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明治あやかし怪綺譚  作者: 甘露寺ちどり
訪う女の事
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第四章 三

 通されたのは、日向子が行儀見習に来た時に挨拶をした応接間であった。

 椅子に深く腰掛け、先程から何度も深い溜息をつく都筑は、乱れた髪のせいもあってか初めて面会をした時よりも十は老けて見えた。

 その隣には、膝に白い包みを乗せた実能が座る。

 それは、タキの着ていた着物であった。

 中には骨が包まれている。

 背の低い卓を挟み、桐彦と日向子は向かいに座る。


 屋敷内の落ち着かない雰囲気に不安を覚えたのか、彰子が覗きに来たが、都筑夫人が抱き抱えて応接間を出て行った。

 去り際、どんぐりの瞳が心配そうに兄を見る。

 幼い妹を心配させまいと、懸命に笑顔を作っていた。


「私も、出ておきましょうか」


 次第に場違いな気がしてきた。

 周りを伺いながら腰を浮かせると、すぐさま実能が縋るような目を向けてきた。

 兄らしく振舞っていた素振りは消え、歳相応の少年の顔だ。


「いや、居てくれて構わない。実能も、君を信頼しているようだからね」


 都筑はそう言って我が子の頭を撫でようとしたが、しかし実能の身体がびくりと強張ったことに気付き、手を引っ込めた。

 父が何かしらの隠し事をしている、という不信がそんな態度を取らせたのだろう。


「さて――何から話せば良いだろうか」


 都筑は桐彦に向き直り、訊ねる。

 外で起こった一連の結果を見てはいるが、その経緯は知らないのだ。

 あの場に居た中で、桐彦が一番、把握していると思ったのだろう。

 そしてその判断は、正しい。


「まず、今しがた、外で起こったことまでの話をしましょう」


 その後で、実能を見る。

 言葉はなく、目だけで訊ねていた。

 実能が桐彦の許を訪ねた件から話すのだ。

 そうでなければ、今のことまで説明ができない。

 相談に来た時の実能は家族に、特に父に知られたくはない様子だった。

 だが、こうなってしまっては、隠し通せはしないと思ったのだろう。

 実能は黙って頷く。

 それを受けて、桐彦は前置きをした。


「ただ、実能くんを怒らないであげて下さい。彼なりに、家のことを案じてのことだったのですから」


 都筑はしっかりを頷き、分かった、と言った。

 それを確かめて、桐彦は話し始める。

 実能が相談に来たことから始まり、使用人が襲われ、家の者たちを案じたこと、しかし父はこの件をどうする気もないようだということ。

 相談を請ける代わりに、日向子の行儀見習を提案した所で、桐彦は謝った。


「本来ならば、初めに貴方とこの件について話がしたかったのですが、実能くんに頼んでも会わせて貰えない。仕方がないから、彼女をこの家に入り込ませたのです」


 自分のことが出てくるとは思わず、隣の桐彦を見る。

 桐彦も視線に気付いたらしく、ちらと日向子を見た。


「あんたが問題を起こせば、僕も堂々とこの家の門を潜れる。あんたは隠し事が苦手だろうから、その目的については言わないでおくつもりだったんだ。――結局、思い込みで聞こうとしなかったが」


 ああ――何だ、そういうことだったのか。

 全て合点がいく。

 だから、ここを手伝いたいのだと言った日向子に行儀見習に行けと言ったのだ。


 桐彦は再び、都筑に向き直ると話を続ける。

 女は肉吸いというあやかしで、人間の――特に若い男の生気を吸うということ。

 放ってはおけないから、肉吸いを退治する方法として聞き知っていた、経を彫り込んだ弾丸で撃ち抜いたこと。

 経を彫り込んだ弾丸ならば、肉は消え、骨だけになる。

 だからあの時、タキの腕から血は流れなかったのだ。


 そこまでを語り桐彦は、自分の話は以上であると告げる。

 都筑の様子を伺った。

 都筑は、穏やかであった。

 桐彦の話を思い返しているのか、その口元には微笑みすら浮かんでいた。


「人の出入りにお上が以前ほど口を出さなくなったせいか、あやかしも様々な土地に姿を見せるようになりました。人が動くお陰で、以前はその土地でしか知られなかったあやかしが、他の土地にも姿を現すようになる。移った先で、昔住んでいた土地には、こういったあやかしが居た、と話すからですね。――ただ、肉吸いが他の地で出たという話は、生憎とまだ聞いたことがないんですよ」


