでるんだったよな」
「そうです」
「何で福岡なんかに?」
「逃げたんです」
「逃げた? 何から」
「親です」
親から逃げた――それはどういう意味だろうか。
「さて、話をしましょう」
質問を続けようとしたが、東はそれを遮った。コップをテーブルの上に置き、お茶を注ぐ。それから座るように促した。
「分かった、で、何の話だ」
「そうですね……どれから話せばいいんでしょう……まず、確認です。翼君は魔法の才能がない」
「そうだよ」
ぶっきらぼうに曉は答えた。
いつの間にか下の名前で呼ばれていたが気に留めなかった。
「じゃあ、それについて話をしましょうか」
「なんだよ、才能が有るってか。だがこちとら、中学生三年間で嫌と言うほど味わったんだ。魔法の使えない苦しみを。努力はしたさ。基礎的な練習をしようと何度も何度も。論理もちゃんと勉強した。でもだめだった。基礎練習に至ることがそもそも俺はできないんだ、まあ見てろ、失望させてやる」
曉は矢継ぎ早に話し、それから右手をグラスに向ける。
魔法を行使するつもりだ。
脳裏にごく初歩的な炎の魔法の術式を組み込む。そして次に、魔法を具現および維持するための『重石』を唱える。呪文だ。
「――燃えろ、燃えろ、燃えろ、燃えろ!」
暁が行使した魔法はごく初歩の初歩、炎の魔法だった。呪文詠唱はオリジナルだ。ただオリジナルとは言っても、基礎のものと然程変わり映えのしない直球の文言だ。
魔法はよく『紙切れ』に喩えられる。強風の吹き荒れる草原に一枚の紙切れが舞っている。我々はいつでもそれを地面に付着して、魔法を使う事が出来る。だが、風が吹けば『紙切れ』は飛んでいく。それが飛ばぬよう、地面に縫い付けるには『重石』が必要だ。その重石が、詠唱なのだ。詠唱の文言は長ければ長いほど、重く大きな『重石』になる。また声量も関係する。声が大きければ大きいほど、『重石』も大きくなる。
暁の文言は基礎の文言よりも長い。即ちその魔法をこの世界にとどめる『重石』としては十分すぎる文言だった。
しかし、だ。しかし。
暁の右手の平から、確かに赤い光が灯った。しかしそれはすぐさま消失する。魔法は失敗した。中学生でも出来る魔法だ。いや、小学生だって高学年であればやれない事もない。
「これが俺だ」
泣きたい気持ちで、曉は東を見下した。
「俺のどこに、才能が有るっていうんだ」
「ある」
間髪入れず、東は答えた。
東は何か一言二言つぶやき、それから手を伸ばし、曉の左手に触れた。
「何するんだ」
「この状態で、もう一度そのグラスに今の魔法を唱えてみて」
何言っているんだ? そう言えばさっきのレースでも手を握ったり、抱き着いたりされたっけ。思い出すと恥ずかしくなる。曉はさっさとこの状態から脱したい思いで、言われた通り先ほど失敗した魔法をもう一度試みる。
右手を上げる。グラスに向ける。
頭の中で術式を組み立てる。あとは『重石』だ。
「燃えろ、燃え――」
文言はまだ中途。
完璧に詠唱し終わっていない。しかし、曉の右手のひらから熱きたぎる炎が放出された。グラスは一瞬にして消し炭になる。テーブルは耐魔加工がなされているのか、無傷だった。
「な、なんだこれは」
「やっぱりね」
意味が分からなかった。文言がまだ途中。それだというのに、その威力は曉が想定していた魔法を凌駕している。
「説明しろ」
今確かに魔法を成功させたが、これは己の力ではないだろう。素直には喜べない。曉は激昂した。もしや、と思う。
(俺の詠唱に重ねて、東も魔法を行使したのか?)
