Ⅲ 尋ね人
千穂が姿を消してからというもの、悠真にとって気が気ではない日々が続いた。
大学の講義を受けていても、教授が口にする単語の一つ一つが千穂との思い出に結びついてしまう。
悠真の中には、自分を置いてどこかへ行ってしまった相手に対する怒りは確かにあった。不思議なのは、千穂を憎らしく思う以上に寂しさが込み上げてくることだ。
「田代?」
じっと黒板を見つめ続けていると、隣に座っていた戸嶋に顔を覗き込まれた。
悠真はふと我に返り、教授の話に意識を戻した。
「もう授業終わってんぞ」
シャープペンを握り直した悠真を見た戸嶋が、けらけらと笑う。
悠真はあっ、と小さく声を漏らした後、恥ずかしそうに笑ってノートを片づけた。
「お前次入ってたっけ?」
「え? いや、空いてるけど……」
「よし、じゃあ食堂行こう」
まだ一限が終わったばかりで、昼食には早すぎる時間だ。悠真が怪訝な顔をしていると、戸嶋は腹が立つほど爽やかな笑顔を向けた。
「何かあったんだろ? 話せよ」
「……え? 無理だよ」
「んなこと言うなって! つれねーな」
肩に腕を回し、がくがくと揺さぶられる。
「トシー、また田代ちゃんいじめてんの?」
近くを通りかかった女子が下品に笑いながら通り過ぎた。よく見かける顔だが、悠真は彼女の名前を知らなかった。見るたびに彼女の印象が変わるのは、濃すぎる化粧のせいだろう。
「お前のせいでオレが悪者みたいになったじゃねーか、田代『ちゃん』?」
戸嶋は悠真の肩から乱暴に腕を離し、席を立った。
「なんで僕が『ちゃん』付けなんだよー」
愚痴をこぼした悠真の耳元で「そういうとこだろ」と囁くと、戸嶋はリュックを片方の肩にかけて教室を出て行ってしまった。
戸嶋の背中を見送ってから、やはり相談するべきだったかと悠真は思い返した。最近はアルバイト先でもミスが目立ち、店長から注意を受けることも増えた。
このまま一人で悩み続けるよりも、誰かに相談に乗ってもらった方がいいのではないかとも考えていたのだ。
大学の友人の中でもっとも付き合いが長いのは、いつも隣の席で授業を受ける戸嶋だ。だが、悠真にとって戸嶋が一番信頼のおける人物であるかといえばそうでもない。
戸嶋は交友関係も広く、どこから情報が漏れるともわからないのだ。ともすれば危険なその交友関係の広さを、人探しにであれば有効活用できるのではないかとも思った。だが、ルームシェアに至るまでの経緯は大学に入ってから誰にも話していない。
戸嶋に話してしまって大丈夫なのだろうか。
悶々と考え続けていると、授業の始まりを告げる鐘が鳴った。
お久しぶりです、と打って、悠真の指が止まる。
――この後に何と続ければいいだろう。「千穂さんがいなくなりました」だろうか。でも、それだと語弊があるかもしれない。
打ちかけのメールを放棄し、送り先のアドレスを眺めた。
「アドレス変わってたりして」
力なく呟いてみるが、我ながら笑えない。
高校生の頃にはかなり親身になって話を聞いてくれた人。けれど、一年もたてば自分の存在など忘れられているのではないかという不安もある。
『川端大悟』。名前を見ることさえも懐かしい恩師だ。
何かあったら連絡しろとかねてから言われていたが、ついぞ連絡することはなかった。時間が空きすぎて、今は連絡することに戸惑いを覚えてしまう。
〈お久しぶりです。僕のこと、覚えてますか?〉
そこまで打って、一時保存しようとボタンを押した。その時、指はいつもの癖で送信ボタンに触れていた。
送信中の画面をぼんやりと眺め、「送信完了」の文字を確認してようやく、自分のミスに気が付いた。
いやな汗が背中を伝う感覚に、悠真は顔をしかめた。
数分後、腕に伝わる振動が、メールの着信を知らせた。
ドキドキしながらメールを開く。
〈久しぶりだな。何かあったか?〉
昔と変わらない調子で、川端の声が聞こえてくるような気さえした。
〈……いろいろありまして。千穂さんの行きそうな場所知りませんか?〉
隠していては話が進まない、と悠真は覚悟を決めた。
〈千穂ちゃんの? 帰ってこないのか?〉
〈そうなんですよ〉
〈連絡はしたのか?〉
川端の言うことも正しいと、悠真は充電器をつなぎながら返信を打つ。
〈メアドが変わってるみたいなんです〉
千穂が消えた日、悠真はすぐに千穂にメールを送った。すぐにエラーメールが返ってきて、千穂がアドレスを変えたことに気付いたのだ。
〈お前千穂ちゃんを怒らせただろ〉
〈そんなことしてないはずです〉
打ち込みながら、これまでの生活を思い返した。
確かに、自分と千穂では学生と社会人という身文の違いもあれば、年齢も違う。それ故に生活習慣もかなり違っていた。お互いに文句をいう事はなかったし、千穂がその程度で怒るような人物にも思えない。
〈どうだろうな。女って生き物は訳のわからないことで怒り出すぞ〉
不安を煽るような川端のメールの文面に、悠真は何も返すことが出来なかった。