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明治あやかし怪綺譚  作者: 甘露寺ちどり
訪う女の事
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第三章 三

『ごめんなさいね、余計なことしちゃって……』


 日向子の沈黙を不満に取ったらしいミツは、申し訳なさそうに言った。


「いえ、そんな。謝らないでください。むしろ、謝らなくちゃいけないのは、私ですから」


 そもそも、無茶なことを頼んだのはこちらなのだ。

 ミツが謝ることではない。


『じゃあ――この話はここまで、ね』


 お互い、これで言いっこなし、と話を切り上げる。

 さばさばしていて、ありがたい。

 ミツは、いそいそと日向子の隣に腰掛けると、肩を小突いてきた。


『そ、れ、で。二代目ったら日向子ちゃんを追い出さないって、確かに言ったんだけど。どうなったの。何か言われた?』


 そうだ。

 追い出さない、と桐彦は言ったのだという。

 ミツが言うには――だが。

 尤も、ミツが嘘を言うとは思えないから、事実なのだろう。

 今となっては桐彦が何を考えて行儀見習をと言い出したのかは分からないが、それでも元々は追い出すつもりではなかったということは分かったのだ。

 それだけで充分だ。


「いえ。明日、出ることになりました。今日ミツさんが来てくださって良かった」


 みるみるミツの顔色が変わる。


『……嘘をついたのね、二代目』


 腰を浮かし、そのまま家の中に乗り込んでいきそうで、袖を引いて止める。


「私が、行くと言ったんです!」


 ミツは酷く驚いた。

 何かを言おうと何度か口を開いたが、結局は何も言わないまま再び腰を下ろす。


『でも……すぐに帰ってくるんでしょう? 追い出す訳じゃないって……』

「どうでしょう。分かりません」


 ミツに言った時と今と、考えが変わってしまっているかもしれない。

 ミツは、そう、と言ったきり口を噤む。

 しばらく二人で黙って星空を見上げていた。

 どの位経った頃か。ミツがおもむろに立ち上がる。


『そろそろ、帰るわね』

「はい」

『また、会えるわよ。ね』


 そんなに寂しがっていたのだろうか。

 けれど、その気遣いが嬉しかった。


「はい」


 沢山迷惑を掛けたことは申し訳ないが、しかしやはり東京に来て良かった。

 そう思った。

 こうしてミツと知り合えたのだから。


『この前は私が相談に乗ってもらったけどさ。日向子ちゃんも何かあったら遠慮せずに言って良いのよ』


 今まで、相談できる誰かなど居なかった。

 嬉しくて、少しくすぐったい。


「ありがと――……」


 礼を言いかけて、途中で止まる。

 野狐に言われたことを思い出したのだ。

 ミツが来るまで、ずっと考えていたことだ。


『どうしたの?』


 一人で考えていても、いつまでも答えは出なかった。

 相談をするのは、こういうことではないだろうか。


『なぁに、なぁに。言っちゃいなさいよ。楽になるわよ』


 確かに、言ってしまえば気持ちが軽くなるかもしれない。

 しかし相談というものが初めてで、一体どう切り出せば良いものか。

 考えに考え、深く息を吸い思い切る。


「ちょっと、ご意見を伺っても宜しいですか?」

『やだ、そんな畏まらなくて良いのよ』

「は――はい」


 肩の力を抜いてみようとしたが、逆に身体がかちかちに強張ってしまう。


『ほら、日向子ちゃん。息を吸って――吐いて――』


 ミツに言われるまま息を吸い、吐き、を何度か繰り返してようやく体の力が抜けた。

 改めて、切り出す。


「野狐さんに言われたんです」

『なんて?』

「黒瀬さん、私が来て楽しそうだったって」


 野狐は、あの白い髪の、と説明を添えたが、ミツには聞こえていないようだった。

 ぽかんと口を開けている。


「ミツさん……?」

『それ、本当? 本当に言ったの? 二代目が楽しそうって』

「は……はい。恐らく、聞き間違いではない……と、思います」


 確かに、野狐はそう言ったと思う。

 中々答えは返ってこず、ちらりとミツを伺う。

 見れば、にんまりと笑っていた。


「え……え? もしかして、分かるんですか? どういうことですか?」


 当の日向子にはさっぱり分からないのに、ミツはすぐに解ったのか。

 これこれこういうことだ、と教えてくれるのかと思いきや、ミツは嬉しそうに言った。


『教えてあげなぁい』

「え、え? どうしてですか、教えてください!」

『これは、教えてもらうんじゃなくて、自分で考えることよ』

「でも、私……昔の黒瀬さんを知らないから、分かりません」

『昔がどうだったかを知らなくてもいいのよぉ。日向子ちゃんが居ると前よりも楽しそう、それで充分分かるわ』


 そう言って、ひらひらと手を振ると、通りに続く小路に姿を消した。

 楽しそう。


 楽しそう――だったのか? 桐彦が。


 滅多なことでは表情を変えなかった。

 楽しそうに笑っている顔など見たことがない。

 一体、どこがどう楽しそうだったと言うのだ。


