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明治あやかし怪綺譚  作者: 甘露寺ちどり
訪う女の事
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第一章 五

「あんたが馴染んでいたのは、皆を自分と同じ人間だと思っていたからだったんだな」


 そうして、野狐を撫でながら訥々と語り始める。


「ここは、祖父が作ったあやかしのための相談屋だ。だから、屋号もないし看板も掲げていない。そんなものがなくとも、分かる奴には分かるからな」


 あやかしの為の、相談屋。求める者だけが訪れる場とは、そういうことだったのか。


「明治の政府ができてから、鉄道が走り、瓦斯灯(ガスとう)が夜を照らすようになったのは知っているな。人々が以前よりも移動しやすくなり、夜の闇が明るくなった。人は恩恵を受けたが、あやかしは棲み辛くなってしまった。これから先、もっと棲む場を奪われるようになるかもしれない。それを懸念したんだな」


 鉄道も瓦斯灯も東京に来た時に見たが、とても便利なものだった。

 それが棲み辛くしていると言われても、ぴんとこなかったが、反論しない野狐を見ると、事実なのだろう。


「爺ィは昔から変わったものを見る人だったらしい。独り言も多かったしな。事実、見えていたんだろう。ただ、跡を継いだ俺にはさっぱり見えない」


 悲観した様子はなく、むしろそれで良かったのだと言いたげであった。


「爺ィはどうしても俺に跡を継がせたがった。見えないからって断ったのに、だ。まだ礼を返し終わっていないらしい。誰への礼か知らないし、爺ィのやり残したことを、どうして俺が引き継がないといけないのかとは思うが――遺言だ。香を残して亡くなって――結局、俺が継ぐことになった」

