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第十二章 走者九人

 ゴールまであと十キロ程度の地点――そこで巨大な影に覆われた。

 なんだこれは。

 橘は絶望を感じていた。相変わらず風見姉弟は、江崎と橘の前を走っている。いや、飛んでいる。

 だが……

 突如として出現した影に、戸惑い(おのの)く。

 仰げばそこにはこの町全てを覆ってしまうほど巨大なロボットが滑空していた。いや……そう見えてしまうのは、自分の恐怖の表れなのだろうか。

 ともかく橘にしてみれば、突如として現れた謎の巨大ロボである。

 あれが、一年生だという発想には至らない。

「何だあれ……」

「一年だ……」

 茫然とつぶやきを漏らしたのは並走する江崎だ。

「一年? まさか、あんな巨大なロボット……」

「いや、……おそらくそうだ。全く気付かなかった……」

 すぐに山家道の交差点に着き、そこを右に曲がる。今度は宝満高校へ向けて北上するのだ。

 ロボットもやはり右に曲がった。方角は同じだった。

 あれが一年と言うのか? そんな馬鹿な。

 ロボットと二人の距離は徐々に開いていく。

「江崎! 速度を上げろ!」

「いや、このままペースを崩すな」

「何故だ! 負けるぞ、俺達は!」

「あんなでたらめな魔法、魔力が続くはずがない。すぐに枯れ果てる」

「そんな保証はないだろう! 俺達は負けるわけには行かない! 今年が最後の年だぞ!」

「私を信じろ、橘」

「……」

 江崎の眼鏡の奥の瞳がまっすぐと橘を射抜く。橘はすぐに顔を逸らした。

 確かに無理に速度を上げれば、終わってしまう。

 作戦としては、あくまでも江崎が魔法を使い、橘を楽させて、橘の体力やMPを残し、ゴール手前で橘を出走させるのだ。そうして風見姉弟を抜くつもりだった。

 だが……

「大丈夫だ、一年は即席のチームだ。負けるわけがない」

 江崎が冷静に言う。そうだ、そうだけれども。

 しかし……

 不安で押しつぶされそうになる。このままでは負ける。そしてそれはだめなのだ。誉めそやされる日々を取り返すためには、絶対にだめなのだ。強迫観念のように、橘はそう思った。



 何の冗談だろうか。風見麟は思った。

 巨大な影が、突如として二人を覆う。

「何だあれ……」

 風見虎之助が驚愕の声を漏らした。

「何なん?」

 麟はまっすぐ前だけを見ている。だから何が来たのかは分からなかった。ただ、影に覆われてしまったことだけが分かる。それに、嫌な感じがする。圧迫感がある。

「ロボットだ……」

 虎之助が言った。

「ロボット?」

「巨大なロボット、全長十メートル……はありそうなロボットだ」

「何の冗談?」

「本気だ、ちょっと顔を上げろよ」

 虎之助に言われ麟は視線を少し上げる。

 そこには確かにロボットが飛んでいた。自分たちより遥か上空を、だ。巨大なロボットが飛んでいた。

 圧倒的な質量を持って、空を切り裂くように進んでいく。麟にはそう見えた。

「あれ……一年生やん」

「一年? 麟、本当か?」

「うん、分かる。あれ多分、宗像っていう子の魔法ばい」

「馬鹿な、そんな……あんな燃費悪すぎるだろう」

「うん……たぶん、皆いる」

「皆?」

「五人全員」

「まじかよ……」

「まじ」

 何だこれ。

(空はうちらの専売特許やろう!)

 それを、巨大なロボットがしたり顔で進んでいく。既に、巨大なロボットは麟の前に出ていた。抜かれたのだ。一年風情に抜かれたのだ。

「まずい、まずいまずい……」

「落ち着け麟」

 頭が真っ白になる。負ける?

 意識が白濁とする。負ける?

 竜二さんにインターハイ優勝を捧げられない?

 そんなまさか……

「麟!」

 耳元で虎之助の声が響いた。虎之助が力強く麟を抱きしめる。

「大丈夫、落ち着け、勝てる。あんなでたらめな魔法すぐにダメになる」

 そんなの分からない。

「大丈夫、たぶん曉がタンクで支えているんだろうが、五人も支えたらひしゃげる、それが道理」

「でも……」

「俺を信じろ」

 信じろ……?

