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明治あやかし怪綺譚  作者: 甘露寺ちどり
山寺の僧の事
32/33

後編

  * * *


「それで、死神はどうなったんですか?」


 布団の中で、日向子は目をぱっちりと開けて続きを乞うた。話を聞けば眠れるのではなかったのか。


『ほら、早く寝ろ』

「気になって眠れません」

『話を聞いたら寝るんじゃなかったのかよ』

「あんな所で止められて、眠れと言う方が無理です」


 駄々をこねる病人を、さてどうあしらうかと溜息をつく。しかし、まあ世の中というものはうまくいくようになっているらしい。


「何の話をしているんだ」


 桐彦が帰ったのだった。どこに行っていたのかは知らないが、暑さも寒さも嫌いな桐彦が珍しく汗をかいている。


「お坊さんと、死神のお話です」

「坊主と……死神?」

「山の中の庵に、お坊さんが住んでいらして。死神が訪ねてくるんです。でも、死神は村の方々に追いつめられて――……」


 ちらりと桐彦が野狐を見る。その視線が、何を話しているのかと言われているように感じられて、無理やり話を変えた。


『それよりも。旦那はどこに行ってたんだよ』


 坊主と死神の話が野狐にとって都合の悪い話ならば、桐彦にとっては出掛けていたことがそれにあたるらしい。ついとそっぽを向く。


「……散歩だ」

『ヒナコを置いて、優雅なこった』

「俺が居た所で熱は下がらないだろうが」

『またそんなことを言って。日向子さんが心配で薬を貰いに行っていたと言えば良いんです』


 盆を手にした蛤が姿を見せた。


『薬……?』


 盆に乗るのは、湯呑みと紙袋。それが薬なのか。何だ、日向子を案じていたのではないか。


「散歩のついで(・・・)だ」


 聞いてもいないのに、わざわざ弁解する。


『この暑い中、遠いついで(・・・)だこと。私が頼んでも、一町先のお豆腐屋さんにも行ってくれない人が』

「おい、蛤」


 蛤の言ったことは図星だったらしい。桐彦は蛤を咎めようとするが、相手は幼い頃から面倒を見てきた蛤。そう簡単にはいかない。はあ、とわざとらしいくらいに深い溜息をつく。


