最終話 少女たちの誓い
そこは、街の景色が一望できることで有名な場所だった。学校でデートスポットとして名を聞くことも多い。この時間帯だと、学生のカップルがちらほらいることだろう。
学校であらぬ噂を流されていた身としては、気軽に行きたいと思える場所ではなかった。
それでも、千穂の側からようやく連絡をくれたのだから行かない道理はないと悠真は腰を上げた。
天候があまり良くないせいだろうか、公園に人の姿はまばらだった。
どこを見てもカップルだらけの公園の中で、こちらに向けて手を振る人影があった。二人組の背はどちらもあまり高くなく、カップルというわけではなさそうだ。
悠真が警戒しながら近づくと、手を振っている人物が佳乃だということがわかった。
とすると、隣にいる少し背が低い女性は千穂だろう。
「ゆーくんこっちー!」
佳乃が底抜けに明るい声で悠真を呼ぶ。手招きされる方へ急ぐと、千穂が佳乃のワンピースの袖を掴んで手を振るのをやめさせようとしているのがわかった。
「お久しぶりです」
悠真は千穂を見据えて言った。
「うん」
「どうして佳乃さんが一緒なんですか」
「それはねー」
口を開きかけた佳乃を千穂が制する。
「リィごめん。ついて来てもらってなんだけど……」
「あ、だよね」
えへへと頬を掻くと、佳乃は静かになった。
よく見れば二人は手をつないでいる。
悠真の視線がつながれた手に向けられていることに気付いた千穂は、そっとその手をほどいた。
「佳乃さんの所だったんですね」
「うん」
「どうして実家に帰らなかったんですか。親に帰れと言われたからルームシェアをやめたんでしょう?」
悠真が問い詰めると、千穂はきまりが悪そうに佳乃に視線をやった。佳乃は困ったように首を振り、悠真の方へ向き直らせる。
「全部嘘だよ」
「え?」
「親にばれたって話、嘘なの」
「どうしてそんな嘘を……」
悠真の声は震えていた。震えているのは、声だけではない。全身を細かく震わせ、固く拳を握りしめていた。
「私、リィとよりを戻したの」
「……は」
自分の知らない間に二人が密会していたこと、佳乃の千穂を呼ぶ時の愛称が変わっていたこと。
薄々ではあるが、予想は付いていた。それでも、すぐに受け入れることはできなかった。
「千穂さん、冷静になってください。佳乃さんは結婚してるんですよ」
「あ、それはね」
途中で口を挟んできた佳乃は、唇に人差し指を当ててウインクをした。
「なんですか、それ」
「アタシたちはそういうの合意の上で結婚したから」
「……私は許してないよ」
ポツリと千穂が漏らす。
肩をすくめて佳乃が笑い、千穂の頭を撫でた。
「千穂はさ、変わんないよね。ヤキモチ焼きなとことか」
嬉しそうな佳乃に、悠真が鋭い視線を送った。それに即座に気付いて、弁解が始まった。
「あ、勘違いしないでよ。アタシたちは高校ン時からこういう関係だったんだからね」
「そうそう。……だから、あなたと暮らすことはできないの」
「どういうことですか。なんで、なんで前まではよかったのに急に駄目になるんですか」
悠真の問いかけに千穂は、冷めた目をした。
その視線を表すかのように、冷ややかな風が吹き付ける。木の葉が触れ合う音が、いつもより大きく聞こえた。
異質な三人を避けて行ったのか、何組かいたカップルの姿は見えなくなっていた。
「だって、あなたは私のこと好きでしょう?」
「……どうしてそうなるんですか」
嘲笑交じりに問いかけた。
千穂は眉を寄せて、今にも泣きだしそうになっていた。
「そりゃ、僕は千穂さんに気に入ってもらうために色々やりましたよ。デートまがいのこともしたし、甘えん坊の年下? みたいなこともしました。でも、それがどうして隙に繋がるんですか」
「――それ以上吠えないでよ。うるさいな」
ニコニコしながらくだらないことばかりを言っていた佳乃が、突き刺さりそうな眼差しで牽制する。