 そうだ。虎之助だけはずっと、自分を裏切っていない。自分を裏切らない。この先未来永劫裏切るはずがない。信じる。それは、当然だ。それでも、でもやっぱり不安に押しつぶされそうになる。

「でも……」

 虎之助は何も言わずもう一度麟の体を力強く抱擁する。彼の体温が伝わる。

 彼の魔力を通し、彼の全てが麟の中に注ぎ込まれる。

 それは麻薬の中毒と快楽がごとき。

「大丈夫」

 虎之助は言う。

「うん……」

 麟は答えた。だが、答えながらも、自分の意識が薄くなっていくのを感じていた。



 山家道の交差点を曲がり、巨大ロボットは北上する。

 道が徐々に広くなる。強化型が走りやすくなるだろう。だが、もう四人の先輩を抜いた。あとはこのリードを保てばいい。

 だが……

「え?」 

 異変に気づいたのは高木聡美だった。己の魔力がどんどん減っていく。減らされていく。吸い取られるように。

「何これ……?」

「どうした?」

 宗像が訊く。

「MP切れ」

 答えたのは東だった。

「翼君のMPが切れた……今は高木から魔力を供給していますけど……これもすぐに無くなると思います」

「くそ、まだ七キロくらい残ってるぞ!」

「五木君や宗像君は、MP残ってないんですか?」

「私はもうない……回復魔法、あれでほぼなくなった」

「僕もないぞ!」

 そうすると、残るのは……東自身と高木のMPしか残っていない。

「畜生!」

 悔しそうに宗像が叫ぶ。それは誰しもが同じ気持ちだった。

「曉!」

 宗像が曉に呼びかける。だが返事はなかった。

「何だどうした?」

「翼君は、……もう魔力を使い果たし、昏睡しています」

 力なく東が答えた。

 そうこうしているうちに、高木の魔力が尽きた事に、東は気づく。

「嘘……」

 高木は茫然と呟いた。

高木は自分の体の中から、魔力が完璧に搾り取られていく感覚を覚えた。残っている魔力全部消える。

 高木がこのロボットを支えたのはほんのわずかな時間でしかなかった。いくら既にレース終盤で万全な魔力を持ち得ていないとしても、あまりにも早すぎる。いや、それほどこの巨大なロボはMP消費が半端ない。規格外でたらめだ。

 でもならば今の今まで、それを支えていた曉翼はいったい何者だというのだ?

 まだゴールまで、……七キロはある。

 巨大商業施設「ゆめタウン」を通り過ぎる。そのまま高架の上を通過する。

 このままでは絶対に、魔力が足りない。東のMPもすぐに底を尽きるだろう。

 絶対に勝てない……高木は思った。高木のMPは一キロ分程度しか持たなかった。東もおそらくそのくらいだろう。そうなれば……残り五キロか六キロ地点で……このロボットは瓦解する。

