ⅩⅠ 男と女と公園と
電話をかけてきた日以来、佳乃は姿をくらませた。
そのことを知らせてくれたのは山本だった。夫婦なら偽りの情報を流しかねないが、不思議と山本が佳乃をかばっている様子は見られなかった。
それどころか、悠真を歓迎しているようでもあった。当初の印象とは正反対だが、段々と山本に好感を抱き始めた。
「俺ぁ、好きな奴に腹一杯うまいもんを食わせるのが趣味なんだ」
ある時、山本がぽつりと零した。はにかみながら斜め上を見上げる姿は、珍しい光景だった。
悠真はサンドイッチを一口かじり、山本に微笑みかける。
「素敵ですね。僕もそういう人に出会いたいな」
「そっ……そうか?」
声を裏返した山本は、大げさなほどカウンターから身を乗り出した。
悠真はうなずきながら、残りの半分を 一口に押し込んだ。
うつむき加減の山本の口から、「そうか、そうか」と弾むような声がとめどなく溢れる。そして、スキップでもしはじめそうな足取りで厨房へ向かった。
「サービスだ。どんどん食え」
どん、と置かれた大皿には、これでもかという量のサンドイッチが積まれていた。
その圧倒的なまでの質量に、悠真は言葉を無くした。
「開発中の新メニューなんだ。悠真の率直な意見を聞かせて欲しい」
「あの、さすがにこの量はちょっと……」
「そうか? 持って帰ってもいいぞ。男一人だとろくなもん食わねぇだろ」
にやりとしながら、タッパーを差し出す。悠真はそれを丁重に断り、店を後にした。
一人きりの部屋で、千穂と佳乃の携帯に電話を掛ける。これが、いつの間にか日課となってしまっていた。
しばらくのコール音の後、留守電に繋がるのがお決まりの流れだ。
作業として呼出音を聞き、繋がらないことへの不安も絶望もないままに通話終了のボタンを押す。
期待もなにも、とうになくなっていた。
それなのに。
「もしもし?」
不機嫌そうな声が、悠真の鼓膜を震わせた。
「……もし、もし」
想定外のことに、のどの奥がヒリヒリと痛むほどの渇きを感じた。それでも、またとない機会に縋り付くしかなかった。
「千穂さん。どこにいるんですか」
「どこって……リィの家だけど」
「佳乃さんの?」
財布を尻ポケットにねじ込み、キーホルダーのついた鍵を鷲掴みにする。
スニーカーのかかとを踏んだまま家の外に出ると、鍵を掛けるのももどかしく走り出した。
「あなたねえ、落ち着きなさいよ」
慌ただしく支度を整える音が聞こえていたのか、スピーカーから呆れたような声がした。
「聞いてる?」
「聞いてますよ」
「これから高台の公園に行くから。会いたいなら来て」
一方的に告げられ、電話が切れた。
蜘蛛の巣のようにひび割れたディスプレイを睨む。
千穂が指定した高台の公園は、初めて二人で遊びに行った日の帰りに立ち寄った場所だ。
街全体が見渡せて、デートにはもってこいの場所だと先輩たちが話していた。そんな場所で待ち合わせると言い出した千穂の気が知れなかった。
足を止めて呼吸を整えると、ポケットに押し込んだ鍵を取り出す。その中に、バイクのキーが付いているのを確認してきびすを返した。
低く唸るエンジン音と、心地よい振動が体を芯から震わせる。
信号との相性にもよるが、目的地までは十分とかからないだろう。
千穂がどのような手段で公園に行くのかは知らないが、悠真は自分が先に公園に辿り着くことを危惧した。
コンビニで時間を潰そうと思いながら、バイクのハンドルを切る。
どうしても千穂のことが頭から離れなかった。そして、気付いた時には公園へと続く上り坂に差し掛かっていた。
この先にコンビニはない。
わざわざ引き返すほどの理由もないので、高台の中腹よりやや下にある駐輪場にバイクを止め、そこから歩くことにした。