『いつから素直じゃなくなったんでしょう。育て方が悪かったのね、きっと。好き勝手にさせていたから』

『何だよ、旦那も良いとこあるじゃねえか』


 そう冷やかすと、案の定睨まれてしまう。桐彦は、口は悪いが何だかんだで優しいのだ。初めて会った時からそうだった。

 じっとやり取りを見ていた日向子は、ぎゅっと口を真一文字に結んでいる。肩が震えて、懸命に笑いを堪えているのが分かった。


『汗をかいたままにしておくと治らないわ。ほら、汗を拭くから、桐彦さんも狐ちゃんも出て出て』

『蛤、お前看病なんかできるのか』

『あら。桐彦さんの看病をしていたのは私よ?』


 野狐に対し得意気に胸を張る蛤の横で、桐彦が顔を顰めた。


「俺の話はいいだろう」

『桐彦さん、風邪をひくと素直になって可愛いのよ』

「蛤」

『私の――』

「それ以上は話すな!」


 珍しく桐彦が声を張り上げた。


『日向子さんを放って出掛けた罰です』

「薬を買いに行っていたんだ」


 散歩だと誤魔化していたのが、とうとう本音が出た。あ、と口を押さえても遅い。蛤は満足そうに頷く。


『それをちゃんと言わないと。桐彦さんだって、風邪で寝込んでいた時は私の手を離さなかったでしょう? 風邪をひいた時は心細いものだって知っているのに』

「蛤!」


 相談屋主の威厳も丸つぶれだ。



 部屋を追い出され、桐彦は不機嫌以外の何物でもないほど凶悪な目を向けてきた。


「……お前のせいで、とんだとばっちりだ」

『旦那が悪いんだろ。ヒナコに黙って出て行くから。自業自得だ』

「だから言っただろう。薬を」

『そんなこと、言われねえと分かんねえよ』


 それ以上言わない所を見ると、桐彦も多少の後ろめたさを感じていたのだろう。

 今日は香を焚かないようだった。広縁に出る桐彦に野狐も続く。桐彦と野狐。他には誰もいない。こんなことは久しぶりだ。


「死神が、どうしたって?」


 しばらくして振られた話は、もう済んだものだと思っていた。急に蒸し返されうろたえる。


『いや――まあ、その……』

「病人に聞かせる話か」

『……何か話してくれって強請られて、他に思い付かなかったんだよ』

「思い付かないのなら、断れば良いだろう」

『寝込んでる上に旦那が出掛けて、何か話でもしてやらねえと可哀想じゃねえか』

「お前も蛤も、日向子には甘い」


 そう言う桐彦も充分に甘いと思うが、それは言わないでおいた。


「それで、死神の話は最後までするつもりだったのか?」

『さあ――……』


 どんな落ちを付けるつもりだったのか。野狐自身も分からない。



  * * *



「皆さんお揃いで、いかがされました」

「あんたには関わりのないことだ」

「黙っていてくれねえか」

「それとも――あんた、こいつの仲間か?」

「こいつと一緒に御前さまを」

『こいつは何の関わりもない。あんたらが用があるのは俺だろう』


 村人たちの声を遮ったのは、それまで黙っていた僧だった。


『俺を殺しに来たんだろう。よそ見するんじゃねえよ、人間ふぜいが』


 にい、と笑った口元から歯が覗く。ぴりっと空気が張り詰めた。互いが距離を確かめながら、先手を取るが良いか後手に回るが得策かを図っているのだったが――。

 ぱん、と誰かが手を打った。皆が一様にぽかんとし、手を打った者――死神を見る。


「少々、よろしいでしょうか」

「あんた、誰だ」

「……よそ者は黙っていてくれねえか」


 それでも、死神はにっこりと――見ている方が気味悪くなるような笑顔を作る。死神も笑うのか、と僧は驚いた。陰気な顔しか知らなかったのだ。

 尤も、これは仕事の時だけのもので、無理矢理作ったのだと後になって知るのだが。


「申し遅れました、私は黒瀬桐彦と申します。確かによそ者ではありますが、多少この化け狐に恩がありますのでね」

「化け狐――」

「やっぱりな」

「こいつが――」


 ざわざわと騒がしい村人たちの声は頭に入ってこなかった。死神――黒瀬桐彦は、確かに言った。


『お前、今――……化け狐って』

「違うのか」


 事実だから言い返せなかった。ぐっと黙りこんだのは肯定の返事と同じ。

 敵意を露わにする村人を制するように、桐彦が前に出て続ける。


「ここまで追い詰めたんです。少しくらい話を聞いてやってはいかがでしょう」


 村人たちは顔を見合わせ、胡散臭そうに桐彦を見る。


「何をしようってんだ、あんた」

「本当に尼僧を死に追いやったのがこの化け狐か、訊ねてみるんですよ」

「そんな分かりきったこと――」

「そもそも、誰に訊くってんだ」


 そう――その通りだ。僧が、いくら自分が手に掛けたのではないと言っても信じてはもらえないだろう。村人が求めているのはそんな答えではない。師を、この庵に暮らしていた尼僧を死に追いやったのは――。

 いや、誰でもなく村人の言う通り僧自身なのかもしれない。そう思った。この手に掛けてこそいないが、僧がここに棲み着かなければ災いをもたらす者を呼びはしなかっただろう。ここに残っているのも、己の罪のせいで――。