だがそれはないか、とすぐさま否定する。無詠唱の魔法は無理だ。
『重石』なしで飛ばない『紙切れ』はないのだ。
今しがた東は一切詠唱を行っていなかったはずだ。
「単刀直入に言います、翼君、君は恒常性魔力制御疾患に掛っている」
「は? 何だそれ」
「知らない? そんなに無名な病気でもないけど……まあ、有名な病気でもないですけど」
「いや、知らない」
「体中から、あるいは一部から魔力が無意識に放出される病気があります。それを魔力制御疾患と言います。もっとも魔力が無意識に放出されること自体は病気ではありません。別に魔法を使わなくても何かの拍子に魔力は出ていく。ただその量が尋常ではない場合、疾患と認められます。一時間に40MPの自然消費を越えれば、それで軽度の疾患と認められます」
「俺が、それだというのか?」
「そう。翼君の場合は、恒常性です。寝ている時に放出しているかは知りませんが、起きているときは多分いつも魔力を放出している。微弱な魔力を放出しているんです」
「つまりどういう事だ……」
曉は震えながら訊ねる。目の前で東の言っている意味が全く理解できなかった。魔力制御疾患?
どういう意味だろうか。異世界の言葉のように、曉の左から右へ流れていく。
「君が魔法を使えないのは、微弱な魔力を常に放出しているからです。いや、微弱ではないですね……。さっき言った通り普通一時間40MP、無意識で放出された場合それは疾患と認められます。正常とされるのは10MP/H以下です」
一時間40MPか。
MPとは、魔法を使うための魔力を数値化したものだ。マジックポイントの略称である。一般に成人男性の持ちうる平均最大MPは4000から5000程度と言われている。無意識に40MP/Hの消費という事は、常に一日960MP、つまり最大MPの五分の一程度ロスしているという事になる。
「翼君の制御疾患は……40MP/Mレベルです」
それを聞いて、曉は一瞬その程度か、と思った。一時間40MPの消費という事は、疾患の最低レベルではないか。
だが、冷静になって、ぎょっとする。顔が蒼くなる。
――40MP/M?
それはつまり、一分間に40MPを消費していることになる。先ほど使った初歩魔法、炎の玉を放出する魔法は一般的に5~10程度のMPを消費する。つまりその魔法の5~8回分の魔力を消費している計算になる。
「分かりましたか? 君は無才なんかじゃない。病気だったんです。一分間に40MPも消費している、ロスしている。一般的に言えば、この恒常性の魔力制御疾患は、寝ているときも同じ分だけ消費します。つまり、翼君の場合2400/Hの消費、一日単位で計算すれば57600MPをロスしていることになります」
遠い世界の、遠い話。おとぎの中の話に思えた。理解できない。
「待て待て待て、じゃあなんだ、俺は、毎日毎日、5万以上の魔力を放出しているって言うのか? そんな桁違いの魔力を! だって、成人男性の最大MPは5000程度だろう? その十倍の魔力を、俺が使っている?」
「無論確証はないです、ちゃんと測定しない限り、一日、どの程度のMPをロスしているかは分かりません」
「じゃあなんで分かるんだ? その、分間40MP/Hの消費の根拠は何なんだよ! てか、そもそも俺は本当にその魔力制御疾患なのか? 何でお前にそれが分かる?」
捲し立てるように、曉は畳みかけた。
そうだ、東が曉をそう診断したのがそもそも怪しい。東は何者だというのか。
「お前、何だよ。何者だよ……!」
東は大きなため息を吐く。悲しそうな表情を曉に向けた。その表情に、曉は、ちくりと何かがどこかに突き刺さったような痛みを覚えた。
しばしの躊躇いがあった。だが、東は口を開いた。
「何から話せばいいか、分からないけど……わたしの叔父が医者なんです」
「それだけじゃ、理由にならないぜ。お前の叔父が医者だったら、お前も医者か? そんな理屈ねーだろう?」
「わたしは東佳奈。わたしの父親は……道貞」
その名前に曉は覚えがあった。いや、覚えがあるどころではない。東道貞と言えば、魔闘士の中でも、全国、いや全世界に名前を馳せた魔法使いではないか。そして己の憧れの人だ。己が魔法に恋い焦がれる理由の、最大の理由の一つとっても過言はない。
福岡という地方に居ながら、東京で行われる彼の試合を二度見に行った。地元九州で行われる試合は欠かさず観戦した。それほど、彼を欽慕していたのだ。
その憧憬する東道貞の娘と言うのか?