それでも、悠真から余裕の笑みが消えることはなかった。
「吠えてなんかいませんよ。僕は事実を述べているんです」
「馬鹿じゃないの? アンタのそれは負け犬の遠吠えだ」
ぴしゃりと撥ね退けられて、悠真が一瞬たじろいだ。
「千穂はねぇ、アンタなんかと違って優しいんだよ。アンタを傷つけることを心配して、そうなる前に姿を消したんだ」
「リィ……」
不安げな面持ちで、千穂が佳乃の袖を引く。
「とにかく、千穂はもうアンタと会う気はなかったんだよ。だから、これ以上千穂に迷惑かけないで」
「……そういうことだから。もちろん、今まで通り家は好きに使ってくれて構わない」
千穂はうつむいたままで、悠真と目を合わせようとはしなかった。声も風の音でかき消されてしまうようなか細さだった。
姉のように思えていた千穂が、幼い子供に見える。
これまでそんな姿など見たこともなかった悠真は、困惑した。千穂の様子を窺いながら、眉間にしわを寄せる。
「いいです。あの家、出ますから」
呆気にとられた千穂が顔を上げた。その拍子に、涙が頬を伝った。
「……え? 学校は?」
「やめます。どうも僕には合わなかったようなので」
「ごめんなさい、私のせいだよね。私が勝手なことばかりしたから……」
「いいよ千穂、こんなやつ放っときな」
嗚咽を溢れさせながら千穂が崩れ落ち、佳乃がそれを抱きとめた。
千穂は何度も謝罪の言葉を繰り返した。悠真に対して、佳乃に対して、そして、佳乃の兄に対しても。
「千穂は悪くないから。ね、アタシと帰ろう?」
佳乃がなだめるための言葉をかけても、千穂は子供のように泣き喚くばかりだった。
今目の前にいるのは、自分の知っている年上の女性ではない。
そう悟った悠真は、二人から離れた。
「家の鍵、返すんで取りに来て下さい。三日もあれば荷物は片付きますから」
とつとつと語って、背を向けた。その背中に、佳乃が告げる。
「あの人ねぇ、えらくアンタのこと気に入ってたよ。うちのアシスタントにしたいって」
「あの人?」
「山本。どっか行くなら、挨拶ぐらいしてやって」
相変わらずの夫婦と思えぬ扱いに、乾いた笑いが漏れた。
お互いに無関心なのは、山元も佳乃に対する好意がないからなのだろう。そして、自分といる時に過剰なまでのサービスをしたり、たった一言で舞い上がってしまったりしたのが、彼の本心なのだ。
悠真には、そうとしか思えなかった。
* * *
去っていく悠真の背を見送ると、泣きじゃくっていた千穂が立ち上がった。
目元を人差し指で軽く拭う。
「……どうだった? 私の演技」
「サイコー。やっぱちほたんはすごいや」
ぴょんぴょんと跳ねながら、佳乃が千穂に抱き付いた。反動でよろけた千穂は、木にしこたま背中を打ち付ける羽目になった。
「リィだって、名演技お疲れさま。シリアスなリィもなかなか格好よかったよ」
「えへへ~。それほどでもあります!」
佳乃は千穂から離れて、ビシッと敬礼をする。千穂もようやく木から背を離した。
「私たちって名コンビだね」
「は? 何当たり前のこと言ってんの! アタシたちは運命の赤い糸でグルグル巻きにされてもう離れらんないんだからね。覚悟しなよ」
見下ろせば、そこには満点の星空のような夜景が広がっている。
流れる車の列の中のどれか一つが、悠真の乗るバイクなのだろう。酷いことをしてしまったという罪悪感はあった。けれど、二人の中に後悔の二文字は微塵たりともなかった。
「約束。私は一生リィを愛します」
「アタシも! ちほたんを愛しまーっす!」
夜景に高校生の時にしたのと同じ誓いを立て、二人は熱い抱擁を交わした。
なんとか年内に完結できました。
二人が悪女になってしまったけれどね(苦笑)
誤字・脱字などがありましたら教えていただけると助かります。