『お――』

「尼僧ご本人に決まっているでしょう」


 己のせいだ、と言いかけた僧の言葉を、強い口調で桐彦が遮る。

 皆が黙った。桐彦の言うことを、それは名案だと感心した訳ではなく。


「馬鹿を言うな!」

「死んだ人間にどうやって訊くんだ!」


 その、あまりに無茶苦茶な提案に呆れたのだった。僧も同様である。


『御前さまは、もう亡くなられたんだ』


 だが、一同に責められても、この桐彦という男は全く動じない。それどころか、口元には笑みまで浮かべている。


「本当に訊けたなら、どうします」

「何を馬鹿なことを――」

「約束してください。この化け狐が尼僧を殺したのなら、貴方がたの好きにすれば良い。もしそうでなかったら」

「そうでなかったら?」

「どうしろってんだ」

「化け狐には手を出さない」

「上等じゃねえか」


 それを聞くと、桐彦は庵に上がり、包みを解く。取り出したのは、懐紙。中には炭と香だろうか、小さな欠片が見えた。竈の火で炭に火を付け、皿の上に置いた。その上に、香を乗せる。

 初めての香りだった。それなのに、懐かしく感じるのはなぜだろうか。たゆたう香の煙は辺りを漂い、ゆっくりと何かを形結んでゆく。頭、身体、ふわりとした衣の袖。目鼻立ちがしっかりとしてくる。

 姿を見せたのは、長く庵に住んだ尼僧だった。僧が慕った人だった。村人たちは、この妙な事態に後退る。


『御前さま――……?』


 震える声で呼ぶと、尼僧は生前見せた穏やかな微笑みで――


「何て頭をしているの!」


 穏やかさなど欠片もない声を上げた。


「毎日の下手なお経も! 嫌がらせなの?」

『いえ、その、御前さま……』

「私は、あなたの綺麗な髪が好きなの。それを、まあ――まあ――!」

『すみませんでした、謝る、謝るから! もうしないから、御前さま!』


 何も、こんな大勢の前で、再会の余韻もない。だが、生前の尼僧はこんな人物だった。思ったことをそのまま口にしても嫌味がなく、歳よりも少々幼い所があり、けれど器は大きく寛容な人物。