「東一家は皆、魔法の分野で才を発揮しているんです。東道貞は、魔闘士で日本チャンピョン、世界ランク七位。母も魔闘士として、今でこそ現役を退いているけれど、世界ランク二十位まで上り詰めました。わたしの叔父はさっき言ったように医者、魔法系に特化した医者で、その妻の伯母は、魔法学の大学で教鞭をとっている。わたしの長兄は……これも魔闘士です。インターハイで全国制覇をしました。三回です。今はもう大学生二年生で、やはり魔闘士として活躍しています……、姉は高校三年生、部活はしていないけれど……魔術技術者検定一級の資格を既に取得済で、国家魔法検定一級も取得済み」
東は、口早にそう言った。不思議と自慢しているようには思えなかった。むしろその東の口調から暁が感じ取ったのは自虐的な感傷だった。
「そしてわたしは目を授かりました」
「目?」
「そう、目です」
東は、自分の両眼を指さす。そう言えば、前も「目がいい」なんて言っていたっけ。
「わたしの目は、魔力の流動を視認できる。魔力、MPと言っていい、そのMPの流れを視認できる。精密機械……と遜色ないと自負している……魔力制御疾患の患者は、だいたい数か所の魔力層に穴が空き、そこから魔力が漏れ出ている。一か所程度ならば、疾患とは認められません。魔力制御疾患患者の場合は十か所程度の魔力層から穴が空いている」
魔力層――それは第二の皮膚と呼ばれている。皮膚の僅か0・01センチ下に這う、魔力を体内にとどめるための皮層だ。
「……魔力層をご存知ですか?」
「知っているさ、魔力をとどめておくための、皮膚下にある魔力組織のことだろう?」
「博識ですね」
「無才だったからな。中学時代猛勉強した。てか、お前に言われたくないね」
「そうですか、でも病気の可能性は疑わなかったんですね。まあ、まったく魔法が使えない魔力欠乏症や、魔力層異常など魔法が使えない病気は様々ですからね……。その大半は魔力層に何らかの異常があることが多いですし……でも、暁君は、魔力層に穴が空いているだけなんです。その穴から魔力が抜け出ている。分間40MP。秒間にすれば、0.6MP。例えば……君がさっき行使した初級-炎魔法レベル1ならば凡そ5MPの消費となるでしょう。一般人がこの魔法を行使するのにかかる時間は、七秒程度。先ほど翼君が行使した時も、最初はそのくらい時間かけていましたよね……つまり、七秒かけて消費MP5の初級魔法を行使したとしても、翼君の場合、約倍近く、10MPの消費となります。君の最大MPがどの程度かまでは分かりませんが……。それが、翼君が魔法に対して無才に見える理由です、君は……病気だったんです」
曉は反芻していた。己の人生を反芻していた。
ビョウキダッタ?
目の前の東の言葉が走馬灯のように流れていく。己は……無才ではなく病気だった?
――ムノウシャ
そんな、クラブメイトの声。
――キミハ、ベツノブカツニハイッタホウガイイカモネ。
魔法の才能の開花は遅いこともあると言った顧問の台詞。
――サイノウガナイナラヤメレバイイジャナイカ。
父親の無関心な言葉。
――お前は、無才だ。無能だ。魔法が使えない。憧れた世界に、足を踏み入れてはいけない。魔法の使えない、お前は、永遠にそこに留まれよ。魔法の使わない世界に留まれよ。
そして自分自身の声。自分を苛む自分自身の声。
吐き気がした。俺が散々苦しんできた、中学三年間は何だったんだ。何だったんだ。クラスメイトに馬鹿にされ、クラブメイトに罵られ、顧問にも見放され、父親にも見限られ、自分自身でも諦観を抱いたこの俺の人生は何だったんだ! 曉は心の中で、激昂する。吐き気がした。吐き気がした。吐き気がした。
いや、いやいや、と思い直す。
(同じではないか……)
同じだ。病気だとしても、無才だとしても結果は変わらない。結局己は魔法が使えないのだ。
いや……違う。病気ならば、まだ、可能性が一つ残されている。
「待て、待て、待て……仮に、病気なら俺は、……その病気は治るのか?」
曉は問う。光が見えた気がする。一筋の光だ。
踏み入れてはならない世界。いや、踏み入れることの叶わぬ世界に、踏み入れることが出来る。そんな光が見えた気がした。
だが、現実は無情だった。
東は困ったように、首を横に振る。
「現状では根本的な治療法は見つかっていません……薬やリハビリで多少、改善された例もありますけど……基本的には治らない病気です」
