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◇巫女の涙◇


その二人のすぐ足もと――


株式会社ニッポン株主総会会場の真下は展望台を兼ねた大宴会場である


総床面積東京ドーム約二十個分。

八百万やおおろずの神々を収容可能な広さ、尋常ではない


ホテルの専属従業員らに混じって、全国から集まった宮司や巫女たちがテーブルセッティングの真っ最中だ


普段は滅多に見ることができない神を一目見ようとボランティアで働いている


「ねえ。あそこでさっきからずっとナフキン折ってるの。神様じゃないかしら?」

巫女の一人が尋ねた


それは『ン』であった

『ン』は言霊である


言霊であるが、十七言霊にも三十二子音にも含まれていない

『ン』は天涯孤独だった


『ン』がこの世に生まれ落ちた瞬間から運命は定まっていたのだ

『ン』は名を捨てた

名を捨て、すでに数千年の年月が経っていた


『ン』自体も無口でいっこうに笑う気配もなかったのでますます周囲から忘れられていった


「神ですって!どこに?」

「あそこ」

「やだホント。サインしてもらおうかな?」

「写メにしなよお!」

「神って、写る?」


「あなたたち。お喋りはやめなさい。言霊に呪われるわよ」


白い小袖にひときわ鮮やかな緋袴姿の美しい巫女が口を挟んだ

名はアズサ


「センパーイ!」

「先輩もやめて。部活みたいだから」


最近の助勤すなわちアルバイトは礼儀知らずで困る

明け透けで健康的なのは良いことだが、露骨に過ぎると気が緩む

気が緩めば穢れを受けやすい


「どうしたというの?」

「Cゾーンに神様が――」

「神様が?」


「あれぇ?――いない…」


宴会は神を降ろす場だから神がいても決しておかしくない


でも――、まだ準備中だというのに…

アズサは不思議に思った


テーブルにしつらえた島台の一画にアズサは目をこらした

飾り付けの鶴と亀がこちらを見たような気がしたのだ


「―――!?」

「先輩。ホントにいたんです」

…――ずいぶん気が濃くなってきてる…


「わかったわ。雛子ちゃんも舞ちゃんも、気にあてられないように注意してね?」

「はあーい!」

「そうだ。これをあげるわ」

アズサは勾玉のペンダントを二つ差し出した


瑪瑙めのうで出来てるの。二つで一つなのよ。身につけておくと良いことがあるわ」


「わあ素敵!もらいまーす! でも二つで一つって?」

雛子が訊いた

「こうして合わせると…」

「あ!それ見たことある!」

舞が手をぽんと打った


「そう。陰陽の太極図。森羅万象、あらゆる事物は陰と陽、二つの対立する気から成り立ってる。陰と陽の二つの気が調和して初めて自然の秩序が保たれてるのよ」

「つまり――?」

「二人は仲良しってことでしょ! ネ!先輩?」


「ちょっと違うんだけどなあ…ハハ」


「大事にします!」

「私も!有難う!」

「どう致しまして」


二人が去ったあとアズサはそっと自分の胸に手をあてた


神々の祝宴まであと三日

いったん宴が始まればさいごの一人の神が帰るまで祭りは続く


アズサには初めての経験だった

赤ん坊の時両親をなくしたアズサを育ててくれたのは巫女の祖母、梓であった


そのせいか幼い頃から巫女に憧れていた

渡り巫女だった梓の影響はなにかと強い


アズサの両親も神職に仕える者であった

母は体が弱くアズサを生んですぐ旅立った

悲観にくれた父もほどなく病に臥せこの世を去った


父母は立派な神官だったとアズサは聞いている

出雲で行われる祭事にはかかさず二人で出向いて神事を務めたという


顔も覚えていない父母を慕うアズサの想いは、いつしか出雲を訪ねたいという気持ちと重なっていった


修業の甲斐あってやっと一人前の巫女になり、出雲から招かれた時、夢が叶ったと思った


その矢先、それまで丈夫だった祖母が突然倒れた


アズサは出雲に行くのはやめて祖母の看病をしたいと願い出た

だが、祖母はアズサの申し出を断った

祖母はアズサの健気な気持ちをよく理解していた


病の床でアズサの手をとり

「行っておいで」と優しく微笑んだ


「行ってみてくるといい。お前は力の強い子だ。神和かんなぎとしても有望じゃが、お前にはもっと知っておくことがある」

「それは何?口寄せのこと?」

「わしにもまだわからん…」


「私、出雲に行くのは次でも構わない。だから…」


梓は孫娘を制して虚空を見つめた


「アズサや。よくお聞き――」

祖母のただならぬ口調


「なあに。お婆ちゃん?」

悪い予感がした


「わしはもう長くはもたぬ…」

恐れていた言葉を耳にしたとたん、アズサは弾けた


「嫌だッ!そんなの聞きたくない!」


「だから――次はもうないのじゃ…」

「イヤ!そんなこと言わないで!そんなの嘘!」

「聞くのじゃ!アズサッ!」

梓は叱咤した

アズサは唇をかんだ

あまり強く噛んだのでうっすら血が滲んだ


「――わしは長いこと渡り巫女をやっておった。辛いこともあったがそれがわしの運命だと悟っていた。旅の途中でお前の母を生んだ。若気の至りじゃった…。しかし後悔はしておらん。お前のような良い孫に恵まれたのじゃから――。ただのう…」

「…ただ?」

「わしには一つだけ心残りがある――。わしは出雲の神事を知らぬのじゃ。話に聞くだけで見たことがない。お前の親たちに意地を張っていたのだ…。わかるか?アズサ」

「うん。なんとなく…」


「ほっほっ!賢い子じゃ…」

梓は苦しげに先を続けた


「わしも巫女の端くれ、――アズサや。どうかわしの代わりに見てきて欲しいのじゃ。そして――、神の御姿とやらをわしに聞かせておくれ」


「お婆ちゃん…」

「なあ――アズサや。老いた婆のさいごの頼みを叶えてはくれぬか?」


アズサの目からぽろぽろと涙が流れ落ちた


「わかったよ。お婆ちゃん…だから」

「大丈夫じゃ。まだ往きはせぬ」

「婆ちゃん!」

「ほれ。涙をお拭き。穢れがつくぞ? はっはっは!うっ!ゲホホ…ゲボ…」


「ば…、婆ちゃん!!」

「冗談じゃ!!」

「もお!お婆ちゃんたら!」


悲しいやら可笑しいやらでアズサの顔はぐしゃぐしゃになった


「お婆ちゃん。私行ってくる」


梓の口元がゆるんだ

「そうか。有難う。――そうじゃ。春になったらお前の好きな桃の花をまた見に行こう」

「桃の花――」


アズサは枝にみっしり咲いた小さな薄桃色の花を思い浮かべた

まだ小学生だった頃、祖母に連れられて通った神社の帰り道

修業はきつかったけれど桃の花を見ると元気一杯になれた


「うん。きっとだよ!」

「ああ。きっとじゃ!」



「…――お婆ちゃん…」


私が帰るまで絶対無事でいてよね…――。




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