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明治あやかし怪綺譚  作者: 甘露寺ちどり
訪う女の事
24/33

終章

 鬱屈した気持ちが晴れず耐えきれなくなると、誰にも告げず、行き先も日程も決めない行き当たりばったりの旅に出るのが癖になっていた。

 相談を片付けるのは中々に気力を使うもので、気持ちはどんどん塞いでしまう。

 人やあやかしと関わりを持つことが嫌になり、逃げるように家を飛び出していた――以前までは。


 それが、今回は何故だかそんな気分にはならなかった。

 相談を片付ける前と変わらぬ毎日を送っている。

 今回は波が来るのが遅いだけで、そのうちどうしようもなくなってしまうのではないかと構えていたが、いくら経ってもそんな様子は微塵もなかった。

 いつもの彼を知る人に化けた狐のあやかしは、それを不思議には思わず勝手に彼なりの理由を付けて面白がっているようだった。


『出て行かないんだな、旦那』


 この日も、その話を振ってくる。

 近頃は、出て行かないのか、が挨拶代わりになってきていた。


「そう、しょっちゅう家を空けられるか」

『前はしょっちゅう空けてたくせに』

「空けていない」

『いいや。しょっちゅう空けてたよなあ。相談で、ちょーっと嫌なことがあったら、ふらっと出て行っただろう』


 その狐の言葉も軽く聞き流せば何ということはないのだが、今日は少々事情が異なる。


「何だ、黒瀬。旅が好きなのか。――そうだ、熊野には行ったことがあるか。いつか行ってみたいものだな。どんな所だった」


 以前は、表に木札を下げるまでは静かに過ごしていられたのに、近頃は煩い。

 元々、この家に住んでいた者たちでもこうやって煩かったのだが――それだけではなかった。

 先日、片付けた件の相談主の坊主が入り浸るようになっていた。

 いつでも来て良いと言われた、とはあちらの主張なのだが、それでも間隔が短すぎる。

 つい一昨日も用事もないのに来ていた。

 それに加え、今日は首の長い女まで居るから煩くてかなわない。


「そんなことはお前の父親に言え」


 今回の一件でごたごたしていた家の中も、先頃ようやく落ち着いたのだと言っていた。

 母の墓も建て、毎日のように花を供えているのだという。


「父上はお忙しいんだ。我儘など言えるか」


 あの夜の態度を思えば、こうして父の話ができるようになったのも成長だろう。

 相変わらずの尊大な態度は如何なものかと思うが。


「だったら、俺にも言うな」


 眉間に皺を寄せて答えた。


『旦那は怒るのが仕事だからなァ』

「まったくだ」

『二代目に相談しても、怒られるから嫌だって言う子も居るのよ』


 入り浸りすぎたせいか、坊主はあやかしと打ち解けてしまっている。

 初めて顔を合わせた時はいがみ合っていたのが嘘のようだ。

 全く――面倒臭い。


「もう日が暮れるだろう。さっさと帰れ」


 しかし、坊主は畳に根が生えてしまったかのように、立ち上がる気配を見せない。


「黒瀬の家に行くと言うと、母も安心している。お前は外面が良いからな」


 仕事を片付ける都合で慣れない愛想笑いを貫いたのだが、意外と巧くいっていたようだ。

 ただ、それをこうして利用されることになったのだが。


「それに、今日は黒瀬に用事があった訳じゃないんだ」

「いつだって俺に用事はないだろう」

「その通りだけどな。――あ、日向子」


 坊主は、湯呑みを載せた盆を手に座敷に入ってきた娘に呼び掛ける。

 傍に来るようにと手招きをするが、明らかに坊主の方が年下である。

 少し前まで坊主付きの女中をしていた娘だが、それももう終わったことだ。

 今は、主でも何でもない。

 年長者と年少者である。それなのに、坊主の態度はどうだ。

 年上に向かって取るものではない。

 親はどんな育て方をしているのかと呆れた。


「はい。あ、先にお茶を――」

「それは後で良いから」


 有無を言わさず娘の腕を掴み傍に座らせる。

 盆の上の茶はこちらまで届けられることなかった。

 娘はちらりとこちらを見ると、苦笑する。

 困りましたね、と言っているようであったが、困っているのはこっちだ、と思った。

 茶を待っているのに。


『はいはい、機嫌を悪くしないの』


 見兼ねたように女が娘の盆から湯呑みを取ると、手元まで運んでくれた。

 茶を一口飲むと、楽しそうにこちらを向く視線に気付いた。


「……何だ、野狐。何か言いたいのか」

『いいやぁ。旦那も大変そうだなァと思って』

『本当に、ねえ』


 何かを勘違いしているとしか思えないことを言い出す。

 ただ、茶が飲みたいだけだというのに。


「今日は、日向子に贈り物を持ってきた」

「贈り物?」

「開けてみろ。似合うと思う」


 あまりに苛々して、これ以上見ていられず視界から外す。

 がさがさと、包みを解く音だけが聞こえた。


「綺麗……!」

「だろう」


 何を持ってきたかは知らないが、坊主は得意気だった。

 ちらりと見ると、娘は目を輝かせて手元の小箱を見ていたが、しかしすぐに眉尻を下げた。


「でも、受け取れません」


 娘は、そう言って箱を返す。

 そんな反応をされるとは思っていなかったらしく、坊主は驚いていた。


