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明治あやかし怪綺譚  作者: 甘露寺ちどり
訪う女の事
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序章

 鬱屈した気持ちが晴れず耐えきれなくなると、誰にも告げず、行き先も日程も決めない行き当たりばったりの旅に出るのが癖になっていた。


 そんな鬱鬱とした気持ちも、見知らぬ土地を歩いていると潮が引くように消えてゆく。

 ああ、もう大丈夫だと思えた頃に、ふらりと帰るのだ。


 家の者は何も言わないから、そのまますんなりと日常に溶け込める。

 尤も、しばらくすればまた気持ちは塞ぎ、旅に出ることになるのだが。


 以前は、厄介なことだと思っていたが、近頃では、そういう性質なのだから仕方がないとどうにかこうにか折り合いを付けられるようになった。

 そして、この時もそんなあてのない旅の最中であった。



 その、山間の静かな村に辿り着いたのは、十日程前のことだった。

 辿り着いたとは言っても、決してその村を目的にした訳ではない。

 桜散らしの雨に降られ、その日のうちに山越えを諦め、留まることとなったのである。


 時の流れに取り残されたかのような小さな村であった。

 二十年以上も前に、江戸は東京と改まり、徳川の治世は明治新政府に移ったというのに。

 尤も、それはこの村だけに限った話ではなく、中心から離れればそんなものである。

 上が変わったからといって、天皇が東京に移ったからといって、日々の暮らしは変わらないのだ。


 そんな小さな村だったから、宿を探してはみたものの一軒もなく、どの家も突然の旅人を泊めることを渋った。

 雨に濡れるのは困るが、仕方がない。

 これで断られたら神社の軒下を借りようと思い、最後の頼みにと立派な門を持つ屋敷を訪ねた。


 ここでも門前払いを食らうだろうと覚悟していたが、意外なことに受け入れられた。


 屋敷に住むのは、当主だという老女と、姫君のように大切に育てられている二人の娘たち、そして大勢の使用人だった。

 娘たちの両親は、既に鬼籍に入っているのだという。当主は歓迎していなかったが、末娘が押し切ったようだった。

 雨が上がればすぐにでも発つつもりだったが、ここで思いがけない足止めを食らった。


 当主と末娘が相次いで亡くなったのである。


 たまたま居合わせただけの赤の他人であるから、早々に立ち去った方が邪魔にならないのだろうが、続いて起きたごたごたに、すっかり身動きが取れなくなってしまった。

 数えれば、雨の夜から十日が過ぎていた。



 ようやく落ち着きを取り戻した屋敷の、一番広く一際贅を尽くした座敷に、二人の姿があった。

 近しい親族に先立たれ天涯孤独となった娘と、思いがけぬ長逗留になった旅人――要するに己である。

 実に妙な取り合わせだ。

 大勢居た使用人は皆、屋敷を出てしまい、残っているのは二人だけであった。


 身体に重く伸し掛かる沈黙に耐え切れず、娘を視界から外すようにして、座敷を見渡す。

 広く、ありったけの金がつぎ込まれているのが分かる。ごてごてと装飾を施しているだけだ。

 そこには長い年月をかけて積み重ねられた伝統も、皆が一目置くような品性もない。

 それはこの座敷だけに限らず、屋敷の全体に言えることだった。


 尤も、その品性や伝統といったものは見る者に教養という下地があって初めて役に立つものであるから、この屋敷を建てたという先代は、周りの人々にはそれがないと知っていたのかもしれない。