 東は自分のMPが消えていくのを感じていた。

「早く魔法を解け!」

 高木が叫んだ。

 頭の中で方法を考えるが何も浮かばない。でももうこのロボットは解散するしかないのだ。

「いや……まだある……東、残りのMPを全部僕と高木に分けるようにしてくれ」

「どういうことですか?」

「走るんだ……あの高架を過ぎれば、ずっと平坦で広い道になる。僕らは、道を走るんだ。高木の足で」

「馬鹿な! 全長十メートルはあるんだぞ! それを私が……操るのか?」

 馬鹿げた提案だった。だが、既に東は魔力を高木へと流し始めている。

 糞……何でこんなことに。そう思う。思うが、そもそもやはり先輩たちには勝てないのだ。ここまで追いすがったのが奇跡と言っていい。

「分かった、走る」

 高木は決意した。

 高架道路をこえ、四車線の広い地帯に出る。左手側には「イオンモール」が漫然と聳え立っている。残り六キロ。そこで巨大ロボは地上へと降りた。

「く、車はどうするの?」

 巨大ロボは今にも車を蹴散らさんばかりだ。だからと言って歩道を歩くわけにも行かないだろう。

 幸い今は、車がなかった。だが間もなくぶち当たる県道三十一号線に至れば、そういうわけにも行かない。それはもう、数百メートルと言う目と鼻の先なのだ。

「知るか、走れ!」

 宗像は叫んだ。

「めちゃくちゃだ!」

 五木が宗像を諌める。だがもうロボは止まらない。「イオンモール」を通過する。

 やがて県道三十一号線へと突き当る。これを右に曲がれば……だが……曲がることは叶わない。

 車を気にするとか、そう言った次元ではなく……東のMPが底を尽きたのだ。

 宗像の魔法が解ける。ロボットが瓦解する。五人はそのまま歩道へと投げ出された。



 あと何キロだろうか……山家道の交差点を過ぎ、まっすぐ走っていく。

 もうすでに一年の姿は見えなかった。

 巨大ロボットは遥か先へと行ってしまった。

 江崎悟は一年と安易な約束をしたことを後悔している。橘は……MPも体力も残っているから大丈夫だ。しかし自分はもうだめだろう。あんな約束をしたんだ。橘のためにずっと道を作り、MPも体力も既に尽きている。まだ少し走れるが、ゴールまでは持たないだろう。あと、九キロか、八キロか……