「どうして。遠慮はするな」

「ですが、こんな高価なもの……」


 頑なに受け取ろうとしない娘を、さてどんな風に言い包めるのか。

 黙って眺めるのも一興だろう。


「給金の代わりだ」

「あれは」

「日向子はよく働いた。この位、受け取っても罰は当たらない。……と、父が言っていた」


 坊主の父は、娘の働きを見ていないだろうに。

 どうしたってあれは坊主からの贈り物だ。

 その証拠に、心なし照れくさそうにしている。

 幸か不幸か、娘はその様子に気付いていないけれど。

 娘も思案していたが、結局は素直に受け取ることを選んだようだった。


「では……、お言葉に甘えて。ありがとうございます」


 申し訳無さそうな表情に、喜びが見え隠れする。

 誰だって、贈り物は嬉しい。

 坊主も坊主で、どうにか受け取ってもらったことを心から嬉しそうに、そして少し恥ずかしそうにしている。

 もういっそ外でやって欲しかったが、先ほどまで楽しそうにこちらを見ていた狐や女まで、その輪に加わる始末だ。


『私が付けてあげるわ』


 女がはしゃいだ声を上げていた。

 ああでもない、こうでもないと騒いでいる。

 外を見れば、夕闇が迫っていた。

 そろそろ、香を焚く頃だ。


「どうですか? 似合います?」

「ああ、やっぱり。僕が見立てただけある。日向子に似合っている」

『坊主、中々やるじゃねえか。なあ――旦那』


 狐から話を振られ娘を見る。

 頭に、赤い髪飾りをつけていた。

 リボン、というのだったか。

 色の白い娘に、その鮮やかな赤はよく映える。

 坊主の見立てを褒めるのは癪だったが、よく似合っていた。


「良いんじゃないのか」


 それで、この話は終わり、後はそちらでどうぞ楽しくやってくれ、と思ったのだ。


『似合っているの、いないの。分かりにくい言い方はしないで』


 女が突っ掛かってきた。良いと言ったのに、それも駄目なのか。

 そもそも、女が首を出すことではあるまいに。

 首が長いから突っ込みたくなるのだろうかと、落語にもならないようなことを思う。


「似合っている。あんたに似合っているよ」


 これで満足だろう、と思った。

 立ち上がり、香の支度をしようと思ったが、思いがけないことを言われ動きが止まってしまった。


「な――……名前」

「は?」

「名前で、呼んでください」

「……」


 今度は何を吹きこまれたのか。

 呆れ混じりに見やる。

 娘は、いつになく真剣だった。

 答えられないでいると、見当違いなことを言い出す。


「もしかして、ご存知ありませんか? 私の名前」

「馬鹿にするな。それくらい知っている」

「でしたら、名前で呼んで下さい」

「今更……」


 面倒臭い、と流そうとしたが娘はそれを許さない。

 娘の後ろで、何か言いたそうな坊主を、狐と女が挟んで止めていた。

 これは、どうしたって娘の味方だ。

 逃げようとすれば、きっと黙っていない。

 援軍を得たから、ではないが――そもそも、娘は援軍の存在に気付いていないようだった――上目遣いで見ながら、堂々と言い放つ。


「遠慮をするなと言われましたから」


 言ったことに間違いはないが、しかしこんな時に引っ張り出されるとは思ってもいなかった。

 あの日、だだっ広い座敷で娘に詰め寄ったことが蘇る。

 どうするかと問われ、困惑しながら押し切られるようにして頷いた娘が、今は逆に詰め寄っている。

 その日、着るものも決められなかった娘が、である。

 堪らず、笑ってしまっていた。


「ど――どうして、笑うんです」

「いいや」


 さっきまで眉を吊り上げて詰め寄っていた娘が、今度は不安そうに目を泳がせている。

 いつの間に、こんなにころころと表情を変えるようになったのだろうか。

 見ていて飽きない。


「随分、思っていることが言えるようになったじゃないか」


 言われて気付いたかのように目を瞬かせた後、恥ずかしそうな笑顔に変わった。

 その顔に、以前のような青白さはない。

 見ているだけで、気持ちが和らぐ。


 ふと、思った。

 気持ちが塞ぐ理由に。

 狐を連れ帰った時もそうだった。

 賑やかにはなったが、どこか満たされず、再び家を飛び出し――娘に出会った。

 ずっと、肉親を喪って空っぽになっている姿が自分と重なっただけだと思っていた。

 けれど、それだけではなかったのだ。理由を探ろうとしなかっただけで。

 あの夜、細い身体を抱き締め、温もりに浸ったからこそ、鬱々とした気持ちを抱えずに済んだのだ。


 簡単なことだ。

 辛くて、ただ寂しかったのだ。

 何も言わず、抱き締めてくれる温もりが欲しかったのだ。

 娘は言葉にせずともそれを与えてくれたが、しかし貰うばかりではなかっただろうか。

 娘の求めるものを、与えているだろうか。

 与えているかもしれないし、いないかもしれない。

 けれど、簡単ではないか。

 今、こうして何をして欲しいと言っているのだ。

 手を伸ばし、リボンを整えてやる。


「日向子に、よく似合っている」


 娘の白い頬は、季節を一足飛んでしまったかのように、みるみる紅く染まっていった。



   了

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