「香、とは……」

「木札を掛ける前に、俺が焚いているだろう」

「あ――」

「あれを焚くと、あやかしが見えるようになる。俺や、あんたにも」

「でも、香が焚かれていなくても野狐さんは見えます。――あ、それに。昨日、相談に来ていた方の旦那さんも。見えていたんですよね」


 首の長い女と暮らしていた男も、女が見えていたようではないか。


「ああ――そうだな。こいつらは、誰にでも見える。野狐は元が狐だし、何よりまだまだ半人前だ。女も、元は人だからだろう。俺たちにでも姿が見える」

『半人前は余計だよ』

「間違っていないだろう。お前より位の高い狐は姿が見えない」


 野狐は不満そうについと顔を反らし、それ以上は口を挟んでは来なかった。桐彦はまた、話を戻す。


「だから、ここは人の来る場所じゃない」


 それは、日向子にではなく実能に言っていた。お前の来る場所ではないのだから早々に帰れ、と。


「僕は帰らないからな。そういう相談を聞く所だと知った上で来たんだ。話を聞いてもらう」

『知っていて来たくせに、気絶するんだな』

「化け物が居るなんて知らなかったんだよ!」

「野狐、邪魔をするな」


 頭を押さえられ、野狐は黙らされる。


「――坊主。お前が相談するべき相手は、親だ。俺じゃない」

「父が話を聞いてくれないから、ここに来たんだ」

『腑抜けの親もまた腑抜け――か』


 桐彦の様子を伺いながらも、懲りずに横槍を入れる。

 実能は聞き流すことを知らず、頬にさっと朱を走らせた。


「父上は腑抜けなんかじゃない! ……ただ、この件に関してだけは、何も言わないんだ」


 桐彦は何も言わない。

 その沈黙を、実能は拒否とは取らなかったようだった。

 ここに来た理由――相談の内容を、桐彦に言わせるならば勝手に話し始めた。


「僕の家に、近頃妙な女が来る。その女を、どうにかして欲しい」

『どうせ、父親の女だろ?』

「……」


 実能がぐっと黙ってしまったのを見て、野狐は我が意を得たりとばかりに追い打ちを掛ける。


『ほうら、やっぱりな。父親に言えよ。ちゃんと金は渡せって』

「人聞きの悪いことを言うな! 知らない女だ。夜道で火が消えて、火をくれと頼みに来た女だ」

『何だ、単に困ってただけじゃねえか』


 日向子も頷いたが、桐彦だけは黙っていた。


「困って訪ねて来たのに、火を分けた相手を襲うか?」

『女に? 余程軟弱だったんだな。それとも、女中か』

「違う。屋敷でも、一番屈強な男だった。だから、もし母や妹が外出するようなことがあると、困る」


 それを聞き、桐彦の眉がぴくりと動く。

 野狐がまた何か茶化そうとしたが、すんでの所で制された。


「野狐。もういい。少し黙っていろ」

『でも、旦那。こいつの話、請けるのかよ』

「もう少し話を聞いて決めても遅くはないだろう」

『けっ。付き合ってらんねえな』


 吐き捨てるように言い、野狐は桐彦の膝の上から降りる。

 野狐が立ち去ると、座敷は静かになった。


「女は、刃物でも持っていたのか?」


 急に真剣に話を聴き始めたから、実能も少々戸惑った様子をみせていたが、すぐに気持ちを切り替え、用意していたらしい話を続ける。


「持っていなかったようだ。怪我はなかったからな。他の使用人が駆け付けた時には、生気が抜けたようになっていた。今は里に帰して――おい、聞いているのか?」


 そんな実能の説明も途中から届いていないようだった。

 何か考えこみ、ぶつぶつと呟いている。


「ここの主は、酷いな。客を客と思っていない」


 桐彦も、実能には言われたくはないだろうが――しかし、客を相手にしている態度ではないことについては、同意した。


 長いような短いような、間があった。

 桐彦が何を考えているのか分からず、実能も果たしてどうすれば良いのか。

 帰ろうにも帰れない。

 ここに来たことは失敗だったのではないかと思っているようであった。

 その静寂を破ったのは、桐彦だ。


「引き受けても良いが、坊主の家に入れて貰わないといけないな」


 実能は、少し考える間を置き、頷いた。


「構わない。ただ、父上の不在の時にしてもらう」

「それじゃあ駄目だ。父親にも会いたい」

「はあ?」

「坊主の友人だとでも言って紹介してくれれば良い。簡単だろう」

「駄目だ」

「だったら――無理だな」

「放っておくのかよ。父上に金の相談か? それなら、僕が払う」


 桐彦はあからさまに嫌悪の表情を浮かべた。


「子供が金の話をするな。金の問題なんかじゃない」


 そう言い、しばし考えた後で何か思い付いたように膝を打った。


「こいつを行儀見習として雇うなら、その女をどうにかしよう」


 こいつ、と言って指さしたのは他でもない日向子である。


「は?」

「え?」


 日向子と実能の反応はほぼ同時だったが、表情はまるきり異なった。

 迷惑そうな実能に対し、日向子はぽかんとしている。

 二人に対し、桐彦は再び同じことを言う。


「こいつを行儀見習として雇うなら、その女の件に関わろう」


 更に、実能の表情が渋くなる。腕を組み、ちらりと日向子に向ける視線は明らかに値踏みしていた。


「……使えるのか?」

「さあな。ただ、人を使えるかどうかで判断する子供より、よほど良い」


 実能はむっつりとして押し黙る。会話に、ようやく割って入る隙を見つけ、あのう、と訊ねた。


「行儀見習って何ですか?」


 行儀、は分かる。見習、も分かる。しかしそれが二つ合わさると、さてどんな意味を持つのか。


「世の中のことを学ぶ――で良いのか」

「僕に聞くなよな」


 実能は迷惑そうに顔を顰めた。しばらく考えたが説明が面倒だったのか、無理やり纏める。


「――……まあ、そういうことだ」

「そういうこと、では分かりません」

「とりあえず、この坊主の面倒を見るんだよ」

「違う。僕が見てやるんだ。……こいつ、明らかに僕よりも馬鹿だろう」


 この生意気な少年を相手にどうしろと言うのだ。


「……いつまでです」

「さあ。決めてはいない」

「ここから遠いんですか? 朝、起きられるか……」

「安心しろ。女中部屋に空きがある」


 頼んでもいない助け舟が出された。

 いつまでかは分からないが、住み込みで行儀見習――女中部屋、と言っていたから、つまりは女中奉公のことだろう――に行けという。

 それはつまり、言い換えればここから出て行けということではないのか。


「どうした」


 俯いて黙り込んだ日向子に、桐彦が訊ねる。


「いえ……何でもありません」

「言いたいことがあるなら言え。あんたが何を言っても怒らないと言ったろう」


 また、胸が痛む。

 何がそうさせるのか。

 何が。


 考えて、ようやく理由が分かった。

 桐彦が名を呼んでくれないからだ。

 いつも、あんた、と呼び掛ける。


 今までそんなことは当たり前で、名前を呼ばれなくとも何とも思わなかった。

 それが、ここに来て皆が日向子の名前を呼んでくれるようになった。

 しかし、一人――桐彦だけは未だに呼んでくれない。

 誰よりも呼んで欲しいのに。


 すう、と息を吸う。

 怒らないと言われても、手が震える。

 しかし、言わなければ。

 ここから、出て行きたくはないのだ。


「私、役に立っていませんか? ここに居ては迷惑ですか?」


 飯守の屋敷でも、そうだった。美夜子は必要な子で、日向子は不要な子。

 美夜子が居なければ、この家は立ち行かない。


 いつも、祖母はそう言っていた。

 身体の弱かった母も、美夜子の身を案じながら息を引き取った。


 皆、美夜子だけを必要としていた。

 役立たずな半身のことなど、どうでも良いのだ。


 ここでも、要らないと言われるのか。

 飯守日向子は、どこへ行っても役に立たない鼻つまみ者でしかないのか。

 だが、日向子にとっては重大な悩みも、桐彦にしてみれば馬鹿馬鹿しいものに思えたらしい。


「どうしてそうなるんだ。行儀見習に行くだけだろう」


 いつまでか決めていないのだ。体の良い追い出しにしか思えない。

 不貞腐れて黙る日向子の態度で、何かを察したようだった。


「そうか。箱入りのお嬢さんには失礼だったか」


 そのわざとらしい程にからかう口ぶりに、意図していることが透けて見える。

 そんなことはない、と言い返すのを待っているのだ。

 だから、むっつりと黙る。

 唇を尖らせてそっぽを向いた。

 それがあまりに子供染みていたらしい。

 桐彦は、手の焼ける子供を相手にした時のように、苦笑する。


「僕は」


 実能が、二人の会話に割って入る。


「僕は、構わないからな。丁度、女中が一人辞めた所だったんだ。少々使えないくらい、どうということはない」


 その実能の発言を受けて、桐彦に改めて問われる。


「あんたは、どうしたいんだ」


 どうしたいかなど、決まっている。ここが、初めての居場所なのだ。


「……ここの手伝いをしたいです」


 桐彦は黙って頷く。分かってくれた。伝わった。そう、安堵した。


「決まりだな」

「え?」

「あんたの、行儀見習」


 闇の中に突き落とされたかのように、目の前が真っ暗になる。

 なぜ。

 行きたくはないと、ここに居たいと伝えたのに。

 伝わらない。

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