 どうせ自分は、ゴールまでMPが持たない。ならば、残りのMPを全て橘のために使うのがいいだろう。

 もう、ここで勝負を仕掛けるか。自分の魔力を最大限に使い果たそう。そう思った。

「江崎」

「なんだ?」

「残りのMPを全力で使ってくれ」

「私も、そう提案しようと思ってた」

 江崎は速度を上げる。もはや道を作る必要はない。

 走りながら、直接回復魔法を橘にかけ続ける。MPがどんどん削られていく。

 残り七キロ……己のMPは体感ではもう100を切っている。

 90……80……60……40……20……ああ、0になるな。そう思った。

 残りは六・五キロ。まだまだ長い道のりだが、橘ならやってくれるだろう。

「橘、私はもうだめだ。後は頼んだぞ」

 江崎は遂にその場に立ち止った。肩で息をする。後は頼んだ、と橘を見送るつもりだった。

 だが……

「そうはいかない、江崎は絶対サポーターをやるんだ」

 橘は、立ち止まり背を屈める。

「なんの真似だ」

「聞こえなかったのか? 江崎はサポーター、お前が一年に約束してしまったから、もう俺が風見を抜くだけではだめだ、そうだろう? 二人で、一位でゴールするんだ」

「何を言っている」

「時間がない」

「そうだ、だから早く行け」

「嫌だ!」

「サポーターなら東にもできる、東は経験者と言っていた」

「だめだ、東は曉のペアだろう? 俺のペアは誰だ? お前だろ」

「しかし……」

「俺は動かないぞ」

 江崎は躊躇った。だが時間だけ無為に過ぎていくのは……だめだ。決断を迫られる。だが橘は、もう決意の瞳をしていた。梃子でも動かない。そんな強固な表情だ。

「なんだよ、……お前、私より背が低いだろう……てかチビだろう。おんぶなんかしてまともに走れるわけがない」

「魔法で支えるさ、早くしろ、俺達は今最下位だ。追いつくぞ」

「後悔するなよ」

「しないさ、お前がサポーターでなきゃ、俺は走れない」

 江崎は一度だけ大きくため息を吐き、なるようになるか、と独り言つ。

 小さなその背中に覆いかぶさった。案の定アンバランスだ。

 まあ、そこは魔法で支えるのだろう。

「行くぞ」

 橘が言い、地面を蹴る。加速する。

 だがやはりその速度に切れはない。

 今彼は、鉄球を足につけて地面を引きづるように走っている。自分は彼の足かせとなっているのだ。そう思うと、江崎は堪らなく哀しくなった。

 こんなんじゃ、追いつけない。

 そう思った。

 「ゆめタウン」を通り過ぎる。その先は長い信号と高架が待っている。

 江崎を背負った状態で飛ぶのはMP消費が激しすぎる。だが、信号を律儀に守るような、そんな事はしない。

 橘は飛んだ。

「すまない」

 江崎の口から自然と謝罪の言葉が漏れた。

「言うなよ、そんな事。言っただろう、お前がサポーターとして出てくれなきゃ意味がない。俺は走れない」

「そうか……ありがとう」

「だから、言うな」

 二人は空中を飛ぶ。その姿は滑稽だな、と江崎は冷静にそう分析した。まあ、今更だ。大体、風見ペアや東曉ペアが既にいるのだ。彼ら彼女らの恥ずかしさに比べれば幾分ましか。と思う。だが、よくよく考えてみればこちらは男同士だ。

 その事実に気づき、江崎は複雑な感情を抱く。羞恥心が募って来た。

 高架を過ぎ、大型ショッピングモール「イオンモール」を通り過ぎる。突き当りの信号を曲がり、県道三十一号線へ出る。

 だが、巨大ロボの姿も、夫婦鳥の姿もいまだ見えなかった。特に巨大ロボは遠目でも分かるほど目立つ。それが見えないことに一抹の不安を江崎は感じていた。でももう今更どうしようもない。自分は橘を信じるだけだ。



「おい、麟!」

 虎之助は叫んだ。場所は、県道三十一号線沿いの、パスタ屋やラーメン屋など食品店舗が集まっている駐車場だった。ゴールの宝満高校まではまだ三、四キロはあるだろう。

 その駐車場に、麟は倒れていた。

「起きろ!」

 麟は完全に意識を失っていた。時々そういう事が起こる。ふと、意識が飛んでしまうのだ。

 特に精神が不安定なときにそうなる。

 今回もそうなってしまった。ここへ墜落したのだ。幸い打撲はない。寸でのところで、虎之助が先に飛び降り受け止めたのだ。

 ゴールまで間近だというのに。だが、もう手遅れかもしれなかった。今更麟が復活した所で、一年連中が既にゴールしている可能性がある。巨大ロボットが視認できないからだ。あれほど巨大なロボットなのだ。遠くからでも視認できるはずだ。しかしそれが出来ないという事は、既にゴールしているか、していないまでもかなり先へと行っているはずだ。

(糞糞糞糞!)

 虎之助は必至に麟を揺さぶる。

 今年こそインターハイに出て優勝する。そうしなければならない理由が彼にはあった。無論それは伯父の竜二のことだ。

 自分と麟を引き取り育ててくれた恩人だ。父親的な存在だ。その竜二に恩返しをする。その為に、インターハイ優勝を捧げるのだ。

 竜二はもう先が長くない。

 麟と虎之助を引き取った時点で、それは確定していた。

 だから、だから、こんなところで立ち止まっているわけには行かないのだ。今年のインハイでなければならない。来年のインハイでは遅いのだ。

「麟」

 倒れ込む麟に呼びかける。だがやはり返事がない。

 まだ己のMPは残っている。

(自分で走るしかないのか)

 虎之助は覚悟を決めた。

 麟を抱きかかえる。

「……地べたを這え、俺は虎だ!」

 魔法を行使する。強化魔法だ。両足を強化する。

 オリジナルの詠唱だ。イメージは虎。名前にちなんでいる。

そして駆けだす。

 だが、やはり、空を飛ぶよりはるかに遅い。それにMP効率も良くない。

魔法の練習は高校に入ってからほとんど行っていない。自身のMPを底上げする訓練に特化していた。あとは麟との調節だ。

 もともと魔法は得意ではなかった。

 自分はタンクとしての才能はあるかもしれないが、魔法使いとしては劣等生だ。

 それでも、走るしかない。もう無駄かもしれない。でも諦めるなど論外だ。

 麟を抱えて虎之助は走る。

 虎之助は自分の無才を呪った。何故タンクの才能しかないのだろう。麟のように器用さがないのだろうか。MPがどんどん消え失せていくのが分かる。脚部を強化しているだけなのに、飛行した時と同じ程度MPが減少している。