 懐かしくて、嬉しくて、けれどなぜか少し哀しくて、視界に映るものの輪郭がぼやける。泣きそうだと悟られないために袖で乱暴に目許を拭った。

 そこに、桐彦がずいと割って入る。


「御前さま。お初にお目にかかります。私は黒瀬桐彦と申します。こちらの方々にお話して頂きたいことがあり、無礼を承知でお呼び立てした次第」

「こちらの――……?」


 尼僧はあたりをぐるりと見渡す。そこでようやく、僧以外の者たちに気付いたのだった。


「まあ、まあ。今日は皆さまお揃いでどうなさったの? お祭り?」


 少女のような目を輝かせて、弾んだ声で訊ねた。それまで殺気立っていた村人たちも、肩透かしを食らう。


「この方々は、あなたがこの僧のせいで亡くなられたと思っています。あなたが説明をするのが一番手っ取り早いと思いまして、断りもなく失礼した次第です」

「あら――まあ」


 尼僧は説明を聞くと、ころころと笑った。


「この子に、私を取り殺す度胸なんてありますか」

「ですが」

「歳ですよ。もう若くはないの。風邪をこじらせたの。だから――」

『ですが』

「知っているでしょう? 人は、あなたたちほど長くは生きられないの」


 尼僧は言葉を区切り、僧に向き直る。


「だから、誰のせいでもないのよ」


 それは、村人にというよりも僧に向けてのものだった。


『本当ですか』

「本当ですとも」

『本当に――』

「あら。私が嘘をついたことがあったかしら?」


 思い出そうとしても、何も出てこなかった。嘘をついたことはあったかもしれない。だが、思い出せない些細なことだ。少なくとも心を弄ぶような嘘をつかれたことは、ない。


『俺を……怨んではいませんか』

「ばかねえ。どうして怨まないといけないの」


 花開くような微笑みで言われては、もう何も言えなくなる。


「さあさ、もう私の姿も消えるでしょう? この子と話をさせてくださいな」


 否を唱える者は居なかった。皆、顔を見合わせ離れる。


「私が、最期に言ったこと。あの子のせいじゃないって。あの子は貧乏神なんかじゃないって――覚えているかしら?」


 黙って頷いた。


「だったら、どうしてここに居るの。探しに行かないの?」

『む……無闇矢鱈に探し回るより、ここに居た方が――……』

「あなたなら、どうする? あんなことを言われて、戻って来るかしら?」


 唇を噛み押し黙る。尼僧はどんな答えが返ってくるのか分かった上で訊ねている。誤魔化しを許さない目がじっと向けられていた。


「戻って来るの? ――顔を上げて答えなさい」


 口調が厳しくなった。おずおずと顔を上げる。深く息を吸うと、ようやく腹が据わった。


『戻りません』


 その答えに、尼僧の表情には再び穏やかさが戻った。そうでしょう、と言われたような気がした。


「押し入れの葛籠の中……開けてご覧なさいな」


 大人しく、言われた通りに押し入れを開ける。奥に古びた葛籠があった。捨てようにも捨てられず、開けて中を改めることもできなかった。恐る恐る開けてみると、中におさまっていたのは深い夜の空に似た色の着物であった。小柄な尼僧のものでないのは明らかだ。


「あなたのために縫っていたのですよ。髪に似合うように色を選んで。……それなのに、もう!」

『すみません……』


 項垂れて謝る。僧に知られないよう、密かに選んだのだろう。全く気付かなかった。恐る恐る撫でている所に、声が降ってくる。


「それを着て、ここを出なさいな」


 はっとして顔を上げる。


「大丈夫。世の中は、意外と優しいものよ」


 いつもの優しい声音だった。そして、それが最後の声となった。さして強くない、頬を撫でるくらいの風が香の煙を掠め取り、尼僧の姿をかき消す。あっ、と思った時にはもう遅かった。炭の上の香は、もう尽きている。

 寂しくはあったが、涙は出なかった。満ち足りていたのだろう。

 村人たちは去り、後には僧と桐彦が残された。


「出て行かないのか」


 いつかの日に投げられた問いだった。あの日のように、なぜと返せなかった。ここに居る理由がなくなってしまったのだ。


『そうだな――……』


 だが、どこに行こうか。

 少しの沈黙の後、桐彦が口を開いた。


「俺の家は、相談屋を営んでいる。お前みたいな、人じゃあない奴らのな。爺ィの手伝いをしていたんだが、その爺ィが亡くなって、俺一人になった」


 その身の上話が何になるのか。分からずに黙って聞く。


「だが、一人じゃどうにも手が回らなくてな。いっそ畳んでしまおうかとも思ったが――」


 ちらと視線が向けられる。


「どうだ。手伝わないか。住み込みで、三食も付くぞ」


 それならば住む場所にも困らない。だが、相談屋というと話を聞いて、あれやこれやと助言をするのだろう。時には問題の解決にも首を突っ込むのかもしれない。今回のように。あの村人とのやり取りを思い出すと、あんな芸当こなせる気がしない。