 だから、野狐はあの夜あんなに驚いていたのだ。


「その、肉吸いは、元々はどこに居るあやかしなんだ?」


 実能の問いに答えたのは、桐彦ではなく、都筑であった。


「熊野――だろう?」


 驚いたのは、日向子と実能で、桐彦は微笑んで頷いた。


「よくご存知でしたね」


 都筑は首を振り、力の篭もらない笑い声を零した。


「タキが、熊野の出だったから、そう思っただけだよ」


 その名に、実能の表情が強張る。

 隣に座っているから見えないのか、それとも見えてはいるが気にしていないのか、都筑は更に続けた。


「その肉吸いというものは、タキだったんだろう」


 今となっては、実能も何とはなく察しが付いていただろうが、父から言われるとは思っていなかったのだろう。

 膝の上の着物に触れる手が震えている。

 今にもこぼれてしまいそうだった。

 そこでようやく、隣に座る息子を見る。


「それは、タキの着物だろう。――私が贈ったものだ」


 弾かれたように実能は顔を上げた。

 口の端を釣り上げて笑っているようにも見えるが、それは笑いたいのではなく、怒れば良いのか、それとも泣けば良いのか分からない故だろう。

 都筑はそんな実能の様子など見てはいなかった。

 更に続ける。


「お前を産んだ祝いに」


 場の空気が凍りついた。

 今、都筑は何と言ったか。

 実能を産んだ祝いに着物を贈ったと、そう言わなかったか。

 実能の母が夫人ではないとは聞いていた。

 タキが、実能の母だったのか。


 実能は目を見開き、都筑を、父を睨む。

 椅子から立ち上がり着物を高く掲げ、今にもそれを床にぶち撒けてしまいそうだった。

 そんなことをすれば、いずれきっと後悔する。

 都筑の言うことが事実とするならば、それは実能の母の着物で、中には母の骨が包まれているのだ。

 だからといって無理に取り押さえては駄目だ。

 実能が自ら手を下ろさなければ。


「それは」


 だから、自分が場違いであるとは思いつつも、口を挟んでいた。


「それは事実かもしれませんが、実能さんが聞きたいか聞きたくないかを確かめずに言うのは、あまりにも勝手ではありませんか? 実能さんのことを考えないで、ご自身が楽になりたいだけでしょう?」


 出すぎた真似をするなと怒られるのは覚悟の上であった。

 口では強いことを言いながら、情けないことに、膝の上で握った手は震えてしまっている。

 力を込めようにも強張っていた。

 その上から、桐彦の大きな手が触れた。

 硬くなった手を解す、暖かな手だった。

 その温もりで、張り詰めていた心が解れていくのが分かる。


「彼女の言う通りですね。いくらそれが事実だとしても、実能くんに聞くか聞かないか、選ばせるべきです」


 都筑は黙り、桐彦は尚も続ける。


「ですから、せめてこう訊ねるべきでしょう。――母の話をしようと思うが、聞いてくれるだろうか、と」


 そんな説教をされるとは思っていなかったのか、都筑は少々驚いていた。

 しかし、すぐにその顔には父親として息子に接する慈しみが戻る。

 都筑も動揺していたのかもしれない。

 父は深く椅子に座り直し、息子を見上げて訊ねた。


「ずっと、黙っていて済まなかった。タキの――……お前の母の話をしようと思う。聞いてくれるだろうか」


 実能は思案した後、返事こそしなかったものの、黙って椅子に座り直した。

 それは肯定の返事であった。

 都筑もそれに気付き、静かに話し始める。

 少し遡った時の出来事を。



 タキとは、恋仲であったと――都筑は昔を懐かしみながら言った。

 タキが女中奉公で都筑家に来たのか、十五年ほど前のことであった。

 その時、都筑は二十、タキは十五程度であった。

 タキが来てすぐの時に挨拶をされたそうだが、都筑は覚えていないという。

 その時、興味があったのは、父からは軟弱だと嫌な顔をされていた文学であった。

 跡継ぎとしての自覚はなく、明けても暮れても本ばかり読んでいた。


 ある日、部屋の掃除をしに来たタキが、都筑の本棚に目を輝かせている姿を見た。

 買い揃えた本が納まっている本棚に。

 全て、父の小言をかわしながら集めたものだ。

 これまで、興味を持ってくれる者もなかったから、嬉しくなった。


 ――本が好きなのか?