「糞、どうして俺は……才能がないんだ!」

 虎之助は叫んだ。県道三十一号線のなだらかな下りに差し掛かった。「蔦屋」を通り過ぎ、焼き肉屋やうどん屋を通り過ぎていく。ゴールまであと何キロだ? 麟を抱えているため、M3に目を遣る余裕はなかった。あと二キロ……いや三キロか? たぶんそのくらいだ。

その時、虎之助の隣を何かが抜いた。

橘、江崎ペアだった。

「やあ、状況はお互い逼迫(ひっぱく)していて同じなようだな」

 橘の背中の上から、江崎が言った。橘が江崎を負ぶう形で、走っていた。

「っち、てことは俺達が最下位かよ」

「麟は大丈夫なのか?」

 橘が心配そうに訊ねた。

「大丈夫だ、いつものことだ」

 虎之助は答える。

「一年は見かけたか?」

 続けて江崎が訊く。

「いいや」

 そう言うと、橘も江崎も失望したような表情になる。

「そうか、分かったありがとう」

 江崎がそう言うと、橘は速度を上げた。

 抜かれていく。完全に離されていく。

 橘江崎ペアとの距離が百……二百メートルと開いて行った。

スーパーの「ルミエール」家具屋の「ニトリ」、紳士服売り場の「洋服の青山」を通り過ぎた。

 そういえば、と去年のことを思い出す。

 去年虎之助は、麟を勝たせるために、ここで置いていけと麟に言ったっけ。ちょうど、この地点だ。ゴールまであと二キロ。今から緩やかな上りになる地点だ。

 麟はそれを拒否した。そして二人は一位でゴールしたのだ。

 麟をここに置いて行けば、虎之助は幾分早く走れるだろう。だがそんな選択肢はない。勿論ない。当然だ。自分は麟と一心同体みたいなものだ。でも……勝てない。そもそも一年がどうなっているか分からない。三年の先輩も抜けない。