東は絶望を宣告した。一旦希望を与えたうえでの、裏切りだ。曉の頭はかっと熱くなった。気づけば東を押し倒していた。そして馬乗りになり殴りそうになる。
「ふざけるな! 俺を、おちょくるためにここへ呼んだのか?」
一気にそれだけを吐き捨てる。それ以上言葉が続かなかった。
少しだけ冷静になる。女相手に何やってるんだ。
曉はすぐさま東から飛び退いた。
「すまん」
曉は謝罪した。
(何をしているんだ。俺がもう魔法の世界へ入れない事は、中学時代既に分かっていたことじゃないか……これではただの八つ当たりだ)
「いや、いいですよ……気にしないで。この病気の治療法は……見つかってないんです。でも……」
「でも?」
曉はそこでまだ説明されていないある一つの事象に気づいた。
曉は今しがた、初級であるものの、魔法を綺麗に一度行使している。
無論曉とてもまぐれで魔法を行使したことはある。下手な鉄砲なんとやらだ。
だが、今日のあの時は……まるで、全てがスムーズで、理論も完璧で、極平然と当たり前のように魔法を行使した。
(東が俺の手を握って……あの時、魔法はすんなりスムーズに発動した。行使できた)
「東……、どういうことだ? 俺の病気は、治療法がないんだろう?」
「気づきました?」
「いや、意味分かんねえ……お前、俺に何をした?」
「本題に入りましょう……改めて言います。わたしと魔走部に入ってくれませんか?」
「それは答えになってないだろう。答えろよ! さっきのは何だ! 何で、俺は魔法が使えたんだ?」
「交換条件です、わたしと一緒に魔走部に入るなら……わたしは君が憧れていた魔法の世界に招待します」
決然と東佳奈は言い放った。曉は自分の心の内で、燃えるような怒りの感情が沸々と湧き上がっている、今にも大爆発しそうな高ぶりを感じていた。しかし、一方で彼女の言う「魔法の世界に招待します」という言葉に惹かれてもいた。それはどういう意味だ。治療法がないのに魔法が使えるという事か?
そして頭の片隅には、今一つ、些細な疑問がある。
何故魔法走なのだろうか。
彼の両親は有名な魔闘士だ。兄も高校で全国制覇をした猛者だという。ならば彼女は何故魔闘部ではなく、魔走部へ入ろうというのか。そして、……何故東京から福岡に来たのか。
「無理だ、応えられない。第一、何で俺が一緒に入らなければならない? 他に居ただろう」
「運命だと思ったからです」
東は即答した。
曉は一歩身を引く。
運命……?
「運命? それは……」
それは一目ぼれってやつか? 曉はそう聞き返したかったが、それ以上言葉は続かなかった。
「インターハイ優勝、わたしと君が一緒に走ればインターハイ優勝できます! そういう運命です!」
「……」
意味が分からない。何一つはっきりしたことが無い。なんだというのだ一体。
既に東の家に来て一時間近くが経過している。時刻は六時前くらいか。
曉は帰る算段をし始めた。ここで東と話しても、有益な情報が得られない。いやそもそも有益な情報とは何だ。
心が揺れる。荒ぶる。頭の中で考えがまとまらない。
だが、強烈な、強烈な魅力――それが眼前にちらついていた。
東は言った。「わたしは君が憧れていた魔法の世界に招待します」と。
魔法の世界に踏み入ることが出来る。それは本当なのか? 本当に、本当に己がその世界に入れるというのか。
ふと――、先程の、体験入学の出来事を思い返していた。高校の外周五周を、東の手によって走り切った。己が走り切ったわけではない。わけではないが……猛スピードで走破したあの感覚。日常体験では味わえない感覚。
更に言えば、目の前に居る女は己の憧憬する東道貞の娘だという。
己は、己はどうすればいいのだ。
東は激しく揺れ動く。
沈黙が続いた。
東はじっと曉を見ていた。
曉は……決心する。
「分かった、いいよ。いいだろう、魔走部に入るよ。その代わりに、約束しろよ。俺は、……俺は魔法を使いたいんだ」
「はい、約束します」
東は笑った。眩しい笑顔だ。柴犬の様な人懐っこい笑顔。思わず頭を撫でたくなるが、その衝動を抑える。
曉も笑う。だが、曉はしばし気づいていなかった。自分が泣いているという事に。
それは、嬉し涙だった。中学三年間で否定された己の人生が、再び肯定されたという安心と嬉しさ故の涙だった。
「だ、誰にも言うなよ」
曉は恥ずかしそうに、言う。東は「もちろん」と答えた。
2018年1月29日 修正(誤字脱字など)