 いくら考えてみても矢張り答えは出ず、だからといっていつまでも広縁で悩んでいる訳にもいかず、部屋に戻った。

 布団を敷いている時も、床に就いてからも、桐彦が楽しそう、というそればかりを考えていた。

 本当に楽しそうなのか、と疑う思いが沸き上がってきて考えは纏まらない。

 昔の桐彦を知らなくても、本当に分かるのか。

 どんな時に喜んでいただろう。


 例えば――例えば。

 今よりもまだ、日向子が言葉を飲み込んでいた頃。


 ――相手を思いやるのと厳しいことを言わないのは、別だからな。


 そう言って、野狐の言うことに何でもはいはいと返事をする日向子を叱った。

 あれは桐彦なりに楽しんでいたのか。

 いや、楽しそうだと言ったのは野狐であって、桐彦本人ではない。

 考え過ぎだ。

 ミツも勘違いしたのかもしれない。

 そう。

 だから、何も考えずに眠ってしまおう。



 この所、日が昇ると目を覚ます暮らしが続いていたからだろう。

 言われていた時間に起きた。

 それでも、まだ眠気は残っていたが。


 しかしその眠気も、支度を整え居間に降りて――吹き飛んでしまった。

 桐彦と、久しぶりに人の姿に化けた野狐が居た。

 それだけならば、いつも通りのこの家の日常である。

 ただ一つ異なるのは、装いだ。

 桐彦も野狐も、いつもの見慣れた着流しではなく――洋装であった。


 三つ揃え、と言うのだと以前聞いたことがある。

 桐彦は明るい灰色生地の背広に、同じ色のベスト。

 皺ひとつないシャツが眩しい。

 対して野狐は黒い上下で、桐彦に比べて落ち着いた色合いであった。

 二人――野狐も、人と言って良いのかと考えたが、今は人の姿をしているから構わないだろう――とも、髪を後ろに撫で付け、隙一つない。


「どうした。食べたら、さっさと出るぞ」


 呆然と立ち尽くす日向子に、桐彦は相変わらずの厳しい口調で言う。


「は――はい」


 返事をして、用意されていた膳に付いたが、しかし気になる。

 味噌汁を啜りながら、ちらちらと伺う。

 似合っている。

 野狐も――そして何より、桐彦も。

 今まで着物姿しか見たことがなかったし、目元にかかるくらいに長い前髪であったから、よくよくその顔立ちを見たことがなかった。

 弓形の眉の下にあるのは、心なし垂れた双眸である。

 その目元には、優しげな雰囲気よりもむしろ、凛としたものを感じさせた。

 高くも、しかし低くもない鼻と、わずかに開いた唇。

 低い声音がそこから紡がれているのだ。

 今日は妙に鼓動が早い。

 ついでに頬も熱い。

 きっと、赤くなってしまっている。


「言いたいことがあるなら、言った方が良い」


 気付かない内にじろじろと見すぎていたらしい。

 いつも言われていることなのに、座布団の上で飛び跳ねてしまうくらいに驚いた。


「い、いいえ、何でも……」


 何でもない、と言いかけたが、じろりと向けられた視線は誤魔化しは許さないと言っていた。

 息を吸い、意を決して恐る恐る訊ねる。


「あの……どうして、今日は洋装なんですか?」


 すると、桐彦よりも先に野狐が口を開いた。


『似合わねえって言うんだろ? 分かってるよ』

「とっ……とんでもない!」


 慌てて首を振る。

 桐彦も、じっと向けられる視線をそう思っていたのかもしれない。


「似合っています。異人さんみたいで」

『本当か? まあ、ヒナコが似合うってんなら、たまには悪くねえかもな。なあ、旦那』


 そう言って桐彦に同意を求めたが、相変わらずの厳しい表情であった。


「異人みたい、と言うんだからお前の話だろう」

「あ――あ、いえ、その」


 むしろ、日向子は桐彦に見惚れていたのだが、今更それを言ってもついでのように聞こえてしまいそうで、言い掛けた言葉を飲み込んでしまう。

 そもそも、真正面きって桐彦に似合っているとは恥ずかしくて言えない。


「まあ、世辞はこれから覚えていけば良い」

「ち――ちが……」


 世辞の言い方を考えていた訳ではないのに。

 違う、という否定すらうまく言えなかった。

 やることなす事、裏目に出ている。

 情けない、とがっくり肩を落とした。

 桐彦はそれを見た後、最初の日向子の問いに答える。


「挨拶に行くんだ。こういう時は、正装をしていた方が信用が得られる」

『俺様は、旦那の付き人役』

「野狐は見栄えは悪くないから、こういう時だけは役に立つな」

『旦那も素直じゃねえな。いつも役に立ってるだろ、俺様は』

「生憎と、迷惑を掛けられた覚えしかない」


 そんな遣り取りを聞きながら、なるほど、と納得した様子を見せていたが、内心それどころではなかった。

 桐彦の機嫌を損ねたこと、似合っていると伝えたいのに言葉は喉に引っ掛かって出てこないこと。

 ああ、早く朝餉も食べ終えなくてはならない。

 視界がぐるぐると渦巻いてしまう。

 とりあえず、と椀を手にして味噌汁を流し込んだ。


「あつっ!」

「……外では落ち着いて食べてくれよ」


 溜息混じりに桐彦が言った。

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