 糞。

「糞! なんで、俺は魔法の才能がないんだ、何で俺は……遅い!」

 虎之助は叫ぶ。あらんばかりの力で、叫んだ。

「それはね……うちが、足やから。走るのがうちで、支えるのが虎之助やから」

 声がすぐ手元でする。麟だった。

 麟が目を開いた。

「意識が戻ったのか?」

「うん、悪かったね、虎之助、そしてありがとう」

 麟はそう言うと、虎之助を強く抱きしめた。

「お、おい! 前が見えない!」

「大丈夫だよ、走るのはうちやもん、――飛翔」

 嬉しそうな声で麟が言う。

 変な浮遊感が虎之助を襲った。気づけば抱き着いたまま、麟と虎之助は浮遊していた。そのまま、飛行する。

 虎之助は自分の魔法を解いた。

「びっくりさせるな、飛ぶなら言えよ」

「ちゃんと詠唱したじゃん」

「『飛翔』の一言だろ?」

「充分やん」

「憎たらしか、天才は違うな」

「虎之助、うちは、あんたと二人でひとつなんよ。だから、虎之助が支えてうちが走る」

「うん、知ってる」

 風が気持ちよく二人を包む。二人は完璧なまでに密着する。汗と汗が交じりあう。肌と肌がつつみ合う。虎之助と麟は一対の夫婦鳥となる。

「好きだよ、虎之助」

 ぽつりと麟が言う。

「俺もだ」

 虎之助も応える。

 好きだ、大好きだ。

 二人は加速していく。そうして二人は、地べたを這う、江崎橘を捉えた。

 そして、成果はそれだけではない。

 二人だけではなかった。

ゴールまであと一キロくらいだろうか。散り散りに走る一年五人が、緩やかな坂を上って居る所だった。



 宗像の作り出した巨大ロボが消滅する。一年五人は皆、地面に着地した。

 ゴールまであとどれくらいだろうか。今は「イオンモール」のすぐ近くだ。間もなく県道三十一号線へ入る所だ。ゴールまであと三、四キロと言ったところだろうか。

「糞、糞! ここまで来たのに……!」

 宗像は呻く。

「だが、まだ終わっていない」

 答えたのは五木だった。

「でも……」

「あきらめが悪いのは、宗像の専売特許だろう?」

 五木が言った。

「高木さんも……東さんも、まだ、諦めるのは早い」

 続けて五木は残りの一年にも声をかける。

「分かってるわ」

 高木が答える。

「ええ、そうですわね」

 東も答えた。

 東は意識がない曉を抱きかかえ走り出した。

「ほら、宗像行くぞ」

 五木はうなだれる宗像の手を引き、走り出す。

 高木もそれに続く。

 MPはもう無きに等しい。特に、東、高木、は巨大ロボによって完璧にMPを吸い尽くされた。曉にいたっては意識を失っている。

 宗像、五木もMPが0ではないが、ほぼ失いかけている。

 肉体的な足だけが頼りだ。自然回復のMPも然程望めまい。

 四キロ……仮にこれを肉体のみで走ればどうなるだろうか。想像がつかなかった。五分十分ではつかないだろう。そもそも肉体も既にかなり疲労しているのだ。二十分、いや三十分……?

「だめだ、……肉体だけでは走り切れない……」

 宗像が弱音を吐く。

 既に高木も東も走り出している。

「お前……中学の時、一緒に練習しただろう? MP0の状態で、それでもなお魔法を使う、あの日私がお前を否定した。だが、今は違う、私はお前を肯定する。あの日のお前を肯定する、さあ走るぞ」

「しかし……」

御託(ごたく)はいい」

 五木は宗像の手を引き走り出した。

「だめだ、肉体も限界だ……疲労している」

 宗像は立ち止まる。

「じゃあ、回復すればいい――保生大帝!」

 五木は保生大帝をイメージする。そのイメージを具現する。

(さあ、私と、宗像の体力を回復するんだ)

 五木はその銅像に語り掛ける。銅像は深く頷いた。そんな気がする。

 宗像と五木に光が灯る。体がすっと軽くなる。体力が戻っていく。疲労が消えていく。

「お前……どこにそんなMPがあるんだ?」

 宗像が愕然と呟いた。

「お前のおかげだ、もう忘れたのか。昔、お前が私にさせたことを。私は無駄だと言ったのに、お前がやれと言うから、やったんだ。イメージは大切だな、ほら、出来た、さあ走るぞ」

「……なんだよ、保守的で臆病なのは樹里(じゅり)の役目だろう、図体ばかりでかいくせに」

「じゃあさっさと走れ」

 五木は笑った。宗像もそれに応える。二人は走りだした。




 高木は走る。

 自分は一人だ。

たぶん一人だ。

 それは致し方ない。そもそもアズハルは最近始めたのだ。中学時代は憧れこそすれ、アズハルには出走しなかった。というより、高木の居た部活ではアズハルを目指す人が居なかったのだ。六人以上のチームを集めることが出来なかった。その為断念した。

 アズハルはチーム戦だ。中学時代それを体験してこなかった。

 だから自分は不利なのだ。

 そう思っていた。

 しかし……先ほどまで一年五人が一つの乗り物になり、共に走った。これがアズハル・チームレースの一つの側面か、と実感した。

 一人で走る。走り切る。そのつもりでいた。一位になれなくとも、六位以内に入る自信はあった。他の一年に負けない自信はあった。だが、その自信はレースの途中で見事に打ち砕かれる。皆、化け物じみた才能の持ち主だ。それに引き換え自分は……まるで平凡。平凡の中の平凡。自分は中学時代人一倍努力してきたつもりだった。だが、所詮、……平凡なのだ。努力も足りていないのだ。

 レースの途中でそう思い知らされた。だが、今はどうだろうか。今は先頭を走っている。一位だ。自分の前には誰もいない。皆自分の後ろを走っている。

 高揚感が彼女を包む。

 無論……一位でゴールできる気などしていない。先輩たちがすぐに追いついてくるだろう。

 MPはもう0だ。今はただの肉体で走っている。MPは徐々に回復するであろうが、その量は微々たるものだ。高木は、ポーチに入れていたスポーツドリンクを嚥下する。甘い飲料が喉を通り過ぎ、体全体に行きわたる。