『……腹芸は苦手だ』

「そんなもの、端から期待しちゃいない。時々、力仕事をする位で良い」

『だが……』


 それでは、ここを出る目的が果たせるのだろうか。返事にためらう僧の背を押すように桐彦は続ける。


「それに、めったやたらに出るよりも、俺の家は待っている誰かを探しやすいだろうさ」


 なるほど。相談屋というからには手がかりが入りやすいかもしれない。それに、尼僧に会わせてくれた借りもある。


『分かったよ。あんたの言うこと、何でも手伝おうじゃねえか』


 桐彦は頷いた。口の端を釣り上げるようにして笑っている。こうなることを予見していたかのように。


「それで、何と呼べば良いんだ」

『何がだ』

「お前の名だ。まだ聞いていない」


 名――、そうだ。まだ名乗っていなかった。

 生前、尼僧が呼んでくれた名は尼僧だけのものだ。この黒瀬桐彦という男が嫌いな訳ではないが、教えたくはなかった。名はこの庵に置いていくのだ。


『野狐』

「野狐? それは――」


 個の名ではないだろうに。そう言いたそうにしているのが伝わる。


『俺様の名は、野狐だ』


 だが、それで良かった。ただの野狐で。




  * * *




『死神じゃなくて、死神に憑かれた(・・・・)男だけどな』

「誰がだ」

『旦那が』

「お前の目は節穴か」


 あの時、庵を訪れた桐彦は確かに死神に憑かれていた。当人がいくら違うと言っても、そうとしか見えなかったのだから仕方がない。

 そもそも、あんな山の中に何をしに来たというのだ。死場を求めていたのではないか。何かあると、ふらりと家を空ける妙な癖。それは憑いた死神のせいではなかったのだろうか。問うたところで答えは返ってこないし、桐彦自身も気付いていないだろうから、それは飲み込んだ。


『あの時は――……旦那の爺さんが亡くなったんだったか』

「ああ――そうだな」


 返事はぼんやりとして、どこか上の空だった。


『何だよ、他にもあったのか? 分かった、女に袖にされたんだな』


 怒るだろうと構えていたが、桐彦は肯定も否定もしなかった。気にはなったが、追求しても答えないだろう。まだそこまで踏み込むことを許されてはいないらしい。


『そういえば』

「何だ」

『旦那はどうして反魂香(はんごんこう)なんてモンを持ってたんだ?』


 ひとときではあったが、尼僧を呼び戻した香。

 商売柄と言われるとそれまでだが、反魂香はそう簡単に手に入るものではない。使っているのを見たのは、あの一度きりである。


「さあな」


 桐彦はそれ以上、何も言わない。

 日はとうに暮れてしまっていた。頬を撫でる夜風が心地良い。


「ちょくちょくお前が家を空けていたのも、あの貧乏神を探しに行っていたんだろう?」

『やっぱり、気付いてたのか』

「当たり前だ」

『ここに来る時に言った通りになったな。流石だ、旦那は』


 本当に待ち人はここに現れた。手放しで褒める野狐に、桐彦は苦笑する。たまたまだ、と言って。

 実際にたまたまなのだろう。たまたま通りかかって、たまたま日向子が家に上げた。だが、桐彦がすぐさま連絡を寄越さなければ、今も未だ会えてはいなかった。やはり、桐彦のお陰だ。




 また少し会話が途切れた。

 長いような短いような静寂の後、桐彦がぽつりと口にする。


「出て行っても良いんだ。もう充分働いてくれた」


 独り言のような小さな声だったから聞こえないふりをして流してしまえば良かったのだろうが、つい隣を見てしまい、目が合ってしまってはそれもできない。


『――……出て行って欲しいのか、旦那は』

「そうじゃない。ただ、約束はもう果たしただろう?」

『そうだなあ――』


 いずれ、この話をされるだろうと思っていた。だから何と返事をしようか、ずっと考えていた。

 桐彦が出て行けと言うのならば出て行こうと思っていた。蛤の作る食事は美味いし、日向子を見ているのも楽しい。何より、桐彦の傍に居るのが好きだ。日向子のことを笑えない。それでも、嫌がられながら居着くのは――それは、したくはない。

 だが、出て行かなくても良いと言うのなら。


『あいつ、福の神になっただろ』

「そうだったな」

『だから、俺様も修行すりゃあ、もっと偉くなれると思うんだよ』

「は?」

『あの――化け狐の偉いやつ』

「……天狐(てんこ)か?」

『そう、それだ! 俺様は、いずれその天狐になる。そのための修業を、ここでさせてくれ』

「一体、どんな修行だ」

『そんなの知らねえよ』

「全く――面倒なやつだ。ここに居たいのなら、そう言え」


 野狐が知る中で一番面倒な男は、そう言って苦笑した。



   了

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