 そう訊ねると、タキは顔を赤くし、何度も頭を下げた。


 ――申し訳ありません。


 怒っているわけではないと何度も説明するとようやく、じっと見ていなければ分からない程度であったが頷いた。

 学校には家の都合で時々しか通えなかったが、平仮名だけは覚えたのだという。


 ――でも、こちらにある本は難しい字ばかりなのですね。私には読めません。


 そう言って、寂しそうに笑ったタキに同情したのか、それとも哀れんだのか。

 今でもよく分からないが、ここにある本を読ませたいと思った。


 ――字なら、私が教える。読んでいて分からないことも。本当に、読みたいのなら。


 タキは目を輝かせ、思案した後で頷いた。


 ――読みたいです。


 それから、一日の務めを終えた少しの時間で、タキに字を教えるようになった。


 タキは乾いた土が水を吸い込むように字を覚えた。

 覚えることが嬉しいらしく、一度教えた字は何度も練習し、決して忘れることはなかった。

 初めて一冊の本を自分一人で読み終えた時、その目に涙すら浮かべて喜んでいた。


 ――ありがとうございます。私でも、一人で本が読めました。


 こんなことで喜ぶ娘もいるのかと、都筑を驚かせた。

 細工の施された簪を贈られた訳でも、絹の着物に袖を通した訳でもないのに。

 そして、そんな彼女をもっと喜ばせたいと思った。


 タキは、素朴で贅沢を知らない娘であった。

 それまで都筑が知っていたのは、どこぞの家の令嬢ばかりで、皆贅沢しか知らなかった。

 だから、女というものは皆そういうものなのだろうと決め付け、日々舞い込む縁談に興味を持つことはなかった。


 そんな都筑の目に、タキはとても新鮮に映った。

 タキと過ごす日々は、都筑にとっても目新しいものだった。

 一緒の時を過ごすうち、都筑もタキも、互いを思う気持ちが好意へと変わっていった。


 都筑の両親が気付いた頃にはもう、タキは子を宿していた。

 当然、両親は愕然とした。

 女中に手を出すことは、あまり褒められたものではないが、どの家でも多かれ少なかれあることだ。

 そんなに執心しているのなら、妾として囲っても良い。

 ただ、そうするならば、しかるべき家の令嬢を娶らせなければ。


 両親に諭され、それ以外に手の思い付かなかった都筑は、今の夫人を正妻とし、そしてタキを妾に囲うことにした。

 そうすれば、タキにも外に家を与えられる。

 周りの世話をする女中を置いてやれば、好きなだけ本も読めるようになる。

 ただ、日陰の身になってしまうけれど。

 それでも、頷いてくれるだろうと思っていた。


 しかし、タキは妾となることを拒んだ。

 産まれた子は都筑家の子として本家で育てられる。

 タキは妾宅を宛てがわれ、我が子と引き離され、いつ来るともしれぬ都筑を一人待つという暮らしは耐えられないと言う。


 ――乳母として、この子の傍に置かせて下さい。


 当然ながら縁談の相手は嫌な顔をし、都筑の両親も頷こうとしなかったが、タキも引かなかった。


 結局、都筑はタキの望みを叶えてやった。

 自分のせいで、という思いがあったのだろう。

 最後まで反対した両親は、これ以上家の中の惨事を見たくなかったのか、家督を譲り隠遁生活を始めてしまった。

 勝手ばかりする息子も、家を任されれば多少はまともな考えをするようになると思ったのかもしれない。

 その判断は正しかった。


 生まれたのは男の子であった。

 実能と名付けられたその子は、都筑の家の嫡子として育てられることとなった。

 都筑は、タキに祝いにと上等な白い着物を贈った。

 白無垢を着せられなかったタキへの、せめてもの詫びのつもりだった。

 喜んでもらえるだろうと思ったが、受け取ったタキは初めて都筑の本棚を見た時のように目を輝かせることはなかった。


 そして、タキとの関係も都筑家の当主と嫡子の乳母というものへ変わっていった。

 平穏な日々を積み重ねている。

 そう信じて疑わなかった、ある日。

 タキが思いもしないことを言い出した。

 実能に一度で良いから母と呼んで欲しいと訴えたのだ。

 当然、都筑は頷けなかった。

 何のために、母だと名乗りを上げるというのか。

 実能の傍に居られるのだから良いだろうと言うが、タキは聞かなかった。


 ――金か。


 そう訊ねると、酷く悲しそうな顔をした。


 ――貴方は、実能に父と名乗ることができるから……。


 他にも何か言っていたが、涙声で聞き取れなかった。

 いや、そもそも聞こうとしなかった。

 どうせ、じめじめとした恨み言だ。

 聞いていると頭が痛くなる。


 タキが邪魔にしか思えなくなっていると気付いたのは、この時だった。

 乳母になりたいと言ったのは、実能の傍に居て、こうして後々、母と名乗りを上げるためだったのではないか。

 そして、金を絞り取りたかったに違いない。

 何だ、結局は他の女と変わらないではないか。

 否、一見害がなさそうに振舞っている、その方が遥かに質が悪い。


 急に、タキという女が恐ろしく思えた。

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