 気持ちよかった。一位と言う感覚と相まって、得も言えぬ幸福感が高木を包む。

「ああ」

 思わず高木はそう呟く。ゴールまであとどのくらいだろうか。「蔦屋」を通り過ぎる。

 あと……三キロくらいだろうか。なだらかな下りが始まる。それが終わればすぐ上り坂だ。

 肉体のみで走っている今、登り切ることが出来るだろうか。そんな不安が本来ならあるはずだ。しかし、不思議と不安はなかった。

 今は幸福感だけがある。

回復したMPで上り坂を乗り切ろう。

今なら、何でもできる。そんな気がする。



 東は曉を抱えて走っていた。前は高木が走っている。

 先の巨大ロボットでは、曉が一番MPを酷使しただろう。それは明白だ。そして意識を失った。MPだけでなく、精神と肉体を摩耗(まもう)したのだ。

「ありがとうね、翼君……任せて、わたしが絶対、ゴールして見せる」

 東は曉にそう語り掛けた。

 しかし現実は辛い。東のMPはほぼゼロに近い。

 自分より身長の高く、重い男を抱え、肉体で走るのは無理だ。

 もっとも、曉のMPは少し回復しているようで、魔力層の穴からMPがあふれ出ている。東は残ったMPで穴を防ぎつつ、魔力を享受する。だが、そうやって享受したMPは、曉を支えるために使う。それで精一杯だ。

 足が遅い。足が重い。足が棒のようだ。

 息もかなり荒れている。しかし、絶対曉をゴールまで届けるのだ。

「絶対、わたしがゴールまで届けるから、」

 自分自身に語り掛けるように、東は言った。

 体は疲労し、頭も働かない。今は感情だけで動いている。

 家族のことや目のこと、そういった事は、今はもはやどうでもよくなっていた。ゴールする。ゴールするのだ。一位でゴールするのだ。

「絶対ゴールする……!」

 東は三度同じ台詞を口にする。

「……東、交代だ」

 そこで、曉が目を覚ました。

「え? 翼君、良かった起きたの?」

「ああ、すまなかった、いや、それより交代だ。俺が走る」

「え、でも……」

「もうMPが無いんだろう? 俺もお前も」

「うん」

「なら俺が走る。俺は生まれてこの方ずっと魔法が使えなかった。その代り肉体を鍛えている、女の子のお前より、俺が走った方が速い」

「……そう、ね、それもそうね。でも、それなら……それなら翼君が一人で行って。お荷物の、わたしを抱えるより速いから」

 東は立ち止まり、曉を降ろした。

「愚問だな、分かってて言ってるのか?」

 ほら、と曉は言い、東を抱きかかえた。お姫様抱っこだ。

 そして走り出す。

 お姫様抱っこをされるのは二回目だった。羞恥心はあった。しかし、今はどうでもいい。彼と一緒にゴールする、という事が東佳奈にとって何より重要な事に思えた。

 東は、魔法を使い曉の体を強化する。それは些細な強化だ。走るのに十分な強化ではない。

「ありがとう」

 曉が礼を言う。

 礼を言うのは自分の方だ。東はそう思った。気分は高揚している。後はゴールするだけだ。

 スーパーの「ルミエール」を通り過ぎ、家具屋「ニトリ」を通り過ぎる。「洋服の青山」を通り過ぎる。後ゴールまで、二キロ? 一キロ? ともかくもうすぐだ。

 上り坂に差し掛かった。そこで、高木聡美に追いつく。

 それと同時に、背後から宗像一と五木樹里が追いかけてきた。

 追いつかれる。そんな不安はあるが、しかし、恐怖も何も東を追い立てるものはなかった。今はただ曉の胸の中に抱かれ……ランナーズハイにも似た感情を感じていた。

 そして気づく。

 先輩たちが居る。

 先ず、江崎先輩橘先輩が、東と曉を抜いた。

 橘先輩が江崎先輩を背負っていた。東は自分のことを棚に上げ、滑稽だと思った。

 それから抱き合った夫婦鳥が見えた。空を飛んでいる。こちらへ迫っていた。距離がどんどん縮まる。

「糞!」

 曉が叫ぶ。

 残り一キロ地点、こうして、走者九人がゴール間近で(そろ)う。


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