 なるほど、そう思えば金をかけて解りやすい贅を尽くしたのは正しかった。

 望んだ通り周りからは一目置かれ、この辺り一帯に長く君臨してきたのだから。

 この辺り一帯の君主であった、亡き当主を思い出す。

 当主には、酸いも甘いも味わったのだろうとひと目で分かる貫禄があった。

 あの老獪な当主を見れば、この家があまり好ましい方法で財を成したのではないことが分かった。


 しかし――。


 そこで先代を思い出すことを止め、目の前の娘へと視線を戻した。

 先代にはあった老獪さ、権力への執着心は、この娘にはない。

 屋敷の奥深くで暮らし、世間どころかこの村のことも知っているのか怪しい娘である。


 娘はこれからどうなるのだろう。放っておくことは簡単だ。

 長くなった逗留への礼を伝え、立ち去ることはいくらでもできた。


 だが。これだけの偶然が重なるなど、そうそうあることとは思えない。

 ここに来たことも、雨に降られたことも。そして、逗留中に不幸が続いたことにも。それらには理由があるのではないか。

 そう思うと中々立ち去れなかった。



 当主が亡くなってから、この屋敷には親族だと名乗る輩が押し寄せてきた。

 それはさながら一揆のようで、彼らは片端から金に変えられそうな家財を運び出し、屋敷はあっという間にもぬけの殻となった。


 その時も、娘はぼんやりと眺めるだけであった。

 怒りもせず、哀しみもせず。困ったように辺りを見回したが、最後まで止めはしなかった。

 その様子が忘れられない。


 いずれ、娘も家財のようになってしまうのではないか。

 親族だと名乗る者に押し切られてしまうのではないか。


 そして、どこぞの妾か――それとも、廓か。

 売り飛ばされてしまうのではないか。


 そう思うと、放っておけなかった。

 なぜ、そんな気になったのかは分からない。

 ただ少し、肉親を喪った時の自分と重なって見えたのかもしれない。

 誰かに自分を重ねるなど、馬鹿馬鹿しいと思う。

 他人は他人で、自分は自分。そうやって生きてきたというのに。

 最初は、そんな親族が来たら追い返し、娘の周りが落ち着いた頃に立ち去ろうと思った――のだが。



 この家は、親族が多いのか、それとも長年恨みを買ってきたのか。

 引っ切り無しに親族を名乗る者がやって来た。これまで被った迷惑料とばかりに、恨み辛みをぶつけたいのだろう。

 そして、あわよくば多少の金が入るなら御の字、と思っているのが透けて見えた。

 それにも腹が立った。この娘が悪い訳でもないのに、すべての責任を取らせようとする。

 その度に、相手を言い負かし追い返したのだったが、これではきりがない。


 そろそろ放り出してきた家のことも気になる。

 このまま居続ける訳にもいかず、どうするべきかと悩んだ末の――今日である。

 幸いにも、朝から訪問者はなかった。

 しかし、明日になればまた来るかもしれない。



 殆どをこの屋敷の中で過ごしてきたためだろう。

 青い、と言っても差し支えないほど色の白い娘を見る。

 顔の作りは小奇麗で、烏の羽のように黒い髪のせいもあり、人形のように感じる。


 いや、容姿のせいだけではない。

 にこりともしない表情のせいで、作り物めいて見えるのだ。

 歳は――末娘が十五だと言っていた。姉は二つ上だということだったから、十七になるのか。

 その、人形のような娘に、ここ数日、考えていたことを投げかけた。


「あんた、この家に未練はあるか?」


 娘は少し間を置いて、いえ、とだけ答えた。望んでいた返事に、知らぬうちにほっとしている自分に気付く。

 まだ本題に入っていない。少しの間を置いて、続けた。


「俺も、そろそろ帰らないといけない」


 幸いと言うべきか、娘を連れ帰って小言を言う家族は居なかったし、食い扶持が一人くらい増えても困らない収入もあった。

 それに、こうして旅先で何かを拾って連れて帰るのは初めてではない。

 人、という括りならば初めてだが――それでも、大丈夫だろう。


「俺の家は少々変わっているが、あんたならやっていけるんじゃないかと、思う」


 何がどう変わっているかを伝えるべきかと思ったが、しかし言った所で理解してもらえるとは思えない。

 伝えなくとも、娘ならば大丈夫だろう。それは、全く根拠のない自信だったけれど。


「使っていない部屋が一つある。あんたにその気があれば、だが」


 意を決して切り出したのだが、娘は理解したのかしていないのか、緩々と小首を傾げ、


「そうですか」


 と言った。それは、受け入れたのか拒否したのか。

 意思が全く伝わってこない。

 急なことだから驚き、悩んでいるのだろう。

 黙って娘の返事を待った――のだが。


「寂しく、なりますね」


 沈黙の末に娘が発したのは、そんな呟きであった。

 一人残されることに対して言っているのか。

 身の振り方を考えていたのではなく、寂しさを噛み締めていただけだったのか。

 だから、来るのか来ないのか訪ねているのだと語調を荒げそうになって、思い留まる。

 考えに考えた言い回しは、決して分かりやすいとは言えないものだ。


 それに加え、これまで娘は誰かと関わることが極端に少なかったのだ。

 細かな言葉尻を察するのも難しいだろう。これでは伝わる筈もない。


 自分は決して、口が上手いとはいえない。

 それは重々承知している。

 下手に飾っても、きっと娘には伝わらない。

 だから、咀嚼に咀嚼を重ね、これ以上ないほどに分かりやすく、改めて訊ねた。


「俺の家に、来ないか」


 そして、家事など全くできない娘が戸惑うことのないよう、言い添える。


「掃除も洗濯も、料理もしなくていい」


 これで充分に伝わっただろう。娘はきょとんとした後、おずおずと訊ねる。


「家、というと……貴方の家ですか」

「そうだ」


 それ以外に、何処がある。


「私が、ですか」

「そうだ」


 ここには、娘の他に話しかけるような者は誰も居ない。


「どうする。来るも来ないも、あんたが決めていい」


 来てくれたほうが安心できるが、それは、こちらの勝手な都合である。

 身の振り方は、娘自身が決めるべきで、こうした方がいい、こうしろ、と指図するものではないのだ。

 だが――。


「あ――……あ、でも、美夜子(みやこ)に……美夜子は……、美夜子」


 娘は馬鹿の一つ覚えのように、亡き妹の名を繰り返した。

 そうして呼んでみたところで、亡者が姿を現す筈もないというのに。


 だが、それも仕方がないことかもしれない。

 この娘は、今まで全て妹任せであったという。

 自分で考えること、決断することがなかったのだ。


 その証に、妹が亡くなって、ずっと同じ着物を着ている。

 恐らく、妹が決めたものだ。

 何を着れば良いか分からないから、妹が最後にこれをと命じた着物をずっと着続けているのだ。


 自分の着るものすら決められない娘が、身の振り方を決められるものか。

 尤も、それはこの娘だけが悪いのではなく、妹もそうするように――つまり娘から意見を取り上げていたのだ。

 そして、周りの大人も。

 面倒だが、良い機会である。握った拳で畳を叩くと、娘はびくりと身体を強張らせた。


「俺の家に来るのか、来ないのか。どっちだ」


 半ば、脅すような言い方になってしまったが、仕方がない。

 家に来いと押し切るのではなく、自分で決めたという事実が欲しかったのだ。

 一つずつで構わない。ゆっくりとでも、それはきっと自信になる。


 無理矢理に決断させるには、強引な位が良い。

 もう、拒否させる気はなかった。こんな娘を一人残して、ここを離れられる訳がない。


 望んだ通り、娘は頷く。これで一安心だ――そう思った。

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